ダンテス・ダイジ より
もし、本当のニヒリズムっていうものがあるなら、大抵のニヒリズムは、ロマンティシズムだけど、
本当のニヒリズムっていうものは、その灰色の世界、
つまり、みんな同じに見えてしまうんだよ。
もう、一定の自分っていうものを保つ必要がなくなってしまうんだ。
俺は、会社員として仕事についているから、こういう風にきっぱりいかなくちゃいけない、とか、
俺は、教師であるから教師らしくしなくちゃいかん、とか、
人とつき会った時に好印象を与えなくちゃいかんとか—–
そんな事が全然意味なさないんだ。それも、理屈として意味なす必要がない、とか、
そういう事に捉われる必要がない、とか頑張る必要もないんだ。
いずれも同じだからさ。その時は。
でも、それは灰色だ。まだ見ている自分がある。同じだ、と見ている自分がある。
ある時、本当に全てとつき会った時、全てを当たり前に見た時、
もう何が目の前に現れようと、全然、意味なさない時が来る。
みんな同じに見えてしまうのさ!
ただ、見える立場がそこにある。だから灰色なんだ。
その時、何をする。やる事がないんだ。
■
131 2009/06/29(月) 23:03:19 ID:mF8wkE9s
その時、座るんだよ!その時、座るんだ、と言わなくても座るんだよ。そういう風に出来ているんだよ。
訳は知らない、 ——- 万事休す ——- その時、見ている自分が消えるんだよ
面白いものなんだぜ。電信柱だろうと、道路だろうと、みんな見知らぬものなんだ。
ところが、見知らぬっていうのは、知っている事、
何か知っているものがあって、それに対して見知らぬ、だろ。
そんな事抜きにして見知らぬもの、なんだよ。みんな。
それに近い感覚っていうのは、此処にいる人達はみんな経験しているはずだ。
そういう時代が来ているからだよ。
ところが、本当に、どんずまりに来たっていうのは
本当に見知らないんだ。つまり、見知らぬっていう風にして、あわてる意識さえないんだよ。
まるで、そう、魂を、どこかに落っことしたような。
ほら、あるじゃないか、たとえば、とてもすてきな人が、
そばに来れば、いくらすましていても、やっぱり---そういう事ってあるじゃないか。
そんな事さえないんだよ。本当に灰色というか、白というか、ゼロというか。
ゼロポイント、そう、このゼロポイントまでいけば、ブラックマジックも成立しない。
ブラックマジックつまり破壊というのはゼロポイントの一つ手前にとどまる。
つまり差引きゼロの世界では、もう、やる事がないんだ。
ところが、まだ観念が先行している時に差引きゼロっていう事に気づくと、もう何をしてもいいという発想が出てくる。
でも、本当に本当に悲しめよ!
いいか。悟りっていうのは理屈抜きの悲しみの事なんだ。生命の悲しみの事なんだ。
本当に悲しみに直面できる感受性、それが悟りだ。
■
132 2009/06/30(火) 00:59:17 ID:cxe4t6Jb sage
ダイジ!!!!
■
133 2009/06/30(火) 08:40:32 ID:BBKBXXXE
神秘学とか、霊的何とか、っていうのは全部ままごとさ。
この世界に於いても同じだよ。又、究極的世界の於いても同じだよ。
映画を見たり、何か気をまぎらわしたりするのとどこが違う。
人は、いろいろな刺激によって生きている。外部からの刺激によって。
自分の中から起こったことさえ外部からのものだ。
そして、それによって生きている。それを拠り処にしているんだ。
平常のそのままでいいんだ。いいんだよ!平常の、そのまま、で。
どうして何かになろう、なんて考える。そんなものマスコミにのせられているだけだ。
一人一人が又とない生命(いのち)だ。平常そのままでいいんだ。とても恐ろしい。
何故なら、人は、いつでも自分が空虚だ、と意識し————–あるいは意識しなくても————-感じている。
平常のそのままでいいんだ。でも、それはとても恐ろしいすごく、すごく恐ろしいことだ。
平常のそのままでいいんだ。自分の思うようにしたらいい。
決してためらわずに。これは、決して、助平根性があったら出来ることじゃないんだ。
つまり、何かがうまくいくとか、何か先行きうまくいく、とか、そういうことを考えていたら、自分の本当に好きなようには出来ないんだ。
もし、そういうものがあるとしたら、それは、自分の本当に好きなようにしているのではなく、自分の妄想が好きだ、と考えている事をやっているにすぎない。
つまり、観念のゲームさ。君の本当に好きなようにするという事は
これ又、恐ろしい。
とても、とても恐ろしい。
自分の本当に好きな事をするっていう事が---間違えないで欲しい----たった一人、
自分のすきなようにした人間だけが、友情とか、親子の愛情とか、恋愛とか、仕事とか、
---それら全てを、一番、本来の姿でやる事ができる。ちょうど、降ってきた雨のように。
雨が降る。鳥が飛ぶ。自動車が走る。本当に好きな事をする。
■
134 2009/06/30(火) 08:43:15 ID:BBKBXXXE
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。
本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。
しみわたらせるんだ!今、此処で!
此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。
うーん-----そう-----通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか-----
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
■
135 2009/06/30(火) 08:44:33 ID:BBKBXXXE
外からくるもの、それは、いつでも優劣や、美醜や、いろいろな、がい念というものを、頭の中に、植えつける
その、がい念、というものがコンプレックスとか、何とか心理学でいうことと結びつく。
誰が決めたッ!-----
君達は、かけがいのない君達自身だ!一回きり、の。
君達は、シャカとか、キリストとか、聖者とか、何でもいい。-----
全く同じだ! 全く! 全く!
君達が全てを、つまり、君達の心を、君達の考えを、君達の身体を、 本当にすみずみまで、
愛しめば——-、そう!それが信じ切るっていうことさ。
臨済
「お前達は、信じ切れないから、あたふたとうろたえ、
いろいろな外教についてまわり、蛮教の為に自己を見失って自由になれない。
お前達がもし、外に向かって求めまわる心を断ち切る事ができるなら、
そのまま祖師であり、仏である。」
外へ向かって追い求めるっていう事は、
内面の中でもって何かを発見するっていう事も含まれる。
それも外の事さ。
何故なら、止まっていないから——-
満足っていうのは、外のどこにもないんだ。
今、満足しなければ、永遠に満足する事なんかないんだ。
満足というのは、とても巧妙なトリックを使う。
あの条件がそろったら俺は満足する。
こうなったら満足する——-。
一人のせむし男が言う。俺はせむしが治ったら満足するだろう。
ああ——-治ってみろ!又、外に向かって何かを探し出す。
そういう風にできているんだよ。どういう訳か一向に知らないが。
■
136 2009/06/30(火) 08:57:20 ID:BBKBXXXE
そのままでいい。いいんだ!そのままで。今、満足すればいいんだ。
単純な事さ。
満足したら阿片だっていうのか?そうじゃないさ。
阿片なんて感覚だろ。宗教は阿片だ。
今、満足する事。本当に満足したら、すべてが整う。
本当に此の中に安らいでみたらいい。
しみわたるっていうのは例えば、砂漠を放浪してて、一杯の水に、やっとありつけたっていう時、
本当に、しみわたるんだ。どうやって?
今、安らいだら、何もできなくなるなんて、まっ赤なうそだよ。
完全な安らぎが、完全なバイタリティを生むんだよ。
■
137 2009/06/30(火) 08:58:47 ID:BBKBXXXE
臨在
「お前が、もし、外に向かって求めまわる心を、たち切ることが、できたなら、
そのまま、祖師であり仏である。」
勿論、どれは必要だ。
たち切ったら、たち切ったら、
ああ、これ又、とても恐ろしいことだ。とても、とても素敵なことだ。
たち切ったらってどういうこと?
いろいろな予定や、いろいろな目標や、いろいろな何か、実現や、いろいろな欲望や、
いろいろなすてきさや、
いろいろな理想や——–とりわけ理想、夢、希望、それを断ち切るっていうこと。
何故、断ち切らなくちゃならない。それらが、此処にあるっていうのに、みんな此処に。
何をあくせくする。何をかまえる必要がある。
今、今、安らぎがある。かまえは自然に此処から出て、日々を生きる過程で起こる。
臨在
「お前達がそこで、此の説法を聞いているそいつが祖師であり仏である。
ただ、お前達は、それを信じ切れない為に、外に向かって求める。
そんな事をして、たとえ求め得たとしても、それは、文字、言句の概念で、
生きた生命の祖師ではない。とりちがえてはいけない。
お前達、今、此処で、してとれないなら、永遠に迷いの世界に輪廻して、
愛欲にひかれて畜生道に落ち、ロバや牛の股に宿ることになるだろう。
お前達、わしの見下からすれば、此の自己とシャカと別ではない。
現在、日常の働きに何が欠けているか。六根を通じての自由な働きは、
今まで、一秒たりとも、止まったことがないではないか。
もし、よくこのように徹底することができれば、これこそ、一生大安心のできた、めでたい人である。」
お前達、今、此処でしてとれないなら永遠に輪廻する——-
ああ、苦しい。堂々めぐり。
安心しろよ! ほら!
■
138 2009/06/30(火) 08:59:40 ID:BBKBXXXE
その間っていうのは距離があるんじゃないんだ。
今、此処で、安心するっていうこと。此処で、リラックスするっていうこと、
そして、それが、できなかったら、永遠に、輪廻するっていうこと。
そう、輪廻する。つまり、そういう風に、苦しみ多き日々を生きるっていうことはね。
たとえば、苦しみ多き日々、三年後のその時でもいいんだ。
でも、折角だから、此処で決めて欲しい。
決めるっなんて言わないでいいよ。当たり前でいいんだ。
ものすごく恐ろしいんだぜ。
何故なら、人間っていうのは、条件が好きだから。
人がリラックスできない理由は単純なことさ。ものすごく、それは単純だ。
自分が満ち足りない、って妄想しているのさ。
今の自分はまだまだ、って妄想しているのさ。
勿論、
この世を、人間として最後まで全うするには、
まだまだっていうのは必要だ。
でも、それは二次的なものだ。
それは、あとから出てくるものだ。
君達の、
今いる君達に
何が欠けてる?
欠けてる、と考えるのは、
皆、頭でもって吸収した、いろいろな情報のせいだ。
できるんだ。今、今、此処で、できるんだ
■
六根を通じて、というのは、君達の感覚、今、此処で、働いている感覚さえ、
いろいろな妄想や、こいつ何話してる、とかそういう働きが全て。さ。
大安心。
どんなことを考えようと
大安心。
いいんだ—–
いいんだ—–
もう、 いいんだ—–
おかえりなさい
(完)
(ダンテス・ダイジ)
黄色い冊子 著・DAIJI AMAMIYA。
■
至福ハンドブック=死とSex
’83 Sept,3
Form ダンテス・ダイジ
人はその内的満足によってのみ その内的外的調和、平和、幸福、快楽を実現させることができるのである。
この場合の内的満足とは自我欲望の満足といった意味ではない。
なんとなれば自我欲望の満足は不可能だからである。
自我は底知れぬ虚無の上に立脚しているものにすぎない
自我にとって一切は不条理なのである。
従って内的満足とは自我欲望からの解放すなわちオルガズム或いはエクスタシーを意味する。
オルガズム或いはエクスタシーといったものは、欲望の延長線上にある満足ではない。
それは欲望すなわち自我の消滅としての満足を意味する。
オルガズム或いはエクスタシーは自我の消滅もしくは欲望からの全面的解放を意味する。
絶対満足であるがゆえに人間を進化、成熟せしめるものである。
現代に最も必要なことは、この自我からの全面的解放を意味するエクスタシーのみなのである。
一般人にとってエクスタシーは死もしくはセックスによってのみその可能性を開き得るのである。
勿論、純粋冥想はあらゆるものを含む全面的エクスタシーのカギではあるが、それは人類の1/3のみに有効な方法にすぎない。
ここでは全人類一般人全てにエクスタシーを来す為の暗示が記述されている。
もう一度言おう。
エクスタシーこそが全人類の究極的テーマであり、あらゆる問題の唯一の解決法なのである。
人は自己満足を求めているのではない。
自己満足は不毛であることを知っているのだ。
本当の人間性は自我からの解放、すなわち、
欲望からの解放すなわちエクスタシーのみを真実求めているのである。
人はなぜ苦しむのか?
人はなぜ虚しいのか?
人はなぜ大らかで楽しくないのか?
人はなぜ生き生きと血湧き肉踊っていないのか?
それは自分が自我意識満足を求める欲望だ、と錯覚しているからである。
全人類は、今や、自我から出た虚しさを如何にだますかにきゅうきゅうとしている有様である。
やめなさい! やめなさい!
自我は虚しさと欲求不満と苦悩を生む以外にはないのだ。
それらの虚しさ不満苦悩が、それなりに素敵だと思うのであればこれ以上この文章を読む必要はない。
ああ! エクスタシー! おお! エクスタシー!
自我にとって果てしなく遠く彼方にあり、そして常に今この場にピッタリくっついているものよ。
注意せよ! エクスタシーとはあなたのエゴがあこがれているエクスタシーではないのだ。
そんなエクスタシーは単なるまがいものにすぎない。
しょせん一時的な自己満足なのだ。
真実にして絶対なるエクスタシーとは あなた、すなわちエゴが消滅するところに花開く神秘にして不可思議なるなにかなのだ。
その時、一切の苦悩も一切の喜びも完全に終わり、苦悩でも歓喜でもない完全無欠なる至福が無限に満ちわたっているのである。
エクスタシーはあなたを成熟せしめ、一輪の野の花にも、海のさざ波にも、山の中の静じゃくにも、大空の広がりにも、風のささやきにも、
しとしとぴっちゃんしとぴっちゃんの雨ふりにも、便所のこえだめのうじ虫にも、一服のタバコにも、ほんのかすかな肌の触れ合いにも、
限りない味わいがあることを生きることになるのだ。
さて何故、死がエクスタシーになるのであろうか。
答えは簡単だ。
あなたというエゴがなくなること、ナチュラルになくなること、そこに唯一実在しているエクスタシーがあらわれるから、というにすぎない。
ところが、存在しているのは自分だと妄想している現代人にとっては死は最も恐ろしいものに映ることとなる。
死ぬことによってエクスタシーにかえることは現代人にとっては困難なことであろう。
そこでよりイージーな道としてセックスをあげざるを得ないのだ。
セックスによりオルガズムエクスタシーには、その男女のエーテル的すなわち全一的合一が必要なのだ。
平たく言えば愛情こそが全身的オルガズムすなわちエクスタシーを開花させるということなのだ。
誠に誠に告げる、性的快楽は性的快楽を追求してとっかえひっかえ異性をかえることによって実現したためしは今だかって一度もあったためしがない。
何よりも重要なのは、心の底からフィットする、心の底から愛情を感じるたった一人の異性との出会いを待つことなのだ。
実際、この地上で最も美しいのは全面的な愛情、トータルな恋愛なのだ。
そこに低俗的な意味ではないオルガズム、エクスタシー、成熟、宇宙の意思が働いている。
人が本当に求めているものは何なのであろうか。
人は様々なものを、その欲望の奴隷となって追い求めている。
全面的な満足が欲しいのだ。
だが、自我には断じて全面的満足はあり得ない。
本当のことを言おう。
人は誰でも自我というやっかいなもののドレイから解放されたいのだ。
本当のことを言おう。
人は誰でも自己という重荷を消滅させたいのだ
なぜなら、唯一楽しくなるのは自分が絶対完全無限なそのものであるということに目覚めることであるからだ。
それを私は仮にエクスタシーと名づけているだけのこと。
女性にとっては全面的な愛情が全てであり、それによって自ずから男性とのSEXがエクスタシーそのものを開示する。だが男性にとっては、ただ愛情があるというだけではダメなのである。
そこには、さめた知性が必要なのだ。
愛情があればSEXにおいて女性は努力を全く必要としない。
だが男性はある種の努力が必要なのである。
この由に男性の至福への道は、死をかけた何物かを必要とするのである。
男性は一人の女性に対して全面的愛情を感じたとしても、それは一切の問題の解決とはなりえないであろう。
それ故、男性は自己の生命を捨ててもいいという風に生きなければ悟り、至福、エクスタシーに目覚めることはないのだ。
純粋なる坐禅冥想は勿論、全面的な死への道であり、全面的な至福への道であるが、それはごく限られた人々のものでしかない。
そこで男性は、職業、家庭、友情、使命などに生命をかけねばならないのである。
それらが自己満足としてあるのではなく、自己放棄としてあらねばならない。
つまり、自己満足の虚しさと恐怖の構造を理解して、自己満足ではない、純粋に正しい行為を生きつづけるのだ。
たとえ、その行為の結果が完全に失敗に終わっても、である、
自己を豊かにしてはならない。
自己満足を目標にしてはならない。
エゴの肥大こそが虚しさと鈍感さと不安と恐怖の原因であることに気づきなさい。
女性は本当の愛情を自覚した時が、人間的悟り、成熟といってよい。
そしてそこから、そのエクスタシーから、その成熟から、健全な未来の子供達を出産するのである。
愛情のあるSEXからの出産は単に産みの苦しみといった様なものではない。
それは苦しみであると同時にエクスタシーからのエクスタシーなのだ。
愛情あるSEXは女情を自ずから成る性的エクスタシーへ導きそこに女性としての大いなる成熟があるのだ。これだけで現代女性のかかえている全問題は解決したといってよい。
死んでもいいと言う程の生き方、それこそ現代人は自覚しているといないとにかかわらず、求めているものである。
一般に女性にとってそれは一人の男性との性愛であり、男性にとっては天職とか家庭ということになるのだが、現状では、そうは問屋がおろさなくなっている。
というのは現代人一般があまりにも快楽、権力、金の奴隷になっているからである。
従って今や天命としての職業なぞありはしないのだ。
警告する!
