ダンテス・ダイジ より
そしてもう一つ言えることは、ただし、瞑想というのは、一つの座ったりというような形だけではないということ。
ある人間が、本当に素直な生き方を通している時に、ぶつかった壁というのを、心をかたくなにしないで、素直にぶつかった時、
自分が本当に解放されるといったこと、それはもちろん瞑想だ。
例えば、俺の最初の恩師である、老子の生まれ変わりの人はさ、女房とのけんかがもとなんだ。
あの人はそれまで瞑想という一つの決められた行というものを全く信じない人だった。
奥さんというのがものすごく勝気な人で、インテリで、二人していつもけんかばかりしていたんだ。
毎日考えるわけ。女房も悪いところがある。俺も、悪いところがある。何としてもこういう生活を改めなくちゃならない。
そして、それを毎日のように考えて、またけんかをするんだ。そして女房も悪い。
しかし、自分の中にも悪いところがあるとまた考えるわけなんだ。ところが、ある日ふと思ったんだ。
女房の悪いところを指摘したって、それは自分の都合だし、
自分の悪いところを指摘したってそれに対して知的理解を得るだけで何も起こりはしない。その時思う。
ああ、こういうことをやってるよりは、今一番自分が素直にやりたいことをやろう。
そして机に向かってさ、原稿を書き出したの。それがなすべきことだったから。心ある道だったから。その人にとって。
そして、その瞬間、それまで、神というのはどこかよそにいると思ってた。
あるいは、そんなものは人間の観念の作り出した空想だと思っていた。それがそうじゃないことがわかった。
神しか本当には存在していないことがわかったんだ。神が様々な姿をとって、一つの道を、一つながりの愛を。
■
うん、そして別の未来、別の過去の選択ということなんだけどけど、選択というのは、肉体人間の立場から書かれている。
本質的には選択するんじゃなくて、流れそのものになるんだ。流れそのものになったとき、肉体人間の側からみれば、
あたかも、自由に選択したように見える。で、絶対の自由というのは、絶対の不自由。
例えばね、絶対の自由というのはさ、チューリップはチューリップとして咲くこと。桜が桜として咲くこと。
ひまわりはひまわりとして咲くこと。桜が桜として咲くこと。
だからそれは、絶対の自由であり、同時に絶対の不自由。
ところが、頭で理解した自由というのは、そうじゃない。
桜のくせにチューリップになりたがったり、なれると信じ込んじゃう。そういうこと。でもそうじゃない。
一番自分にふさわしい流れというのが既にあるんだ。その流れに自分達が一いたしたとき、そして一致させるためには、
素直になることだ。一いたしたとき、ほんとうにその人は安らぎを得る。
そういうわけで、別の未来、別の過去というのは、あなたがあなたに忠実になったということ。
■
「ダイジ、最初の悟りを開いたのはいつ?」
『十七歳六月二十六日』
「最初の悟りを開いた後に、またどんどん広がってくるというか、深まってくるということがあるわけ?」
『うん、深まり方っていうのは全然別のところで起こるんだ』
「基本的にはそれで一応究極に行って・・・」
『うん。それは究極自体が俺を占領したんだ。それ以外の人生っていうのは全てさ、俺という一個の肉体を持った人間が味わう深さなんだ。その楽しみ方なんだ』
「例えば、釈迦の場合なんかね、最初悟りを開いて、それでもすぐ菩提樹の下から去らずにずっと瞑想してたというのは、あれはどういうこと?」
『そりゃあ味合ってたのさ。一つ一つを噛みしめてたのさ』
「ダイジの場合も?」
『うん。もちろん噛みしめてた。本当にその噛みしめ方っていうのが続いたのはね、やっぱりニ、三ヶ月続いた』
「はぁー」
『うん』
「何でももう、結局そのものになっちゃうとさ、後は一切の緊張とかさ、自制とか、そういうもの、全然必要なくてそれが逃げるということもないわけ?」
『うん。逃げるっていうことがないっていうよりも、逃げるっていう概念とか、緊張っていう概念とか、リラックスするっていう概念とか、
そういうもの自体っていうのが全然、もう意味をなさなくなる。 で、そこでものすごく難しいんだけど、人が何の基準もなしに、突然何かの影響でもって悟りっていうものに近い、まぁ疑似悟りなんだけど、経験しちまうと、全く廃人同様になっちまう場合がある。
それはもう、完璧でもう何の問題もないからさ、何にもならないんだ。うん。それで飢えても何しても平気なんだ。そんなふうになっちまう。
ところが、そりゃあ本当の究極の悟りではない。何故なら、人間はこの世に生きてる限り、必ず実現したいと思う楽しみがあるんだ。
それが、よくほらヒマラヤなんかで、バグワンなんかがうんと否定してるとこだけど、
要するに悟りだけっていうふうにかぶれちゃうと・・・』
「あ、(笑)」
『うん。ところが奴さん、本当は内面は実現しなくちゃあなんないもの、一杯抱えてるんだけど、まだ気付いちゃあいない。
じゃあなきゃあ生まれてくる必要ねえじゃないか。最初から。最初から悟りなんだろ。
なんで、何のためにこの世に出て来る』
「何のために出て来るんですか?」
『もちろん!楽しむためだ。心の底から苦しむためだ』
「心の底から苦しむことと、心の底から楽しむってことっていうのは?」
『うん。全く同じことだね。それが同じだって分かったら、もう少なくとも人生の側の悟りっていうのは完全に体得してると言える』
「人生の側の悟りって?」
『うん。つまり人生の中の様々な出来事を生きて、それを乗り越えて行くっていう人間の生きざまの。人間に属する悟りっていうのはそれでもうOK』
「それは死って呼ばれるもの?」
『うん?』
「死ぬっていうこと。やっぱり」
『うん、それは死に近いけど死んではいない』
『やっぱり君らしくしてることじゃあないのか』
「具体的処方箋とか、そういうのは(笑)ない?」
『うん、だったら本当に素直にとことん話し合ってみることだ』
「常に絶対的、完全な。うん。そういたものを求めて、やっぱり全体へ集中していくこと」
『うん。そう。ただし、一つだけ大切なことはね、人間にとって絶対や完全は絶対にあり得ないってことさ。
だからそれに向かってより良く生きてく。いい?絶対や完全があるのは人間の次元じゃあないんだ。
これを間違えるととんでもないことになっちまう。とんでもないぎこちない人間になっちゃう。
いい?人間の世界では常に無数のもの、釈迦がさ、胃腸が常に悪かったとかさ、道元は肺結核で死んだとかさ、
そんなもんきりが無い。ラーマクリシュナもなんだ、ちょっとした坂も登れないくらい虚弱だったとかさ。
イエス・キリストは十字架に掛かっちまったとか。いい?人間の目で見ちゃあそれしかないじゃないか。
人間の目っていうのはさ、そういうふうにしかものを見れない。常に相対的にしか。
そして絶対っていうのはさ、瞑想そのものにある時だけなんだ。
そして瞑想そのものっていうのが、より自分自身になればなるほどね、今度は現われてくる世界でもって、
余計なところに引っ掛からないから、とても美しく見える。人間的な世界が。
そして、本当に一番的確なボタンを押すよ。つまり何故かって言うと、自分の中に気負いとかさ、しこりとか何にも無いから、
ものすごいストレートだ。『うん、俺は水飲みたい。はい』てなさ。
そして結局は瞑想っていうのは、少なくともこの人間世界の中に貢献できることっていうのは、
そういうふうなストレートな人間達っていうのを、生み出す働きがあるっていうことだね。
■
ね、もし自分の中で、人間としての自分というのが絶対だとか完全だとかいうのを思い込もうとしたらね、
もう完全に固い殻を作っちゃう。何故?人間の世界には無いからだ。そういうことが。
だって早い話が死ぬじゃあないか。肉体は死ぬし、年老いるじゃあないか。病気もすれば、疲れるじゃあないか。
悟りっていうのは、そういうものを一切関係無い次元の世界の話だ。その時、悟り側に立ってる人間にとっては、
その様々がちょうど映画に映ってる光景と全く同じ感じにしか感じられないのさ。物語と見えるんだ。
だからって物語りの中に何にも無くなったら、物語になんないじゃあないか。
昔ね、黒住教っていうのがあって、黒住宗忠っていってやっぱり究極の悟りにまで行った人がいたんだけど、神道系のね。
その人なんか実にいい境涯行ってたよ。神通力もよく駆使して、人々をよく助けた人だけど。
彼にものすごい素敵な女房がいてね。で、ある日その女房が急に突然死っじゃたのさ。
で、その知らせを聞いたらさ、バタンと失神しちゃった。
それで失神から甦ってさ、また『これではいかん』ていうのでさ、
自分はちゃんと人間ていうのは死なないという教えをしているのでさ、気失っちまたていうんでさ、
早速反省の歌なんか作って『あらゆるものが死ぬと知り尽くした私が、
妻の死で動転して失神するなんていうこの無様さよ』というようなさ、ことが最初の頃に出て来るわけ。
これはまだ反動があるんだな。残っているわけよ。それが段々変わっててさ、
もうちょっとあと二日くらいたつとさ『妻は死んではいない。空には鳥が飛び、海には魚がいる』
それは座禅は最高の道だ。もう、時間あったら何でもいいから座りたいもんだ。いい。』
「それよりやりたいことの方が多いからさ」
『うん。そしたらやれよ』
「(笑)」
■
私はクリシュナ・マイク・ダイジ・ダン
私はクリシュナ 絶対なる愛と自由の子
(個生命達はすべて子供だ 全体生命に育てられる子供達だ)
初夏の日射しの中に野原を駆け牛や蝶や花々や草木と戯れる
青空に飛び小鳥は私の側を飛び回り さらに高くそして広く私は天空に広がり
あらゆる天体達と多元宇宙との想いを眺め語り会う
そして大宇宙の久遠の眠りと尽きることのない波動とを自分の内に自分自身として感じる
私はクリシュナ初夏の風の香り夕暮れのささやきの中に小麦色の娘達とヤムナーの流れに遊ぶ
