○ 内観前の心境
僕は昨年の春に大学院を卒業し、実家で百姓見習いとして働き始めました。
将来はこの地元に根差し、来月に結婚をする彼女と農業をしながらカフェを開いて、そこを拠点に自分たちの思いを世界に発信していきたい。
多くの人がその夢を応援してくれ、今の自分はそれを実現するに何の問題もなく、理想的な環境にいるはずでした。
そのはずなのに、自分には何か絶対的なものが欠けている気がしていました。
間違いなく自分は幸せだと言えるのだけれど、それと同じくらい間違いなく何かが足りないのです。
その何かが足りないために、時に自分を見失ったり、自己嫌悪に陥ったり、まわりの愛する人を傷つけたり、人付き合いに疲れてしまったり… そんなの誰でもあることかもしれませんが、自分にはとても根深くて、いかんともしがたい問題でした。
そんな中、最近になって「瞑想」や「ヨガ」といったものに興味を持ち出し、地元のある方に少しずつ習い始めていた折に、瞑想合宿というものの存在を知りました。
「自分は何を求めているのか」を知るために、集中して自分と向き合うそのような機会が絶対に必要だと思いました。
タイミング的にも、心から愛していた彼女と一緒に暮らし始める今だからこそ、行くべきだと感じていました。
そこで「瞑想合宿」というキーワードで探していたところ、「気づきの研修所」の存在を知り、研修を申し込むにいたりました。
「内観」については全く知らず、本を買って読んでみても本当にこんなことで自分が変わるのか半信半疑だったのですが、霊基さんに勧められたのと、HPに書いてあった「自分を知るのは怖いけど、知らずに死ぬのは、なお怖い」という一文に惹かれ、とりあえずやってみようと思いました。
○ 1日目~4日目
屋久島に着いた初日も含めて最初の4日間ほどは、母、父、彼女、嘘と盗みの順に、とにかく昔の記憶を少しでも多く思い起こすことに専念しました。
昔住んでいた家の間取りや、保育園の様子など、とにかくなんでもいいからパズルのピースを集めていって、そこからじわじわ思い出を探っていった感じです。
事前に少しは昔の卒業アルバムなどを見て予習をしていったのですが、それ以外のことを思い出すのはやはり難しかったです。
ただ自分の場合はなぜか断食が全く苦痛ではなく、他の方よりは順調に思い出せている方だったようです。
実は腸内洗浄と断食については、以前からずっとやってみたくて、自分がいったいどんな風に変わるのか、自分の体内からどんな毒素が出てくるのか楽しみにしていました。
ところがほとんど何も出ないし、きつくもないので、正直ちょっとがっかりしてしまいました。
でもそれと同時に、実家で食べていた野菜中心の食生活は、実はとても素晴らしいものだったのだなと再確認させていただき、両親に対する感謝の念がより一層わいてきました。
一通り自分の人生を振り返って行く中で、いかに自分が両親に甘えてきたかが分かりました。
感謝の念も日に日に高まり、その思いは結局最終日までどんどん増えていったように思います。
もともと父とは仲が悪かったわけではありませんが、子供のころからあまり話した記憶がなく、どちらかというと無口で農業一筋な人なので、今までお世話になった感じがありませんでした。
でも思い出す中で、小学校まではよく父が遊んでくれたことがわかってきて、それ以降も自分に話しかけてくれていたのだけれど、それを自分は冷たい態度で流していたことに気づいてきました。
そしてあまり連絡をとってなかった大学時代などにも、その時には気づいていなかったのだけれど、実は父が自分を気にかけてくれていたんだということが分かってきて、本当に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
一緒に働いている今でも、一応農家として尊敬はしているけど、自分の好きなことばかりやっていて、あんまり子供のときは世話をしてくれなかったし、やりたくない家事とかは母に押し付けているし、と思って少し人間的に見下していた自分が本当に情けなくなりました。
○ 5~7日目
中盤に入って、霊基さんに内観をもっと深めるようにと言われていましたが、いっこうに深まらない期間が結構続きました。
自分の気持ちも相手の気持ちも全然思い出せないですし、感情的に深まっていかないのです。
MDで聞かせていただいた内観体験者は、とても内観が深まっており、母や父に対して泣きながら懺悔の気持ちを語っているわけです。
なのに自分はどうも迷惑をかけた相手の気持ちが分からなくて、なんて自分は薄情なやつなんだと、どうして感情が入っていかないのかというふうに悩んでしまいました。
結局どうやって深めていったらいいのかも分からず、「とにかく考えないで死ぬ気でひたすら基本に忠実に思い出すんだ!」とやっているうちにとうとう7日目の夜に突入しました。
その夜はかなり雨が激しく降ってきて、こういうときこそ何か起こるんじゃないかと願いつつ、彼女に対する内観をしていました。
とにかく僕は少しでも「新しい展開」というやつが早く来るように、彼女にかけた迷惑を考え、彼女の気持ちを理解しようと死に物狂いでした。
