私が、このような修行に取り組むようになった切っ掛けは、十八歳のときにした、ある体験にあります。
キリスト教系の新興宗教の熱心な信者である両親の元で育った私は、中学校一年生くらいまで、自分もその教団の宣教師になるつもりでいるような「宗教少年」でした。
しかし、その信仰も、教義や両親に対する疑い・批判的精神の芽生えと共に失なわれていきました。
その後、中二の頃から徐々に強さを増す、生きていることの虚しさの感覚と共に、十八歳のその日までがありました。
その体験がある数ヶ月前、たまたま本屋で『戦場の村』と云うベトナム戦争のルポルタージュを手にしました。
その本を直接的な引き金として、私の心は「人間はなぜ戦争するのだろうか? なぜ殺しあうのだろうか? そして、その戦争や殺し合いが具体化する場面に必ず出てくる人種差別と云う問題は、なぜ存在するのだろうか?」と云う疑問・問いに捕らえられました。
なぜ、そのことにそれほど心奪われたのかは今では覚えていません。
しかし、そこから数ヶ月間は、その疑問・問いが絶えず心を離れず、いつも悶々としていました。
当時、私は(元ヤクザの社長が経営する)夜間のタクシー洗車のバイトをしており、そこの新年会でフィリピンパブに連れて行かれました。
はじめて、そういうお店を経験し、女の子にお酒を注がれながら、まわりのお客さんたちの様子を見ているうちに、それまで抱えていた人種差別の問題に関しての自分なりの答えが自然に出ました。
その答えは、当時の私にとって、たぶん正解の、ファイナルアンサーに思えました。
私は、それまで「この問題の答えさえ出れば、自分の悩みは解決する。スッキリして楽になれる」と思い込み、考え続けてきたのですが、実際出たその答えと云うのは、まったく救いがない、絶望的なものでした。
その答えとは、
人間が自己イメージ(自我・エゴ)を持って存在し、生きている限り、自分より下の、自分以下と感じられる存在を必要とする。
その自己イメージを維持し、それによって自分の位置づけ(自己イメージ防衛・安定化)を図る為である。
それが、個人の単位で起こる場合、優越感/劣等感などとなり、
集団の単位、民族の単位に同一化して起こる場合、宗教的狂信、ナショナリズム、白人コンプレックス、黒人差別、経済後進国の軽視などとなる。故に、人間が今のまま自己イメージを持って生きている限り、人種差別は無くならない。
なぜなら、差別の対象(自分より下の階級や人種、被差別部落、黒人、アジア人)を必要とするから。
ある種の必要物(必要悪)であるから。そこに、日本人男性がフィリピンパブに通う理由のひとつ(気楽さ)もある
と云うものでした。
そして、
こうして、差別は良くない、自分は差別したくない、と言っている自分自身も、みんなと同じく、その比較・差別を必要としている。
自分も同じだ。
自己イメージを持って生きている限り、それを免れない。
と知って、打ちのめされました。
その答えが出た数日後、友人と小さなゴムボートに乗って、実家の対岸の宮島に遊びに行きました。
そこは、子供の頃、家族でよく通っていた、実家の土地(畑)がある場所で、自分の魂の故郷のように感じている、思い入れのある空間でした。
* 観光地である島の東側ではなく、西側の御床浦というところで、そこが現在の「気づきの研修所」の所在地です。
昼間からボートを漕ぎ、山のなかを散策し、夕方、陽の沈む頃に海岸線(浜辺)を歩いていました。
一日活動して、体も疲れ、けだるく、内面的にも数日前に出た答えのショックで、言葉にすれば「もうすべてがどうでもいい、とにかく、もう疲れた、くたびれた、ウンザリだ」と云う、鈍い気分でした。
大きな石の転がった海岸線をしばらく歩いて、山から流れ出る沢水のところまで行き、顔を洗った後、来た道を折り返そうと、ふと海の方に向き直りました。
その瞬間、自分が停止しました。
* 自分が無くなった、と云う表現も使えるかも知れません。
その間のことは分かりません。
時間の感覚が無くなっていたようで、それがどのくらい続いたのかも分かりませんでした。
はじめに思考が戻ってきた瞬間のことは、はっきり覚えています。
はじめに起こった思考は、「何だ、これはっ!?」と云う、内心の驚き(叫び)のようなものでした。
* それは、あとから思えば、『太陽にほえろ』の名台詞、「なんじゃ、こりゃあ…」に似ていました。
それが、停止していた心のなかに戻ってきて、そこから心が猛烈な速さで働きはじめました。
…
自分の頭全体をブチ抜くような強烈さで、オレンジ色の巨大な何かが存在しています。
あるいは、自分が(頭が)無くなって、その巨大なものが、自分が居た場所を貫通し、存在全体を突き破っているようにも感じました。
… 数秒たって理解しました。
それは、夕陽でした。
海の向こうの、対岸(本土)の山裾に沈もうとする夕陽でした。
そして、そのとき、これまで経験したことがない質を伴った歓喜と云うか、存在全体が充たされた感じが、自分の存在の奥底から(地面の底の、足の裏の底から)静かに、沸々と、湧き上がって来ました。
自分は、これまでずっと、「こんなはずじゃない、何かが違う」と感じてきた。
いま始めて、何が自分の問題だったのかが分かった。
そして、同時に、答えが分かった。