おおラーダァよ今夜ももうふけ果てたお前のもとに帰りお前の胸にやすらごう
回転するストロボの荒水の中で私は踊る私は踊るクリシュナ
神秘的な深さとにじみ出す官能性を放射して踊り狂うクリシュナ
乙女達のため息男達のうるんだ瞳と笑顔
開かれた宇宙を知らぬお前達にとって私は透明な悪魔だ
はかり知れぬ魔的エネルギーがお前達の意識と肉体と魂とを奪う
スポットライトをあびて壇上に立つ私は
白いスーツを着こなしたマイク私の変幻自在力が
大衆達に実用的知恵と安心と歓喜との方便を与えている
私は殉教しないキリストであるマイク
私は私のやり方で二十世紀の終りのキリストを生きる
私はクリシュナであるキリストであるマイク
私の妻達よそのやすらぎよ深き深き交流よ喜悦よ
のどかな春のそよ風の中に家族そろってシバフの上に憩う
私の娘がひくピアノの音が聞こえる 海が見える潮風が匂う
コザの自動車達とネオンサインが夕暮れをつげる
私のチェリーは軽快に走る軽やかな振動
私のかたわらには時に妻 時に愛人 時に私のいとし子
■
私の瞑想実修の仕事は大宇宙の御意のままに 完く新しい世界を産んだ
ここではすべてがその所を得て調和している
私はクリシュナであるマイクである如意第慈 瞑想三昧は 愛を越えた愛と
自由を越えた自由の私の自己確認であり その完全が神が 私に私の天命を生かしめる
瞑想を指導し神霊の絶対健康を顕現する日々
私は如意第慈カトマンドゥの陽光の中に山々を眺め
琉球のサンゴ礁に色とりどりの熱帯魚のダンスを見る
水をわかちあおう生命の水を 決して渇くことのない生命の水を
生命の水はすべてに満ち渡っている ただそれを私達はわかち合うだけ
ヨロイをかぶった強くてか弱い戦闘者達その面前に私は歩み寄る
私の全身全霊のオーラの輝きそれは限りなく恐ろしく限りなく柔和だ私の微笑があなたを溶かす
水を分かち合おう決して渇くことのない生命の水を
私の肉体は霊妙な筋力にみなぎっているしかし私に暴力はあり得ない
霊妙身は神の愛と力と自由に属するものだから
私はダン夜の享楽の町も夜明けの大自然の風光とまったく同じに私の中にある この私自身の懐かしい涙の中にある
朝まだき窓は開け放たれ私は潮風の瞑想に入る永遠を生きる活力が溢れる
そして私はペンを持ち永遠の歌を書きつづける
■
恋人よ 友人達よ同胞達よマリファナとワインを持って海辺に出よう
夜には無数の星々を眺めながら歌おう
朝にはヨットで海に出よう時間はとろけて消えてしまった
畑を横切る時私達は 農夫の黒光りした顔におはようとあいさつする
あなたにはあなたの生きる場があり私には私の生きる場がある
バングラやビアフラの餓死した少年達よ私は決して君達を忘れはしない
十字架にかかって死んだあなたよゴルゴダのあの青い空とともに私は決してあなたを忘れはしない
たとえ、イエスよ 君が誇大妄想狂だとしても 死ぬことを恐怖して解脱したシャカ君よ
アル中やジャンキーのさびしさとともに私は決して君達を忘れはしない
(精神病患者・麻薬中毒者・聖者、彼らは幼児病患者だが、幼児病患者であるのが、人間の素直な姿ではないか)
■
409 2009/08/18(火) 10:06:58 ID:Q7od5+/i
神の柔和な微笑が私を通してすべてに流れゆくすべてをその本来の神の子達の姿として認める
汝は神なり神の不可解な皮肉な微笑が私の口元から流れ出る
私はあらゆる悪魔達の友人なのだ私の六大神通力は全智全能だが
それは超能力などというつまらぬものではない
私の神通力は神の愛なる通力
私は信じているから山に向かって動けと言えば山を動かすことができるが
私はそんなちっぽけなことをやりはしない
むしろ私は山の中を歩き額の汗を楽しみ谷川の冷たい水に全身を喜ばせる
私の守護神霊如意神仙・アトランティス大人・クリシュナ
ありがとう
私はどのようなドラマもないところで 私だけができる唯一のドラマを生きています
私はクリシュナ・マイク・ダイジ・ダン
パン屋がパン焼きの人生をまっとうするように 私は私の人生をまっとうする
私は 時にクリシュナなるダイジ時に マイクなるダン
私は無数の輪廻世界に喜悦し久遠の多元宇宙に出入しては 戯れと賛美とをくり返しくり返し生き続ける
私は時に現象をも忘れ 大宇宙意識の眠りの中に時と空間とを滅尽してやすらぐ
絶対を忘れた絶対なる無が昏々と眠る虚空もない大虚空から 今、あらゆる宇宙を創造する一つのイメージが出現する
絶対無の私はクリシュナというイメージを生き続ける クリシュナという宇宙を遊戯する
■
410 2009/08/18(火) 10:09:07 ID:Q7od5+/i
私がクリシュナ‐キリストだからといって私が特別に聖別された者であるのではない私は何ら特別なものではない
ただ私は私のみのクリシュナという個性を生かされている
あなたは あなた‐キリストであるからといって特別なものではなく
もし この世の何かを特別だというなら すべてはそれ自身のかけがえなのないありかたで特別だ
遥かな山頂に腰を降ろし私の褐色の肉体にふき出した汗を 山の大気が包む私の全身が清浄な大気に溶ける
私はこの山頂にいて夕焼けの紅に顔をそめる 夜空には一面の星々朝もやの中に山道を下り行く
山道に咲く花々蝶と虫達谷川のせせらぎ せせらぎの冷ややかな水の感触
私は野原を駆ける森の樹々の間からのこもれ日
小鳥のさえずり草の中へ倒れこむ私心臓の鼓動確かなリズム
大地が私にささやく土の匂い私は私が誰であるかを忘れる
強烈な太陽が私の肌を射す 潮の香りにまざって愛人の小麦色の肢体の匂い髪の匂い
ラーダー お前の乳房が揺れる私は海水の塩味をなめる 波、くり返す波のうねり時間が消えている
そして 私の肉体には終りが来るだろう 私の娘達、息子達、孫達の顔が見える
のどかな春に私は私の天寿を尽くす 妻達のやさしい雰囲気が年老いた私を包む
今、私は人の子の眼と神の眼とで同時に世界を見る
さようなら私の家族達 さようなら私のすべての同胞達
私の肉体は終るが 私はどこにも行きはしない
オーム・クリシュナ・ダイジ オーム・マイク・ダン
そして私は ここに・かしこに戯れる
■
411 2009/08/18(火) 14:19:38 ID:Q7od5+/i
神秘学とか、霊的何とか、っていうのは全部ままごとさ。
この世界に於いても同じだよ。又、究極的世界の於いても同じだよ。
映画を見たり、何か気をまぎらわしたりするのとどこが違う。
人は、いろいろな刺激によって生きている。外部からの刺激によって。
自分の中から起こったことさえ外部からのものだ。
そして、それによって生きている。それを拠り処にしているんだ。
平常のそのままでいいんだ。いいんだよ!平常の、そのまま、で。
どうして何かになろう、なんて考える。そんなものマスコミにのせられているだけだ。
一人一人が又とない生命(いのち)だ。平常そのままでいいんだ。とても恐ろしい。
何故なら、人は、いつでも自分が空虚だ、と意識し————–あるいは意識しなくても————-感じている。
平常のそのままでいいんだ。でも、それはとても恐ろしいすごく、すごく恐ろしいことだ。
平常のそのままでいいんだ。自分の思うようにしたらいい。
決してためらわずに。これは、決して、助平根性があったら出来ることじゃないんだ。
つまり、何かがうまくいくとか、何か先行きうまくいく、とか、そういうことを考えていたら、自分の本当に好きなようには出来ないんだ。
もし、そういうものがあるとしたら、それは、自分の本当に好きなようにしているのではなく、自分の妄想が好きだ、と考えている事をやっているにすぎない。
つまり、観念のゲームさ。君の本当に好きなようにするという事は
これ又、恐ろしい。
とても、とても恐ろしい。
自分の本当に好きな事をするっていう事が---間違えないで欲しい----たった一人、
自分のすきなようにした人間だけが、友情とか、親子の愛情とか、恋愛とか、仕事とか、
---それら全てを、一番、本来の姿でやる事ができる。ちょうど、降ってきた雨のように。
雨が降る。鳥が飛ぶ。自動車が走る。本当に好きな事をする。
■
412 2009/08/18(火) 14:25:27 ID:Q7od5+/i
今、君達は 今から、全く新しく生き始めた。
本当に、何一つ人間にとって救いっていうものはないんだ。
何てすてきだ。何て恐ろしいんだ。
信じ切れないっていう事は、此処に安住できないって事さ。
此処に安住したら、その次の生活っていうのが全然、成り立たないんじゃないか、
とか、自分は、いろいろ考えて、いろいろ向上したり、いろいろうまくやったりする方便がなくなってしまうんじゃないか?っていつも、不安を感じているからさ。
それだけのこと。皆、観念の、頭の中のゲームだ。
本当に、信じ切れない。本当に、信じ切れない。だから、本当に、好きなこと、をすることができない。
いいか、信じきるっていうのは、たとえば、こういうものなんだ。
現代人の身体の中を見よう。肉体。そうすると、必ず、どこかに、しこりがある。
どこかに何か、何か、しっくりこないんだ。いつでも、しっくりこない。
そういう意識が、どこかに、さまよっている。
そして、何か、ハタヨガとか、いろいろ修行したら、それがとれる、と信じ込んでいる。
誰が決めた!そんなことを。
しみわたらせるんだ!今、此処で!
此処でなくてもいい。どこでもいいよ。いいか。本当に、しみわたるんだ。
しみわたるっていうことが、信じ切れるっていうことさ。あるがままの自分、というのにどっしり座るんだ。
うーん-----そう-----通俗的に言おう。
例えば、人が、 何かを見ている。自分の身体か何か、顔とか-----
ところがどういう訳か君達は、どこかの部分を、見ないんだな。
とりわけ、どこか、気にくわない部分は、見るに耐えない。
何故なら、それが、しこりだ。何故なら、それが、君達が決めた観念だ。
一つ、一つ、愛(いと)しむんだ!一つ、一つ、愛しむんだ!