ところがあろうことか、あれだけ愛していて一心同体のように思っていた彼女の気持ちでさえも、少しも分からないわけです。
そのことに僕は愕然としてしまって、そのことを泣きながら霊基さんに話しました。
すると霊基さんに「今までの話を聞いていると、実は彼女のことあまり好きじゃないんじゃないですか」(すみません、決してこういう言いかたではなかったと思うのですが)というようなことを言われ、僕はあまりのショックに泣き崩れてしまいました。
自分の中の大きな大きな心の支えが一瞬にして崩れ去り、深い深い闇の中へ突き落された感じでした。
「内観の中で起こる展開ってこのことなのか? 確かに予想外の展開だけど、この結果はいくらなんでもナシでしょ~。だって二週間後には結婚するのに、どんな顔をして彼女に会えばいいんだよ~」と、ただただ廃人のようにうなだれていました。
○ 8~10日目
残り三日間あるので、そこでもっと内観が深められると聞いていたのですが、正直僕はもううんざりしていました。
これ以上に落ち込まないといけないのかという不安もありますし、依然としてどうやって内観を深めていけばいいのか分からなかったのです。
昼食も全く集中できずに、霊基さんに注意されてしまう始末で…
ところが、転機は急に訪れました。
午後からは気持ちを切り替えていこうと思い、内観に臨みました。
そのときもまだ内観はたいして深まっていなかったのですが、面接をしていただいたときに「なぜお金を盗んだのですか? 盗んだから申し訳ないで終わるのではなく、そのときの自分の気持ちを見ていかなければ内観は深まらないですよ。自分の気持ちの深いところが分かれば、相手の気持ちは自然と分かってくる。だから内観をすると相手に対する共感能力が高まるのです」というようなこと(僕の勝手な記憶ですが)を言われたのです。
そのときにやっと思い出しました。
内観をしに来た目的は、相手の気持ちを理解することではなく、自分の気持ちを知り、自分の正体を知ることなのだと。
そこで自分の愚かさが分かることによって、結果的に自然と相手への感謝の気持ちや懺悔の気持ちがわいてくるということなのだと。
今思えば、以前から霊基さんにはそのようなアドバイスをいただいていたのですが、恐らく内観が深まらないあせりと、「相手に感謝しなければならない、懺悔しなければならない」という勝手な思い込みと、「とにかく考えずに思い出すのだ」という変な固執みたいなものが、自分の内観が深まるのを邪魔していたように思います。
そこからは「相手がどう思ったか」は置いておいて、とにかく「自分がそのときどう思ったか」に集中して見ていきました。
するとだんだん、自分が相手に迷惑をかけたとき、嘘をついたときに共通に働いている自分の心理的パターンみたいなものがいくつか浮かび上がってきました。
そしてそのいくつかのパターンの中にもまた、その裏側にある自分の欲望のパターンが潜んでいることが分かってきたのです。
そのコツが分かってくると、内観は実に楽しいものでした。
今まで自分はなぜ苦しんできたのか、なぜあんなに人に心を開けなかったのか、なぜあんなにすぐに落ち込んでしまっていたのか、あらゆる自分の中の気になっていた「しこり」のようなものが、その原因が分かることでサーッと溶けて消えていくのです。
ほんとに下手な例えですが、例えるとすると「自分の体の垢をすったら、もうボロッボロッ取れて恥ずかしいけどなんかめっちゃ楽しい~!」的な感じでしょうか。
そしてその原因が分かるたびに、自分はこんなにもちっぽけで、大人になりきれない子供みたいな情けない人間だったんだなとつくづく思い知らされるわけです。
でもそれが事実を思い出すことで気づいた自分の「正体」なのですから、全然落ち込んだりはしません。
これこそが内観を深めるということだったのだと、ここにきてやっと分かりました。
この要領で彼女に対してもう一度内観をしてみると、自分が大きな勘違いをしていることに気づかされました。
以前、気づかされて激しく落ち込んでいた、「彼女のことをあまり好きじゃなかった」ということに気づいたのは、実は付き合った当時のことを内観しているときでした。
もちろん彼女のことを好きだったので付き合っていたわけですけれども、そのとき自分が「愛」だと思っていた中には、実は「彼女(ガールフレンド)が欲しい」という自分の「欲望」が混ざっていたのです。
なのでそのときの自分は、彼女と接するときに人としての「彼女自身」ではなく、「自分の理想の彼女」という勝手なイメージとして彼女を見ていたわけです。
そのため本当の彼女自身の気持ちを考えてあげられてなくて、今までほんとうに多くの迷惑をかけてしまったのだなと気づかされたのです。
さすがに彼女をたいして好きでもないのに結婚を考えるほど、自分がバカじゃないことはちょっと考えれば分かることなのですけれど、そのときの僕はそれほどまでに追い詰められていたのだと思います。
9日目からは「筆記型」にしたところ、さらに集中力も高まり内観が深めやすくなりました。
キーになりそうな自分の気持ちの変化を箇条書きに書き出していって、そこからなぜそんな行動をしたのか、なぜそう考えたのかなどをさらに調べてつなげていくと、色々な行動・思考のパターンが浮かび上がってくるのです。
