瞑想を通しての身体への集中と感覚の鋭敏化、そこに独自メニューの体幹トレーニングを組み合わせ、身心統合体としての存在そのものに、やさしく、かつ深く働きかけます。
このような方へお薦めできます
* 身体に関する慢性化した問題(痛み、違和感、長引く不調、ケガの後遺症など)を抱えておられる方。
*からだと心のチグハグさ、身体と意識のズレを感じて生きておられる方。
* 身体表現・運動・競技・治療など、身体性に関わる世界に身を置いておられる方。
* 坐禅・瞑想・マインドフルネスなどに取り組んでおられる方。
ボディワークとは?
ボディワークとは、心身統合体としての人間存在に対する働きかけのうち、主に身体の感覚と運動からアプローチする技法を総称した言葉です。
従来の(古いタイプの)身体訓練やマッサージとの違いは、「気づき・意識」を重視する点にあります。
「何の役にたつのか、何のためにやるのか」との問いに対しては、『無境界―自己成長のセラピー論』 ケン・ウィルバーが、良く答えます。
ヒ(人間)の特殊性
ヒトは特殊な生き物で、背骨(脊椎)を重力と平行に縦に合わせ、直立して暮らすことが常態化した動物など、地上には、そう居ません。
それは、背骨を横から縦にすると云う、進化の成り行き上起こったボディプランの大掛かりな変更を経験したヒトと云う種特有の特殊な事情であり、それが故に、ヒトは、生まれたまま、自然なままでは、うまく身体を使えません。
まず、立ち上がり、歩くことを、各々が時間をかけて学び、また歳を重ねると共に、「重力との不適合」という問題を、生活の様々な場面、身体の色々な部分で感じるようになっていきます。
そこに、この身体というハードウェアを、生きて動いている間、苦痛なく― あるいは、より上手に、優雅に、洗練されたかたちで― 使いこなすための、制御ソフトウェアの更新(バージョンアップ)に取り組む意義や価値が存在しているのです。
直立して暮らす(立ち・歩き・座る)ことは私たちにとって、未だ「進化史上の未解決の問題・現在進行形の大いなる課題」としてあるのです。
グラウンディングとセンタリング
グラウンディング、あるいはセンタリングと云う言葉は、身体に関わる領域のみならず、心理的な世界においても、よく使われます。
「地に足が着いていない」とか、「軸(中心)がない」と言われれば、それは単に身体の状態を指すだけでなく、その人の(意識を含めた)存在全体を表わすものとして理解されます。
それを言葉通り、まず身体の次元において実現すること―
わが質量・位置エネルギーを、狂いなく、地球の中心まで届けること。
それは、井戸掘り(ボーリング作業)に似て、自らの中心(軸)を鉛直線上に正しく配列することができたとき、その質量は翻って上昇し、天を支え、身を天地一杯に開き破ります。
そこには、重力との適合を果たした末の反-重力的な自由があります。
根を養い、幹を育てるボディワーク
植物や樹木を見るとき、私たちは通常、枝や葉に、あるいは花や果実に目を奪われます。
しかし、それを支えている膨大な部分― 根や幹を考えることは、あまりしません。
しかし、こと身体性の分野の場合、重要性は、まず根と幹にあります。
自らの存在の根と、そこから立ち上がる伸びやかで強靭な幹(軸)を打ち建てること。
その根の深さ・幹の強さこそが、身体の厚みであり、存在の深みであり、枝葉の運動には至りつくことのできない本物の動き・ハタラキが、そこに存在します。
また、真の意味での健康も美しさも、そこに姿を現すのでしょう。
それは、「直立した脊椎動物」たるヒトにとって、根源的な整体法・養生法・健康法となりうる取り組みなのです。
Deep Movement – 深部からの運動
それは、通常の、身体末端の可動性や加速性の大きさ、動きの分節化の組み合わせによる、「どう、早く、大きく、動くか」「どう、見せるか(表現するか)」に主眼をおいた「表出する(現す)」運動系とは異なった方向性を持ちます。
そこには、外的な動きの表出を極力抑え、力を内向きに拮抗させることにより更なる深みを目指す「沈潜する(現さない)」運動の体系が存在し、そこに瞑想とも近しい、ある独特の味わい(感覚)が生じてきます。
私の身体的(カラダの)履歴書
