正しい姿勢(調身)について

「自然で、正しく、構造に適っているが故に、無理がなく、常に充実しており、かつ軽く、速く、いざとなると強い姿勢」について多くのことが語られ、また求められてきました。

この主題について、前提として押さえておかなければならない基本的な認識(と私がおもうところ)
について書いてみたい。

これは、これまでの自身の実践と学習、それを支えてくれた先生・先輩たちからのアドバイスを総合した、現時点での暫定的な結論であり、実践の出発地点としての認識である。

前提の前提

地球の重力の方向(鉛直線)との適合が、まず重要である。

その際、前額面(刀禅で云う側中面)上での鉛直線の三点の並び―
下(踵、外踝裏など)、中(骨盤帯― 股関節、坐骨、骨盤底、クワなど)、上(第一頚椎、耳の裏、頭部、頸部、上口蓋など)の三つのポイントの並びを考えることが、まず必要となる。

すべての問題・課題を、「運動と静止」「動と不動」などの二元相対的な認識で捉えないことが重要である。

大きさの違いはあれども、ズームの倍率を変えれば、世界は常に動いており、身体は常に揺らいでいる。
絶対的な意味での固定・静止は起こっていないし、また、もし起こっていたとしても我々には認識できない。

常に揺らいでいるなかでの、相対的な意味での静止しか存在しなく、また、その不安定さ・ゆらぎこそが生の(生きていること、動けていることの)機動力・運動力を生み出している肯定的な原理である、との認識が必要である。

方位磁石は常に微妙に揺れ振れている。
もし、完全固定状態にあるとしたら、それは壊れている。
かつ、いつでも自在に、東西南北のどこでもない中心点(ニュートラルポイント)に戻ってこれないなら、やはり、それは壊れている。

ここで主題となっている姿勢の「正しさ」とは相当に厳密なものであり、「人それぞれに自然も正しさもある」というレベルの批判を一切受けつけないだけの身体運動力学的な実質と基準を備えた「正しい/正しくない」である。

それを識別できる明確な感度(感覚)の育っていない段階で、「各人の個性や自由な動き・かたち」を言うことは厳に慎むべきであるが、最終的に、微細な、ある範囲内での個人差・個体差は存在するだろう。
基準の取り方、座標軸の取り方、力の質において、おそらく体質・体癖的なものが存在し、影響しており、その点において、どこまでいっても個性や個体差はなくならない。
しかし、それは極限まで法則に身を従わせ、自身に染み付いた個性(癖)をどこまでも削ぎ落としていく実践の先に、はじめて姿を現すものであり、それを経ていない多くの場合、その「個性」とは、単なる(見苦しい)歪みや病いでしかない。

具体的な事例であるかもしれないことを挙げる。

腰・坐骨を入れた(立てた)状態から、地面の捉えを外さないよう気をつけながら、腰の反りを抜いていく、そうして腰腹における中正を実現していく… これが私が唯一知っているアプローチであるが、

腰・坐骨を倒した(寝かせた)状態から、それに拮抗させるかたちで腰部の反りを加えていき腰腹の充実を実現させていく… この逆向きの手順を自然なものとする身体はありえるのだろう。

この二種類のタイプの身体において、実現される中正(真ん中・坐骨の捉えの真っ直ぐ)は、実は僅かに違うのかもしれない。

姿勢を構成する四つのパラメータ

音楽アプリのイコライザー調整画面を考えてみて欲しい。

それと同じく四つの調整つまみ(パラメータ)があるとする。

上下(あるいは右左に)スライドする調整つまみが四つ並んでおり、真ん中が0で、-10から+10まで自由に数値を変えることができる。

第一つまみ(坐骨)

立たせる(入れる、捉える) ←→ 寝かせる(倒す、抜く)
坐骨の支持基底面に対する接点を、前にずらす ←→ 後ろにずらす

第二つまみ(腰・腰椎)

反らせる(前屈) ←→ 丸める(後屈)

第三つまみ(背骨・脊椎全体)

伸ばす(伸張) ←→ 縮める(圧縮)

第四つまみ(骨盤)

骨盤分離の操作(左右の腸骨と仙骨の間に隙間を作り、それぞれを別のパーツとして動かす。軋ませ、歪めさせる操作)を前提としたうえで、

はめ込む(脊椎の基底部分である仙骨を骨盤の中に、自然状態よりも僅かに深く入れ込む、後方・腰から前方・腹へ向けて押し込む。後方からのはめ込み) ←→ 抜く(骨盤底筋を引き上げ、、下方から上方へ向けて押し込む。下方からのはめ込み)

一体化(連動)しているパーツを分離(要素分解)して動かすことで、拮抗=力が生み出される

直立するヒトの身体の(訓練以前の)自然なあり方として、

・坐骨を立てる(入れる)ことと、腰の反り(前屈)は一体化しており、連動する。

・骨盤のはめ込み(仙骨入れる)と、腰部の反り(前屈)は連動しやすく、
骨盤底筋(会陰)の引き上げと、腰部の丸まり(後屈)は、一体化して起こる。

それが坐禅・瞑想であれ、より身体的寄りな訓練であれ、その自然な連動(一体化、ひとかたまりの動き)に対し、要素分解的で細分化された認識を起こすことによって、拮抗(矛盾・対立)を生み出す操作が可能となる。
そこに訓練の主眼があり、自然状態を超えた力が経験される。

そこで実現される強烈な拮抗(矛盾・対立)を孕んだ統合(止揚)状態は、二元的な言葉によって、指し示すことも、たどり着くことも難しい、ある独特の心身の状態であるが故に、身心学道― 身も心も投じた、極めて身体的な実践が要求される。


(少なくとも)これら四つの細分化の「数値めもり」を持つことによって、姿勢の分析(評価)の解像度を上げ、指導体系(治療)の実践的有効性を高めることができる。