自分の、あるがままを、愛しむんだ。
びっこが何故いけない。自我が何故いけない。胃腸が弱いっていうことが何故いけない。
肥っちょが、何故いけない。自分の、かたくなさ、が何故いけない。外の考えに、惑わされるなよ。
いいか。かけがいのない、一人、一人の君達なんだ。かけがいのない君、だ。
どこも、かしこも、愛しむんだ。何故なら、愛しみたがっているから。
■
413 2009/08/18(火) 14:35:59 ID:Q7od5+/i
わたしは行くだけです
私は行くだけです 帰るところはありません
私はするだけです 得るものはありません
大河はひとつの方向にながれているのです
とどまることも 逆流することもありません
流れは固まって一つになることも ばらばらになって ぶつかり合うこともありません
あなたと私は愛し合うことも憎み合うこともありません
河は人間の生まれる以前 いや天地の生まれる以前から 流れ続けているのです
そして あらゆるものとなって流れているこの流れが 失望し切った私には 何と親しく感じられることでしょう
私を無視し去ったある師も 私と同じように流れているのです
私は死の思惑など 見る必要はなかったのです
今 私は夕焼けを見ています
■
414 2009/08/18(火) 14:54:48 ID:Q7od5+/i
帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
あの娘は、睡眠薬を飲んで ガス管をくわえて死んだ
キリストは十字架の上で その激しい苦痛にうめき
ブッダ・ゴータマの最後には 弟子達や小鳥や牛達が 集まり来て涙を流した
帰る家がないからといって 家を求めてさ迷うには及ばない
不安におののく人の心も 吹雪の夜にただ一人 孤独に死んだ旅人も 人力の如何ともし難いところだ
空気がなければ どのような偉大な人間も 生きられはしない そしてまた空気を作ることはできぬ
死は私に何を語ろうとするのか どのような宮殿も 暖かいマイホームも
死の闇の中に その仮の宿であることを顕す
私達は仮の宿から仮の宿へと
点々と変転しつつ生命をつなぎ 死ぬものなる私達には
どのような安住の家も与えられはしない 安住の家がないからといって 悲しむにはあたらない
竹富島に首をつって自殺した彼 それは真夜中の便所の中だった
死んでもうどこにもいない彼は 一体私に何を語るか
何も語りはしないし 私も又何も聞くことはない
私も又どのようにしてか死に 何を語り何を聞き何を想ったとて 一瞬も生きのびるわけのものでもない
■
415 2009/08/18(火) 14:56:17 ID:Q7od5+/i
キリストはキリストの生命をしか 生きることはできなかった
彼女は彼女の生命をしか 生きることはできなかった
立派な社会への貢献者よ あなたはあなたのように生き
男との生活に疲れて死んでいった あの娘には あの娘の生命以外には与えられていない
彼女に帰る家がなかったことを どうしてか悲しまないではいられない
キリストに帰る家がなかったことを 私は悲しまずにはいられない
どのような聖なる使命さえ どのようにそれを聖なるものと 思いこんでいても
それは決して帰る家として 常に変わらずありはしない
アル中患者の悲惨な日々が 初夏の太陽の下にあり
流行歌手の華やかな人気生活が 初夏の太陽の下にある
初夏の太陽が 不思議に輝き デイゴの真紅の花が 開き始める
かつての原初の海にも コールタールが漂い
離島のエメラルドの海中に 若者達は潜水する
青い青い熱帯魚が サンゴの間に踊り 私達は異郷の客であることを忘れる
帰る家がないからといって 嘆くにはあたらない
あなたを生かすために 生命はあらゆる条件をあなたに与え
私が生きる所に 大気が生き太陽が生きあなたが生きる
太陽はあなたに 仕事を与え妻子を与えまた嘆きを与える
太陽はあなたに 命を与えまた奪う
私は苦痛を見る時もあり 死の闇に怖れおののくこともあり
人を呪い自己を呪うこともある
それは私に 帰る家がないと 嘆かせはするが
帰る家がないなどということを 嘆くには及ばない
帰る家がないところに 嘆く私もなく
時間も 空間も この現象世界一切が ないという必要もなく ないのだ
どうしても 私は世界を破壊し 自己を破壊せざるを得なかった
私の考える自己も世界も 決して私自身の家ではないのだから
帰る家などを問題にするのはやめよう
何もないところで 私はわが家に安坐している
■
416 2009/08/18(火) 15:32:55 ID:Q7od5+/i
幾度も幾度も繰り返される夢 夢見続けるブラフマン
無数の意識の流れ 輪廻し 上昇しあるいは再び下降し そして帰り着こうとする流れ
眠り続けるブラフマン 一人の人間の中にある無限の宇宙 あらゆる生類達の多様多元の宇宙
一人の人間の中に接弦する多元宇宙 夢見続ける宇宙
久遠の時の中の遠い遠い夢 うつし世の胸高鳴る甘美な悦び そして苦しみ 深い深い嘆き
夢見続けるブラフマン 目覚めることのない久遠の夢 すべてを秘めて眠るアガシャの夢の海
全知全能を内包した一つぶの砂 アガシャの想念の海を泳ぐ無数の生命達
あらゆる想念を具現しまた破壊する ブラフマンの化身シヴァ 破壊と殺戮の神シヴァ そして私自身なるシヴァ
私の手は無限の宇宙を握りつぶし 私の足は永遠の歴史を踏み倒す
シヴァなる私は踊り狂う 眠り続けるブラフマンに気使うことなく 夢の宇宙に私は踊る
モンゴルの平原にさまよう旅人も わたしの酒くさい一息が 全身に吹きかかれば思い出す
あなたはブラフマンの夢 あなたはシヴァの化身
時にはあなたはブラフマンそのもの そしてあなたは私自身
■
417 2009/08/18(火) 15:37:05 ID:Q7od5+/i
ダン「完全はね、
君達以外の誰に代わってもらうこともできない。
完全なんて言葉は言う必要がない。
本当に納得した、
本当にすてきな、
本当におおらかな、
本当に深いこまやかな人生。
君達は本当に自分の大好きなことに向かって進むことしかありえない。
『正法眼蔵』が深遠なんじゃない。
釈迦の教えが深遠なんじゃない。
キリストの教えが深遠なんじゃない。
ハイデガーの哲学が深遠なんじゃない。
そうじゃない。
君たちが、深遠なんだ。
君達の中が深遠そのものなんだ。
それ以外に完全はない。 いい?」
■
418 2009/08/18(火) 15:43:41 ID:6t4M44Ec
> 遥かな山頂に腰を降ろし私の褐色の肉体にふき出した汗を 山の大気が包む私の全身が清浄な大気に溶ける
私はこの山頂にいて夕焼けの紅に顔をそめる 夜空には一面の星々朝もやの中に山道を下り行く
山道に咲く花々蝶と虫達谷川のせせらぎ せせらぎの冷ややかな水の感触
私は野原を駆ける森の樹々の間からのこもれ日
小鳥のさえずり草の中へ倒れこむ私心臓の鼓動確かなリズム
大地が私にささやく土の匂い私は私が誰であるかを忘れる
ここのフレーズはいいね。
愛だのなんだのはおなかいっぱい
■
419 2009/08/18(火) 16:15:54 ID:Q7od5+/i
「この世に失明やつんぼの苦しみがあり、病や肉体的苦痛があるということは、五官からなるこの物質世界が、
無明の世界・迷いの世界であることを示している。
すべての肉体は老化し、死滅するということは、この肉体世界が、実在していないことを証している。
この変転きわまりない不確かな物質的なこの世に不満も疑いも持たない人々にとって瞑想は不必要である。
この世の不如意と不条理に嘆き、この世の中により素晴らしい不動の生活を実現しようと思うか、
この世を越えたそれ以上の世界を切望する人々にのみ瞑想は、無限の力を発揮するのである」
■
420 2009/08/19(水) 18:01:08 ID:PvEDfNIp
この宇宙やかの宇宙の、いかなるものにも、もはや、愛着も憎悪も抱かぬ時、
絶対愛の流れとなってそれは開示される。
悟りと迷いとは同じだけ真実だ。それゆえに私達は悟りの方法だけを問題にすればいい。
真実 存在しているのは 真実 非在しているのは ニルヴァーナのみである
神聖なる書物は、すべて ニルヴァーナが、神ロゴスと顕われたものを、
仮に言語化したものにすぎない。それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
聖なる進化をうながすための刺激を与えるためのものである。
ニルヴァーナとは、あらゆるものの終極のことだけではない。それは、
あらゆる生命達の久遠の始まりである。この時でない時に、あらゆる宇宙生命体達が、
あらゆる多様多元のリアリティー達が、終わりながら始まっている。
何もかもなしということは、なにもかもなしという絶対充実である。
ニルヴァーナはマーヤだ、否! ニルヴァーナはニルヴァーナだ、否!
ただただニルヴァーナ、否!! ニルヴァーナ、否!!!!