最後に、研修コース主宰者である私自身の身体的な履歴書、身体面でのこれまでの歩みについて書かせていただきます。
私の関心は、元々、坐禅や瞑想にありました。
23歳のとき、禅宗の臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)と云う、一週間、横にならず寝ないで坐禅をし続ける厳しい修行を初めて経験したときのことです。
中盤頃から、自分の身体に強い違和感を感じ始めました。
坐中、背骨左側沿いに強烈な不快感・違和感・痛みのようなものが現れ、それがつきまとい、何をしても無くならない状態になりました。
そこから徐々に、坐っているときだけではなく、日常生活でも、横になって寝ているときですら、そのベタっと張り付く強烈な違和感、大きな虫が這い回っているかのような不快感は消えなくなり、そこからの数年間、その問題に苦しめられることになります。
さらに、不眠、冷え、慢性的な消化器系の不調など、他の様々な症状にも悩まされるようになっていきます。
それは、もっとずっと後になって理解したことですが、小学校高学年のときに起こしてしまった事故による右目の怪我が原因の、身体の極端な認識のズレに起因するものでした。 (自分では、それを「身体イメージ障害」と呼んでいます)
その問題の解決を求め、色々な治療法に救いを求めますが、どうにもならない状態は続きます。
27歳からの数年間、京都のダンマバーヌ(ゴエンカ師の系統のヴィパッサナーセンター)に集中的に通うようになります。
それと同時に、フェルデンクライス・メソッドのATM(Awareness Through Movement – 動きを通しての気づき)を知ります。
最終的に、この二つが自分のなかでうまく組み合わさったことにより、「何をしても、どんどん痛み・違和感がひどくなり、状態が悪化していく(足掻けば足掻くほど、はまり込んでいく)」と云う、絶望的な光の見えない状況からの脱出口が示されることとなります。
同時期に、アレクサンダー・テクニックにも出会っています。
通算で二十回程度のレッスンを受けました。当時の私の生活環境上、継続的に通うことができず、その理論と技法には、とても惹かれつつも、自身で独習できるATM+ボディスキャンと云う組み合わせを選ぶことになります。
しかし、アレクサンダー・テクニックに対する関心や親近感は、いまも変わらなく持ち続けております。
人に頼らず、自身の気づきによって、自分の陥っている深刻な状態から脱出できる、と云うのは、当時の私にとって大きな福音であり、希望でもありました。
その後、コンティニュアム・ムーブメントやホロトロピック・ブレスワークと云う、自働運動(活元)的なボディワークとも出会います。
非常に大きな影響と助けを受けましたが、それらは外部に明確な基準を持たないため、かなり強烈な自分で認識できない歪み・癖(自身の内部の狂った基準・ものさし)を持っている私の場合、それだけでは自分の外に出ることはできず、補助的なものに留まりました。
そうしているうちに、四十歳を過ぎ、「刀禅(とうぜん)」と云う、武術にルーツを持つボディワークに出会います。
その方法論と実際の身体の調整効果に驚き、非常に感心し、そこから数年間、熱中して取り組むこととなります。
当時、私は、一年前にやったギックリ腰の後遺症で、腰部の極度の脆さ・不安定さを抱えて生活していました(いわゆる、腰に爆弾を抱えている状態でした)が、その問題は刀禅錬功への取り組みによって解消します。
その後、胴体力、肥田式強健術と云う、同じく武術的な要素を持つ体系に惹かれていくこととなります。
実際に、この二つのボディワークに出会ったのは、もっとずっと若い頃なのですが、自分にとっての重要性を再発見したのは四十代後半になってからのことでした。
胴体力に関しては、幸運な成り行きから、三年間ほど、そのコンセプトを集中して学ぶ機会を持つことができ、それによって認識を新たにしました。
肥田式強健術については、二十六歳のとき、佐々木了雲先生のところに数日間お世話になり、限られた時間のなかで「中心鍛冶法」を中心に、最低限のものをご教示いただき、最後にステンレス製の特製鉄棒を授かり、帰りました。本当に、とても良くしていただき、そのご恩は忘れられません。