快楽と自己満足の為に生きるのをやめなさい。
女は女でなく、男は男でなく、人間は人間でなく、家庭は家庭でなく、社会は社会でなく、自然は自然でなくなっているのだから。
本当に正直に答えて欲しい。
あなたはむなしくありませんか?
現代の女性は本当の恋愛を知らない。
現代の男性は本当の天職を知らない。
現代の人間はその天命を知らないのだ。
性的快楽のみを求める女性に、むなしさから逃げるために満足を求める女性に、どうして本物の恋愛が起こるであろうか。
金、権力、地位、名声、快楽を求める男性にどうして本当の天職が発見できるであろうか。
そこで現代人一般は享楽的なSEX、ほんのささやかな趣味娯楽、或いは美容、健康、SEXの様々なテクニックに自閉的な満足を求めているという次第である。
現代文明にとって最も必要なことは、出産、性愛、死という人間としての根本的基盤に目覚めることなのだ。
神秘を知性的に分析して解明するのではなく、神秘を神秘として目覚めるのだ。
この目覚めが実現しなければ、この西洋商工業都市文明は今世紀一杯で自滅するであろう。
(完)
■
死生観 1
天と地とは永久に 陰と陽との生き通し
神の水火より生まれたる 人は神の子神の宮
生くるも死ぬるも同じこと これをば物にたとうれば
神の世界は故郷の 恋しき親のいます家
この世に生まれた人生は 露のしとねの草まくら
旅に出でたる旅人の クス野をたどるが如くなり
辿りたどりて黄昏に いずれの家か求めつつ
これに宿りしその時は この世を去りし時ぞかし
一夜の宿を立ち出でて またもや旅をなす時は
まだ人間と生まれ来て 神の働きなす時ぞ
生まれて、一日働いて 死んで、夜をまた休む
死ぬというのは人の世の 果てにはあらず 生魂
重荷下して休むとき 神のみ前に遊ぶとき
栄えの花の開くとき 歓喜充てる時そかし
またもや神の命令に 神世の宿を立ち出でて
再び人生の旅をする 旅は愛いもの辛いもの
辛い中にもまた一つ 都に至る限りなき
歓喜の花は咲き匂う 神の御子たる人の身は
生まれて死んでまた生まれ 死んで生まれてまた生まれ
堅磐常磐に栄えゆく 常磐の松の美し世の
五六七の神の太柱 玉の礎つき固め
高天原に千木高く 宮居を造る働きは
神の御子たる人の身の 勤めの中の勤めなり
ああ頼母しき人の旅 ああたのもしき人の身の
人は神の子神の宮 神と人とは生きかわり
死にかわりして永久に 五六七の世まで栄えゆく
五六七の世まで栄えゆく
(完)
著・ダンテス ダイジ
雨宮 第慈
■
戯れに冥想を 著・雨宮第慈
プロローグ
この本は、宗教的でも神秘的でも通俗的でもないし、正気でも狂気で書かれたわけではない。
「あなたは何か?」
この人間性最後の疑団であり答えであるフレーズを
神の気の向くままに書きつづったものがこの本である。
「私は何か?」
答えは極めてというのも馬鹿げたほど明々白々である。
人間が何らかのものに寄生あるいは依存しなければならないという、
現代の精神分裂的な状況が、私にあわれみをいやというほど感じさせるのだ。
このように恐怖と不安と苦悩と自虚的、憎悪に満ちた文明の中で、
絶対の解決とは何なのであろうか?
「絶対の解決なぞない」などと疲れた顔をして言わないで欲しい。
バイブル・ギーター・仏典・老子・アヴェスター・クラーン------それらに書かれていることは余りにもシンプルで、
それは本来”読書”の対象にはなり得ない。
本を読むなどということは、描象的な人間のデッチあげた営みであり、
この本は、あなたに読まれるために書いたのではなく、あなたと愛し合うために、
あるいはあなたを強迫するために書いたものにすぎない。
魂の読書というものがあるのだ。それは言語冥想である。
まるでこれ以上ないというほどのステキな彼または彼女に出会って、転生も末長く「愛」を暮すような何かだ。
人間は、到底、考えられないくらい、永遠に戯れる存在としてあらしめられ、そしてみづから、喜んで、このドブ池という宇宙に産まれて来た。
■
超人ダンテス(又はダンティス)の伝説
一搬的な歴史の中でダンテスの名を発見する事はむずかしい。
もしあなたがあらゆる宗教神秘主義的伝説への妄従者であり、その表に現れた密教的規律に従う事をもって、満足する人であるならば、ダンティスのアトランティス以来、現代に至るまでの間にいたる所にちりばめられたダンティスの暗示を読み取る事はできないであろう。
なぜなら、ダンティスのアトランティス密教の高度な道術は、アトランティスの黄金時代を別にすれば、ダンティスの教育的使命にはならなかったからである。
例えば、ヘルメス・トートメの秘教的奥義に決定的影響を与えたアトランティスの聖王トースは、明らかに導師(グル)としてそのたち場をキテイできるものであったが、
ダンティスは常にその様なキテイの片ちがいにあった。
ダンティスはもちろんそのニルバーナの究極的解放において全体性の観賞(照)者でありえた事はもちろんであるが、
彼は、そこにとどまる者としてではなく、むしろ、ニルバーナの化身であり、全体性の至上の天国と極悪の地獄を自由自在に戯れるものとして生きた。
無限生命の絶頂を完全な解放を意味するニルヴァーナというサンスクリット語はアトランティス当時の正確な発音ではニーバーナとしたほうが良いであろう。
ニーバーナとは、ニーが無、バーナが有を表し、これはアメンと同じ意味の真言(言霊)であった。
無 有 (タオイズム、禅仏教)
ニー バーナ (主にインド・ウィグル)
メン ア (主に古代エジプト・アトランティス)
メン アー (キリスト教)
ム オー (サンスクリットのマントラ・オーム)
ウン ア (真言密教)
カ ミ (日本古神道)
ダンティスの生涯には、超越界を、自分の住所とし続けている。
いわゆる、聖者的な姿というものを、見いだす事は、できない。
彼は時に、多くのアトランティス並びにエジプトの人々にとって、そして、とりわけ、選ばれたごく少数の者に対しては、まぎれもなく、絶対無の内に宇宙を手玉に取って見せる事もできる人物であった。
確かに彼は、人間という者が宇宙の内でどの様に戯れたら良いかを、ごく少数の弟子に伝えている。
もしあなたが独自の観察眼を、神秘学の歴史にむける事のできる密教学徒あるいは、完全にあたりまえな人間であれば、
古代エジプトのヘルメス秘教の中に、エメラルド・タブレット、沈黙の声の中に、古神道の野立彦の神示の中に、ヴェーダやウパニシャッド文献の中に、
さらには、オカルティックな奇説、例えば、悪名高き魔術師、アリエスタ・クローリーの若く純粋であった当時の著作の中に、
さらには、ファンタジー作家のインスピレーションによる書物の中にさえ、ダンテスの名前やその足跡を発見できるかも知れない。
なぜなら、ダンテスとは、あなたの魂の暗闇の中に秘められている完璧な愛自身のことにほかならないからである。
■
エピローグ
この本は、
今や死のうとしている君と
今や死んでいる私との
果てしない果てしない果てしない戯れである。
そして君は冥想を決して止めてはならないし、
君が冥想を止めることはできないのだ。
この本は、私という存在もしない夢幻
が雲をつかむようなあなたに、
法悦の酔いのなかで書かれた。
「カキクドキ」の文句の集まりである。
あなたは、魂のどん底から、この世とあの世を楽しみたいと思わないか?
だとしたら、あなたは”あなた”という乞食を、
私は”私”という乞食を捨て去らねばならない。
そして、あなたと私は、乞食以下の乞食になるのだ!!!
—–それが冥想である
—–これが冥想の戯れである。
ねえ、あなた、
あなたという たった一人のあなたを死んでください。
■
ほんとうに勝手にしてみろよ。
君たちがさ、ほんとうに大丈夫だから。
ああ、神なんだよ。神。分かる?神。
あの神様って言ってるだろ、色んな教会かなんかで、あそこに祭ってある全てであり、それを超えたものだよ。ひとりひとりが。
ほんとに勝手にやってくれよ、ほんとに開いてみろよ。自分を。
そしたら分かるさ。何をオドオドするんだ。勝手に自分で造り上げるな。
ほんとに開いてみたらばさ、そしたらわかるよ。
無理しないで、全然無理がなく、自分の好きな事を自然にできるよ。
まるで一番静かな流れのように、豊かな流れのように。
どんなに人間っていうのがね、鏡、鏡っていうことに騙されるか分からない。
つまり勝手になにか自分でさ、縛るものがあると思い込むんだ。
だけど、どっちにしてもさ、一番自分のすきなものを選べるって事さ。
そして好きなものを選ぶって事はね、あらゆるものを背負うことになるけど。
だけど、ほんとに好きなものを選んでいる時はさ、背負ってるって意識がね。
普通の背負ってるっていうかたちではない。
■
悟りが夢であるように
迷いが一場の夢であるように
悟りもまた場を持たぬ一場の夢
悟りが夢であるように
迷いが夢であるように
7つのスペースから
熱と光は去り
私は未知以外の未知を知らぬ
かつての情熱は今や消え去り
私の夢は
私自身である「なにもかもなし」それ自身を夢見る。
■
一つの夢が終わり
新しい夢が始まっているはずだが
悟りが夢であるように
私には何一つ
つかまえるものが見えない
私の眼がくもってしまったのか
新鮮な何かを私は
なおかつ、待ち続ける
神よ、
「何もかもなし」それ自身よ、
悟りが夢であったように
私という夢をことごとく
あなたの中へ消し去りたまえ
神よ「なにもかもなし」それ自身よ、
私自身よ
■
I AM NOT POET
私は、詩人でもないのに詩人にされ
私は、著述家でもないのに著述家にされた
すべては詩でもあるかもしれない
ウグイスの鳴き声も、
海ヘビの泳ぎも、詩そのものかもしれない
すべては という一つのパラノイア
存在・神・全知全能への欲望
果てしなく続く欲念のリィンカネーション
そして
それとなった
時なき時
■
現在のアトランティスは、トウラスの周期にあり、そして、あとすこしで崩壊しようとしている。
次の人類の華は、アクェアリスの時代の終りに起こるであろう。
それは、この地球精神の周期的な絶頂期の最大のものになろう。
真の黄金文明とは、その外見的繁栄のことではない。
すべてのものが、「愛」の流れの中で調和している世界をこそ黄金文明と呼ぶ。
「愛」なくして万物万象は、一瞬も生きるあたわずである。
このアトランティス文明末期のように、精神物理エネルギーの誤用による崩壊のにのまいを踏まぬことを祈るばかりだ。
「救世主入門(メシアン・ハンドブック)」は、新しい黄金文明の種まきであり、
そして、何よりもあなたというかけがいのない一つの個性が、
十全にこの世とかの世とをおおらかに戯れるために書いたものであり、
そしてまた何よりも、私自身の果てしない遊びである。
さあ、神を戯れよう。
■
ニルヴァーナを体験だなどと思わないでほしい。
「完全」は君以外のなにものにも代わってもらうことはできないのだから。
■
ダイジ 「基本推薦図書12冊」
「臨済録」
「イリュージョン」(リチャード・バック 集英社)
「維摩経」
「自己変革の方法」(クリシュナ・ムーティー)
「愛の叡智」(ヴィヴェーカーナンダ)
「イクストランへの旅」(カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズより)
「荘子・内篇」
「生と死の記録」(佐藤幸治 講談社)
「究極への旅」(ラジネーシ)
「生命の実相」シリーズより 観行篇 生活篇(谷口雅春 日本教文社)
「バガバット・ギーター」
■
黄色い冊子抜け分
その中から、 すべての力と
自分の個性にふさわしい生き方とが
ひとりでに流れ出す。
逆なんだ。
俺の友達が昔、言った事がある。
「本当に安心して、 そして何もない
そのものになりきったら、 あとは
どうなる?」
あとはどうなる?、 だって?
あとはどうなる、 なんて考える必要はない
そこから流れ出す。
その時、 初めて自然さ、 がわかる。
雨のように。
本当にあるんだ!
本当にあるんだよ!
もう、苦しもうったって苦しめない、
そういう生き方ってあるんだ。
それが、 本来の姿だ。
もう何一つ問題ないそれがある。
それは、今——-。
■
『そして、もう一度思い出そう。『救世主入門』の一番最後の章句を。
これは君だけに語りかけている。「完全」は、君以外の誰に代わってもらうことができないのだから
「この本に書かれていることほど
無責任なことはない
この本に書かれていることを
信じない方がいい
書かれていることはすべて
逆の意味かもしれないから」』
(ダンテス・ダイジ著『メディテーション・トラベル・ガイド』より)
■
ダン「完全はね、
君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
完全なんて言葉は言う必要がない。
本当に納得した、
本当にすてきな、
本当におおらかな、
本当に深いこまやかな人生。
君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。
『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。
釈迦の教えが深遠なんじゃない。
キリストの教えが深遠なんじゃない。
ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
そうじゃない。
君たちが、深遠なんだ。
君達の中が深遠そのものなんだ。
それ以外に完全はない。 いい?」
雨宮第慈講和録1 十三番目の瞑想 SCL刊より。
■
ダンテス・ダイジの初転法輪、救世主入門。
君の命が動く時新しい時代が動き始める。
君は救世主でいる あらゆるものと同じように
『世界の遊戯に寄与する
君達の使命が 終了したかどうかを判断する簡単な基準がある。
もし、君たちが生きていれば
瀕死の重傷でかすかに息がある場合でも生きていれば、まだ使命は終わっていない。
たとえ君が死んだとしても 君は終わることはないから
結局、君は 世界という遊戯に 寄与し続けるしかない』
もし君が救世主でないのなら 君は、パン屋にも自動車修理工にもなれはしない
救世主はすべての場所と時間を通じて 只一人しかありえない
それゆえ救世主は 一つの肉体や人格でないばかりか どのような決まった形態も持っていない
この世界にもどのような世界にも 救世主しかありえないというのに救世主になろうとする君は
どうしようもないもの好きと言える
君の幸福と不幸は 君が死ぬことから来ている 君は間違いなく死ぬ
君の人間としての生涯は 君がすでに死んでいることを 学ぶためにある
君が愛を感じたり 君が何かを愛したりすることはない 君がすでに死んでいるのなら
愛のみが感じている 愛のみが愛している
何ものも救うことはできないし 救う必要もない このことを頭によらずに理解したら
君は救世主であり すべてを救うように生きている
■
常に三歩先を行く精神を心がけること 何歩先でも何歩後でもいいが 常に三歩先を行く精神を心がけること
どのような君も どのような宇宙も 君自身の描いた夢であり 夢から目覚めるという夢を見ようと
どのような夢を生きようと それは君の好き好きである
君に現われるどのような出来事も 君自身の鏡であって 君の責任である
いかなる夢にも君が惑わされなければ 君はいかなる夢をも 惑い楽しむことができる
過ぎ去ってしまった 出来事や言葉を信じないこと たとえそれが 天使のものでも悪魔のものであっても 今以外に 君の居場所はない
救世主は 救世主につめのあかほどの価値も置いていない
三歩先を見る能力を常に活用せよ さもなくば 常に三歩後を歩むことになる
そのことについて考えよ どこから来てどこへ行くのか
最初の地で 君が自ら身を投じた混乱の渦がある その混乱を引き起こした理由が何であったか、忘れてはいけない
君達は恐ろしい死を遂げる それもまた忘れないように
君にふりかかることは全て訓練である 訓練であることを自覚しておけば 君はそれをもっと楽しむことができる
君はすべてと付き合わねばならない 君が常にすべてとつき合っていることを知れば 君はすべてである
しかし死に際しては 厳粛に取り組まねばならない
三歩先を歩くことのできない生物たちは ギロチンに首を突っ込んだまま笑う君のことを理解できないだろう 君は狂人と呼ばれる
君は本当に好きなことをすればよい 本当に好きなこと以外 君にすることはない
だがおうおうにして単に自分にとって好きだということと 本当に好きだということとは正反対に見えることがある
君が天使のようだろうと 悪魔やそれ以外の何者のようだろうと
君自身は 天国にも地獄にも 決して長くは住まない 場所も時間もなく 君は 今・ここに・いる
■
人間というものはどこにもいない 人間というものが 君のイメージの一つにすぎないように
時間の持続としての永遠もまた 永遠の夢にすぎない 永遠とは場所も時間もない 君自身のことである
学習はすでに知り尽くしていることの発見 行為は学習の証明
教育とは被教育者に 君らも教育者と同じ程度のことを 知っているのだと気付かせること
君はもちろん 学習者であり実行者であり教育者であって
いかなる種類の 生や死を選ぼうと自由だが 義務というものがあるとすれば
自分に忠実でなければならないということ それ一つだけである
他人や他の事情に忠実であることは 不可能なばかりでなく 偽物の救世主であることの証明となる
最も単純な疑問が 最も深い意味を持っている なぜ君はいるのか? 君とは何なのか?