プロセスもテクニックなぞも ないことを体現している あらゆるあなた達に捧げる
この限りない空間-- この限りない時間--
私は私だったんだ すべてはすべてだったんだ さあ、お前、何が言いたい
ある人がこう言った 「わからん」 --何という美しい言葉
■
421 2009/08/19(水) 18:11:25 ID:PvEDfNIp
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ、
全てとは何だ、全てとは何だ、全てとは何だ・・・・・・
「全ては神秘だ さよなら 私のあらゆる顔よ」
■
422 2009/08/19(水) 18:20:25 ID:PvEDfNIp
女への執着を断ち自由を得ようと 私を色情修行などというものに駆りたてたものは何だったのだろうか
そのあげく 一人の都会へさ迷いだした女にどうしようもなく恋着し
その女の中に見えた純情に天上の愛の結び着きを夢見ようとさせたそのものは一体何だったのだろうか
おまけにその女に出来た子供が私自身の子であるとまったく疑わなかったのだが
女の純潔は私の虫のよさかあるいは女自身のさびしさによって破壊され裏切られていた
所詮その女は無数の精液と堕胎とさびしさの谷間にさ迷い続ける以外にない女だったのか
それともその女はただ女そのものであっただけなのだろうか
いや人間そのものであっただけなのだろうか
この道化た悪夢はそして一体何なのだろうか
私は現実という不安の中で思う私も又さびしくてさびしくてしようがなかったのだ
現実そのものの闇が恐ろしくてしようがなかったのだ
母親の豊かな胸のように私だけの安心できるものを私は必死に求め続けていたのだ
それが私に様々な道化を演じさせそしてそのあげくの果て私は再び同じ場所にいるに過ぎない
私はすがりつきたい何かすがりつくものが私は欲しい
だが現実はそ知らぬ顔をしている
死の苦痛と闇とがすぐそばを漂っているように感じられる
現実のそ知らぬ顔は私には真っ暗闇そのものに思えるのだが
現実はそれさえもそ知らぬ顔で果てしなく広がっている
■
423 2009/08/19(水) 18:29:31 ID:PvEDfNIp
わがあだ名はダン
ダンは同族を裁く イスラエルの他の部族のように
ダンは道端の蛇 小道のかげの蝮となり
馬の踵にかみつけば 乗り手はどっと落馬する
(ヤハウェよ、私は救いを待つ)
旧約聖書創世記より
ナーガ賛歌
ナーガ かつてイブをそそのかして 知恵の木の実を食べさせた蛇
ナーガ 今この瞬簡に再来し 現し世の原動因 魔的エネルギーを その体内に深く豊かにひそめ
転生のアダム達に 生命の樹の実 迷悟去来の知恵を食べさせる
生命の樹にちかづくことを禁じた 妬みの神エホヴァ
吾が蛇神ナーガよ 悪魔に化身し 人間だけの神エホヴァを殺せ
そしてアダムに 人間を越えた 久遠生命の密儀を開示せよ
人間性という虚妄から幻出した神エホヴァ お前は今 ナーガにかまれて死滅し
人間性を離脱した久遠のアダムは ナーガのその恐ろしき蛇体と溶け合い 限りない光となる
ナーガ 観世音菩薩の妙変化よ ナーガ エホヴァの兄弟なるサタン ナーガ エホヴァをかみ殺す蛇
ナーガ 玄妙神秘の蛇神ナーガ 有から無へ寂滅せんとする情熱ナーガ すべてを飲みこむ神
ナーガ アダム自身よ
■
424 2009/08/19(水) 18:30:37 ID:PvEDfNIp
汝蛇神ナーガよ
人間が人間自身の宇宙を見限る時 その虚空のうちに 闇の情熱と言詮不及の光を顕すものよ
ナーガよ その麗しき白光の蛇体よ 私はあなたを恐れはしない
虚無を消散する空寂を与える汝 恐怖を恐怖自身によって粉砕し 時間のない恍惚を与える汝
私を産み 私を育て 私を私自身によってかみ殺させる汝 ナーガよ 私自身よ
ナーガよ 応身仏の千変万化よ ナーガよ 神に創られた悪魔よ
ナーガよ 神を殺す蛇 ナーガよ 永遠の解けぬ逆説
ナーガよ 私自身 ナーガよ 神自身よ
人間である私は どのくらい悲しめばよいというのか すべてが夢にすぎないことを
ナーガよ あなたである私は 限りなく限りなく歓喜する すべてが夢にすぎないことを
ナーガ その秘められた夢 ナーガ その秘められた窮極実在
ナーガは私を時空を越えた狂気に導く 邪神よ 邪なるものよ 悪魔よ
ナーガ 無限自由の目くるめく魅惑 ナーガ 全智全能なる魔王
ナーガ 全智全能なる神 ナーガ アダムを苦海に落とした竜神
ナーガ 喜怒哀楽の私自身 ナーガ 全智全能なる私自身よ
ありがとう すべての ありとしあらゆるものよ・・・
あらゆるものを知りたいという欲望が完璧になり
あらゆるものを後にする用意が出来た時に また戻って来い
■
425 2009/08/19(水) 18:43:06 ID:PvEDfNIp
戯れに冥想を 著・雨宮第慈 プロローグ
この本は、宗教的でも神秘的でも通俗的でもないし、正気でも狂気で書かれたわけではない。
「あなたは何か?」
この人間性最後の疑団であり答えであるフレーズを 神の気の向くままに書きつづったものがこの本である。
「私は何か?」
答えは極めてというのも馬鹿げたほど明々白々である。
人間が何らかのものに寄生あるいは依存しなければならないという、
現代の精神分裂的な状況が、私にあわれみをいやというほど感じさせるのだ。
このように恐怖と不安と苦悩と自虚的、憎悪に満ちた文明の中で、絶対の解決とは何なのであろうか?
「絶対の解決なぞない」などと疲れた顔をして言わないで欲しい。
バイブル・ギーター・仏典・老子・アヴェスター・クラーン------それらに書かれていることは余りにもシンプルで、
それは本来”読書”の対象にはなり得ない。
本を読むなどということは、描象的な人間のデッチあげた営みであり、
この本は、あなたに読まれるために書いたのではなく、あなたと愛し合うために、
あるいはあなたを強迫するために書いたものにすぎない。 魂の読書というものがあるのだ。それは言語冥想である。
まるでこれ以上ないというほどのステキな彼または彼女に出会って、転生も末長く「愛」を暮すような何かだ。
人間は、到底、考えられないくらい、永遠に戯れる存在としてあらしめられ、そしてみづから、喜んで、このドブ池という宇宙に産まれて来た。
『元々あるものになるってこと。自分が生かされるってこと。ものすごく古い言い方だけど。
そういうことが一番の中心だ。そしてね、自分が何かになろうとする生き方っていうのは、
相変わらず自分の支配欲っていうかな、にとらわれ続ける。だから魔術師になる道とか、
超能力者になる道とか、呪術師になる道っていうのがとても落とし穴の多いものだっていうことだ。
そうではなくて本当に自分の一番中心、無限なるものの一部であるってこと。いい?
海の中の、君はさ、魚なんだ。そういうこと。そういう安らぎを得るっていう方向へ進んでいかなきゃあ。
その人にそういう素質があったらひとりでに出て来る』
■
426 2009/08/19(水) 18:44:46 ID:PvEDfNIp
『一体、救世主っていうのは何だろうか。どうして何か、高尚な教えやいろんな教えを説いてくれる人が救世主だって考えるんだ。
俺達はさ、お腹空いたらきっとパン屋へ行ってパンを食べる。大衆食堂へ行って、何とか定食って。
あれをどうして救世主じゃあないなんてそんな固いこと言うんだよ(笑)。この世にある全てのものは互いに救われ合っているんだ。
何一つとして例外はない。みんなそれぞれお互いに高め合っているんだ。
それが愛する二人に言葉はいらない(笑)。ちょっと落ち込んだ(笑)?
触れ合うためにあるんだ。そして深く深く触れ合っている。ただ、余計な観念が邪魔するだけだ。
余計な観念さえなければ、それが本当にその通りであることがわかる。それが救世主さ。
救世主は人間のみと思うなかれ。酒好きのさ、男が飲む焼酎の一杯だってもちろん救世主だ。
ただ、それが救世主だとわかるためには、ものすごく水晶のように透明なクリアな素直な心でなくちゃあならない。
それは何でも救世主なんだ。猫も杓子も救世主。太郎も花子も救世主。本当だよ』
『(笑)ただ、それはものすごく恐ろしい教えだ。一見ものすごく軽く『ああ、そうか』なんて思いやすい。
だけどそれだけじゃあない。本当に自分がこの大自然と一つである流れに即したときに初めてわかる。
D・H・ロレンスなんていうのはそういう世界を憧れてたんだ。そして遂に到達することが出来た』
■
427 2009/08/19(水) 18:47:26 ID:PvEDfNIp
エピローグ
この本は、
今や死のうとしている君と
今や死んでいる私との
果てしない果てしない果てしない戯れである。
そして君は冥想を決して止めてはならないし、
君が冥想を止めることはできないのだ。
この本は、私という存在もしない夢幻
が雲をつかむようなあなたに、
法悦の酔いのなかで書かれた。
「カキクドキ」の文句の集まりである。
あなたは、魂のどん底から、この世とあの世を楽しみたいと思わないか?
だとしたら、あなたは”あなた”という乞食を、
私は”私”という乞食を捨て去らねばならない。
そして、あなたと私は、乞食以下の乞食になるのだ!!!
—–それが冥想である
—–これが冥想の戯れである。
ねえ、あなた、
あなたという たった一人のあなたを死んでください。
■
428 2009/08/20(木) 11:09:56 ID:TeQ0mFRW
なんかある?
「どうしたら、自由になれるの?」
自由になる方法はひとつだけある。たった一つだけ。それはね。今、自由になることだ。
「どうしたら、殻がとれるの?」
君が、殻がとれるっていうような余計なことを、考えなくなる時、
殻はとれるものでもないし、存在するものでもないのさ。
君を阻んでいるものは何一つないんだ。
だから、君を阻んでいるどんなものも無いって思う限り。
せいぜい君を束縛するものと付き合えばいい。
それもちょっと付き合うなんていうさ、何かその、こころのこりの付き合い方しないでほしい。
ほんとに付き合ってくれ。
君の限界や、君の束縛や、君の不条理や、君の不如意と。
そしたら、そういったものがさ、きみが描いている夢にすぎないことが分かる。
さあ、今でいいんだよ、いま、うん、いま自由でいいんだ。
そしてその自由の中をね、さらに自由を求めて生きていくっていうのが人間の戯れなの、この宇宙の戯れなんだ。
そんなカタイこと言うなよ。
今、自由なんだ。自由だからこそ君は精一杯生きることが出来るんだ。
「それは愛なの?自由ってのは?」
愛は自由。愛は愛でもないし、自由は自由でもない。
でも、言葉にしたらそうとしか言えない。
■
429 2009/08/20(木) 11:16:53 ID:TeQ0mFRW
愛は自由だ。
愛はすべての生命、すべての存在物が求めてやまない、そのものだよ。
しかも、それぞれの存在物ってのは、みんな愛の中にあるんだ。
「愛情ってね、執着するじゃない。でも、自由になるとさ、何ていうか、愛情の中から飛びぬけてしまって、そういう事はないの?」
うんと、自由ってのは、例えば愛情とかなかにはさ憎悪が時におこる時もあるし、嫉妬がおこる事もある。それから執着が苦しくなる時もある。
だけど自由ってのはさ、部分的にあるんじゃないんだ。
例えば、愛情ってものや執着ってものを消した時に、自由が出てくるなんてそんなチンケなものじゃないんだ。
まず、自由があるんだ。自由があるからその中で、自由に愛情を注ぐ事ができるんだ。
それは、同時にあるんだよ。
それは、人間として生まれた計り知れない喜びを味わうことだし、
人間として生まれた計り知れない悲しみを味わう事なんだ。
さあ、もうすべては終わったんだよ。
・・・・・・そして、すべてがはじまる。
人間が 人間のものではない人間性を自覚する途上において 言葉は無効だなどと
今さらとやかく言うにはおよばぬ 人類すべてが すでに求道者としてしかありえぬ 時節に入って久しい
ことばとは実体験とは別のものだと 言いたい人は言えばいいし そのように生きたらいい
この現在の 様々な姿をとった求道者達にとっては 言葉は一輪の野の花であり
瞑想体験の一つともなる どんなことも結局は あなた次第なのだから
■
430 2009/08/20(木) 11:17:36 ID:TeQ0mFRW
言葉の中には瞑想はないだろう しかし瞑想の中には 言葉もある
今・ここで 言葉は神になった
絶対無の戯れ ――瞑想は言葉となった 言葉は瞑想となった
私が地獄なのだ それにマチガイない。 宇宙が地獄なのだ それに間ちがいない。
私は宇宙の トラワレビトで 頼るものなぞ 何一つとしてない。
きみは君自身をおそれてはならない
つぼみへと成熟する時 君は不可思議な喜びに包まれている。
つぼみが破裂して花開く時、君は 君を失う言語を絶した恐怖と法悦にいるだろう。
やがて、君自身という花が散る時が来る 透明なやすらぎが すべてに満ち渡っている
そして 何もかもが忘越された刹那 たった一つの果実が結ばれていた
君は 君ということのない 君自身だったのだ。
あなたは、満足を求めているのではない。
絶対の満足そのものの中に、消え果たいのだ。
だが、それは、あなたには断じて出来ないことになっている。
とらわれる必要ないんだ みんな 一繋がりなんだから。
■
431 2009/08/20(木) 11:49:11 ID:TeQ0mFRW
純粋瞑想には、初めも終りもない。
純粋瞑想は人間が把握できるいかなる属性も持っていない。
そして、純粋瞑想のみが、全面的平和と全面的幸福の何たるかを人類に、明示できえるのである。
あたりまえに考えると、この人類は奇妙な文明と称する何ものかを生きている。
生とは何か? 死とは何か? 私とは何か? 存在とは何か? 真の幸福とは何か?