しかし、習い戻ってきてから一週間で、腰の調子を一気に悪く(不安定に)してしまい、その恐怖から、その後二十年間、強健術は封印することとなります。
思うに、肥田式強健術は、それ自体が、歪んだ体を整える整体的な部分よりも、ある段階以上の身体の整いを既に実現している人間のための最後の微妙な調整と云う面を強く持っており、当時の歪みまくった身体の私には、どう考えても準備不足で早過ぎたのだと今は理解しております。
これら三つは(非常に簡略化して言うならば)、日本発祥の、高い独自性をもった体幹トレーニングであるのだと思います。
具体的実践において、この三者は、それぞれ決して似ている訳ではなく、対極的な錬功法・修練法を多く持ちます。
現在の私は、「これら三つの理論・技法(方法論)の作る、対立し拮抗する三角形の真ん中の、異質的両極が切り結ばれた、その先に、私にとって最終的な身体的真実が存在しているのではないか」との予感をもって、探求・実践に取り組んでいます。
そして、その最終目的地は、そもそも私の修行のはじめにあった臨済宗系の丹田禅にも非常に近しいものであるように感じています。
自分のような、元々劣った身体的資質の人間に、この道が、どこまで進めるのかは分かりません。
しかし、ここまで来たからには、自分に残された時間を使って、見られるところまでの景色を見てから死んでいきたい― そう思わせるだけのものが、この身体的探求には存在します。
最後に
現在、私が提供することができる技法とは、ヴィパッサナー瞑想(ゴエンカ氏のボディスキャンやマハーシ・メソッドの身随観)、フェルデンクライスのATMなどによって開かれたカラダの感受性・身体に対する気づきを伴ったうえで行う、刀禅・胴体力・肥田式強健術の影響を色濃く受けた独自の体幹トレーニングであり、それによって行住坐臥の全てに渡り持続する「実(じつ)なる身体」― 禅的な動中工夫・即念工夫、ヴィパッサナー瞑想の身心の随観、クリシュナムルティの絶え間なき気づき― を実現しようとする、心身統合的・瞑想/ボディワーク横断的な実践である、と言えます。
それは又、まず体幹の意識を強め、身体の健全な部分を強化することによって、問題となっている病的な部分に働きかけ、整え・変えていく、根治的なアプローチでもあります。
ボディワークとして非常にマニアックなものでありつつも、立って歩いて生きている私たち誰にでも関係する、高い汎用性(一般性)を兼ね備えた、とてもユニークな技法だと自認しております。
私がこれまで学んできた技法
刀禅
刀禅とは、小用茂夫(こようしげお)先生が開発されつつある、日本の古流剣術・中国武術をルーツとしたボディワークです。
それら伝統武術のエッセンスを現代的なかたちで再構築し、身体性に関わるあらゆる分野に適用可能な方法論として提示されています。
胴体力
伊藤式胴体トレーニング。
故・伊藤昇(いとうのぼる)先生の確立された身体開発法。
肥田式強健術
肥田春充(ひだはるみち)師が創始された心身鍛錬体系。
フェルデンクライス・メソッド
アレクサンダー・テクニーク
アレクサンダー・テクニークは、スタート時点では、本での独習が極めて困難である、と云う特徴を持っています。
よって、まずは自分に合う良い先生を探すことが近道だと思います。
ヴィパッサナー瞑想
「脱-身体的条件づけの技法」という面から見たとき、S.N.ゴエンカ氏系統のヴィパッサナーテクニック(ボディスキャン)は、非常に強烈で、効果的な技法です。
『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ
『実践ブッダの瞑想法―はじめてでもよく分かるヴィパッサナー瞑想入門(DVDブック)』
自働運動系のボディワーク
ダイナミック瞑想、クンダリーニ瞑想など、Oshoの瞑想技法も、ココロとカラダ(瞑想とボディワーク)を繋ぐものとして有効性を持つものです。
ホロトロピック・ブレスワーク も、また、そのように考えることが可能な技法だと理解しております。
研修の全体像
当研修所のコース全体が、どのような構想を元に設計されているのか、また三つのコース各々が、どのように関係しているかを書いた文章です。
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