君の頭は 決してこれらの単純な疑問に答えることはできないが 君自身はすでに答えている
君はどこで生まれ どこで育ち どこで何をしようとしているのか?これらの答えは 君達自身と共に 常に変化しているはずである
このことを憶えておく必要はない 君はいつも見知らぬ世界に いつも見知らぬ旅人としてある
君達は常に今からまったく新しい旅へ出発する
最も学ぶべきことは それを君は最もうまく 生きたり教えたりできる
学習者として実行者として教育者として以外に救世主はあり得ない
君の行為や表現が 世に公表されたとしても 決して恥じてはならない 例え公表されたものが真実でないとしても決して恥じてはならない
世の人々が 君を自分勝手な奴だと非難したとしても 君が本当に好きなことをしたのであれば
本物の救世主である 君は自分に忠実に生きること以外に生きることはできない
束縛好きの生物たちは とかく本物の救世主を悪魔と思いたがる
責任を回避する一番の方法を教える「私はすでに責任を果たした」そう大声でいいたまえ
■
君の中は何種類もの生き物によって構成されている
君がある方向への一歩を踏み出すのは その中の 学習意欲旺盛な一匹によるものである
君が現実から顔をそむけなければ あらゆる現実が君の夢であることがわかる
君達にはいつでも選択が任されている 別の未来 別の現在 そして別の過去も
自分は救世主であると 信じていること それ以外に 救世主の あり方などというものはない
行って愛したまえ 君が愛するのに 地上の何ものにも頼る必要はないし
天国の何ものにも 頼る必要がないのは 言うまでもない
理由のある安心を持ってはならない 絶対の安心には どのような根拠もない 君の素直さが君を安心させる
救世主はいつも一番らくでいる ちょっとらくでいるのではなく 一番らくでいる
一番らくでいることが どれほど恐ろしいものであっても 君は恐れてはならない
君がこうだと断言すること それが 君という役者が演じているドラマであり
君はどのようなドラマを演じることもできるが ドラマのテーマがあるとしたら
それは愛というすべてしかない
いかなる種類や程度のものであっても 困難は君達に何かを与える
君達は言うなれば 困難さを捜しているのである
困難さが与えてくれるものには 価値があることを知っているからである
君が変化せずにあるのだと信じ込みたがること それが困難さの原因であり困難さから解放される原因でもある
■
家族の絆は血ではない 一個の家族が一つ屋根の下で成長し合うことは ほとんどない
君達は君達自身の家族と新しく出会う それは君達がたった一人で成長している時に
限界 常にそれが問題である 君達自身の限界に直面せよ そうすれば君達は限界そのものを手に入れることができる
それでも君が 死を恐れるなら 君は一度だけ死んでみたらいい
死のない所には どのようなドラマもないから 君はきっと 新しいドラマを創るために甦る
ありありと想像せよ 宇宙は美しく完璧であると 救世主は君達よりうまく それを想像するだけだ
それが何であろうと 君が心の底から願っているものは すでに君が持っている 君の眺めている
現実と言う催眠術にだまされる必要はない
ある願望が君の中に生まれる その時 君はそれを実現されるパワーが同時に在ることに 気付かねばならない
しかし そのパワーの芽は きっとまだ柔らかい
君の見ている 時間というトリックにも だまされる必要はない
いつも君は白い紙を持っている それはほとんどの場合 計算のための用紙として使用される
しかし もし君が望むのなら そこに現実を書き込むことが可能だ
意味のないこと 嘘 何でも書き込むことができる そしてもちろん 破り捨てるのも自由だ
雲は知ってはいない なぜこの方向に このスピードで動いていくのかを 知らない
しかし 空はすべての雲の秩序を把握している 君達にもそのことがわかるだろう
地平線の向こう側が見える程の 高みに立った時には
救世主は ただ一つの生き物しか救うことはできない その一つの生き物とは 君自身である
■
君は自分の中に 救世主が住んでいるのを知っている
救世主を閉じ込めてはいけない それは絶対に避けるべきである
友人は君について君の知人が千年かかって知るよりはるかに多くのことを出会いの一刹那で知るだろう
君が愛人と出会う時 そこにはどのような意味での必然も偶然もない
時を忘れた時の中で君は思い出すだろう 愛人との いくたびもの戯れのすべてを
物語の登場人物に なろうとしたことはなかっただろうか?
もしそういう経験があるならば 君達にもわかるかも知れない
時として 虚構の中の登場人物の方が 心臓の鼓動をもつ人間よりも 強く真実を語ることを
エゴのない救世主は 空中に描く花よりも 不確かな存在である
良心とは尺度である 君が自分のエゴに どれだけ忠実であるか それを決定する尺度に他ならない
君達すべての者に告げる 君達が遭遇する事件はすべて 君達自らが招き寄せたものである
その事件の発展の方向を決めるのは もちろん君たちであって 神ではない
君が 生きたり死んだりするのは 君が選んだ 無数の見方のうちの一つにすぎない
君がその見方を 気に入ってるのなら 生きたり死んだりすればいい 気に入らないのなら 捨てればいい
愛は姿のない君自身 そして 君の姿がどのようなものであろうと自由は君の姿である
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君達が自己に忠実に話す時 そこに過去や未来に関わりなく 真実が永久に光り輝く
自己に忠実に話す それのみが 真実の正当な在り様なのである
自由に生きるためには退屈と戦う必要がある
退屈を殺して灰にしてしまうか 退屈に殺されて家具になるか
激しく根気のいる戦いである
君が消えてしまったとしても 君は永遠に生き続けている 人々が死体と呼んでいる生きものの上に
太陽がある世界には太陽が輝き 海はいつまでも波打ち続ける
この世界に生きている人間は 一人の例外もなく いかさま師である
本当の自分ではないものになりすまして生きている もちろん 救世主も例外ではない
二つは比例する 君達の知性と 君達が悲劇の存在を認める度合い
毛虫が終末と思う その形態 救世主は蝶と名付けた
おめでとう 君は救世主でいる どのような救いの叫びにも どのようにも答えることができる
この本に書かれていることほど 無責任なことはない この本に書かれていることを 信じない方がいい
書かれていることはすべて 逆の意味かもしれないから
■
究極講座 ダンテス・ダイジ テープより。
なまじ、悟り、見性っていうのを幾度かやるとね、かえって普通の人よりもどうしようもなくなる。
「うんとね、瞑想寺院ってのはさ、避難所みたいに考えていいわけ?」
もちろん、どういう風に考えてもかまわない。
唯、基本的にはね、それは、あの、社交場でもあるが、ある時期まで社交場でもあり、
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。
だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。
みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、人間はどんな風に上手いことトリックを使って暑い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。
『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』
■
181 2009/07/04(土) 13:22:20 ID:TjIcn+FI
ダイジ・テープ抜粋
進化が神様といっていい。成長が。成熟が。
そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。
君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。
よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。
が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
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182 2009/07/04(土) 13:23:05 ID:TjIcn+FI
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。
じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。
宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。
悟りとか、なんとかってすべてが、いいという事。勘違いしないでほしい。
君の中にすべての宇宙がある。
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ダイジ 居酒屋
みんな一つの方向に流れている この店に来ている一人一人の人間達も
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネもこのテープレコーダーも
一つの方向に流れている 愛に流れているんだ 愛に向かって流れているんだ
それ以外に何も無い 付け足す必要も無い 愛に向かって進んでいる
もともと全てが愛から出て来たから そして俺がこうやって見ると
ほんとに完全なんだな 何もかもが ものすごく美しくて
それが ひとりひとり それから ひとつひとつのものが 限りない物語を持っていて
そして ものすごく 素敵なんだ 物語を持っていながら それは言いようの無い
愛そのものなんだ だけど愛って何てつまらない言葉だろう
これを表現する言葉が無いんだ だから俺は愛って言う みんな神なんだ
もし、死ぬのが怖かったりしたら 一度死んでみたらいい
もし、この世に生きていることが色々な悩みが一杯あることだと思うなら
一度この世を死んでみたらいい みんな死んでる みんな生きてる
死ぬ事を この世を捨てる事 それが体験だなんて思わないでくれ
そうじゃないんだ もうみんないるんだ 生きることも死ぬことも超えて
生きたり死んだりしている それは同時だ 同時に起こっている
愛してるよ 君、愛してる あなた、愛してる おまえ、愛してるよ
いまどこかで死刑囚が死刑になってるかもしれない
いまどこかの病院で重病の患者が死んだかもしれない
そして 今おれたちは 酒飲んでる
なあ、今を見てごらん。 今だ いま それは頭で見るんじゃなくて 今なんだ
そしたら どのような時間も どのような世界もないところで
俺たちは全てを経験している すべてと付き合っている さあ、よく見てみろよ
おれはあらゆる生命の目であらゆる生命の姿をみている
おれはあらゆる物質のすがたであらゆる物質の感触を味わっている
おれはこの宇宙や、この宇宙の外や、そのまた宇宙や、そのまた外の宇宙へすべてを経験するように今、いる
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185 2009/07/06(月) 09:51:00 ID:eD7gyjda
さあ 時にはこどものようになるんだ 時には子どものように他愛なく泣いたらいい
さあ 時にはおとならしくしよう 立派な大人なように毅然と振舞おう
そして 時には そう まるで聖者の様に不可思議な微笑を顔に浮かべて
すべての中に調和を味わおう
さあ 時には君はたたかう人だ 戦士だ 君の中から湧き上がるどのような薄汚い情熱も
怖れる必要はない!! ただ 素直に出すんだ
悟りとか解脱とか神秘体験とか恍惚境とか法悦とかそんな言葉に騙されちゃいけない
釈迦なんていうろくでもない奴が出たばかりに何か悟りがとても大切なように考え違い
しだした君たち 大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
でも こんなほのぼのとしたものだけじゃ無いんだぜ
そうじゃない まるでガンにかかった患者がたった一人きりでどこかで死ぬように
そういうのだって在るんだ でも 君たちは知るよ どのような触れ合いが無い所でも
愛 それ自体が満ちわたっている事を 全ての言葉ってのは繰り返しなんだ
もうあることをもう一度繰り返すだけなんだ でも 大切にしてほしい
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから それは精一杯生きなくちゃならない 精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
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186 2009/07/06(月) 17:24:28 ID:eD7gyjda
ダンテス・ダイジ 雨宮第慈 講和録4 素直になる SCL刊 抜粋
「ダイジ、最初の悟りを開いたのはいつ?」
『十七歳六月二十六日』
「最初の悟りを開いた後に、またどんどん広がってくるというか、深まってくるということがあるわけ?」
『うん、深まり方っていうのは全然別のところで起こるんだ』
「基本的にはそれで一応究極に行って・・・」
『うん。それは究極自体が俺を占領したんだ。それ以外の人生っていうのは全てさ、俺という一個の肉体を持った人間が味わう深さなんだ。その楽しみ方なんだ』
「例えば、釈迦の場合なんかね、最初悟りを開いて、それでもすぐ菩提樹の下から去らずにずっと瞑想してたというのは、あれはどういうこと?」
『そりゃあ味合ってたのさ。一つ一つを噛みしめてたのさ』
「ダイジの場合も?」
『うん。もちろん噛みしめてた。本当にその噛みしめ方っていうのが続いたのはね、やっぱりニ、三ヶ月続いた』
「はぁー」
『うん』
「何でももう、結局そのものになっちゃうとさ、後は一切の緊張とかさ、自制とか、そういうもの、全然必要なくてそれが逃げるということもないわけ?」
『うん。逃げるっていうことがないっていうよりも、逃げるっていう概念とか、緊張っていう概念とか、リラックスするっていう概念とか、
そういうもの自体っていうのが全然、もう意味をなさなくなる。 で、そこでものすごく難しいんだけど、人が何の基準もなしに、
突然何かの影響でもって悟りっていうものに近い、まぁ疑似悟りなんだけど、経験しちまうと、全く廃人同様になっちまう場合がある。
それはもう、完璧でもう何の問題もないからさ、何にもならないんだ。うん。それで飢えても何しても平気なんだ。そんなふうになっちまう。
ところが、そりゃあ本当の究極の悟りではない。何故なら、人間はこの世に生きてる限り、必ず実現したいと思う楽しみがあるんだ。
それが、よくほらヒマラヤなんかで、バグワンなんかがうんと否定してるとこだけど、
要するに悟りだけっていうふうにかぶれちゃうと・・・』
■
187 2009/07/06(月) 17:26:01 ID:eD7gyjda
「あ、(笑)」
『うん。ところが奴さん、本当は内面は実現しなくちゃあなんないもの、一杯抱えてるんだけど、まだ気付いちゃあいない。
じゃあなきゃあ生まれてくる必要ねえじゃないか。最初から。最初から悟りなんだろ。
なんで、何のためにこの世に出て来る』
「何のために出て来るんですか?」
『もちろん!楽しむためだ。心の底から苦しむためだ』