一時的に自分が考えたことや、ふと思い付いたことを紙に書いておけば、自分の頭の整理もしやすいですし、とても効率的に内観を深めることができたように思います。
ただし、書くことによる内観をする上での「弊害」のようなものもあると思います。
一つはあまり内観の序盤から筆記型でやっていると、頭の中で調べることよりも、紙の上で物事を考えてしまうことに集中してしまう危険性があるのではないかと思いました。
また、ある程度紙にたくさん文字が書かれてくると、そのことで満足してしまって、集中力が下がってしまう危険性もあると思います。
しかし、僕の場合は筆記型にしたからこそ、最後まであまり集中力を切らさずにできた部分もあります。
霊基さんと相談しながら、自分にあったやり方を見つけられるのが良いと思います。
9日目、10日目にあった気づきの中で、最も重要だったと思うことは、自分がいかに「理想」の中に生き、「今」をおろそかにして生きてきたかということです。
自分は何か人とは違う、特別で偉大なことを成し遂げてやりたいという願望がありました。
そのためずっと夢ばかりを追い続けて、そこに自分の理想像を作り上げ、今の怠惰で情けない自分から目をそらし続けてきたのです。
そこに行けば自分はきっと何かを成し遂げられる、そこに行けば自分の本当の力を発揮できると、ずっと実在しない陽炎を追い求め、実際そこについてみると、そこに自分の抱いていた理想は存在せず、ここは自分が本当に行きたかった場所ではないのだと思い、また次の陽炎を追い求める。
そんなことを繰り返しては、両親や彼女に迷惑をかけていることに気づかず、心の中では夢のない他人の人生を見下し、自分は平凡な他人とは違う特別で優秀な存在だと思い込んでいました。
そのため自分がダメな人間だと思われることを恐れて、人に嘘をついたり、見栄をはったり、自意識過剰になったり。
現実の情けない特別でない自分に出くわすと、自己嫌悪に陥ったり、くよくよ考えて落ち込んでしまったり。
全ては本当の自分、愚かで情けなくてちっぽけな自分を受け入れ、「ない」ものではなく、「ある」ものに目を向けてそこに感謝して生きる。
それが今を生きるということなのだと分かりました。
自分に与えられたものを受け入れ、ただ普通にまっとうな人間になれるように生きる。
今まで自分はそれを「妥協」なのだとばかり思っていました。
しかしそのことは、今を犠牲にして夢を追い求め続けて生きていくことよりも、ずっと難しく、ずっと素晴らしく、ずっと楽で、ずっと愛にあふれた生き方なのだと心の底から諒解することができました。
霊基さんの「若いころは、大人はみんな不満ばかり言って、つまらない人生を送っているように見えるけど、実はみんなそれなりに安定した幸せを感じている」という言葉は、とても印象に残っています。
内観をしたからこそ、そのような言葉に納得でき、それがいかに素晴らしいことなのかが分かるようになったのだと思います。
ちなみに今回は内観が中心でしたが、自分は腰痛の問題も抱えていたので、ときおり合間合間にボディワークをさせていただきました。
長年悩み続けていた腰痛に対して、どのように付き合っていけばいいのか、その根本的な原因と具体的な対策、最終的な到達地点を教えていただいて本当にありがたかったです。
内観と同じように腰痛という問題に関しても、その痛みの部分が問題なのではなく、自分が持っている根本的な心・身体のゆがみが原因であって、そこに気づいて行くことが重要なのだと知ることができました。
○ 内観後の心境
内観をすることによって、自分に足りないものが何なのか、自分が求めているものは何なのかが分かったような気がします。
それどころか内観はその自分に足りないものも、自分が求めているものも同時にくれたように思います。
自分の中の根本的な「問題」もその「原因」も「解決策」も、全ては自分の本当の姿を知ることに帰結するのだと思いました。
と言っても、相変わらずつまらない見栄を張ってしまったり、嫉妬心を持ったり、怠けてしまったりと自分は何も変わってないな~と感じます。
ただそこに気づけるようになって、やっぱり自分は愚かだな~とそう思えるようになったことが進歩なのだと思います。
また両親に対して覚えた感謝の念は、今でも強く残っています。
今まで「ないもの探し」ばかりしていた自分は、本当の「感謝」というものを知らなかったように思います。
今まで「感謝」とは他人に対して「与える」行為だと思っていたのですけれど、内観が終わった今、「感謝」することは自分にとっても「喜び」であり、自分の中から「エネルギー」のようなものが湧いてくるのを感じるようになりました。
この気づきは自分の人生にとって、本当に大きな大きな財産になると思います。
最後に、ここまでの気づきを得ることができたのは、本当に霊基さんのおかげです。
自分を引っ張るでもなく、押すでもなく、ずっと寄り添って話を聞いていただき、様々な心あるご助言をくださいました。
とても感謝しています。
これからが内観の本番であることを忘れずに、常に感謝の心を持って、まっとうな人間になれるように精進していきたいと思います。
本当にありがとうございました。