これらは、それぞれに分割できぬ全体をなしているのだが、人類史上ごく少数の人々を除いて、これらが解明され実現されたことはなかった。
この余りにも、当たり前な前提を抜きにして、人類は、便利さ快適さ、快楽・幸福を追求して、
文明と称する何かを作り出している。
そして、今や、人類全体をたやすく滅亡させることのできる巨大兵器を持て遊んでいる。
余りにも、あたりまえな基本抜きでは、単なる欲望の複雑化は、自滅に至って終わるだけだというのに。
こころみに問う。
欲望とは何か? 人間とは何か?
これは哲学的あるいは宗教的あるいは、どのような一定の立場の命題にもなり得ない。
すべてがニルヴァーナだとしたら なぜニルヴァーナに目覚めるための 瞑想修行という
果てしなき苦難の道を歩かねばならぬのか すべてがニルヴァーナだからだ
本質的な問いには、解答というものはない。 にもかかわらず、あなたは問うことをやめてはいけない。
少なくとも問いも答えも、あなたも世界も、消え果るまでは・・・
君は、心を捨て、身を捨て、魂を捨てて、ただただ一つの真実を発見せねばならない。 なぜと問うなかれ。
この世とあの世の喜びのすべては、絶対無から、かぼそくチョロチョロ流れ出てくる、小川のせせらぎにすぎない。
ニルヴァーナも、もちろん夢の戯れである。
これを知れば、君は君自身が久遠の人間であり、君という人間性が、無限少の一細胞であったことに気づく。
すべてがオーケーだと考えたら、すでに手遅れだ。あなたは、もう、ほとんど救われようがない。
■
432 2009/08/20(木) 11:51:25 ID:TeQ0mFRW
「一つの教えは、その時のその人に応じてしかありえない。
どのような神秘不可思議な教えも、結局、愛と自由との確認につきるんだ。
君が秘密結社のようなものを作って、支配欲という不安にかられた時は思い出してほしい。
君が一番身近な愛をどんなにか忘れてしまったかを。
君はもともと愛の救世主としてこの世に生きている。
他のすべてのものも同様だ。
そして、愛と自由は、君の思い込んでいる人間性の中にはない。
君が救世主であるということは、君の永遠の自己訓練としてのみあり得る。
あるがままのすべては救世主だが、あるがままである自己訓練ほど、
君にとって恐ろしいものはない。それは、君のすべてを必要とするからだ。
君は君のすべてを解放することによってのみ永遠の自己訓練
つまり久遠の戯れを戯れることができる。
死ぬことは、最も恐ろしいことだ。でも君、死になさい。」
そして、もう一度思い出そう。「救世主入門」の一番最後の章句を。
これは君だけに語りかけている。
「完全」は君以外の誰に代わってもらうこともできないのだから。
「この本に書かれていることほど無責任なことはない
この本に書かれていることを信じない方がいい
書かれていることはすべて逆の意味かもしれないから」
水晶のように透明に、あるがままも素直さで、何かに直面することによっても、神は開示される。
直面するものはなんでもいいのだ。
■
433 2009/08/21(金) 15:20:08 ID:+cQFks2m
臨済禅師は、もし、もっと長く生きたならば、老子のありように近くなっただろう。が、
臨済君は臨済君だ。彼は完全な自由を生きた。
老子は老子だ。彼は生き切り、生ききらず、死に切り、死にきらない、
絶対即相対の完璧な体得者であり、余りにもあたりまえなただの人。
そこで超人普化はというと、
ここで、狂僧か何か知らないが、狂僧普化は、カンオケの中で死んだというわけだ・・・
普化おまえのことだ!すべてこことだ!地水火風空無霊有のことだ!
あなた自身の夢・・・・あなたのいない夢・・・・
カオス・不如意・不安恐怖・あらゆるエクスタシー・幸福・不幸・快楽・苦痛
あなたもわたしもない。
何もかもない夢の極楽と中有と地獄の夢なのよ・・・・
至高無比の絶対満足のその中に、いいえ、それ自身の夢が戯れているのよ・・・・・・・
見よ! 是れは夢か絶対者か? それとは何か?? 是れ何者ぞ!?
おまえ自身の あらゆるお前自身の気狂い遊戯。
「よくも、あきないもんだ・・・。」
■
434 2009/08/21(金) 22:40:46 ID:8z7Qncyj
>433
これは初めて目にする文章ですね。
■
435 2009/08/23(日) 18:14:36 ID:+7DyxN1A
ただ、一人の例外もなく、私たちの心と名付けられているものの、内部には、何かわからぬが、
全身全霊で求めている「何ものか」がある。
その「何ものか」は、人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・
遊戯自在あるいは三昧の境地・エネルギーの充溢感をも超えている「何かなのだ」
――もっとも、これも、かみさまの一つの、たった一つの刹那。
絶対不動の光でない光―― 万物万象と一体となっている状態―― 生も死もない慈愛・至福――
もはや、今は、これ以上は語れない。
愛情さえも、本当に深い深い信頼さえも、一場の茶番になってしまうような――
「何ものか」だ。
悟り・見性・見神・神人合一・・・何と名づけてもいいが、
それは至福でも、幸福でも、陶酔でも、エクスタシーでもない。そんなものはそんなものなのである。
■
436 2009/08/23(日) 18:29:10 ID:+7DyxN1A
見性においては、あなたは、限りない「何ものか」が、あなたと一体不二であったことを体験する。
それは根源的な納得・充実・自由・歓喜・安心・生命力の爆弾と称せられるものだろう。
私は絶対無の光明とあらゆる多様多元の宇宙が、何もかもが私だったことを生きていたことを知った。
・・・そして、それも忘れ果てることだろう。
君はかくありたいというイメージ、あるいは様々なイメージや、主観的イメージでないビジョンさえも、
さらには見性さえも、答えにはなり得ないことに気付く時がくるだろう。
だが、この絶対不可思議な、限りない「夢」と「真実」、この生々化々千変万化この者を、
実現することは唯一絶対の不可能だ。----君にとっては。
誠実であるのがいい。それは平穏無事の安心を与えてくれる。
■
437 2009/08/23(日) 18:36:39 ID:+7DyxN1A
素直さと冒険心・根源的情熱は、あなたに自身を与えてくれるだろう。
そして、あなたは神秘にして不可知な、あらゆる宇宙を旅し続け、味わい続けることだろう。
修練によって、どのようなイメージにも君がひっからなくなったら、客観性を持ったビジョンが、
向こうからやて来るだろう。
ヴィジョンを自由に生きられるようになったならば、君はアストラル界をものにしたというわけだ。
アストラル体は、この物質世界に実質的有効性を持っている。
■
438 2009/08/23(日) 18:40:39 ID:+7DyxN1A
三神歌―――
われもなく現し世もなくなにもかも
夢の中なる夢のたわむれ
われもなく現し世もなくなにもかも
神の中なる神のあらわれ
われもなく現し世もなくなにもかも
なにもかもなしなにもかもなし・・・・
■
439 2009/08/26(水) 09:16:13 ID:h/VmtcOq
ただそれだけのこと
私は冒険なぞ求めてはいない 血わき肉踊るディオニソスも 一刹那にすぎない
みんなみんな同じであると 知ってしまったからには・・・ この上なにを求めようというのか
今は初夏の香りの中で 野の草花とともに うたたねしたいだけ・・・ ただそれだけのこと
■
440 2009/08/26(水) 09:36:06 ID:h/VmtcOq
私はとこしえに楽しく生きたい!
天馬・空を行き 行くところ可ならざるはなしという 人生の達人だからとて
本当にわかるものなど何一つなかろうよ
死の悟りを開き 神と霊のカラクリを つぶさに体験したからといって
実際のところなにがわかったと言うのだろう
光明以上の光明 至悦以上の至悦 わかることのわからないことの彼方の
サマディーを体験したからとて それが何だというのだ
庭先にマーガレットの花が咲き乱れ すずめの鳴き声はすずめの鳴き声らしい
そして わたしは生きているらしい・・・ 時には不安にめいり 時には極楽のエクスタシー酔いながら
私はどこからどこへ行くか知らないばかりか
こう書いていることも こう書いている私とやらも ぜんぜん知りはしないらしい・・・
やれ観念的だ抽象的だ やれ実質がある実行がある やれ現実だ夢だ
私たちは何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか
草花が初夏の風にゆれることが現実であろううか?ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?