「心の底から苦しむことと、心の底から楽しむってことっていうのは?」
『うん。全く同じことだね。それが同じだって分かったら、もう少なくとも人生の側の悟りっていうのは完全に体得してると言える』
「人生の側の悟りって?」
『うん。つまり人生の中の様々な出来事を生きて、それを乗り越えて行くっていう人間の生きざまの。人間に属する悟りっていうのはそれでもうOK』
「それは死って呼ばれるもの?」
『うん?』
「死ぬっていうこと。やっぱり」
『うん、それは死に近いけど死んではいない』
■
188 2009/07/06(月) 17:35:34 ID:eD7gyjda
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
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189 2009/07/06(月) 17:36:15 ID:eD7gyjda
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
■
190 2009/07/06(月) 17:38:02 ID:eD7gyjda
「まあ、暇な時やるって感じだね。隙間を縫うって感じだよな。そう」
『うん、でもそれは、逆転を知ってるっていうことなのさ。
つまり瞑想が展開しているってことを知ってるっていうことなのさ。
そして瞑想が全てに展開しているっていうことを知ってる時、出来ることなのさ。
ただね、ひとつだけ言えることは、人は瞑想っていうのを人間である限りやめてはならない。
どんなに自分がハッピーだと感じていても。それは人間ていうのはそういう性質を持ってるからなんだ。
瞑想をやめるといつしか必ず何かが出て来る。とても忘れやすいし、とても頑固なんだ。
自分との闘い、自分との甘えとの闘い。
カスタネダが言う。カスタネダが言うようにね『ああー、どうやってさ、克服できるのよ』って。
『とてもそんなすぐには僕にはできそうにないよ』ってたら、
ドンファンが『馬鹿者。精神があるための道は一生の道なんだ』って。
一生かけてその内うまく行くかも知れん。行かないかも知れん。
でも、俺達はそれに向かって行くしかないんだ。もちろんいいよ。忘れてしまうのもまたいい。
そう、忘れてしまったんなら忘れてしまったんだ』
「やっぱり知的に考えるとさ、えらいきつそうに見えるんだよね。実際はきつくないんだけどさ。瞬間も逃さないっていうあれなのかなぁ」
『でも、瞬間を逃さないっていう形で追い詰めても意味はないよ。それよりは自分の死ぬことを考えた方がずっといいよ』
「自分の死ぬこと?」
『うん、結局は死ぬんだっていうこと。年老いて、あるいはいつ死ぬか分からないっていう』
「うん」
『そりゃあ、自分が本当に気に入ったっていう方向にどんどん進んで行けばさ、同じように瞑想に出会う。うん。必ず」
「それは形とか瞑想っていう言葉を超えた、いわゆる瞑想でしょ?」
『ううん。と、言うより瞑想っていうもの自体が本当は形を持ってない。だから座禅瞑想ってわざわざ、座禅瞑想ってつけたりさ』
「座禅瞑想って組んでる時以外の日常生活も、瞑想的な生活ってのはある?」
『て、言うよりも瞑想の生活になるっていう形以外にさ、人間の生活はあり得ない。いわゆる瞑想的生活って、
いろんな規律立てていろんなことをやるっていう意味ではないよ(笑)』
■
191 2009/07/06(月) 17:41:40 ID:eD7gyjda
『一番楽な方法とったらいい』
「楽な方法より楽しい方がいい」
『うん』
「バグワンじゃあないけど降参が楽だっていうかね、降参が素晴らしいっていうのが分かるね」
『ああ、ただし、降参するんだったら本当にどうにもならないものに降参して欲しいよ。
どうにかなるものに降参しても、意味ないからね。
あるって!必ずあるって。どんな問題が、ものすごい問題が起こったって、
必ずそれを超える道があるって。生きてる限り』
『絶体絶命の時はすぐに入れ替わってくれるから大丈夫だよ』
「何が入れ替わる?」
『うーん、超えた世界っていうものに入っていくんだ。そんなことは考える必要ない』
『瞑想って、そんなに自分をさ、狭めないでほしい。いい。本当に素直になった時、その人間とって浮かぶ想いでさ実現しないものは何一つない。
そういうふうに出来てるんだ。どうしてか説明出来ないけどね』
■
192 2009/07/06(月) 17:47:44 ID:eD7gyjda
「個性は変わらないもの?」
『もっとも深い個性は、変わらない。それはこの世を戯れるためのもの。
もし、本質的個性がなければ、この世はあり得ない』
「それは個人個人の中でそれぞれに一番深い個性があるっていう?」
『うん、みんな人それぞれかけがえのない個性を持ってる。セルフイデアだ』
「そこにはきつさっていうのは全然ない?」
『きつさがあろうとなかろうと、そんなことは知ったことではない。自分自身の道を歩くんだ』
「そのときのノリで、選び取ったものっていうのが個性でしょ?」
『ううん、選び取り、選び取り、それを繰り返していくうちに本当の個性に』
「出会って。うん」
『うん』
「常にチェック?」
『うん。ただし、やらなければ絶対に出会わない。その時、良しと思うものをやるんだ。それを繰り返していく内にわかってくる。
いいか!またとないんだよ。今ここに会ってることが。そう、たった一、二、三、四人だけだ。だけどこれが全てなんだよ。
これが!またとない。またとない。愛』
■
193 2009/07/06(月) 17:49:57 ID:eD7gyjda
『俺がいない時は何?』
「うん」
『Sがいない時はないよ』
「うん、そうなんだ。それに気付いた」
『いい?ここに集まってるだろ。これだけのために宇宙はあるんだ。
うん。全く常識的には馬鹿げたことかも知れない。でもたったここに四人いる。
ここに集まって、そしてここに座っている。それだけのために宇宙は出来た』
「宇宙にいるのはただ一人っていうこと?」
『うん』
「それをやっぱり自覚しなければいけない?」
『うん。そして、それは幾たびもなく幾たびもなく自覚するんだ。それにはきりがない』
「終りはないんだ」
『うん。終りはない』
「悟りに終りはない」
『うん、終りは』
「究極に終りはない」
『うん。だから究極。究極って(笑)』
「うん。やっぱりイメージがあるんだよね。一番最後にさ、死に出合ってさ、ぶち抜けたらさ、うん。それからもう」
『うん、確かにぶち抜けるっていうつまり、大悟っていうかな。大いなる悟り。
あるいは無想三昧の境地っていうものを完全に体得するっていうことは確かにある。
だけど、それはほんの始まりに過ぎない』
「また次に」
『それはこの世が生まれてきた理由だ。俺は君達がグル、いや神であることを知っている。
君達は神なんだよ。いつも何かに追われている君達っていうのは、本当にはありやしない。
君達は神なんだよ。一つ一つ神なんだ。一人一人神なんだ。そこにはどんな比較もない。
聖者が神である、神だっていうんじゃあないんだ。どんな人達も、どんなものも全く同じだけ神だ』
「どんな人達も何?」
『どんな人達も、全く同じだけ神なんだ。それは理屈ではない。そこにはどんな優劣もない。どんな比較もなく、競争はない』
■
194 2009/07/06(月) 19:16:01 ID:eD7gyjda
「でも、好き嫌いっていうのはある?」
『もちろん』
「憎悪は好悪は?」
『好き嫌いはあっても、憎悪はない』
「やっぱり自分の中にある高慢さを殺したいんだ」
『うん。それも一つの観念に過ぎない。いい?今君達はここにいる。
君達が果たすべき唯一絶対の事柄っていうのはね、もう、今果たしてるんだ!
ただ、観念(頭)だけが『そうじゃあない、そうじゃあない』って言ってる。
どうだい、見てみろ、ほら。風が入ってくる。電気がついてる。
そこに何が、どんな足りないものがあるっていうんだ?』
「居心地がいいか悪いかも関係ない?」
『それは(笑)、居心地がいい方がいいだろう(笑)さぁ、坐ろう』
『力むな』
『素直であれ』
『みな何かを分かったためしはない(笑)』
「わかろうとすることは?」
『わかろうとして生きるんだ』
「わかろうとして生きる?」
『うん。そして『分かったかなぁ』っていう感じのところへ、そのすぐ側に行き着くときがあるかも知れない。
でも、本当に分かるっていうことは、人間にとって絶対にあり得ない』
「結局反対の意味かも知れないっていうこと?」
『うん、そう。本当に分かってるものはね、人間ではなくてね、命だ。命だけは永遠に分かってる』
『どんな能力をつけてね、人を思い通りに操ろうと何しようとね、絶対本当の安らぎは来ないからだよ。
本当の安らぎっていうのはね、自分を超えた自分が、自分より遥かに超えた無限に向かって奉仕した時、
献身した時初めて来るんだ』
■
195 2009/07/06(月) 19:21:22 ID:eD7gyjda
『大切なことはね、君が人からどう見られるかじゃなくてね、君が人にどう対するかだ』
「まだまだ、人付き合いの部分が変わっていくはずですか?」
『うん。もちろん変わっていくよ』
「まだ迷いが、非常にありますか?」
『だって人間から迷いを取ったら何やるんだい。『やー、やれ惚れた』『やれ失恋した』とか『やれうまく行った』『やれ失敗した』
それは人間が生きてる限り、つまり君の肉体、その肉体がある限り続くことだ。
ただ、どこが違うかって言ったらね、それが物語として味合えるか、
それからそれしかないとして、ものすごくしんどい目に合うか、ただそれだけの違いだ』
「やや、味合える段階に入ったていう感じがする」
『うん、うん。だけど自分の心境とかね、自分の高まりとかをそんなに気にする必要はない。
うん。いつでも初めての日のようにね、自分らしく生きればいい』
『それからこれだけは忘れないで欲しい。どんなに不思議な経験をしようとね、
どんな意識のレベルに合おうと、どんな感情的な体験、あるいは感覚的な体験をしようとね、
もし、そこに爽やかさ、あるいは優しさ、本当に自分の心が晴れたものがなければ、
それは意味がないものだってことだ。
いい? どんな形からだって人は不思議な経験をすることがある。
でも一番大切なことは自分以上のものに自分を捧げること。それに溶け込むこと。
そして、忘れないで欲しい。常に、常に瞑想っていうのはね、とても大らかなものだ。
とても優しいもんだ。とても愛深きものだ。
どうするんだよ。『俺はスーパーマンだ』ってこんなして頑張ったって(笑)』
■
196 2009/07/06(月) 19:23:10 ID:eD7gyjda
『元々あるものになるってこと。自分が生かされるってこと。ものすごく古い言い方だけど。
そういうことが一番の中心だ。そしてね、自分が何かになろうとする生き方っていうのは、
相変わらず自分の支配欲っていうかな、にとらわれ続ける。だから魔術師になる道とか、
超能力者になる道とか、呪術師になる道っていうのがとても落とし穴の多いものだっていうことだ。
そうではなくて本当に自分の一番中心、無限なるものの一部であるってこと。いい?
海の中の、君はさ、魚なんだ。そういうこと。そういう安らぎを得るっていう方向へ進んでいかなきゃあ。
その人にそういう素質があったらひとりでに出て来る』
『一体、救世主っていうのは何だろうか。どうして何か、高尚な教えやいろんな教えを説いてくれる人が救世主だって考えるんだ。
俺達はさ、お腹空いたらきっとパン屋へ行ってパンを食べる。大衆食堂へ行って、何とか定食って。
あれをどうして救世主じゃあないなんてそんな固いこと言うんだよ(笑)。この世にある全てのものは互いに救われ合っているんだ。
何一つとして例外はない。みんなそれぞれお互いに高め合っているんだ。
それが愛する二人に言葉はいらない(笑)。ちょっと落ち込んだ(笑)?
触れ合うためにあるんだ。そして深く深く触れ合っている。ただ、余計な観念が邪魔するだけだ。
余計な観念さえなければ、それが本当にその通りであることがわかる。それが救世主さ。
救世主は人間のみと思うなかれ。酒好きのさ、男が飲む焼酎の一杯だってもちろん救世主だ。
ただ、それが救世主だとわかるためには、ものすごく水晶のように透明なクリアな素直な心でなくちゃあならない。
それは何でも救世主なんだ。猫も杓子も救世主。太郎も花子も救世主。本当だよ』
『(笑)ただ、それはものすごく恐ろしい教えだ。一見ものすごく軽く『ああ、そうか』なんて思いやすい。
だけどそれだけじゃあない。本当に自分がこの大自然と一つである流れに即したときに初めてわかる。
D・H・ロレンスなんていうのはそういう世界を憧れてたんだ。そして遂に到達することが出来た』
■
197 2009/07/06(月) 19:26:35 ID:eD7gyjda
一九七八年十月十七日 第慈宅
「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。
あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
■
198 2009/07/06(月) 19:28:08 ID:eD7gyjda
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・
ダンテス・ダイジ 雨宮第慈 講和録4 素直になる SCL刊 抜粋
>>160 he
■
199 2009/07/07(火) 00:24:21 ID:7JnwJbKb sage
>>198
zip期限切れてるよ
■
200 2009/07/07(火) 06:21:26 ID:9IM3fqPu
>>184
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネ
この「メガネ」って云う男知ってるよ、懐かしい名を聞きました。
井の頭にあったダンテスダイジの実家も懐かしい。
■
201 2009/07/07(火) 13:02:36 ID:uSjvJAXk
>>199
切れてないよ
>>200
どうもはじめまして。
ダイジさんはどんな瞑想を指導してたんですか?
■
202 2009/07/07(火) 13:07:21 ID:Py7Xd17h
スレタイってどういう意味?
ダンテズ・ピークならわかるんだが。(注:映画のタイトルです)
■
203 2009/07/07(火) 14:02:56 ID:9IM3fqPu
>>201
只管打坐
■
204 2009/07/07(火) 14:03:33 ID:nmY9GG+x sage
今未来への不安と現在の苦痛と過去の記憶からの苦しさで死んでしまいそうだ
助けてくれ
■
205 2009/07/07(火) 14:07:09 ID:nmY9GG+x sage
>>203
ダイジに指導を受けた方でしょうか?
すごいなあ。
ニルヴァーナのプロセスと~読むと、只管打坐は、なんの期待も持たずに、ひたすら背筋を伸ばして、全身全霊で坐るって書いてありますよね?
その時は、クンダリニでやるような「聞き守る」というか、「気づき」みたいな行為は行わないんでしょうか?
■
206 2009/07/07(火) 16:36:54 ID:9IM3fqPu
初期は只管打坐,ただひたすら只管打坐でした。
ところが世の中ではクンダリーニの目覚めた人が多くなり、
指導ををクンダリーニに変更したようです。
そういう時代背景になったとか聞いてます。
■
207 2009/07/07(火) 16:43:05 ID:9IM3fqPu
>>204
あと2年辛抱出来ない?
