ラベリング論

ラベリング(を使った瞑想訓練)とは、概念を使って概念を超える道― 言語(概念)によって言語(概念)を超える道(方法論)である。

それは、指に刺さった棘を抜くのに、別の棘を使ってするのに似る。

● ラベリングの五つの機能(はたらき)

1 マントラ(念仏)的、心のコマの強制的使用
2 知覚事実の事後確認
3 中心対象の指定・固定機能 意識に対する指示・命令(インテンション)機能
4 言語の要素抽出(ソート)の機能 対象の切り出し/際立たせ機能
5 言語による瞬間的な本質直感の機能(知恵が出るための伏線、仕込みとして)

● 認識論的問題設定と言語論的問題設定の違い

・言語の機能(ナーガルジュナ、ソシュール)
・認知科学的立場(味覚のレセプター、目の3つの色)

味覚は生物の生存に必須の感覚として進化してきた。多くの生物が持つ「甘さ」を感じ、「おいしい」と感じる能力は、エネルギー源である糖類(栄養)が含まれる食べ物を効率良く検知するためのセンサー機構である。

味覚(甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の基本五味)は、味蕾(みらい)と呼ばれる細胞の集合体によって感知される。

味蕾は数十~百個からなる「味細胞」と呼ばれる細胞の集合体であり、5つの基本味(甘味、塩味、酸味、苦味、うま味)はそれぞれ別の味細胞で受容される。

分子レベルで明らかになってきた舌で甘さを感じるしくみ

味覚受容体とは? ヒトが味を感じるメカニズム

● 3つの世界領域、それぞれのラベリングの作り方・入れ方

1 身体内部感覚→感覚 触れた(接触感) 感じた(それ以外)、
あと、オノマトペが使える。→ はじめに細分化、徐々に一元化へ進む。

2 外界知覚、門ごとに一つ 視覚→ 見た、眼など 聴覚→ 聞いた・音、など 味、匂い→ 感じた
暑さ、冷たさ

3 意識→意 まず、思考、感情、イメージ。欲求(~したい)、苦・楽→欲望・嫌悪
徐々に細分化、アドリブへと進む。

● ラベリング作りのルール

1、基本、過去形で作る
「上げる、下げる、感じる」→「上がった、下がった、感じた」
例外→膨らむ、へこむ、など

2、できるだけ短い言葉(音節)で作る(1~4音節。5音節は、他にどうしようもない場合以外避ける)
「見た、聞いた、感じた、音、耳、感覚、など」
最大4音節 できるだけ短く 一音節が最高 眼(め)、耳(に)、意(い)など 高速化に備えて

● ラベリングの言葉の短縮化

感覚、感じる→ か
耳、音→ に
眼、見た→ め
思考、考えた→ い(意)
イメージ→ え(映像) など

3、 より客観性のある(巻き込まれてない)対象化された言葉で作る
「痛い、寒い、眠い、イラツク(イライラする)」→「痛み、寒さ、眠気、イライラ感」など

意味があっているか? 概念として適切か?
より概念的でない言葉を選ぶ 例 進む、あげる、噛む、など。

4、(能動性・インテンション・意志・意図を含まない含まない)受動的な言葉で作る
「離れる、触れる」より→、「離れた、触れた」など。
「上げる、下げる、伸ばす、掴む」→「上がった、下がった、伸びた、掴んだ、感じた」
インテンションが混ざらないように。受動的、人の体を観察してるような。
例 「見てる、見たい、痛い、のびた、伸ばす」などは不適切。

5、響きのいい、スッキリした言葉で作る(できるだけ濁音は避ける)
「感じた、触れた、見た、聞いた」など
基本、濁音は使わない 脱けのいい音を選ぶ
語尾の音を揃える ~た、など

6 「~が、~した」の主語述語を含んだ文章にしない。結論部分のみ。自分で分かる部分は言語化しない。
目で見た。〇〇を感じたなどは、「見た」「感じた」のみに。

・身識(身体感覚)の場合、迷ったら、全て「感じた」「感覚」で次へ進む。

・意識(思考のチャンネル)の場合、「~と考えた(思った)」「考えた(思った)」「思考」で、「カッコ閉じ」する。
メンタルイメージ(心象)の場合、「イメージ」「映像」など。

・欲求(インテンション)は、すべて「~したい」、あるいは「欲求」
例→「立ちたい」「伸ばしたい」「食べたい」「掻きたい」など。

・宣言、断言(指示)のラベリング
「戻ります」「感じる」「stay!」など、中心対象に共石に戻すための言葉

適切なラベリングは、修行を容易にし、進歩を助けるが、不適切なラベリングは、気づかないところで修行を阻害する。

ラベリングには、大きく2つの役割がある。
①は、その瞬間、自分に何が経験されたのか、認識を確定する仕事だ。
同じものを見ても聞いても感じても、政治家と幼児とブルドッグでは、認知が異なるのだ。
言葉がなければ、経験の意味が曖昧になる。
色と形が視覚野に映じただけなら、人の認知もゴキブリも変わらない・・・。

サティを入れた次の瞬間、六門からどの情報を取り、何をどのように経験するのかは、ラベリングによって大きく影響される。
例えば、①「痛み」、②「感覚」、③「(痛みに対する)嫌悪」とラベリングしたとする。
①は痛みの観察を続行し、②は痛みを感覚の一つとして上位から観るだろうし、③は、痛みに反応する心の観察を続けるだろう・・・。

● 感情の内実
それは、内的思考(内語、つぶやき)と(その場面に関する)心的映像と身体感覚(筋肉反応・脈動など)の複合体・塊のようなものかもしれません。

中心対象の設定

・朝の駅の雑踏の中での時計の音のたとえ

・絞りと開き 意識のスポットライトのたとえ

サティとサマーディのバランス(調整)

人間とは….考えられぬ速さで継起し、久遠の流転と動きのなかにある知覚の束、あるいは集まり

「感情が動くこと」が問題なのではなく、それが「残ること(残余して、尾を引くこと)」が問題。
それを掃け切らせるための技術が、瞑想、気づきの技法である。
方位磁石が東西南北、自由に振れて、滞らなければ良いように、人の心も喜怒哀楽、自由に振れてもいいから、固着しないことが肝心。
でも、それが難しいので、そうなるための方法論が色々あると云うこと。

・ミシン(ホッチキス)の喩え

・射撃ゲームの喩え

・関ヶ原の戦いの喩え

・サティの自動化から透明化へ