誰も何も知りはしないさ・・・
私はとこしえに楽しく生きたい! たとえ、それが、まっかなウソであろうと。
■
441 2009/08/26(水) 09:49:33 ID:h/VmtcOq
永遠の旅に出る
あらゆるものが そのままで 絶対なのだ。
だから あらゆるものは 夢としては相対し愛し合っている。
一つの雨だれの音声がエメラルドの海と完き解放の太陽を誘う。
バランスがパラノイアであればパラノイアはこの上ない甘美なバランス。
もっとも弱きものは神となってこの地をつぐ。
複雑で不安な頭脳はこの上ないシンプル。
とうとう私は神になった。
あなたが神であればどうして私が神でないことがありえよう。
さあすべてが終わった。 私達は今永遠の旅に出る。
■
442 2009/08/27(木) 13:53:06 ID:j199yALc
月並みな言葉だが、ねえ、あんた、愛は愛を愛している
■
443 2009/08/28(金) 15:46:40 ID:7eJtt8Dh
あらゆるものを知りたいという欲望が完璧になり、あらゆるものを後にする用意ができた時に、また戻って来い。
■
444 2009/09/01(火) 11:27:05 ID:LonNGPhi
危険とか障害とかは エゴのみにとってのものである
それゆえ現代においては 真実の瞑想は反自然的行為に見られる
君が慈愛を感じたり 君が何かを愛したりすることはない
君がすでに死んでいるのなら 慈愛のみが満ち渡っている 愛のみが満ち渡っている
何ものも救うことはできないし 救う必要もない このことを頭によらず理解したら
君は正真正銘の救世主であり 救うというマインドなしに すべてを救うように生きている
死を恐れる必要はない 死はひとつの解放されたリアリティーの中で始まる
死がわかる度合いが生を愛する度合いなのだ
生には究極的には緊張はない しかし 生を生と呼ぶ限り 緊張の波が 一つの断片なのである
断片の集合は、全体者ではない それ以前に 断片の集合によって何を意味しているか知らねばならない 。
■
445 2009/09/01(火) 11:28:20 ID:LonNGPhi
神には一つの策略がある 人間が、目覚めんために それは、千変万化する、
あなたは、あなた自身のライフスタイルを発見せねばならない
便利さ快適さは、決して幸福を産まない。能力や技術、決して真実を明らかにしない。
真実に到達するためのいかなる修行も、あり得ない。
だが、真実の中には、方法も修行も、能力や技術も、幸福も便利さも快適さも含まれている。
アトランテス文明は、少数の生き残った覚者達の手によって、神を実現する方法、アメンティータントリズムを、
エメラルドタブレットとして遺産とした。
だが、この現代文明には、遺産とすべき果実がない。
神を実現した人々は余りに少数であり それは 今だ一度も、文明化されなかった。
私達は、熱核戦争の下で 少数の後世の人類のために、アメジストタブレットを、残さねばならなくなるだろうか。
ちなみに、アメジストとは、西暦二千年前後から本格的に影響を発揮し始める、アクエリーアスの時代精神のシンボルである。
いずれにせよ、この書は、プロローグである。あなたが、神に目覚めるための、ほんのちっぽけな道標である。
この文明らしきものの終末後、神に目覚めた、水晶の魂を持って あなたは、まったく新しい文明を、産みだし得るだろうか?
■
446 2009/09/01(火) 11:43:37 ID:LonNGPhi
すべてに対する全面信頼、それが瞑想の出発点であり帰着点である。
例えば、只管打坐とは、信・不信を超えた全面信頼にただ坐っているだけのことだ。
ダンテスのメシアンタブレットに相当するものとして、現時点までには、次のような書物がある。
道元による「普歓坐禅儀」・「正法眼蔵」・「ヨーガ・スートラ」・「シヴァ・サンヒーター」などシャカによる「大安般意守経」
バグワン・シュリ・ラジニーシによる「瞑想―祝祭の芸術」百丈禅師による「坐禅儀」
呂祖師による「太乙金華宗旨」・「慧命経」天台大師による「天台止観」
J・クリシュナムーティーによる「自己変革の方法」クリシュナによる「バカヴァット・ギター」
「老子道徳経」
ダンテスによる「メシアン・ハンドブック」
その他、もろもろのものがあるが、いずれにせよ、禅なら禅、ヨーガならヨーガ、
一つの道を極めるのがベスト・ウェイだ。
■
447 2009/09/01(火) 12:15:03 ID:LonNGPhi
神聖なる書物は、すべてニルヴァーナガが、神ロゴスと顕れたものを、仮に言語化したものにすぎない。
それらは、一つの天体・地球や 一人の人間・人類に
聖なる進化をうながすための 進化を与えるためのものである。
一つの植物が発芽し そして花が開き種子となるように 地球にも人間にも花開く時がある。
一輪の野の花が、現代文明の実用的観点からは黙殺されるように、
花開いた人間、すなわち覚者も、実用性の上からは何の意味も持たない。
この無用性こそ実用性の基本であることに目覚めぬ限り、現代商工業都市文明は、花開くことなく西暦二千年前後に崩壊するであろう。
一輪の野の花が、他者の何者に対しても自分から影響力を行使しないように、
覚者は決して無理強いしない。
文明終末期の人間達は
1、何が善で何が悪なのか判断できないほどに成熟する。
2、次に深い深い内面の旅によって、まったく新しい善悪の判断を体得する。
3、そして正しい善悪の判断、正しい善悪の相補性を身につけながらも、善悪を超越する。
4、無価値の価値が体得された人類には、まったく、新しい、初めての文明が始まる。
あなたが、エデンの園から追放されたのは、神の意志であるが、東洋的重農文明を選ばずに、
西洋工業都市文明を選んだのは、あなたの意志である。
それと同様に、管理下と堕落を選ぶか、霊的進化を選ぶかは、神の意志ではなく、あなたがたひとりひとりの意志と努力にかかっている。
それが、どのような形象であろうと、形象を持っている事が地獄の始まりであり、
そして、それこそが、神のかけがえのないゲームなのだ。
完全な絶望は、一つのあるがままの状態を産む。そして、現代人の大多数にとって完全な絶望は不可能だ。
完全な絶望は、本当の幸福・愛情・信頼からしか起こらないのだから。
死の直前にも、絶対者の開示は起こりえる、ただし、意識・知覚が、充分に澄み渡っている場合には。
絶対者の開示は、一瞬にして、有限なる人間性を超えた 久遠の生命の源泉を、あなたに、ふりそそぐ。
■
448 2009/09/01(火) 12:45:54 ID:LonNGPhi
神は左回りに絶対無へ帰ってゆく、そして、右回りに、あらゆる万象を流出する。
それが、この現象界の卍のビジョンの意味だ。
それは、この次元の、あらゆる現象に適応できる一つのモデルである。
但し、あくまでも、アジナーチャクラにおける 一ビジョンにすぎない。
夢想することもできないだろうが、君自身は、すべてと、すべてのすべてを知り尽くしている。
けれども、それも又、どうということはない。
人は、完璧に、地上にいて地上にいないのがいい。
地上の欲望による堂々巡りのトリックを実感する度合いに応じて、
君は君自身を思い出し始める。
この世の出来事は、それが、どのように長い時間に思えても、一刹那にすぎない。
あの世の出来事についても同じである。
霊界の中心太陽とは、創造の光の発出現にすぎない。
個生命達は、顕界と霊界とに交互に転生しながら、果てしない旅の途上のどこかで、
中心太陽に飲み込まれていく。
■
449 2009/09/01(火) 13:13:07 ID:LonNGPhi
リアリティーとは対立の統合ではない永遠の対立である。この、考え方は、人間的知性の限界の表明にすぎない。
リアリティーとは、永遠の対立であり。久遠の統合である。
正反対のものとの和合によって 個生命は成熟していく。
成熟とは、人格の器量と柔軟性との質的深まりのことである。
ニルヴァーナ・神 あるいは全面的統合は、人格成熟の延長線上には決して現われない。
超越的感覚と人格成熟とには、いかなる関係もない。人格的成熟とは、永遠に相対概念である。
七つのチャクラとは、人間的機能としては人間的次元の七つの認識形式のことであり、したがって七つの欲望のことであり、七つの質的に違った快楽のことである。
人は一切皆苦の洞察によって七つのチャクラをつぎつぎに卒業していく。
一般に個生命の最終的成熟とは、人生と世界との現実認識体験にもとづく、よりよき適応状態のことである。
完全に近い人生と世界との適応状態には、完全に近い幸福と絶望とが、ともなっている。
瞑想ほどの、理論と実践のくい違いが激しいものはない。
君が本物の悟りをかいま見る、それが、本物の煉獄の出発点だ。
君にとっては、真実の悟りは、至高の快楽であるにすぎない。
君という欲望は、結局、一つのものしか求めてはいない。
それゆえ君とは、苦そのものに他ならない。
いとし子よ、どのように過酷で冷たい冬も、初春を迎える時が必ずくる。
ただし、君が、あくまでも正しく生き続けた場合には。
これがヨブ記の単純な答えである。
正しく生きるとは、君が正しいと思った、信念やイデオロギーを生きることではない。
まちがったと思ったときに、ただちにその間違いを認めることである。
■
450 2009/09/01(火) 13:29:50 ID:LonNGPhi
初心者にとって瞑想とは、永遠をかけた全面的努力である。
そして、純粋瞑想が開示されるのは、時節が熟した、ほんの一刹那の瞬間。
瞑想とは、全次元存在と絶対的非在との、最終的結末であり、
それと同時に、その中間であり出発点である。
それゆえに、人類の全努力は、純粋瞑想に打ち込むための余暇を作ることにある。
快楽は苦痛であり、安心は不安であり、満足は不満足であり、悟りは迷いである。
これでよいのだ それでよいのだ
ただし、君は決して、これもそれも信じてはならない。
■
451 2009/09/01(火) 14:32:00 ID:LonNGPhi
霊的ヴィジョンと禅で言う魔境とは、同じものである場合もある。
霊的ヴィジョンは、仮称なるこの世にとって、ある種の客観性を持っている。
その客観性とは、科学的合理性と投下の実用性を持っている。
光が神の霊的ビジョンであり、あらゆる霊的存在次元の諸形相は、
光と闇との、多様多元な結合によるあらゆる種類のリアリティーに過ぎない。
例えば、霊的中心太陽は一つの実在であり、この現象世界は、その最も外側を右回りに旋回している。
もし霊的中心太陽を、大日如来の中心としてとらえるならば、十の次元を見降ろすことができる。
霊的中心太陽と その最も下層に属するこの世との間にいわゆる神霊界が実在する。
したがって、神霊界が、この世の原型であるという言いかたもできる。
もちろん、悟りそれ自身は、霊的中心太陽の光でさえないし、また、実在しているとも言えない。
ブタが空を飛んでいる。完全な無意味さを愛しているのは誰か?
私は誰か?誰かとは誰か?