■
208 2009/07/07(火) 20:33:06 ID:4PS7qY2S sage
>>206
ありがとうございます。
ダイジは何度も何度も繰り返し座り続けろって書いてましたね。
ぜひダイジの話聞かせてください
>>207
うん辛抱してみるよ。ありがとう
■
209 2009/07/08(水) 07:46:47 ID:QLFB3Day
>>198さん
ポイントのついた数ある文章からの抜粋、大変ご苦労様です。
ダシジの印象に残る言葉
「偽物ほど心の表面で大きく、艶やかな声で誘いかける、
本物は心の奥で、しかも小さな声で囁いている」
■
210 2009/07/08(水) 13:20:36 ID://pBId9j
ダン『いや、恐怖っていうのは、完全に恐怖自体があるだけだ。
恐怖っていうのはね、自己があって恐怖がある時に恐怖であるに過ぎないんだよ。
いい?俺という自我が見るから恐怖なんだよ。うん。俺という自我がなくなっちまえば、もう恐怖でも何でもないんだよ。
不安もそう。虚無もそう。対立があるからそうなんだ。
だから二元性っていうの、ああ、こんなんだったら禅門で悟り開いたなんて、足が痛くて悟ったなんているじゃあない。
こう、座ってて座り慣れてないんだよ。その内、足がもう痛くて痺れてどうしようもないんだ。
で、無理して座るし、大体禅宗の座り方っていうのは非常に肉体的に負担が大きいから。
それをもう頑張ってやってると、もう痛さがもうどうしようもなくなってくるんだよな。
そう、それがもう、それを気にすまいすまいと思っても絶対的にその痛さがさ、自分に取り巻いてくるんだ。
そいでその内もう、ずーとそれを我慢して座り続けてたら、痛さそのものになっちまったんだ。
それで痛さそのものになっちまったらもう、痛さとかへったくれもないんだ。
その瞬間遠くかなんかでさ、何か知らんけど、小鳥か何か知らんけど、小鳥か何かの鳴き声聞いた瞬間、一気に悟った』
「ふーん。小鳥の鳴き声って、なんて言うのかな、きっかけになるのかな」
『どんなもんだってきっかけになるよ。うん。おならの音だって。なんていう老子だったかなぁ。
お婆さんがおしっこしてる姿を見て悟った人がいる。おしっこ』
■
211 2009/07/08(水) 13:22:45 ID://pBId9j
「へぇー」
「そうすると、どんな人でも死ぬとそれは確実に入れ替わる?」
『死ぬってどういうふうに?』
「死ぬ。肉体が滅びると必ず悟るんだ?」
『うん、じゃあなくて、肉体が滅びるっていうことではなくて、精神と肉体と宇宙との全てが死んだ時、入れ替わる。
つまり君が考えてる宇宙っていうのはね、君の観念の中にしかないんだ。だから君が死ぬってことはさ、宇宙が死ぬってことだ。
入れ替わるっていうより、だって元々それしかないんだ。これしかないんだ。
これしかないのに、これしかないっていうことがわからない。一生懸命自分勝手に頑張ってるんだ。
うん、それで瞑想やってて、自分の道見つけて瞑想なんか全然気にしなくなるなんていう人だっているし、それもまた結構なことだ。
ただ俺はどっちかっていうと、瞑想好きというか、悟り好きという厄介なさ、厄介な好みという趣味を持ってるからさ、ちょっとは悲しんでる。
やっぱり、心がいつでも開かれていてさ、流れるように生きてる人見るのが、俺は好きだ』
君達が死ぬって言うことはね。君たちの完璧さから来ているんだ。君達が勝手な想いで出てきたんじゃないってこと。
■
212 2009/07/08(水) 13:24:41 ID://pBId9j
『そのことについて考えよ、どこから来てどこへ行くのか、
最初の地で、君が自ら投じた混乱の渦がある。
その混乱を引き起こした理由が何であったか、忘れてはいけない』
ダン『そこで、一節切れるんだ。そのことについて考えよ。どこから来てどこへ行くのか。
このことがわかれば人間がどこへ行こうと決して離れないことがわかる。いつでも自由で。
そうすると、例えば心霊科学者等は言うわけよ。
そもそも何とか霊界から出て来てね、そして死んだ後には、またそこに戻るというようなことをね。
でも、それはね、本当の部分じゃないんだよ。人間の表面的な性格を形作っているある部分が、
霊界へ行ったり現象界へ来たりするだけなんだ。
いい?本当の俺達、ここにいる俺達っていうのは光なんだ。
だからどこから来てどこへ行くっていうことの答えは、光っていうことなんだ。
それは、来もしなければ、行くこともないんだ。いつでもいっぱなしなんだ。
いい?そしてそれはさ、光という言葉より、もっと明確な形で言えば、光っていうのはシンボリックな言い方だからね、
それは、そのものずばりで言えば 愛 なんだ。
人間は愛の中から来て、また愛の中へまた帰ってゆくんだ。
しかも、愛の中から出て来ながら、その、一緒に、愛といるんだ。愛が合いの中から出て来る。
いい?君という愛の中から愛という子供が生まれるんだ。その次』
■
213 2009/07/08(水) 13:35:01 ID://pBId9j
「この地に出て来たというのは、愛の中にいるのに退屈したからなのかな」
『うん、そうじゃなくて、愛というものを表現したかったの』
「そういう意志があったわけ」
『うん、意志があるよ。愛には、はっきりした意志が。
例えば一人の人が、どんなことをやったって自由だという悟りを得たとしたらさ、
本当にその悟りが真実のものだったらさ、きっとその人は自分にふさわしいことしかしないよ。
なぜならさ、人間はそんなふうにいろんなことができるようにはできてないからさ。
例えばさ、高い所に何かあったら、きっと一番身長の高い人に頼むでしょ。
この中で一番高いのはたぶん俺だからさ、俺が頼まれ役できっと取るよ。違う?
それで物語じゃない?背の低い人がいちいち取るとどうなの?人にはそれぞれ与えられた役割があるんだ。
その役割というのがさ、完全にぴったり一つになるわけ、愛の流れと。その時に人間は完璧に自由なんだ。
何やってもいいというのはそういうことなんだ。
だから何やってもいいというのは、ものすごく誤解されやすい言葉であってね。
何やってもいいというのは、自分にふさわしいことをおのずから、ひとりでにやってる状態のことを言うんだ。じゃあ次』
素直になる 十三番目の瞑想 より
絶対無なる愛の化身 クリシュナ・マイク・ダイジ・ダンは囁く
『月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している』
いつでも家の中にいるよ、今君たちは。
だから君たちが疲れたらいくらでも安らげる。
それからね、君たちが死ぬっていうことは君たちがパーフェクトな理由なの。
おかしな言い方かもしれない。
それはね、君たちの命が君たちの自分勝手な方向で出てきたんじゃないっていうこと。
既に君たちは、与えられて出てきてるんだってこと。
■
214 2009/07/09(木) 12:13:05 ID:hu/DP7Gh
ダンテス・ダイジ 推薦図書 追記
金剛般若経
■
222 2009/07/11(土) 09:43:36 ID:JR56RB+1
>>220
そのままでいい。
いいんだ!
そのままで。
今、満足すればいいんだ。
単純な事さ。
満足したら阿片だっていうのか?
そうじゃないさ。
阿片なんて感覚だろ。
宗教は阿片だ。
今、 満足する事。
本当に満足したら、 すべてが整う。
本当に
此の中に安らいでみたらいい。
の後です。
■
230 2009/07/13(月) 17:19:52 ID:Rq/caoGq sage
ダイジならなんと言うだろう
重いとか軽いとか、大事に共有とかプライバシーとか、そんなことまだ言ってるのかと言い
そうな気もするが
ばらまくのがいけない理由がわからない
釈迦の頃の仏教もプライバシーなどといってお経を伝えるのを制限したのだろうか
一体何を守ろうというのか、守らないといけない何かなんてあるのだろうか
どっちみちミクシイでバトンもらえば誰でも手に入れられるんだし
知らない人が手に取れる機会があるのはそれはそれでいい部分でもあるのではないか
自分はそう思うけど、でもまあばらまくのがいけないと思う人はそうするのがいいでしょう
人はみな自分で考えて好きにするのでしょう
それでいいでしょう
■
231 2009/07/13(月) 17:36:53 ID:9kEEzWZf sage
>>229
ありがとう。おつかれ。
ダイジは、みんなの話を、うん、うんと言いながら聞いてくれて、答えてるよね。
なんかとってもいいなあと思った。
■
332 2009/07/19(日) 18:02:33 ID:bsd4QmS8 sage
君の素直さが君を安心させる。
根拠のある安心を持ってはならない。
何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。
時間とは、君の見ている観念もしくはトリックである。
それ故、君は、正確に必要なだけの時間を、忍耐せねばならない。
君には、正確に必要な時間だけを知ることはできない。
真実の公案禅とは、只管打坐になる。
真実の公案とは、あなたという渇望自体から発した、解決不可能な唯一の問題である。
この全体性とは何か?これは何なのか?存在とは何か?
私とは何か?わたしの『わ』とは何か?
あらゆる神秘体験は、君の記憶を豊富にすることだろう。
そして、その記憶の豊富さは、君を束縛する。
神秘体験とは、それが体験である限り、高価な物質に他ならない。
人間の死ではなく、自分自身の死滅を本気で思いなさい。
そこに、禅定が生ずる可能性がある。
■
333 2009/07/19(日) 18:04:48 ID:bsd4QmS8 sage
自分自身のあらゆる側面を、完全に自覚することによっても、禅定は起こり得る。
禅定とは、完璧に透明な明晰性の中に、ただいるということか(有想定)
いるということもない一つの完全に透明な空白である(無想定)
その禅定の中に、全体性は目覚める。神は目覚める。
絶対愛が、ありとおしであったことに目覚める。 これが三昧である。
したがって、すべてのすべてが三昧である。
瞑想における禅定とは、君の身心の状態の深遠にすぎない。三昧とは、神のあたりまえな身心である。
それゆえに、瞑想が瞑想を瞑想している以外に、この世にもかの世にもどのような世にも、何一つとして例外的なありようはない。
永遠を通じて、ただ一度だけの全面的絶望は、
君が欲望以外の何ものでもないにもかかわらず、君自身が、神であるがゆえに起こる。
神にあって、いかに悪魔を戯れるか。これが君の、人間としての全使命である。
この世の出来事は、それが、どのように長い時間に思えても、一刹那にすぎない。あの世の出来事についても同じである。
正反対のものとの和合によって、個生命は成熟していく。成熟とは、器量と柔軟性との質的深まりことである。
ニルヴァーナ・神
あるいは全面的統合は、人格成熟の延長線上には決して現われない。
超越的覚醒と人格成熟とには、いかなる関係もない。
人格的成熟とは、永遠に相対的概念である。
大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ そう君のなかに流れているその愛だ
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから
それは精一杯生きなくちゃならない 精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
■
334 2009/07/19(日) 18:08:33 ID:bsd4QmS8 sage
君が、本物の悟りをかいま見る。それが、煉獄の出発点だ。
決して情熱をやめないこと
情熱なんぞどうでもいいなぞと
カタイことをいわないでくれたまえ
何ものかへの情熱こそ
世界を世界にしているのだから
君はあらゆるものとともに死ぬ
君も世界も
もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている
いうなれば君達は体験でない体験
それ自身を
再体験しようとしている
君にとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。
君という欲望は、結局一つのものしか求めてはいない。
それゆえ、君とは、苦そのものに他ならない。
■
335 2009/07/20(月) 21:32:36 ID:dxxcJn+Q sage
生命に生命の生命をあたえたまえ
■
336 2009/07/21(火) 13:37:40 ID:siG1rmH/ sage
私の歌をわかってくれた たった 一人のマーヤ
求めて尽きることのない尽きることのない情熱よ。
しなやかな美しさを秘めた情熱 おまえ―私自身よ。
私は神秘の恋の囚人だ。
牢獄は私自身。おおマーヤよ、マーヤよ。
帰しておくれ。おまえの何ものかのもとへ。
今や私の情熱は尽きんやもしれぬ!?
■
337 2009/07/21(火) 13:48:36 ID:siG1rmH/ sage
私は私に直面しよう、知性を英智に変容せしめる何ものかを。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。
なぜなら欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら
マーヤのゲームに果てはないだろうから
■
338 2009/07/21(火) 13:59:29 ID:siG1rmH/ sage
ウィリアム・ブレイク
そうなってゆく そのままでよいのだ。
人は喜び悲しむために産まれて来たのだ。
だが、この絶対者は違う。絶対者は喜怒哀楽から離れて、喜怒哀楽を戯れ
そしてまったく同時に喜怒哀楽を超越して絶対の流れを流れ続ける。
そして絶対者はすべてのすべてで久遠にいませり。
存在と非存在とに何のかかわることもなく。
私が絶対者なのだ。ほんの卵だけれどもね・・・
■
339 2009/07/21(火) 14:08:21 ID:siG1rmH/ sage
極楽さえチンケなほどの、悦楽を味わうのだ。
地獄がママゴトに見えるほどの、苦痛を味わうがいい!
そしたら私達は 二度と答えを求めはしなくなるだろう。
■
340 2009/07/21(火) 14:13:26 ID:siG1rmH/ sage
鳥は鳥に帰るのだ。魚は魚に帰るのだ。
限りなき高みを天にかける孤独の鳥は、その量り知れぬ意志ゆえに、
空の果てまでも見破って、永遠の神秘におののく。
この魚も海の底深く、深海魚よりも、さらに深く、
まっ暗闇の深海の地獄へ沈んでゆく。
鳥が太陽に向かって飛ぶように、魚は海に溶け込みたいのだ・・・
もし、太陽が鳥を愛し、海が一ぴきの魚を慈しむのなら、
かれらは 太陽となり海となるだろう。
そうして帰ってくるのだ。
鳥は一ぴきの愚かな鳥として、
魚は一ぴきの無知なる魚として、
帰るともなく帰ってくるに違いない。
すべてが、よかったのだ。
■
341 2009/07/21(火) 14:28:18 ID:siG1rmH/ sage
マーヤとは無常を内に秘めた 甘美なるものへのたんできだ
なにもかもがないと知ったら なにもかもが輝いている 底知れぬ闇さえも光り輝く
ああ生命力よ!情熱よ!あこがれよ!クンダリニーよ!
なにもかもいいんだよ・・・
■
342 2009/07/21(火) 14:32:35 ID:siG1rmH/ sage
なんと完全なんだろう!
身知らぬ未知に飛び込むのは 本当に恐ろしいことだ
そしてそれよりもっと恐ろしいことは 君が、すでに未知だということだ
私は何も知らないともいえない 何と完全なんだろう!
■
343 2009/07/21(火) 14:40:24 ID:siG1rmH/ sage
すべてがわかるっていいね
なにもかもゆるすというところにただようことになるさ・・・
天国は素敵だし 地獄は嫌だし 快楽はイイし 苦痛はいやだし
なにもかも よかったんだと 味わう時よ 時出ない時よ
すべてを ゆるす時よ 完全敗北の時よ
すべてがわかるっていいね
・・・それさえ忘れ果てて・・・
■
348 2009/07/28(火) 13:19:35 ID:8FC5SCY2 sage
なまじ、悟り、見性っていうのを幾度かやるとね、かえって普通の人よりもどうしようもなくなる。
「うんとね、瞑想寺院ってのはさ、避難所みたいに考えていいわけ?」
もちろん、どういう風に考えてもかまわない。
唯、基本的にはね、それは、あの、社交場でもあるが、ある時期まで社交場でもあり、
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。
だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。
みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、人間はどんな風に上手いことトリックを使って暑い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。
『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』
■
349 2009/07/28(火) 13:20:32 ID:8FC5SCY2 sage
進化が神様といっていい。成長が。成熟が。
そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。
君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。
■
350 2009/07/28(火) 13:21:17 ID:8FC5SCY2 sage
よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。
が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
■
351 2009/07/28(火) 13:23:49 ID:8FC5SCY2 sage
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。
じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。
宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。
悟りとか、なんとかってすべてが、いいという事。勘違いしないでほしい。
君の中にすべてのうちゅうがある。
■
352 2009/07/28(火) 13:31:40 ID:8FC5SCY2 sage
「あのー、『新・救世主入門』、『メシアンハンドブック』、それは何のために書かれたんですか」
『何のために?』
「はい」
『それは世界の遊戯に貢献するためだ』
「貢献するってどういうことですか」
『例えば、君は今何のために質問したかっていうことさ。その時君はさ、俺の言葉通りにさ、
世界の遊戯に貢献するためだって答えてもさ、俺は多分『ううん、それじゃあないんじゃない?』
っていうかもしれないよ。で、こういうふうに俺が今喋ってることがさ、世界への遊戯の貢献だ。
つまり、俺が世界への遊戯に貢献するって、喋った時にさ、俺にとってさ、神っていうものがさ、
ここにいるわけだよ。今。そして遊戯に貢献するっていう答えを、そう、かなり品よく答えてるわけだよ。
この答え方は。上品な答え方だ』
■
353 2009/07/28(火) 13:33:24 ID:8FC5SCY2 sage
『 救世主なぞいらない
救世主でないものなど
何一つありはしないのだから 』
■
354 2009/07/30(木) 11:39:12 ID:DQuhYhmI sage
あんたには、この数限りない神々が見えないのかね
バカモン!悟りも迷いもあったためしはない。
君は
思考を停止させて静寂を探したり
思念を集中して世界を光明化したり
思考を制御して内面を光明化したり
思念を統一して禅定と称する気分に入ったりして
根本無明のオモチャ・ゲームを
いつまで続けるつもりなのか
すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための瞑想修行という
果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ
I AM NOT POET
私は、詩人でもないのに詩人にされ
私は、著述家でもないのに著述家にされた
すべては詩でもあるかもしれない
ウグイスの鳴き声も、
海ヘビの泳ぎも、詩そのものかもしれない
すべては という一つのパラノイア
存在・神・全知全能への欲望
果てしなく続く欲念のリィンカネーション
そして
それとなった
時なき時
■
355 2009/07/30(木) 11:43:20 ID:DQuhYhmI sage
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
■
356 2009/07/30(木) 11:44:42 ID:DQuhYhmI sage
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
■
357 2009/07/30(木) 11:53:42 ID:DQuhYhmI sage
悟りには方法がない。悟りは悟りが開くしかない。
そこで、迷える君は、あらゆる方法を追い回し続ける。
快楽は苦痛であり、安心は不安であり、
満足は不満足であり、悟りは迷いである。
これでよいのだ。それでよいのだ。
ただし、君は決して、これもそれも信じてはならない。
個が、だんだんと全体に成っていくというのは妄想である。
全体しかなかったと目覚めるのが、悟りであり、
私は、だんだんと全体と一つであることを悟り始めたというのが、迷いである。
修行のプロセスが、どのように起伏にとみ長い苦闘の連続だとしても、
悟りを開く時は、一瞬の内にである。
修行とは、それが、どれほど完璧で徹底的なものであろうと迷いである。
修行とは、それが、どれほど純粋なものであろうと迷いである。
悟りしかない立場から見れば、一切万象は永遠に修行している。
迷いが悟りになることはない。
迷いの位相は、永遠のまよいであり、悟りの位相は、久遠に悟りである。
■
358 2009/07/30(木) 11:57:36 ID:DQuhYhmI sage
透明なる光の光源に向かって飛翔せよ!
