ヴィパッサナー瞑想+ボディワーク8日間 50代前半女性

* この体験記は、屋久島時代のものであり、現在(広島県 宮島)とは、設備・環境等に違いがあります


子供が大学に入り、手がかからなくなったので、1年に1回、一週間くらいのバカンスを自分にあげようと気軽な気持ちで旅先を探していた。
今年は屋久島にしよう、とインターネットで色々検索していたら、船江霊基さんのHPにすぐ出会った。
屋久島が、精神世界系の人たちに人気があるのは知っていたが、こんな人がいるんだ、と思った。
老賢人のような雰囲気と真摯な求道者のような佇まいと純粋無垢な子供のような目をして笑っている顔の人がそこにいた。

霊基さんの自己探求のきっかけになったことや、その道程で学んできたこと、見性体験、問題意識、学び、修業内容、読んできた本などを知るにつれ、自分と重なる部分がけっこうある一方、自分は中途半端にしか学んでこなかった分野や、中途半端な体験しかしてこなかったことも自覚でき、もうこのくらいでいいかな、と修業・探求をどこかで止めてしまった自分に気づいた。
自分が楽に生きられるようになり、さしせまった問題もなく、痛みのドラマを自分でこさえることもなくなり、人生を楽しく生きられるようになったからだろう。

屋久島の大自然に触れて、いのちの洗濯をして、のんびりとした日々を過ごすだけでいいと思っていたのに、あにはからんや、また霊的指導者に出会ってしまった。
そもそも本名が霊基なんて、なんという言霊をもった名前だろう。
もうこの世の最初から天命を授けられたような名前ではないですか。

研修所に入ってびっくりした。
ラマナ・マハリシの写真と仏陀像の写真が飾ってある。
クリシュナムルティの写真が貼ってあるのかと思ったら、また、マハリシと仏陀だ。
「また」と云うのは、私のこれまでの霊的探求の指導者のお家やお部屋には、たいていマハリシと仏陀が飾ってあったからだ。
そのうちの二人の師を私は喪失した。
しばらく泣いて暮らした。
泣きながら、自分の中の依存心に気づいた。
霊的な道においても私はまた外側に己の空虚を埋めてくれる人を求めていたのだと…。

そういう意味で、霊基さんの指導するヴィパッサナー瞑想は、瞬間、瞬間に気づきのサティを入れていきますから、イメージをふくらまし、ストーリーの中に入っていきがちな私にはピッタリでした。
霊基さんの作ってくださるお食事はとても美味しいものでしたが、食事の間中、絶え間なく、脈動のようなリズムでラベリングしていきますから、意識を絶え間なくいま・ここに置き、味わい、気づくというプロセスは、味覚、嗅覚、身体感覚の知覚を鋭敏にしていきました。

半断食はやはり好きです。
もっと長くてもいいくらいと思いました。
回復食も、もっと量を減らしてくださって良い位です。

小食が健康の原点であることは、故・甲田光男先生にとことん言われてきたのに、
ここ最近はどう考えても食べ過ぎていました。
テレビを見ながら、PCのメールを見ながら食事をしていることも最近は時々あり、
今回、ヴィパッサナーのラベリングをしながらの食事で大反省をしました。

霊基さんのボディワークは、私に多くの気づきを与えてくれました。
なかでも、ゆだねているようで、脱力しているようで、まかせているようでいて、どこかの地点で、あるいは、ある角度や、ある動きの中で、急に自分でなんとかしようという動きが出たり、霊基さんの動きを先読みして無意識に協力的な動きをしたりというのは、私の在り方や人間関係や生き方を如実に表しています。
極端な自立傾向と独立心、その下に隠してある依存心、サレンダーとコントロールのかけひきが無意識レベルで行われていることなど、色んなことがよくわかりました。
かけひきがあること自体、ちっともサレンダーではありませんから。

最初は、今気になるのは、視力の低下くらいですと言っていたのに、
実際には、右肩が真上まであがらず、途中で痛みの出る角度があり、
右腕がしっかり床に着かなくて、可動領域が、左と比べるととても狭いのに、
霊基さんのボディワークを受けるまで、まったく自覚がありませんでした。
精神性ばかりを重視し、からだを置いておきぼりにしがちな私にとって、
今回のボディワーク+ヴィパッサナーコースは最適な選択だったと思います。

研修の前半は雨でしたが、後半はうってかわって快晴。
台風一過の、目に、胸にしみるような青空でした。
霊基さんが、ありがたいことに、観光客の誰もいないようなところばかりを選んでくれて、
山登り、シュノーケリング、沢登りをガイドしてくれましたが、これがもう最高に楽しかったです。
森の中にいても、私が森を見ているのか、森が私を見ているのかよく分からなくなりました。
山も川も沢も滝も海も、その中で私は時を忘れ、すべてのものと一体になり、私は苔むした石であったり、一滴の雫であったり、流れる川であったり、満身創痍の屋久杉であったり、泳ぐ魚であったりしました。
ただ、ウツボとまむしに合ったときだけ、私は恐怖で、私の形の中に即攻で逃げ込みました(笑)。
恐怖が分離を生むことが本当によくわかりました。

いなか浜の夕陽もとても美しかった。
チャペルのような灯台も、グランドキャニオンみたいな秘密のスポットもとてもよかった。
満天の星の美しさには絶句しました。
町営の温泉も気持ちよかったし、ゆったりとしたしぶい喫茶店で最後に食べたかき氷も美味しかった。
たった一人のために朝から晩まで寄り添ってくれる研修など日本中探してもないでしょう。
霊基さん、本当にありがとうございました。

空港でお見送りしてくれたとき、霊基さんが、「もし機会があったら、今度はぜひ内観コースにいらしてください。内観は、純国産の強力な心理療法ですのでね。うちは内観に関しても良い研修所だと思っています」と、にこっと笑って言われました。

飛行機が、羽田空港に近くなるにつれて空が汚くなっていくのがはっきりわかった。
緑がまったくなく、光化学スモッグの中に乱立する高層ビル群を見た時、この都市全体を墓場のようだと感じた。
ここに生きて、ここに暮らしているのか、私は。
魂が悲鳴をあげて当然だ。
息が深くできなくなって当然だ。
いのちは、バランスを求めて、自分の必要な場所にからだを運ぶのだ。
最高、最善、最適の時に。