生前解脱を果たしても、肉体がある限り、欲望とカルマとがなくなってはこまる。
欲望は、現実という夢を仮作する。だまされているのだ・・・ 現実という夢に。
一切皆苦・諸行無常・諸法無我。あらゆる個別性は苦である。絶対確実なものは何一つない。
永遠不滅なる実体は存在しない。
これが、だまされているという現実の単純な論理的分析である。
真実の愛は、絶対絶命なる虚無を極めつくさねばならない。
物質性から見れば、神もまた一つの物質に他ならない。神から見れば、物資もまた一つの神性である。
■
452 2009/09/01(火) 14:55:29 ID:LonNGPhi
ニルヴァーナも、もちろん夢の戯れである。
これを知れば、君は、君自身が久遠の人間であり、君という人間性が、無限少の一細胞であったことに気づく。
体験という用語を使うのなら とにかく、ニルヴァーナは体験した方がいい。
なぜなら、一切生類は、ニルヴァーナから生まれ、ニルヴァーナを再体験するためにあらしめられているからだ。
もっとも、体験されたニルヴァーナはニルヴァーナではない。
老子道徳経もまた、純粋瞑想からの手引きだ。
老子を読解する要領は、老子が、戯れの微笑で、老子五千言のメッセージを、書いたのだということ。
山本玄峰老子は、自身から息を止めて臨終したが、
その臨終の瞬間「これで浮世狂言も終りだ」と言ったとか。
終わるはずもない浮世狂言が終わるとは。
これこそ浮世狂言ではないじゃろか。
対外的あるいは対人的な神経過敏は、君が、実存としての感受性を守り抜いていながら
その正しさを疑うことからくる。
デタラメきわまりない、社会性という、欲望ルールを、あまり信じすぎてはいけない。
個別性の世界から見れば、すべては二元対立であり、その対立に終りがあってはこまる。
統合性の眼から見れば、あらゆる相対は、相互扶助に映る。
■
453 2009/09/01(火) 14:58:29 ID:LonNGPhi
肉体の栄養は食物である。
エーテル体という網状組織の栄養は呼吸によるプラーナ・気である。
アストラル体の栄養は、情念をともなう映像や言葉である。
メンタル体の栄養は、思索であって思考ではない。 思考とは、肉体頭脳の機能であるにすぎない。
思考には、欲望とその目的がある。
思索には、欲望を原因とする動機はあっても、目的がない。
この思索が一つの限界に達した時、直感が生まれる。 直感には、いかなる動機もない。
思考が、衣食住以外の実現不可能な快楽を目的とした時、ストレスが生じる。
したがって、瞑想とは、思考を単に停止させることではない。
弱肉強食は真実だ。弱きものは強きものとなり、強きものは弱きものとなる真実だ。
通常・考えられている弱肉強食と理解するなかれ、それは、修羅界の一種類の真相にすぎない。
君そのものが一つの緊張である。瞑想とは、完全なリラックスであり、存在の全面的戯れだ。
だが、そこに至るには、限りない限りない限りない、全面的努力と緊張がともなうであろう。
瞑想とは、思考を停止させることではない。心の底から、身体の底から、考えに考え尽くすことである。
いわゆる大人と称する、未成熟な大人たちが、「君、それ考えすぎだよ」という。
ほんとうの全身全霊的な思索からしか、決して成熟は、起こらない。
思考は常に打算的である。一つの問題が起こった時、思考はあらゆる手段で、その解決を計ろうとする。
問題そのもの、手段そのものを、決して見ようとしない。
■
454 2009/09/01(火) 15:00:43 ID:LonNGPhi
人は物質的豊かさを求めて、一生、汗して働き、さて暇になったら、
絶望して悪事に走るか、頽廃野中に埋没するか、人生の無意味さに自殺するのですか?
現代人の言う、物質的豊かさとは、一つの精神的慰安への欲望に他ならない。
なぜなら、人間にとっての、本来の物質的必要性とは、単純な衣食住の充実に過ぎないのだから。
衣食住の不足の中には、自殺に至るまでの絶望はない。
あなたが、どれほどまでに外的に豊かであっても、あなたが、愛に変容するまでは、
あなたは、あなたという絶望の中にとどまる。
バビロニアもしくはカルデア占星術は、その起源をアトランテス密教の中に持っている。
事実、黄道十二星座と、太陽系の太陽を含めた十惑星は、アストラル体内の十のチャクラや
スシュムナ・コードの上の七つの大チャクラと対応している。
それは、肉体内の七つの主要な内分泌線に作用し、ホルモンのバランスを変化させて、
ある特定の行動や感情や思考を人間に起こさせる。
絶対者のフォースは三つの位相で働いている。
一つは神ロゴスから人体内へ直属しているクンダリニー・エネルギー。
二つは、絶対者それ自身の全面的エネルギー・フィールド。
三つは、この次元の大自然界に充満しているプラーナ・フィールド。
これはあらゆる呼吸形式で吸収することができる。
絶対者の全面的エネルギー・フィールドとは絶対愛のことである。
したがって、物理学で言う、空間・時間・物質・エネルギーは、単なる仮説にすぎない。
重力は肉体に作用しても、エーテル体以上には直接に作用しない。
したがって反重力の秘密は、アストラル体以上の目覚めにあるだろう。
なぜ、エーテル体以上のボディもしくは知覚は、上昇するように見えるのだろうか?
■
455 2009/09/01(火) 18:55:50 ID:LonNGPhi
なまじ、悟り、見性っていうのを幾度かやるとね、かえって普通の人よりもどうしようもなくなる。
「うんとね、瞑想寺院ってのはさ、避難所みたいに考えていいわけ?」
もちろん、どういう風に考えてもかまわない。
唯、基本的にはね、それは、あの、社交場でもあるが、ある時期まで社交場でもあり、
何故なら社交って言うのは君たちの精神健康にとって、とても大切な事だ。
君たち余りにもぬけがけしたいと思いすぎるがためにね、人と人との関係さえ満足にできない。
だから社交場、大いに必要だ。
唯、その前提は例外が唯一つも無いということ。みんな、同じなんだ。
それさえ分かっていたらとても楽しい社交場になるよ。
ところが君と俺とは違う、俺のが一段階悟りは深い、なんてやりだすからおかしくなる。
俺は恐怖を感じない、君は恐怖を感じているなんて振りをするから、いよいよやりづらくなる。
みんな同じなんだ。一番最後の最後。
すべてが終わった所に到達しない限り、人間はどんな風に上手いことトリックを使って暑い仮面を被ってても皆、同じ穴のムジナだ。
同じだけ不安に悩み、同じだけ内面では恐れ。
そして、その違いといったらさ、上手く内面の不安や恐れをだまかす事が出来るタイプの人間とさ、
それが出来ないタイプの人間との差に過ぎない。
『一度きりの君たちだ。そして君たちが死んだら、永遠に、永遠に、永遠に、
今ある君たちがくり返されることはない。たとえ無限の時間が経ったとしても・・・。』
■
456 2009/09/01(火) 18:57:00 ID:LonNGPhi
進化が神様といっていい。成長が。成熟が。
そして、そして、一番さいごのカルマを通じてね。自分がほんとにそのカルマにたいして全力をかけたなら。
一番最後に至る。神自身に、俺自身に。
その時、すべての答えがそこにある。今まで不可能だった安定と自由の欲求。その二つが同時にそこに在ることがわかる。
しかも、それは絶対の安定であり、絶対の自由だ。
つまり、絶対の喜びであり絶対の安心なんだ。その時、もうどんな方向も君はつくりだす必要がない。
君たち、まともにホントに鏡見てごらん。
自分でさえ、ちっとも知っちゃいないってことがわかるさ。知ってるつもりになってるだけだ。
よーく、見てみろ。初めてみるようなもんさ。ほんとにマジで見たら。
「あれ、この人だれだろ」それぐらい神秘なんだよ、君たち一人一人が。
そして宇宙っていうのは、君たちのそういう神秘さと同じだけ、神秘だ。
それは正に一つの、一本の花だ。一本の野の百合だ。
そして、それは花開こうとひとりでに動いている。
よく、誤解するのはね。なにか努力しないでリラックスしたら物がひとりでにさ、整うっていう考えかただ。
それはね、ある成熟の段階ってのを超えたときに言える言葉だ。それ以前は断じて努力だ。
断じて自分の誠意をそこにかけなきゃいかん。じゃなきゃ、ほんとに花開かないで死んじゃうよ。
人間にかかってるんだ、宇宙ってのは。いや人間なんて抽象的だ。きみにかかってる。
が、何れにせよ一番この世の中で大きい出来事っていうのはね、たった一人の人間の中で花が開くってこと。
だが、とにかくこの三十年のうちに君たち、の花を開かせなくてはならない。
で、花が開くって事はね。すべての存在っていうのが存在自身を祝福するっていうか、賛美するっていうこと。
その時、すべてが分かる。すべてが。
■
457 2009/09/01(火) 18:59:54 ID:LonNGPhi
唯、肝心な事はね、君がよかれ。より良く、より良く、より良く、っていう気持ちでもっているってことだ。
それはもちろん迷いだ。究極の立場から見れば。
が、ね、それ以外に究極まで行き着く方法はないんだ。
「誰でもやはり?」
そう、誰でも、その迷いの中から出発する。
そして、そのよりよくってものを捨てて、うん、もう、問題ないって言ったらね。そ
れはもう、なにも生まない。淀んで、つまらない、ろくでもないものしかそこには出てこない。
花は開かない。
じゃあ、何のために花なんか開く必要があるのか?これには二つのこたえがある。
もちろん、「花なんか開く必要がないよ」って君たちが朗らかに言えるとしたら、君たちは花が開いているんだ。
が、何か理屈ぶって「花なんか開く必要ねえじゃねえか」、って言うんだったらね。
君たちはさ、まさに花を開く一過程としてその経験をしているとしか言えない。
なぜなら、君たちに宇宙があるんじゃないんだ。君たちにこの『もの』。名づけようもない、この『もの』。
この全体があるんじゃないんだ。この名づけようもないすべてといのが君たちを在らしめているんだ。
宇宙は花開こうとしているんだ。そして君たちは今、俺という花を見ているんだ。
そして今君たちは俺という花と一つになっているんだ。頭がなんと言おうとね。
■
458 2009/09/01(火) 19:04:55 ID:LonNGPhi
ダイジ 「人は、そう、俺たちはどうして一人っきりになるのをそんなに怖がっているんだ。うん?」
「確かなものが、ないからです」
ダイジ 「うーん・・・一人っきりになると空虚であることがいよいよはっきりしてくる・・・
そして、それでいて今度は外に・・・・色々な人と付き合うとか・・・いろいろなことをやってみる。
ああそんときはいい。うまくいける。
・・・・だけど、だけど、、、今度は人さえ恐れる。
同じ原因だ。
だってきみたちは、とにかく、おれは空虚ではないってあくまでもがんばんなきゃいけないから。
ただ一つも例外はない。
ただ一つも例外はない!
この世に例外なんてただ一つもありはしない。
だからこそ愛があるんだ!