今や、未知は、君自身の至上の故郷へと変容している。
神とは無限の彼方の光源自身だ。
目覚めよ!
ジャンプせよ!
君自身が遠い昔に出て来た発出現へ、今や帰る刹那が来ているのだ。
神とは絶対の未知自身だ
誰が、真実を体得できるものか。
イエスもゾロアスターもクリシュナも、
釈迦も老子も道元も空海も、太郎も花子も猫もタバコも、
みんなみんな消え果ててしまったんだぜ。
この世とあの世の喜びのすべては、絶対無から、
かぼそくチョロチョロ流れ出てくる、
小川のせせらぎにすぎない。
君は、心を捨て身を捨て魂を捨てて、
ただただ一つの真実を発見せねばならない。
なぜと問うなかれ。
君は、色即是空・空即是色で止まってはならない。
色是色・空是空こそ、あたりまえの君だからだ。
私とは誰か?すべてが私だ。すべてとは何か?
「何か?」とは何か?これ何者ぞ?
一つの時が満ちた時、なにもかもが、得体の知れぬものと化す。
それはもはや、恐怖でさえない。
■
359 2009/07/30(木) 12:12:33 ID:DQuhYhmI sage
人間は確固とした何者かであろうとする
人間とは欲望を自覚した分裂的個生命体の事だ
人間的な一体感は安心を仮作するが その安心感ゆえに不安であることになる
人間は確かなものを求めざるを得ない
確かなものが人間自体に無い事を知ってしまったからだ
人間的安定は、絶対者の戯れの正反対の立場にある
産みの苦しみは本当に産みの苦しみだ
人間性は完全な束縛を願い、そしてまたあらゆる束縛からの解放を願う
観念的であるということは 現実的であることだ 現実的行動派は実は余りに夢想的なのだ
確実なものが何一つないここでは あらゆる方向性が意味を持ち あらゆる価値付けが無意味だ
只管打坐の坐禅修行に励んでいるある婦人が、こう言った
「今日の坐禅中はひたすらタタミの目の数を数えていました」
コリャア一体何者ぞ?
全てが根本無明であり根本無明なんか無いってことがわかるよ。
■
360 2009/07/30(木) 12:26:43 ID:DQuhYhmI sage
欲望は欲望を滅尽させるために欲望としてある。
欲望は充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。
老子
老子について何も知らない
ただ気楽な人だったなあと、わたしは思う。
そうなってゆく、そのままの人。そうなってゆく石ころ。そうなっていく雨だれ。
ただ素直にやわらかく、豊だったなあと、私は思う。
イエスのうように純真だが、そのオトボケは、ソクラテスを楽々とノイローゼにさせるほどの俗物中の俗物。
もちろん老子とは個人の名前でもなく。老子という本の名前でもない。
宇宙の名前だといったらよいのか?無限の名前といったらいいのか?
否、否、三度否!
なにもかもないそれを、老子が老子と名付けたらしい。ありとあらゆるものそれ自身を。
誰かが仮に老子と名付けたらしい。
ありとあらゆるそれ自身を、誰かが仮りに、老子 と名付けたようだ。
それだからこそ老子はあたりまえな人間なのだ・・・
■
361 2009/07/30(木) 12:36:50 ID:DQuhYhmI sage
君達に命ずるこれからずっと幸福でいなさい。
決して情熱をやめないこと
情熱なんぞどうでもいいなぞと
カタイことをいわないでくれたまえ
何ものかへの情熱こそ
世界を世界にしているのだから
君はあらゆるものとともに死ぬ
君も世界も
もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている
いうなれば君達は体験でない体験
それ自身を
再体験しようとしている
どんな人でも 心の底では 自分も宇宙もどうなるものでもないことを 深く深く知っています
■
362 2009/07/30(木) 12:43:39 ID:DQuhYhmI
黒は白なのだ
黒を白と言いくるめる そうすると黒は間違いなく白だ
これが人間世界という狂気ありさまである
それは暗示とかイメージとかのことではない
潜在想念界のトリックのことでもない
ただ 黒と白が別れる以前からの 断言にすぎない
夢、気の持ちようだだとか 信念の力だなぞと考えるなかれ
夢でしかない世界は黒は白なのだ
されば、汝、人間よ、
進め、進め!
限りない黒と白と混沌の中を・・・
ところで・・・黒でも白でもいいじゃないか
■
363 2009/07/30(木) 12:48:28 ID:DQuhYhmI
瞑想が公案なのだ!?
公案が瞑想なのだ!?
瞑想が瞑想なのだ!!
そして
公案が公案なのだ??
戯れは果てしがない
■
364 2009/07/30(木) 17:19:44 ID:DQuhYhmI
パンドラの箱
パンドラの箱は開けないにこしたことはない
知恵の樹の実は食べないにこしたほうがいい
けれども どうゆうわけか 種子は花開き 果実になってゆく
そうなって行く そのままに まかす以外ないじゃないかい
なんと完全なんだろう!
見知らぬ未知に飛び込むのは 本当に恐ろしいことだ
そして
それよりもっと恐ろしいことは 君がすでに未知だということだ
私は、なにも知らないとも 言えない
なんと完全なんだろう!
いくたびもなく・・・
いくたびもなく・・・
ここに終わり
ここに始まる
今は死ぬに最高の時だ!
■
365 2009/07/30(木) 17:26:40 ID:DQuhYhmI
メシアン・ハンドブック
救世主は知っている いかなる人であっても
自分を神の子だと考えるのは もっともなことだと
立派な救世主は 自分に行きたい道を行く
できないことはできない
救世主でいるくらいなら 手品しか催眠術師のほうがましだ
君はつねに神でいることはできない だが、素直でいようとすることはできる
知るべし君は何もできなしない 春夏秋冬があるように
あたりまえでいる・・・ これが救世主の極意だ
よう君 いい役 演じてるじゃねえか!
■
366 2009/07/30(木) 17:28:41 ID:DQuhYhmI
みんな一つの方向に流れている この店に来ている一人一人の人間達も
目の前にあるビール瓶もコップも 隣にいるメガネもこのテープレコーダーも
一つの方向に流れている 愛に流れているんだ 愛に向かって流れているんだ
それ以外に何も無い 付け足す必要も無い 愛に向かって進んでいる
もともと全てが愛から出て来たから そして俺がこうやって見ると
ほんとに完全なんだな 何もかもが ものすごく美しくて
それが ひとりひとり それから ひとつひとつのものが 限りない物語を持っていて
そして ものすごく 素敵なんだ 物語を持っていながら それは言いようの無い
愛そのものなんだ だけど愛って何てつまらない言葉だろう
これを表現する言葉が無いんだ だから俺は愛って言う みんな神なんだ
もし、死ぬのが怖かったりしたら 一度死んでみたらいい
もし、この世に生きていることが色々な悩みが一杯あることだと思うなら
一度この世を死んでみたらいい みんな死んでる みんな生きてる
死ぬ事を この世を捨てる事 それが体験だなんて思わないでくれ
そうじゃないんだ もうみんないるんだ 生きることも死ぬことも超えて
生きたり死んだりしている それは同時だ 同時に起こっている
愛してるよ 君、愛してる あなた、愛してる おまえ、愛してるよ
いまどこかで死刑囚が死刑になってるかもしれない
いまどこかの病院で重病の患者が死んだかもしれない
そして 今おれたちは 酒飲んでる
なあ、今を見てごらん。 今だ いま それは頭で見るんじゃなくて 今なんだ
そしたら どのような時間も どのような世界もないところで
俺たちは全てを経験している すべてと付き合っている さあ、よく見てみろよ
おれはあらゆる生命の目であらゆる生命の姿をみている
おれはあらゆる物質のすがたであらゆる物質の感触を味わっている
おれはこの宇宙や、この宇宙の外や、そのまた宇宙や、そのまた外の宇宙へすべてを経験するように今、いる
■
367 2009/07/30(木) 17:29:32 ID:DQuhYhmI
さあ 時にはこどものようになるんだ 時には子どものように他愛なく泣いたらいい
さあ 時にはおとならしくしよう 立派な大人なように毅然と振舞おう
そして 時には そう まるで聖者の様に不可思議な微笑を顔に浮かべて
すべての中に調和を味わおう
さあ 時には君はたたかう人だ 戦士だ 君の中から湧き上がるどのような薄汚い情熱も
怖れる必要はない!! ただ 素直に出すんだ
悟りとか解脱とか神秘体験とか恍惚境とか法悦とかそんな言葉に騙されちゃいけない
釈迦なんていうろくでもない奴が出たばかりに何か悟りがとても大切なように考え違い
しだした君たち 大切なのは君だよ そう君のなかに流れているその愛だ
君の中に流れているその命だ いつでも流れている いつでもある
でも こんなほのぼのとしたものだけじゃ無いんだぜ
そうじゃない まるでガンにかかった患者がたった一人きりでどこかで死ぬように
そういうのだって在るんだ でも 君たちは知るよ どのような触れ合いが無い所でも
愛 それ自体が満ちわたっている事を 全ての言葉ってのは繰り返しなんだ
もうあることをもう一度繰り返すだけなんだ でも 大切にしてほしい
君たち 一人一人の命を きみたちにはきみたちにふさわしい生きる場所が与えられているから それは精一杯生きなくちゃならない 精一杯生きることを詰まらながるなよ
そのなかに どんなよろこびが響きわたっているか 君はしるんだから
精一杯っていうのは 素直なこと きみのいちばん深い思いに素直であること
■
368 2009/07/30(木) 17:35:27 ID:DQuhYhmI
そう まるで いま話していることは一つのたわむれだ
でも この世にはふたつしかない たわむれかたわむれを包んだぜったいか
そして君たちが生きているってこと 君たちの心臓が動くってこと
ひとつのグラスのなかにビールをつげるってこと それは かけがえなくきみたちが
戯れているってことだ それでこの戯れを恐ろしいっておれはいいたいよ
なぜなら ほんとうの戯れってのは おそろしさそのものとぶつかり合った時に
分かるものだから さあ ちっぽけな君から抜け出すんだ
君は何がそんなに怖いんだい? 君はまるでこの宇宙とひとつのように生きればいいんだ
君しかいないせかいに どうして何かが君に害をあたえるようなことがある
さあ、放して 何もかもはなして ときほどくんだ
そして 俺の中に帰っておいで それは 君の中に帰ることだ
それだけだ それ以外に何もいらない 生きていれば君にふさわしい技術が君に身につくよ
でも 技術だけだったら君はぜんぜん生きた感じがしない
ただ 愛だけが どんな流行歌だって歌っているじゃないか 愛については
愛だけがすべてだ きみは愛なしには一瞬間も生きることあたわずって
俺が天国から降りてくる時 天国にいる元締めの親父さんから言われたよ
おまえ 行って愛せって そして この世でも かの世でも
現われるどのようなものにもよることなく 汝 生きて 愛せ
地上のなにものにもとらわれる事無く
■
369 2009/07/30(木) 17:37:29 ID:DQuhYhmI
とらわれる必要はないんだ みんな一つながりなんだから
そしたら君はきっといい音楽をうたえる そしたら君はきっといい野菜をつくれる
そしたら君はきっといい自動車整備工になるよ
きみ達は物語を演じている その物語をどんな筋にしようと それは
君たちのもっとも深い思いも自由に委ねられているけど
もし この世という戯れのドラマにテーマがただ一つだけ テーマがあるとしたら
それは愛というテーマだ でも、この愛というテーマに目くじらたてて
そうしなくちゃならないなんて思う必要ないんだよ
愛のテーマっていうのは 既に生きている君のすがたなんだから
きみは生きている この絶対の愛のなかを愛にむかっていきてる
■
370 2009/07/30(木) 17:40:46 ID:DQuhYhmI
あなたは 満足を求めているのではない。
絶対の満足そのものの中に、 消え果たいのだ。
だが、 それは、あなたには断じてできないことになっている。
神にあって、いかに悪魔を戯れるか。 これが君の、人間としての全使命である。
生きている それで充分なのだ。
死んでいく それで充分なのだ。
なぜなら 太陽がどれほどの大きさだろうと
私という中心太陽から見れば爪のアカにも相当しない
まして本当の私が神に光あれと命じたのであれば
愛は、人間の中の一つの感情などではない。愛はこの宇宙そのものの 根源なのだ。
終わりの時節が来た。
終わりを精一杯、歓び楽しみなさい。この宇宙が歓びで破裂するほど・・・
終わりの時節が来た。
終わりを、精一杯嘆き悲しみなさい。
その叫びであらゆる宇宙が破裂するほど・・・
神の終わりの時が来た。愛が凍る時が来た。
終わりの時を感謝して歓びなさい。
神の死は、真の神の始まりだからです。愛の死は、真の愛の始まりだからです。
その道が、君自身の道であるかどうかは、その道の途上においても、
君が倒れても悔いがないこと、それが君の心ある道だ
■
371 2009/07/30(木) 18:01:10 ID:DQuhYhmI
大切なことは君がどうかいだよ。君がどうかい?いい?
君がどうなのかということさ。
そして、君が生き生きしているか、君がOKか。
君がOKならさ、君は今度は共通の約束事の中でさ、本当に役立つことができるよ。
■
372 2009/07/30(木) 18:05:27 ID:DQuhYhmI
奥深い心
すでに人間はいない あらゆるものを構え その中でとりとめもない
人間の喜びと悲しみとを持つ そのものはすでにいない
人間の喜びと悲しみとから生まれる あのしみじみとした心の果てには すでに人間はいない
人間にとってあるというすべてのものは ことごとく消え果て
ただその奥深い心だけが 何の束縛もなく 現前している
それは人間の心ではない 人間の喜びも悲しみも その心のどこにもないのだから
人の子の悲惨な死も 甘美な恋慕も その心には見えない
また その心には 石ころと人間とに区別がつかない めくらで不人情な心だ
だが その非人間的な心の絶対から 人間の喜びと悲しみとを
しみじみと眺めあたたかく包む
何ものかが
限りなくあふれ出す
■
373 2009/07/30(木) 18:06:53 ID:DQuhYhmI
愛は愛を楽しんで
私は愛したから この世に産まれてきた 愛がすべての形を創り
年老いた老人であろうと 失恋自殺の少女であろうと
帰減する直前の 一微塵の生命の中にも 一つの形があり その形には限りがない
愛がすべての多様世界を編み 諸行無常・諸法無我の説法も
決して真理などとなったためしはなく 釈迦の編み出した一つの世界にすぎず
この世を忘越した 胡蝶荘周も そのようなこの世への愛を生きた
生きているものには 生命のみが与えられ
死は生命のみが編み出すことのできる 一つのドラマ以外のものではない
あなたはあなたの生命をくまなく愛し切り
私は私の生命を すでに愛している以外にない
一切生類の宿業と無明とは 一切生類自身の愛に他ならず
不治の業病に苦しみ 自らの命を断った青年は
自己の生誕を呪ったヨブに等しく それぞれの愛を演じている
つきることなく 宇宙の終りにもつきることなく 愛は愛を楽しみ続け
愛によって仮現する一切万物の嘆きは しかし決して愛にとどくことはない
私は愛しているから 今生きている
私がどうなろうと あなたがどうなろうと
愛は愛を楽しんで つきることがないのだ
■
374 2009/07/30(木) 23:12:48 ID:dGl1R7Zk sage
DQuhYhmIさんありがとうございます。
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375 2009/07/31(金) 08:19:06 ID:g+Fg9Pyd
「キリスト教で言う内在のキリストと仏教で言う仏性というのは同じものなんですか」
『同じものです。ただし同じものだけど注意してほしいのは命そのものにおいては同じなんだけど、
個性においては違うということ。それは信仰にも関係するんだけど、本質的な個性ということと、
神でも絶対無でも実相でもいい、君は今、実相の本を読んでるからね、
その実相ということと個性というものは切り離すことができない形で存在するんだ。
例えばよく宗教というものをただ額面通りに読むと、個性というものを否定して完全に帳消しにしてゼロになって無我になってそこが悟りだ、
ということを言うんだけど、そうじゃない。実相というものが厳然として存在していて、
実相的個性というものがみんなに備わっているんだ』
「その個性というのは、いいも悪いもないんですか」
『ない。絶対的にいいことだ』
「別の言葉では魂と言ってもいいんですか」
『うん、いいよ。みんなどっちかを選ぶよ。タイプによるんだけど、厭世的というかこの世の全体を否定してしまうという
性分の人だといきなり実相そのものの中に飛び込もうという形で生きていくよ。
そうではなくまだこの世の中に魅力や心ひかれる部分をもっている人の場合だと、
自分自身の本当の個性に出会おうとして生きていくよ」
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376 2009/07/31(金) 10:21:46 ID:hbm17YjS sage
ダイジさんは、カルマについては何かおっしゃっていますか?
