跋文

かつて、「二十一世紀は宗教の時代」との言葉が聞かれました。

しかし私にとって問題は常に「宗教を超えて」であり、それを如何に実現するか、の問いと共に歳を重ねてきました。

ここに提出した理論と技法とは、その「神なき時代の宗教的実践」模索の歩みの集大成としてのレポートです。

生の交差点、存在の結び目

生きていることとは、 交差点(交差路)のようなものだと感じます。(あるいは網の結び目のようなもの、と)

そこに明確な意思持つ主体が居るわけでもなく、そこを通過する多くの情報や物事が、ぶつかりあい・混ざりあうことで新たな組み合わせが生みだされる「事象の結節点」のみがあるかのような。(それを仮に、私と呼ぶだけで)


刺激的で、かつ興味深い時代でした。

インターネット : 1969
携帯電話 : 1970
MRIスキャン : 1971
遺伝子組み換え生物 : 1971
宇宙ステーション : 1971
パソコン : 1973

それまで出会うことのなかった伝統と分野が、多彩で異質な知識と技術が、情報と流通の網の目で結ばれ、出会い、ぶつかり、混ざり合い、それが相まって、変化は加速しました。

いま、こうして形をなした理論と技法の全体を見るとき、それは誰が考えたのでもない― あの時代、あの場所に居て、あれだけの人に出会い、学び、あれだけの希少な情報を浴びていれば、それは数十年後に、脳内/身体内で熟成し、方法論として結実するしかない― それは作る人無しに、宇宙の因果の網の目が産み出した、一つのプログラム、一つの(世界が、それ自身を見るための)眼であり、私が生きた時代そのものの産出物であったのだ、と感じます。

後記

一冊の本を遺して死にたいと、ずっと思ってきました。

やっと着手はできたのですが、すべてを書き終え、この後書きを閉じれる日がいつ来るのか、いまはまだ見当がつきません。

が、とにかく始めることはできたので、その記念に、この文章だけは記しておきます。

ここから執筆と改稿を続け、(私の生の終わりの時点で)最終稿を「Art of Awareness 1.0」として遺します。

この仕事を引き継ぐ誰かが現れ、時代に応じた増築と改良を進め、Ver.2.0以降が出てくることを期待します。

私は、私の人生で、やれることをやりました。

2024/6/3 船江霊基 (宮島・御床浦、研修所にて)

学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。

それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。

学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。

マックス・ヴェーバー 『職業としての学問』岩波文庫、P30

たとえば、ある人が自分の敵を愛したとすると、その時キリストの不死性がよみがえってきます。その瞬間、その人はキリストになるのです。

われわれがダンテ、あるいはシェイクスピアの詩を読み返したとします。その時、われわれは何らかのかたちで、その詩を創造した瞬間のシェイクスピア、あるいはダンテになります。

ひとことで言えば、不死性は他人の記憶のなか、あるいは我々の残した作品のなかに生き続けることなのです。

大切なのは不死であることです。
不死になるというのは、成し遂げられた仕事のなかで、他者の記憶に残された思い出のなかで達成されるものなのです。

『語るボルヘス― 書物・不死性・時間』より

謝辞

これまで私に縁のあった、私を支えてくれた多くの方に対して。
お礼を伝えたい。
あなたのお陰で、これを遺すことができた、と。

別れはいつも突然で、心の準備(支度)なんて、できないものだけど…

ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも   上田三四二