何が答えなのかが分かった。問題と答えが同時に分かった。
答えとは、<これ>である。 <これ>が答えだ。
そして、<これ>は初めて経験するものではない。
<これ>を自分は昔から知っていた。
かって、<これ>は自分に親しいものであった、
いや、<これ>のなかで生きていた。そして、今でも時々、<これ>に出会うことがある。
それは夢のなかでだ。自分は、それを日常意識では思い出せずにいた。
起きてしまった昼間の意識では思い出せずにいた。しかし、間違いなく、自分は、<これ>を、そもそも知っていたのだ。
おおよそ、そのような了解が、意識のなかに閃き、駆け巡りました。
そして、あまりに幸せすぎて、このまま歩いて海に入っていって、そのまま溶け込んで、消えていってしまいたい、無くなってしまいたい、と云う欲求・衝動を、強く感じました。
いま考えると、そのとき死に対する恐怖と云うものが、まったく無くなってしまっていました。
それは、「幸せすぎて、このまま死んでしまいたい」「このまま世界に溶け込んで、消えていってしまいたい」と云う、静かな衝動だったと覚えています。
* この体験のなかで、「思考が停止してから思考が戻る(我に帰る)までの時間」を、しばらくの間は「30分くらい続いた」と考えていました。
しかし、よくよく考えてみると、友人が私の変異に気がついていなかったことから、長くて5分以内くらいだったのかな、と後に自分のなかで修正しました。
しかし、いま改めて考えてみると、実は数秒でしかなかったのかも知れません。
体験のなかにいる私にとっては、時間の外、永遠といっても良い長さの沈黙・ギャップでした。
その夜は、すぐ側の海に浮いているカキ筏で一泊し、翌朝、朝霧の中をゴムボートを漕いで本土に戻りました。
海面が鏡のように凪いでおり、それを見て、本当に水面を歩けそうな気がしたのを覚えています。
おそらくそれは、澄み切って平穏な内面を外に投射したものであったのでしょう。
この体験は、数日のうちに静かな余韻を残して消えていきました。
当時の私には、この体験が一体何なのか、どのような価値を持つものなのか、何も分かりませんでした。
日常からかけ離れた、不思議で特殊な体験として、徐々に意識のなかに埋もれていきました。
しかし、その体験後、虚しさの苦しみは更に増しました。
それは喩えて言えば、白黒テレビしか見たことがない人間に、最新式の大画面液晶カラーテレビを一日だけ見せて、その後、また以前の古い白黒テレビに戻らせるようなものです。
元々つまらなくて虚しかった毎日が、以前の更に何倍も色褪せてつまらないものに感じられ、悶絶しました。
そのころ、クリシュナムルティの本に出会いました。
実は、その本は、その夕日の体験の数日前に買っていたものでした。
当時、『別冊宝島・精神世界マップ』と云う本が出回っており、そこに紹介されていたクリシュナムルティの記事に関心を持ち、購入したのですが、読まないまま置いてありました。
なぜ、クリシュナムルティに関心を持ったかといえば、「彼の言葉(使う語彙)は、新聞が読める程度の知識がありさえすれば読める平易なものであるが、そこに盛られている内容は、非常に高度で深遠なものである」との紹介文に惹かれてのことでした。
当時の私は、東洋の瞑想宗教や精神世界に関する知識や読書経験は全くなく、その手の本に触れるのは、それが初めてでした。
当時、広島市内で一番大きく、品揃えも多い「紀伊國屋書店」に出向き、あちこち探してみるのですが見つけられず、店員さんに尋ねてみると、一冊だけクリシュナムルティの本が出てきたので、買い求めました。(そのころは、まだ翻訳本も限られており、一般書店ではマイナーな存在でした)
それが、体験の数日前の出来事でした。
その本を、良くは分からないまま読み進めていくうちに、しばらく前に自分に起こったことと、まるでそっくりなことが書かれているのに気がつきました。
そこには、(おおよそ)こう書いてありました。
あなたは、夕陽を見たり、山を見たりしているときに、自分が無くなるという素晴らしい体験をするかも知れません。
そのような体験をすると、その記憶を持ち続け、それに執着し、それを再び味わいたいと望むようになります。
しかし、それを求めている限り、それは二度と起こりません。
その欲望こそが、それが起こるのを邪魔しているからです。
「では、どうすればいいのか?」
その切実な疑問を持って、クリシュナムルティを熱心に読みようになり、自己流の自己観察に試行錯誤しながら取り組む生活が始まります。
その後、何年も経て、禅やヴィパッサナーと出会うこととなります。
これが私の、この道に入った始まりです。
すべて、起こるべきことは起きるべきタイミングで起こるのみで、操作も予測もできないのですが、振り返ってみて、すべてが緻密に噛み合っており、ひとつとして無駄事はなかったのだと、改めて感じます。
それは、すべての人の人生において言えることなのでしょう。
* この「最初の体験」が私の悟り(問題解決)のイメージを作る原体験になっているのですが、それは後にヴィパッサナー瞑想に取り組み始めたときに邪魔になりました。
ヴィパッサナーの見せてくれる世界は、このような融合モデルの瞑想体験とは異なったもので、それを理解の前提としていると妨げになります。