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377 2009/07/31(金) 10:41:47 ID:g+Fg9Pyd
「地獄へ落ちろ、クソ婆ばあ!」
釈迦は決して大ウソツキではない ウソツキであっただけだ
釈迦というウソツキ キリストというウソツキ クリシュナというウソツキ
花子というウソツキ 太郎というウソツキ 道元というウソツキ
どん百姓というウソツキ 総理大臣というウソツキ
ウソを知らないというウソツキ すべてを忘れたというウソツキ
すべてを知っているというウソツキ 何も知らないというウソツキ
子供達の遊び声というウソツキ すずめのさえずりというウソツキ
悟りや迷いというウソツキ 聖者やさぎ師というウソツキ
美しいというウソツキ 病気というウソツキ 死というウソツキ
愛と憎悪というウソツキ 私というウソツキ あなたというウソツキ
ふれ合いというウソツキ 人間というウソツキ 深い深いやすらぎというウソツキ
時間というウソツキ やさしさというウソツキ 薄情というウソツキ
人間関係がうまくいかないんだよというウソツキ 幸福や不幸というウソツキ
悟りを開いた解脱をした宇宙意識になったというウソツキ
便所の中で首吊り自殺した青年というウソツキ
暴力や非暴力というウソツキ 子供達と遊ぶ良寛というウソツキ 一休の助平というウソツキ
愛・平和・調和・知恵・安心・歓喜・自由というウソツキ ニヒリズムというウソツキ
癌で明日死ぬんだよというウソツキ 天使と犬と悪魔とタンポポというウソツキ
私は二度とウソにだまされないというウソツキ 私は見た私は直視したというウソツキ
ウソを見抜いた人の静寂というウソツキ ウソがこの世のゲームを戯れているんだというウソツキ
ウソ本来なしというウソツキ もういいじゃないかというウソツキ
おれはおれを生きるだけだというウソツキ
不立文字・教外別伝なぞチャンチャラおかしいというウソツキ
ウソツキというウソツキ ウソツキというウソツキだというウソツキ
老婆は聖者に 正真正銘の真剣さでたずねた
「どうしたらこの地獄から解放されましょうか?」
聖者は素直に答えた
「地獄へ落ちろ、クソ婆ばあ!」
そういうウソツキ
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378 2009/07/31(金) 10:43:17 ID:g+Fg9Pyd
ダイジ 「人は、そう、俺たちはどうして一人っきりになるのをそんなに怖がっているんだ。うん?」
「確かなものが、ないからです」
ダイジ 「うーん・・・一人っきりになると空虚であることがいよいよはっきりしてくる・・・
そして、それでいて今度は外に・・・・色々な人と付き合うとか・・・いろいろなことをやってみる。
ああそんときはいい。うまくいける。
・・・・だけど、だけど、、、今度は人さえ恐れる。
同じ原因だ。
だってきみたちは、とにかく、おれは空虚ではないってあくまでもがんばんなきゃいけないから。
ただ一つも例外はない。
ただ一つも例外はない!
この世に例外なんてただ一つもありはしない。
だからこそ愛があるんだ!
自分だけ違う
自分だけ力にみちてる
自分だけ完璧だ
そんなこはない・・・そんなバカなことはない
そして一生懸命ぬけがけすることを考える。
だからいよいよ人を怖がる。・・・・なにしろ、ぬけがけしたような様子を見せても、自分の内面じゃちっとも優越してないことを知ってるから」
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379 2009/07/31(金) 10:45:11 ID:g+Fg9Pyd
「私の知人に悟り薬を作ってる人がいた。
一粒飲めばたちどころに悟りを開くというわけだ。
ところでその完成した悟り薬を飲んだ連中の言うことには、三日間とても素敵なんだそうだ。
ところが三日過ぎれば元の木阿弥とあいなる次第。
知の宮のある科学者は宇宙意識と合一して超人化するための、最もイージーなテクニックを組織的に研究している。
全く人間という夢は、夢ゆえに何でも夢見るらしい。
私の超人仲間であるケイルーンのよく言う言葉を思い出す。
『君にとって簡単に見えるものが困難のはじまりである。君を死滅させるほどの難しさが、簡単のはじまりなのである』
確かに超人達はイージーそのものだ。
しかし、イージーそのものはあなたに属するものにはない。
安楽な戯れは、あなたが元々ありもしないここにある。
私が出版した『救世主入門』を読んで、『自分こそ三歩先を行く精神だ』などと妄想する人々が出だしたようだ。
このアトランティス文明も長くはない。
あなたの肉体も意識も、あなたの宇宙も宇宙意識も
あなたの記憶ビジョンも神秘知覚も、もういい。
あなたの何かなど、もうどうでもいいのだ。
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380 2009/07/31(金) 10:53:06 ID:g+Fg9Pyd
それより戯れよう。
三歩先を行く精神の中を、私であるあなたが、愛を戯れている。
三歩先を三歩先を行く精神もへったくれもありはしないのではないか。
言葉は、瞑想行法や、密教学や、精神変容剤や畑を耕すこと、パンを焼くことと同様に、
宇宙意識なる本来の自己を自覚するのに役立ちはしない。
だが、今更言葉の無効性をとやかく言うには及ばない。
人類の全てが求道者としてしかありえぬ時節にはいって久しい。
ここに言葉は、一輪の野の花や、最愛の者の死や極限の情況と同じだけ、宇宙意識を開示せしめる火花となる。
あなたはどうなのか?
言葉が夢の中での戯れであるのは当たり前のことだ。
それであなたはどうなのか?
夢といい、現実といい、全てはあなた自身にかかっている。
あなたがどのように生きるかによっては夢もまた現実以上の現実そのものともなりうる。
いつでもあなたはとぼけている。
やれ、幸福だ、不幸だ。
やれ、悟りだ、迷いだ。
やれ、生まれて働いて死んだ。
やれ、鳥が飛んでいる、石ころが笑っている。
やれ 人間だ。宇宙だ。瞑想だ。密教だ。神通力だ。平凡だ。
そんなふうにとぼけている。
では、あらゆるとぼけをやめたとしたら、そこに何がある?
この疑問もまたあなたのとぼけに違いはない。
それでも神はとぼけによって、愛という宇宙ゲームを戯れて尽きることがない。
悟りを開いたとか、神を見たとか、神を見たと頑張るとか、
死やこの世の果てに直面したとか、言いようもない素敵な体験を持ったとかしても、それらがあなたの・・・
ダンテス・ダイジ 雨宮第慈 講和録4 素直になる SCL刊 抜粋
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381 2009/07/31(金) 11:46:43 ID:g+Fg9Pyd
三神歌―――
われもなくうつし世もなくなにもかも
夢の中なる夢のたわむれ
われもなくうつし世もなくなにもかも
神の中なる神のあらわれ
われもなくうつし世もなくなにもかも
なにもかもなしなにもかもなし
ここに、グルにして戦士なるよき家庭教師クリシュナが王子アルジュナに語った言葉をバガヴァット・ギターから引用してみよう。
恐れるな、アルジュナよ
戦え、アルジュナよ
殺せ、アルジュナよ
人間の本性は
決して生まれも死にもしない
人々がいかなる方法で
私を求めようと
私はその願いに答える
人の旅するいかなる道も
すべて私の道だ
どこを歩いたとしても
すべては
私に帰ってくる
そのとおり。
トスといいダンティスといいクリシュナといいアルジュナというも、皆あなた自身のことなのである
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382 2009/07/31(金) 21:57:35 ID:g+Fg9Pyd
>>376
私が知っている範囲では第慈さんはカルマはただの癖だとか、
悟った人でも悪い因をすれば悪い結果が出ると言っていました。
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383 2009/08/01(土) 15:34:08 ID:E9Um7iVo
一般に臨済宗では、
身息心の調和を重視した坐禅を修行している。
そして、公案によって人為的に大疑団を起こそうとする。
しかし、大疑団は、いかなる人為によっても作り出すことはできない。
公案が疑団を作り出すことはあり得ない。
大疑団が、おのずから公案として結晶化するのだ。
人生と存在全体に対する内発的な根本的疑問―これが大疑団である。
人生と存在への根本疑問なしで、公案禅を修行するのは、
愚かさ以外の何ものでもない。
公案とは、あなたから自発的絶望として出てくるものであって、
いかなる覚者も、あなたに公案を作り出してあげることはできない。
本質的な問いには、解答というものはない。
にもかかわらず、あなたは、問うことをやめてはいけない。
少なくとも、問いも答えも、あなたも世界も、消え果てるまでは…
現在、臨済宗でおこなわれている、いわゆる公案禅とは、
単なる丹田呼吸法とどっこいの心身医学的なものにすぎない。
だからこそ公案体系などという役立たずの形式至上主義があるわけだ。
大疑団なしで公案禅をやるぐらいなら、健康法としての丹田禅の方が、はるかにまともだ。
丹田禅とは、仙道などの錬丹法や丹田呼吸法を、より強烈にしたものである。
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384 2009/08/01(土) 15:38:34 ID:E9Um7iVo
その道が、
君自身の道であるかどうかは、
その道の途上においても、
君が倒れても悔いがないこと、
それが君の心ある道だ。
正しい師とは、文句なく、その人物に全面信頼や愛情を持てるということであり、
したがって、このさい、その正しい師が、本当に悟りを開いているかいないかなぞ
二義的問題にすぎない。
正師の発見は、あなたの全身全霊的直観による。
その全身全霊的直観が、全面的信頼を自発自起せしめる。
あなたに、正師との出会いによっても、全面信頼が生起しないとしたら、
あなたは、あなたの人生というドロ沼を、もっと徹底的に真摯に生きてみねばならない。
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385 2009/08/01(土) 15:50:42 ID:E9Um7iVo
だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ
だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ
死んだら あたたかい夜のぬくもりの中で
君と僕は 君と僕のいのちを
あたためあう
夜闇のフクロウも 僕達の命だ
フクロウの鳴き声が 静かに僕達の瞳をしめらすことだろう
だいじょうぶだよ君は必ず死ぬ
死ぬべき君には もうどのような恐れも無用だ
そして僕達は 時間を忘れた夜明けの すがすがしい大気を吸い込む
まるで初めて 大気を吸いこんだように
僕達は 夜明けの息吹きを感じることだろう
だいじょうぶだよ やがて死ぬ時が来る
僕達の宇宙ゲームを終らせて 夢もない眠りに やすらかに帰る時がくる
初めがないここには生も死も 初めから夢にすぎなかった
だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬさあ今 君は君自身に帰る 帰っておいで
君自身である 僕自身の胸の中に
人々は どういうわけか 死をいみ嫌っていた
だが だいじょうぶだよ 君もやがては死ぬ
死が 君にすべての生命達との ふれ合いを教えてくれる
だいじょうぶだ 君は死なないのだから 生と死の中をつらぬき
やさしさがいつも響いていた虚しさを見切った人芸者であろうが売春婦だろうが
殺人狂だろうが聖者だろうが乞食だろうがサラリーマンであろうが
この人間世界のあるがままを見切った人達のその深く静かな眸が美しい
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386 2009/08/01(土) 15:53:00 ID:E9Um7iVo
釈迦の酒飲み修行は
人間と人間世界とを忘れ切ったところから始まり
誰を見ても神様に見えるほど
へべれけに酔いつぶれて終わったチーズ入りの味噌汁ヨガの行者であるインド人と
ヒッピー風の青年とが
瞑想について話しをしていた
・・・魂が肉体を離れてね
あっちをこっちをねえ・・・・
・・・それよりももっと深まると
三昧という経験があって・・・
不思議な憧れが
ヒッピー風の青年を
いよいよ話しに熱中させる
私は二人の熱心な話し合いを
そばで聞いていておかしくなった
青年が作ってくれた
チーズ入りの味噌汁は
変わった味がした
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387 2009/08/01(土) 15:58:17 ID:E9Um7iVo
人間になれなかった道元
かわいそうな道元よ
あなたは その全生涯を 奥深き冷厳な山林にありて
人間になろうと全身全霊で 努め励んだ
今・吾・ここにて
道元老古仏に深く深く深く
帰依したてまつります
あなたは 人間になろうとして只管打座の日々を送り「正法眼蔵」を著述した
あなたの言う正法眼蔵が人間そのものに他ならぬことを私は知っている
しかもあなたは決して人間になれなかった
道元よあなたはあまりにも弱すぎて
人間ドラマを愛することはできても人間ドラマを演ずることはできなかった
そして肺結核で若死してその人間への仏道修行を閉じた
あなたは煩悩を生きるには余りにも弱すぎたのだ
今・吾・ここにて道元老古仏に深く深く深く帰依したてまつします
あなたは人間の限りない喜びと悲しみそして虚無とそれら一切を現成せしめる山河大地とを果てしなく見切った
だがあなたは「修証一如」という悪知恵によって煩悩の汚濁を見渡したがついに煩悩そのものへは帰れなかった
太郎や花子は煩悩そのものを生きている煩悩そのものの人間ドラマには煩悩も悟りもない
かわいそうな道元よあなたは すべてを知りすぎた
今・吾・ここにて道元老古仏に深く深く深く帰依したてまつります
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388 2009/08/01(土) 15:59:38 ID:E9Um7iVo
あなたは貧しい仏道者だ余りにも心の貧しい仏道者だ
あなたは終生心貧しき仏道者として生き切り
ついに豊かな人間達にはなれなかった
二十世紀末の今日
フーテン娘は赤ん坊をコインロッカーの中に捨てる
デリケートな現代人達は山林の自然を恐れて都会のネオンサインの中へ逃げる
平凡なサラリーマンの一家団らんの中には肥大した自意識同士の言葉にならない戦いがあり
工場労働を本当に楽しんでいる工員は一人としていない
悟りという愛情ならぬ愛情を求める気力のない哲学青年は
流行歌手の歌声と睡眠薬とガス管の中に自殺する
そして私は
これら本当に豊かな人間の苦悩という営みが二十世紀末の今日だけのものでないことを知っている
そして道元よ
あなたはこれらあらゆる人間達の豊かな営みそのものになろうとしてついになりえなかった
今・吾・ここにて道元老古仏に深く深く深く帰依したてまつります
今・私は説法しようあなたの古仏としての営みは山河大地のみではなく
あらゆる人間達の営みそのものであったことを森羅万象や無数の生命達の営みなどどうでもよい
あなたの只管打座は人間の限りなく豊かな営みそのものであった
万里一条鉄の大生命などどうでもいい
私は 今・ここで
あなたとともに叫ぶ
私は人間だ果てしない喜びと悲しみとを持ったたった一人のかけがえなく豊かな人間そのものだ
今・吾・ここにて
人間道元に深く深く深く
帰依したてまつります
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389 2009/08/02(日) 14:36:23 ID:wJTr6VSn
おれ達はいつもトボケてる
おれ達はいつもトボケてる
やれ天国だ地獄だ やれ虚無だ充実だ
やれ生き生きしている やれ病気だ神経衰弱だ老醜だ死だ
やれ産まれたセックスした やれ大金持ちやれ赤貧洗うがごとし
やれ悟りだ解脱だ解放だ やれ愛しているんだもん
やれ憎悪だ嫉妬だシラケただ やれ救世主やれ仏陀
やれ人間だすずめだなめくじだヘビだ やれ帝王だ大金持ちだ乞食だ奴隷だ
やれウジ虫だ石ころだドブだ龍だライオンだスーパーマンだ
