私の根本問題

1. 虚しさ、満たされなさのうずき
(生の虚しさ、満たされなさの感覚、という苦)

生の全体を覆う、漠然とした、しかし圧倒的な、いま、ここ、この状態への、何か知れない落ちつけなさ、おさまらなさ、物足りなさ、安住できなさ、くつろげなさ、空虚感、不全感、さびしさ、不満足さ、満たされなさ、退屈さ、味気なさ、イライラ、ソワソワ、「本当に、これでイイ!」と思えなさの感覚。心理的苦痛

何かをすること― 何らかの心理的/肉体的な行為― 刺激・関心・興味によって、心と体を埋めること、時間を埋めること。
その空虚さの感覚からの逃避、気まぎらわせ、時間つぶし。
何かをせずにはいられない。
逃避で埋め尽くされた日常、生活、時間。

生の虚しさ、落ち着かなさ、おさまらなさ、物足りなさ、不全感などの、根っこにある問題・感覚が浮上してくると、その度に、次々と、絶え間なく何らかの新しい逃避(刺激、気まぎらわせ)を見つけては(で頭を埋めては)、その「空虚さ」という事実(本当の問題)から目を逸らしてしまう。

2. 自己イメージの問題
(自己イメージを持つが故の苦)

ハーレム/メシア願望。
認められたい、何者かでありたいと云う欲望。
自己/他者による承認への欲求。

評価されたい欲求を持つが故の、人との関係における「無力感、動揺感、怖れ、怒り、嫉妬、挫折感、優越感/劣等感、みじめさ、不安定さなどの諸々の悪感情、苦痛な、心かき乱す、動揺させる、まぬがれたい心情・情動の絶え間ない生起・湧出」

自身によっても、また他人からも(修行の面で、その心境の高さ、人間性、人格性の高さにおいて)、たいした人であると認められたい、そう扱われたい、承認されたいという欲求を持つが故の「無力感、動揺感….」

何者にも成れないこと、何者でもあれないこと― 自分は、クリシュナムルティその他、悟ったと云われる人たちのようには成れなかった。成れないまま終わるだろう、と感じさせられることの「無力感、動揺感….」

あらゆる人間関係において(同姓にも/異性にも)、特別な、注目されるべき、一目置かれるべき能力・価値・魅力を持った存在であると認められたい、そういう存在でありたい、そういう風に扱われたいという、意識構造の全体に染みついた、どうしようもない衝動・切望→そうあれないことの「無力感、動揺感….」

関係における絶え間ない自己イメージ防衛的反応・自己イメージ防衛的現実解釈、絶え間ない自己正当化。
あらゆる場面においての、内面的な自己賛美と他者おとしめ。
他をけなし、自らを引き上げようとする心の動き・反応―やらずにはいられない、止めることのできない。
そのことの生み出す「無力感、動揺感….」

現実の生活の場面は、その「そう(で)ありたい」自己イメージからの転落の連続である。
→その否認→「無力感、動揺感….」

関係において、「認められたい」「何ものかでありたい」という欲求に常に衝き動かされていること。
「(誰にも)認められない」「何ものでもあれない」「(自分は)何ものでもない存在である」と感じさせられることの「無力感、動揺感….」


それは、あらゆる人間関係において、特別な、注目されるべき、一目置かれるべき、価値(能力、魅力)を持った存在として、たいした人間であると、価値ある何者かであると、認められたい、承認されたい、評価されたい、そういう存在でありたい、そう扱われたい、(自身によっても)そう思いたい、そう感じたい、という切望・欲求である。

それが、私の場合、とても強く、その「切望・欲求」が、自分の日常の意識活動の全体を覆っており、たいていの思考や感情の原動力・原動因になっており、常に背後で働いていることに(たいてい事後的に)気づきます。

この「切望・欲求」は、実生活では、人との関係における、みじめさ、動揺感、怒り、嫉妬、腹立ち、攻撃心、優越感/劣等感、不安定感などの、諸々の免れたい心情・情動を、しょっちゅう引き起こします。

そして、それがとても苦しくて、負担で、もし、この自己イメージ防衛的な心の動きが払拭できたら(無いなら)、自分はどれほど楽であろうか、と感じつつも、自分で、どうしても終わりにすることができない。

3. 世界イメージ・世界理論の問題
(世界イメージに関連する不安・苦痛)

理論(信念体系)と現実(経験) 観念の外部、多‐現実、相対主義、パラダイム論的問題(世界理論への欲求、の不在、への懐疑)

絶対的、超越的な世界の(自分の生の)説明・観念・解答・理論(=真理・世界理論)が欲しい。
それが手に入れば、迷いなく、確固として生きてゆくことができる。
「日々何をなすべきか、何をして(どうやって)生きてゆくべきか」の規範、指針、指し示しが手に入る。

多くの人が、それぞれの「絶対的な真理、絶対的な説明、絶対的な観念、絶対的な解答」を手にし、その実現のために身を捧げ、その理念のなかに没入し、その理論の内に自閉して生きていくのを見る。

絶対的、超越的な世界の(自分の生の)説明・観念・解答・理論・真理(=世界理論)が「ない」こと、「持てない」でいること、が「分からない」でいることの、不安定さ、不安感、落ちつけなさ、確固としてなさ、地盤がないという感じ、不確かさ、緊張感、胸塞ぐ重苦しさ、心安んじていられなさ(の慢性化)という苦

* また、「それを得た」と言う人たちの悲惨さを見るときに感じる苦・悩み

世界理論(絶対的、超越的説明・観念)自体への懐疑・疑い(相対主義、パラダイム論的懐疑)(多‐現実論)
世界イメージ防衛的反応・理論/現実の循環構造の網目から脱け出して世界を(他者を)見ること、理論(ditthi・見)を背負わない観察、理論を抜け出た観察、理論を背負わないで世界を(他者を)見ること(への欲求、あくがれ)(という課題)→理論の外部、関係、他者

4. 性的欲求・衝動の問題、苦しみ

異性に関わる場面(現実に/想像で)における、肉体的、生理的な苦痛―性的衝き上げ、ストレス、フラストレーション、圧迫、逼迫感、欲求不満と、心理的な苦痛―優越感/劣等感、嫉妬、さびしさ、みじめさ、なさけなさ、非万能感、無力感などの諸々の悪感情・否定的心情・心の痛みの絶え間ない生起・湧出、という苦。

* 「心理的苦痛」のほうには、2の「自己イメージの問題」も重なり関わっている。
* そして、この「性」の問題は、より根本的な根っこの部分で、1の「虚しさの問題」とも重なっているのかもしれない。


これらの問題を根本的にどうにかしたい(無くしたい)。
どうにかするためには、どうしていけばいいのか。