刀禅は、日本(東洋)発祥の「身体(意識)開発プログラム」であると言える。
腹、軸、腹、丹田、気、剄など、主に東洋で伝えられてきた身体開発法の系譜に連なるものであり、また、その伝統の、現代的な解釈者・整備者であり、体系化・明確化に対する強い意志を感じさせられる。
それを実現するための、具体的で実践的な技法の体系が存在する。
戦いでなく、互助の体系 双方が、同時に稽古できる。「壊し合い」でなく、「磨き合い」の稽古体系
新陰流(日本)・形意拳、陳氏太極拳(中国)と云う、二つの国の偉大な伝統(武術の体系)を、小用先生と云う酒樽の中で時間をかけて醸造し、出来上がった芳醇なお酒(日本酒)、あるいは、不純物を吹き飛ばして、エッセンスのみに純化した蒸留酒(スピリッツ)。
そういう意味では、古い伝統を引き金・誘発剤に成立した、「新しい何か」(現代武術・新興武術)なのだと思います。
「真・善・美」の三位一体を、動きのなかで追求する。
「強さ」を求める武術であると同時に、「正しく」身体を使うためのボディワーク・健康法・養生法であり、その二つを適えることによって、当然、自然な「美しさ」の質が動きに表現されてきます。
武術的な「強さ」、身体的な「正しさ」「健康さ」、身体運動としての「美しさ」の三つが、一つの練功(稽古・修行・訓練)のなかで追求され、満たされている。そこに、格別な美しさが存在する。
いかにして、深く、太く、養い・育てあげることができるのか。
肥田式強健術との比較
私のなかでは、刀禅に最もよく似ている(近い位置にある)のは「肥田式強健術」ではないか、との認識がある。
1、武術的な何かであること
2、独創性(独自性)があること(単なる伝統的体系の改革者ではないこと)
3、単なる武術ではなく、坐禅・瞑想などへの志向性を持つこと
4、腹、腰、丹田など、東洋的な身体観に根ざしていること
と、共通する部分は多いと感じるのですが、ただ、大きな違いとして「肥田式は、その準備ができていない― つまり、体幹の歪み・骨盤の問題を持っている― 人が行うと、多くの場合、身体(腰)を痛める。が、刀禅の練功は、それ自体が、体幹・骨盤の調整・修正法となっている為、キチンと行えば、身体を痛める可能性は少ない、つまり安全性が高い」と云う点にあると思います。
刀禅の練功体系は、身体を痛めない、ダメにしない。
また、既にある故障・歪みなどを養生しながら錬功を行うことができる。
その点に、大きな利点・美点を感じます。
また、刀禅は、原理的な「正しさ」を追求する体系だと理解しております。
「正しく」勝つ、あるいは「正しく」負ける。
勝つか負けるかは、相手と自分のどちらが「正しさ」を純粋に体現しているかによる。
ただただ、「正しさ」に立ち続けること、そこに留まること、それを追求している。
私の体験
昨日2013/12/01(日)の稽古の記録です。
稽古会は、正式には午後二時からなのですが、徐々にみんな早く来て自主練するようになってきており、私は昨日は時間がありましたので、11時過ぎに着くように電車に乗っていたところ、前日と二日連続で、先生も同じ電車に乗っていて驚きました(なぜなら電車は10分ごとくらいに運行しているので)。
そういう事情もあり、着いてすぐからマンツーマンで、これまでより細かい修正を掛けられながら一線球磨の足の運びなどのおさらいを、かなりミッチリやって、1時間半くらい過ぎたところで一旦休憩。
何となく腕を回したりしてみたら、何だか(体幹がズッシリ・スッキリ決まった感じの強さに逆比例して)腕・肩などの末端が、スカスカに軽く、「へぇー、こりゃあ凄いですねぇ」と思わず先生に漏らして、そこから、これまで習った形意拳などの動きを試しにやってみたら、、、、何と(自分的には未経験の)凄い感じjになりました。
(あとで考えると、そこまでの1時間以上かけて、かなり厳密に、自分が持っている体幹・骨盤周辺の歪みを自覚化させられて、修正させられて、かつ腰が浮き上がらないよう、持続して骨盤の水平・踵への圧迫を加えていたことによって)体幹の歪み=身体の中の回路の詰まりが一気に(一時的に)解除され、足裏から指先までの「ねじれ」と云うか「うねり」と云うか「螺旋」と云うか、何か生命力の奔流みたいなものが一気に流れ出し、腰腹がカッーと熱くなり充実し膨れ上がり、自分のからだ全体が、高熱で溶けた鉄の流れみたいになりました。
重くて、熱くて、でも流動的で、何十もの「ねじれ・うねり」が交差していて、世界が熱気を帯びて、粘っているような、暖かい油を張ったプールのなかで、グリグリ・グニュグニュと揺蕩(たゆと)っているような感じ。
これは正直、これまでの瞑想などの(変性意識の)経験が無かったら、怖くなって、パニくってたと思います。
どの動きをやっても、ずっしり重く充実していて、かつ全身がグニョグニョの捩れの複合体になっており、グサッ・ドスッと云う感じの重い切れ味、ネットリとした粘り気が気持ちよく、お腹は充実し過ぎて張り裂けそうな感じがするし… それで驚いて、興奮気味にそのことを先生に話したら「そうなんですよー、良い稽古した後は、そういう感じになるんですよー」と言われ、「うーん… 武術の人たちって、こんな途方も無いことやってるんだなぁ、こりゃあ凄いや」と改めて感心したことでした。
これまでも、毎週の稽古のたびに身体の変化を感じ喜んで来たのですが、昨日は自分とって、それまで以上に大きなブレイクスルーの瞬間でした。
そして、その感じは、これまでやってきた坐禅・瞑想と、そう違わない感覚なのです。
ただ、武術の場合は、複雑に動いても壊れないし、あと重み・充実感が強い。
おそらく、臨済禅(丹田禅)の感覚に近いのではないかと思います。
その感覚を、動きのなかで練り上げ、より細分化し身体中に回し、切れなくしているのではないか、と想像します。
ここから本気で取り組めば、自分のなかで「坐禅・瞑想」と「武術・ボディワーク」が完全に合体して、おそらく、かなり面白いことになるんではなかろうか、と予想しています。これからが楽しみです。
刀禅の練功、「百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず」で、私としては、ぜひ、一人でも多くの方に経験して貰いたいです。
ただし、人によっては、始めの関門を越える難易度はかなり高いかも知れないですので、少なくとも半年間以上は、意味は分からないままでも飽きずに取り組んでみる決意・覚悟がある方のみに限られるかも知れません。