やれ晩のオカズは何にしよう やれ男が欲しい やれ百三十円たりない
やれこのラーメンまずい やれきりがないだ永続だ やれ生まれ変わりだ霊能力だ奇蹟だ
やれおれ達はいつもトボケてるだ そんなふうに おれ達はいつもトボケてる
今、おれの眼には映っている
考えられないくらい素敵な奴らが 考えられないくらい素敵なトボケを 戯れているじゃないか
この世の何もかも 宇宙から素粒子から霊界から 君の眼の前のホコリまで
考えられないくらい素敵にトボケてる
ほんとにすべては パーフェクトな役者達だ
君の演戯は無限を舞台に如意自在だよ
トボケがきついよ・・・
それじゃあ あらゆるトボケが なくなっちまったら
そこに何がある? 何がある? 何がある! これがおれのトボケだ
何しろおれは すべてがなくなっちまった 愛そのもの・・・
さあ 帰っておいで 君はおれなんだから
さあ 帰っておいで 君はトボケを見ている絶対者なんだから
おかえりなさい そしてまたおれ達は おれ達のトボケを戯れよう
死よりも恐ろしい まごころをこめて おれ達はいつもトボケている
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390 2009/08/02(日) 14:45:28 ID:wJTr6VSn
愛について
愛のないところはどこでも 見知らぬ世界だ
見知らぬ世界という不安を 私は歩いていた
宇宙も私自身も愛さえも ぜんぜん知らないという私自身だ
本当に見知らぬ私自身は 私のいかなる不安な感情とも無縁だ
神秘が今ここに歩いている 神秘が今ここに座っている
こちらの病室ではあと一週間の命である病人が不安から逃れようと
一しょうけんめいに般若心経を上げている
となりの病室ではあと一年の命である病人が果物ナイフで自殺を図った
そのとなりの病室では死を明日にひかえた病人が禁じられたタバコをふかして夜空に輝く月と星々とを眺めている
長年の血のにじむような坐禅の修練によってその僧侶は無想定を習得したと思っていた
やがて僧侶は年老いて死が目前に迫った時坐禅を組んで無想定に入ろうと思ったが入ることはできなかった
死の恐怖は余りに激しく死の恐怖におののきながらその僧侶は死んだ
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391 2009/08/02(日) 14:46:50 ID:wJTr6VSn
挫折を信じた大学生が自分のウジ虫のような人生を嘆いていた
海中のヘドロの中の細菌達はウジ虫のような生活に憧れた
ウジ虫は何とも思わずにウジ虫の生命を生きている
いつもキリストの姿に憧れているひとりの牧師がいた
彼は一度でよいから霊なるキリストをじかに見たいと
いつも憧れていたある晩 その牧師が寝ているかたわらへキリストは降臨した
しかし牧師はそれを知らなかった彼は熟睡していたのだ
天地の始まる以前に愛がある 愛は愛である自分自身以外を決して見ることがなかったので
天地も人間達のあらゆる営みも 知ることがなかった
ある一組の老夫婦がいた 彼らは何十年かの生涯を仲良く暮らし 若き日の夜ごとの甘美な一時と
何十年かの仲良く暮らした生涯を愛であると感じていた
その老夫婦が住んでいる小さな家のすぐそばのアパートの一室でトルコ風呂の女が睡眠薬を多量に飲んで自殺した
その女のアパートの窓際にはサボテンの鉢植えが一つ置かれていた
彼女がどんな花よりもサボテンが好きであったことを永遠に誰も知ることがない
彼女は花の咲いていないサボテンを愛していた
彼女が自殺した次の日そのサボテンに小さな花が開いた
サボテンは そのトゲの部分よりも自分の中から出た小さな花をより深く愛していた
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392 2009/08/02(日) 14:54:20 ID:wJTr6VSn
今でない今、ここでないここで
一刹那の生涯でもよい クリシュナとして生き クリシュナとして死にたい
あらゆる演戯を越えた一つの戯れ
根本無明の演戯がなければ 神は神自身を観照することができぬ
根本無明のこの移し世が 神自身の唯一の演戯道場
神は人間の作り出した どんな思想の中にも 宗教の中にもいない
人間自体の死の虚無性が 人間からすべてを奪い 人間をも奪う
無限の中には 時間も空間も因果律さえも存在していない
無限の中に 宇宙の果ては 私の小指の長さにあり
千億光年の天体生命の光芒が 私の肉体の心臓の一鼓動とともに 生まれ来たり滅び去る
熟したリンゴの樹の果実が 地面から枝へと昇る
神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙
夢の宇宙はこのように戯れ 夢の宇宙はあのようにも戯れる
ソロモン王の英知が ソロモンの栄華と幸福を実現し
そして又 ソロモンの英知が その英知ゆえに 愚迷のうちに滅亡したように死のないどのような生もあり得ない
愚かさを持たぬどのような智恵もなく 安心のある所に不安があり
愛のある所に憎悪が 勇気のある所に恐怖が
幸福のある所に不幸があり 快楽は苦痛の種となる
老衰と病のない どのような健康もあり得ぬように
善は悪とともにいつもあり 宿善の功徳は 天人の天国を実現するが
その天人にも 五つの衰亡を避ける手だてはない
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393 2009/08/02(日) 14:55:47 ID:wJTr6VSn
一刹那の生涯でよい 神の御意のままに生き 神の御意のままに死にたい
一刹那の神の御意は すべての生命達の生涯とすべての生命達のそれぞれの宇宙であった
神のみが絶対無の中に久遠の安住を続け あくびひとつも神には無縁だ
私は私という心身の 異郷の客であり
何一つとして私のかつて見知った事柄はない
この悲しみが 人間に理解できるだろうか
私達はこの世では孤独であり続ける
私達の眼は私達の故郷を見知らぬものとして眺め 私達の家族を初めて見る
これは私達の眼がかすんだゆえではない 私達の眼がより透明になったせいだ
何もかもが常に未知なものとしてあり 何もかもが常に新しい 何もかもが未知な新しさであれば
私達の脳髄は 尽虚空中に粉砕する
死はなんと私達の身近にあったことだろう 最も身近な死だけが
人類の唯一最大の教師だ手足を放ち去ろう未知の虚空にもともとありもしない手と足を
精神の広大さも物質宇宙の戯曲も 私には何のかかわりもない
私は私の瞑想の旅を続ける旅は方向をもって続けられるが
その旅は私に理由のない確信を与えても 決してどこかに行き着くことはない
私は私自身の中を旅し続けている
私は一瞬間を聖クリシュナとして生き 一瞬間を梅毒病みの娼婦として生きた
梅毒の苦痛が陣痛と出産の苦痛であり 性愛の享楽が聖者の清らかな解脱である
そしてすべては去ることもなく去り また来ることもなく 新しい生涯が来る
止まることのない生々流転よ
私は生々流転のあったためしのないここでゴーヴィンダ・クリシュナの美しい横笛の音を奏でる
今でない今、ここでないここで
私はクリシュナとして生きクリシュナとして死んだ
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394 2009/08/02(日) 15:05:13 ID:wJTr6VSn
クリシュナの微笑み
「もし あなたが存在の罠から解放されたいのなら・・・」
クリシュナの微笑はささやき続ける
「もし あなたが存在の罠から解放されたいのなら・・・心の底から本当に解放を願うのなら・・・」
絶対無の愛の化身 なるクリシュナはささやき続ける
私はこの世ばかりでなく かの世の存在すべてに 別れを告げねばならない
かつて牛飼いであった頃のクリシュナが ブリンダーヴァンの森の中で横笛を吹きつつ
この宇宙のすべての存在に 別れを告げたように
この世とかの世との無数のあたたかく 血のかよった出来事
私は私の最愛の者との出会いを 全心身の感動の中に味わわなかっただろうか
時のたつのを忘れた抱擁の その流れる汗と涙とに 甘美な陶酔を味わったのではなかったか
輝く陽光に海と白い砂浜とは 私を魅了しなかっただろうか
秋の静かな雨が 私の魂にやすらかな音楽を奏でなかったか
友人達とのソーマの酒宴は どんなにか私を高揚させ 忘我の踊りに私自身をまかせ果てたことか
わがいとし子との何気ない散歩が どんなに私に平和を与えてくれたことか
思い出の中の わが父母との一家団らんの日々のほのぼのとしたのどかさ
さらにはインド寺院での果てしなきシンバルの響の恍惚
旅から旅への解放された冒険の日々 そしてわが家に帰った時の明るい夕辺
「もしあなたが存在という罠から解放されたいのなら・・・心の底から本当に解放を願うのなら・・・」
今 あらゆる存在の彼方からクリシュナの微笑はささやく
私はこの世とかの世のすべてに別れを告げねばならない
この世とかの世がどのように豊かに美しく見えてもクリシュナの微笑は言語を絶した恐怖と歓喜で私にささやく
あらゆるものに執着しだからこそあらゆるものを嫌悪する わがままは消滅する以外にない
肉体維持という人間最後の努力をクリシュナの微笑はあえなく奪う
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395 2009/08/02(日) 15:06:43 ID:wJTr6VSn
愛なく安心なく信頼なき私は私という子供じみた甘えを捨てさせられる
絶対を求める子供じみた情熱は狂気にとって最高の獲物だ
結局発狂したその狂気が悪魔の妄想であろうと神の聖なる啓示であろうと
クリシュナである私にはもうどうでもいいことだ
私は生きるつもりなく生きている無限定な情熱をそそいで私は生きるつもりなく生きている
ユダの呪いは すべてを呪う
それは偏執狂の叫びかそれとも生きとし生けるものの 必然な叫びか
そのユダの叫びの中に仏陀の一切皆苦の教説が溶け入りクリシュナの神秘な微笑が戯れる
では私はすべてに別れを告げよう明日処刑される死刑囚よりも癌で明日死ぬ病人よりも
もっともっと高らかにすべてのものに別れを告げよう
あらゆる過去と未来が幻影であるように現在も又捉えるすべのない幻影
だから私はいきるつもりなく生きている無限定な情熱が私となって生きている
だから最悪の罪人が聖なる光となり憎悪に満ちた愛の盲人が聖なる絶対無的愛の最高の器となる
だから別れを告げ消滅した世界は新しい祈りとなって戻って来る
クリシュナの微笑をたたえた瞳に新しい祈りが戯れる
彼に彼の生命を与えたまえ 彼女に彼女の生命を与えたまえ
子供に子供の生命を与えたまえ 老人に老人の生命を与えたまえ
生者に生者の生命を与えたまえ 死者に死者の生命を与えたまえ
蟻に蟻の生命を与えたまえ 蝶に蝶の生命を与えたまえ
殺人強盗犯に殺人強盗犯の生命を与えたまえ
仏陀に仏陀の生命を与えたまえ キリストにキリストの生命を与えたまえ
犬猫に犬猫の生命を与えたまえ ウジ虫にウジ虫の生命を与えたまえ
この文字にこの文字の生命を与えたまえ クリシュナにクリシュナの生命を与えたまえ
雑貨屋のおばさんに雑貨屋のおばさんの生命を与えたまえ クリシュナの微笑にクリシュナの微笑の生命を与えたまえ
私に私の生命を与えたまえ 宇宙に宇宙の生命を与えたまえ
生命に生命の生命を与えたまえ
■
396 2009/08/04(火) 14:28:41 ID:2MNb7SCA
プロセスもテクニックなぞもないことを体現しているあらゆるあなた達に捧げる
――恐らくは現代最高最大の救世主であるJ・クリシュナムルティーの教えが、
正しく聞き入れられるならば、この書を世に出す必要はないであろうに・・・・・・・・・
そこに問題があるならばどうして問題そのものを見極めようとしないのか。
――不安、不満、虚しさ、恐怖、憎悪、嫉妬などを、完全に見守ることが、
「ニルヴァーナ」すなわち
「絶対幸福」の出発点なのである。
■
397 2009/08/09(日) 15:23:31 ID:R/gVmFKa
「この地に出て来たというのは、愛の中にいるのに退屈したからなのかな」
『うん、そうじゃなくて、愛というものを表現したかったの』
「そういう意志があったわけ」
『うん、意志があるよ。愛には、はっきりした意志が。
例えば一人の人が、どんなことをやったって自由だという悟りを得たとしたらさ、
本当にその悟りが真実のものだったらさ、きっとその人は自分にふさわしいことしかしないよ。
なぜならさ、人間はそんなふうにいろんなことができるようにはできてないからさ。
例えばさ、高い所に何かあったら、きっと一番身長の高い人に頼むでしょ。
この中で一番高いのはたぶん俺だからさ、俺が頼まれ役できっと取るよ。違う?
それで物語じゃない?背の低い人がいちいち取るとどうなの?人にはそれぞれ与えられた役割があるんだ。
その役割というのがさ、完全にぴったり一つになるわけ、愛の流れと。その時に人間は完璧に自由なんだ。
何やってもいいというのはそういうことなんだ。
だから何やってもいいというのは、ものすごく誤解されやすい言葉であってね。
何やってもいいというのは、自分にふさわしいことをおのずから、ひとりでにやってる状態のことを言うんだ。じゃあ次』
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398 2009/08/13(木) 10:17:16 ID:rn6oImLq
冥想それ自体というのは、完全にその人をその人自身に自覚させているということを確認しているものだ。
であって、それは全くカラーがない。どういう風に生きなくてはいけないということを全然与えてくれない。
それは宗教でさえないから。もし宗教なら、宗教的人生を生きたいとか生きなければならんとなるかもしれない。
そうすれば、いろんなそれらしい姿というのを選んでいかなくちゃあならない。だけど冥想そのものはそうじゃないんだ。
だから冥想から宗教家になる人もいる。冥想から詩人になる人もいる。冥想から遊び人になる人もいる。冥想から武人になる人もいる。
冥想から政治家になるやつもいれば、冥想からパン屋になるやつもいる。冥想から乞食になる人だっている。
ただ冥想というのは、完全にその人間というのが絶対そのものである、絶対というのも愚かなぐらい絶対そのものであるということを確認させるもの、そしてそこから自然に流れ出して彼自身の人生を歩ましめるもの。
ただその限りにあるだけなんだ。あとどのような生き方をしようともう全然関係ない。
それはその人自身が持って生まれた本性。冥想を冥想自体の中で戯れる人というのは主に、禅で言えば魔境、意識のレベルの中でいろんな世界があるわけ。
霊の世界と言っていい。その中だけで充分もう楽しめるというのかな。
早い話が誰にも会わないでさ、こもって、今日は仏界の方に旅したとかさ、今日は、金星の方に幽体でもって行って来たとかさ、それだけでもう充実しちゃっているというの。
そういうのは、冥想の冥想者にあたるわけだ。幻想家と言ってもいい。神秘家と言ってもいい。だから冥想の何々、という風になるわけ。冥想のパン屋さん。冥想のおまわりさんとか。
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399 2009/08/13(木) 10:18:15 ID:rn6oImLq
覚者というイタヅラ者が、世に出てきては、世の人々を惑わするかな。
惑わされなかったら、惑いつづけるばかりだ。
神も消え果てた。もう誰一人、神を知らない。神が神をしている時には・・・
二万五千年サイクルにわたる、アメンティー・タントリズムの全使命も、
今、ここに、完結する。
三神歌---
われもなくうつし世もなくなにもかも 夢のなかなる夢のたわむれ
われもなくうつし世もなくなにもかも 神の中なる神のあらわれ
われもなくうつし世もなくなにもかも なにもかもなしなにもかもなし
君が今、どのような状態でいようと、この今を愛は、考えられないくらい愛している。
もし、あなたが、どんなものにも納得を見出せないということが確実になったならば、
私のもとに本当に素直に帰ってきてください。
あなたに真実の出会いが
起こりますように
おかえり
神とは絶対の未知自身だ。神・すべてのすべて。
そういうわけで、神などと言っているうちは、ぜんぜん楽しくないのである。
いずれにせよ、この書は、プロローグである。
あなたが、神に目覚めるための、ほんのちっぽけな道標である。
この文明らしきものの週末後、神に目覚めた、水晶の魂を持ってあなたは、
まったく新しい文明を産み出し得るだろうか?