自分だけ違う
自分だけ力にみちてる
自分だけ完璧だ
そんなこはない・・・そんなバカなことはない
そして一生懸命ぬけがけすることを考える。
だからいよいよ人を怖がる。・・・・なにしろ、ぬけがけしたような様子を見せても、自分の内面じゃちっとも優越してないことを知ってるから」
■
459 2009/09/02(水) 19:38:50 ID:O2NXoKWL
知らぬが花なのよ、少なくともブタたちにとっては。
言い古された言葉だが、民主主義も共産主義も、愚衆政治にほかならない。
不幸は、ブタをブタ小屋から出したところから始まる。
現在の人間進化のステップでは 99パーセントは、ロボット、もしくはブタである。
現文明の崩壊は、とっくの昔に始まっている。
そして、それは逃げるすべのない宇宙テストでは、あるのだが・・・
ところでブタが本当にブタであり、ロボットが本当にロボットなら
それはそれで素敵だ。
賢者といい聖者といい超人というも
結局、本物のブタでありロボットであることに違いない。
老子よ、あなたはなんという俗物なのか!他のありとあらゆるものと同じように。
産まれて、生きて死ぬというのに、君はこの上何を問題だというのかね?
■
460 2009/09/02(水) 19:51:18 ID:O2NXoKWL
人は、その夢の途上で倒れる。ただ夢も時間もない、あらゆる絶対体験・--
パーフェクト・チェンジング・モメント
あらゆるかたちでの、
エクスタシーのサムシングのサムシング。
ある歌い手は自由を 私なりに追求してきたんだと歌う。
だが、自由ってなんだい?それは ある種の力のことかい?
インドのプリーで若いガンジャ・ババの卵である。スイス人の青年が言った。
「この世界はドリームでしょ・・・?」
私はなぜか知らぬがこう答えた。「これは夢であり、真実だ」と、
ヂャニス・ジョプリンはアルコールとドラッグで若死した・・・
酔いを味わうだけらしい・・・
高いも低いもどうということはない
優秀と劣等とを誰が一体決めるというのだ それでも月は月を生きて死ぬ
スッポンはスッポンを行ききる
こうあるらしいことが こうあるらしいのだ それにしてもこの一瞬よ! ああ、この一刹那よ!
説明できない力が、生命を駆り立て続けている。
私はすべてらしきものとして 酔いを味わうだけらしい・・・
■
461 2009/09/02(水) 20:00:59 ID:O2NXoKWL
パラノイア
パラノイアはおもしろい 私たち人間は、みんなパラノイアだ。
欲望が標テキを仮作する 人間コメディーの幕が上がった
果てしなき流れは終りがない 無限の大海のまっただ中にいるのも知らずに
そこで物語が尽きることなく演じられているというわけだ
大いなるマーヤ・・・ 甘美なる欲念相続・・・ 不可思議な神の遊び 不可知な神の戯れ・・・
さあ、さあ、物語はすでに進行してるんですぜ!
この演技の唯一の観客は、神様ただ一人
あの、ニンマリと微笑を浮かべた あいつだ!
だが、あいつもまた 一人ぼっちの役者に過ぎないかもね・・・
夢を夢と見るも夢
夢を夢なる夢のまた夢・・・・・・・・
三神歌―――
われもなく現し世もなくなにもかも
夢の中なる夢のたわむれ
われもなく現し世もなくなにもかも
神の中なる神のあらわれ
われもなく現し世もなくなにもかも
なにもかもなしなにもかもなし・・・・
■
462 2009/09/03(木) 06:58:04 ID:spN2kpfM sage
以前にダイジの肉声をアップしてくれた方、ありがとうございます。
ご批判を受けたようですが、少なくとも私にとっては宝物です。
多分、一生聞き続けるような気がします。
本当にありがとう。
■
463 2009/09/03(木) 07:22:50 ID:c1a7zOaH
精神病院内の異様な哲学的凡景
シーク教徒は、鉄製のハンドリングをその手首につける。
そのハンド・リングは、火星を意味する。
日本人種は、現在、地球上で 最も知的な民族であり、
かれらは、四六時中読書にふけている。
ブレインダメージは、もうなおらないんですか?ドクター。
ドクターとは、ドッグ・スター、すなわち犬星を現している。
犬星とは、条件をほどこされ 地位・名誉・権力・金・セックスという牢獄である。
彼は戦場で愛の死を見た。死の前にはすべてが、ナンセンスであった。
君は何が欲しいのかい?それ以上。
■
464 2009/09/03(木) 07:27:25 ID:c1a7zOaH
これしかないもんだ
人も浮世も猫もシャクシも そんなものありゃせん これしかないもんな・・・
これしかないもんな そうゆうわけで一切万物は 恐ろしく恐ろしく
甘美で至福なる これしかないもんだ
苦しいより楽しいほうがいいのはもっともだけれど・・・
それを超えるのは、もっといい
なにしろ これしかないもんな・・・
■
465 2009/09/03(木) 08:47:11 ID:c1a7zOaH
帰っておいで
自分が存在しているという世界の存在は 結局あらゆるものに 悪意をもっている
新宿駅で飛び込み自殺があった 係員がレールのあちこちに散った 肉体のかけらをひろっていた
人間は無限のかけらにすぎない・・・
これが最もごうまんなる人間の 至高のセンチメンタル・エゴイズムだ
人間は無限なるものの一部にすぎない・・・ かけらと一部とは似たようなものだが
貝とコカコーラ程の違いがある たいした違いじゃないけれどね・・・
人間は無限なるものの一部に過ぎない・・・
これが 人間性の究極の深遠である
これが人間の魂の基調音である これが人間にしての最初にして最後の美
あるいは人間性そのものという何ものか
君は果てしなきものの一部にすぎぬ
だから 果てしなきものに帰るがいい!
もっとも、その頃には、君という人間性の夢も 夢の中へ跡形もなく消え去っている
とにかく どういうわけか、超えていくのさ 超えていくんだ
石を超え 山を越え 彼女を越え いとしい娘子を越え スモッグを越え 文明を越え
ニルヴァーナを越え 越えることを越え・・・
そして 帰っておいで 今 ここに
■
466 2009/09/03(木) 08:57:54 ID:c1a7zOaH
わが父に感謝をこめて
どんなにえらくなったつもりでも どんなに落ちぶれたとなげいたつもりでも
父よあなたの命なしには 今の私はありえないのです
ありがとうおとうさん ありがとうすべてのいのち
どんな人でも 心の底では 自分も宇宙も どうなるものでもないことを深く深く深く知っています
おとといは どんよりしたくもり空
きのうは あたたかく輝く初夏の甘やかさ きょうはカラスが鳴いています
おれはカケヒキとハッタリと鉄面皮の 油ぎった支配者だ!
おれは 一ぷくのタバコの煙に 共感の涙を流す か弱き浪費家です
なんでもいいんだ スチャラカチャン! どうでもいいんだスチャラカチャンチャン・・・チャン!
■
467 2009/09/03(木) 09:06:04 ID:c1a7zOaH
まるで一輪の野の花のように・・・
何が何だと言うのだ これはこれなんだ いいや、これはこれだという必要もない
何もかも何もかもいいんだ こんなことを言うのも愚かしい それ位これはこれなんだ
生命はジグザグに進む 絶対の到達点などありはしないからだ この静けさを分かってくれるだろうか?
しかも、生命は流れる ニルバーナといったところで
それもまたひとときのふるさとにすぎない
何もかもがすてきだ 何もかもが、時間でない今を楽しんでいる
極楽の極楽と極限の地獄とを戯れている
私は何と無駄なことを書いているのだろう とことん無駄だと知りながら・・・
まるで 一輪の野の花のように・・・
■
468 2009/09/03(木) 09:16:49 ID:c1a7zOaH
タオ
これは絶対でも相対でもない 流れているわけでもないし 久遠の静寂というわけでもなし
これはこれだろうあれはあれなんだ
静かじゃないかい・・・うれしいじゃないか 哀しくもあるしね
もちろん 恐ろしくもありんす
みんな生きてる なにもかも死ぬ
そんなにツッパルなよ! もっともっとどうしようもなく、ツッパレ、ツッパレ、ツッパレ!!
無が有を産んだのだろうか? 有が無をあらしめたのだろうか?
それとも、無と有が同時にからまっているのか?
ニルヴァーナが真実なのだろうか?マーヤが真実なんだろうか?
それとも、
ニルヴァーナもマーヤも真実なのか?
それじゃなきゃ、
ニルヴァーナもマーヤもありもしないのか?
いいじゃないか?
断じてよくない!!
いいじゃないか!
いいやだめだ!!
・・・・・・・・
秋の虫たちが鳴いているよ・・・
■
469 2009/09/03(木) 09:24:31 ID:c1a7zOaH
題名は?
バイクの ケタタマシイ戯れ
ああ ヘドロがあるヘドロがある ああ 花がある花がある
完全なるニルヴァーナがいる 完全なるマーヤが今っている
どっちがいいといったものでもない
メイッテ、メイッテ、メイル
ステキで、ステキで、ステキだ
秋の虫が鳴いている
老子はおさな子のように泣いている
なにもかもがいいという言う必要もないだろう
■
470 2009/09/03(木) 09:27:54 ID:c1a7zOaH
自動車ブーブー
瞑想が公案なのだ!?
公案が瞑想なのだ!?
瞑想が瞑想なのだ!!
そして
公案が公案なのだ??
戯れは果てしがない
■
471 2009/09/03(木) 09:44:31 ID:c1a7zOaH
距離
距離などというものはない 遠い遠い昔も未来も『これ』にしかない。
すべての二元対立を悪戦苦闘して 私の最後の疑問に到る。
私は何か? すべてをすべてと認識しているわたしとは何か?
誰が私などというものを現しているのか?
こう現われている このわたしとは何か? こう書いている私は何か?
私を忘れている時の私とは何か?
そもそも すべてとは何なのか?それさえ まだるっこしい。
これは何だ?これ何者ぞ? これは何だ??
ああ、人間の果てまで来てしまった――というこれは何だ?
そんなことどうでもいいという――これは何だ?
これは何だ???という――
これは何だ?
断じて知的疑問ではない
■
472 2009/09/03(木) 09:57:18 ID:c1a7zOaH
不安
いい経験をすればするほど不安はつのる。
が、不安に対処する手段はない。
至福は起こる。それは、おのずから生ずる。
完っき至福――
それは人間が求めてやまないものだ。
だが、『これ』は至福以上だ。 ぜんぜん比較になりはしない。
そうなのだ
そうだ、あらゆる経験を 限りなき経験を 地獄を至福の極楽を経験して経験して体験したいのだ!
私の中に
あると思われる様々な観念―――――――
一体その正体は そりゃ何じゃ?
苦を不安を退屈を倦怠を わけのわからなさを どうしようもなさを 誰がうえつけたというのか
だが、素敵な状態は やぱり繰り返したいし、永遠に続きたい!
すべてのすべてが
神だと私自身だと、至福や自由だと、言える『時』よ!
時を求めれば、時を遠ざからしむ。
時を忘るれば、ただちにその時だ。
■
473 2009/09/03(木) 10:10:53 ID:c1a7zOaH
坐禅
特に只管打坐は
その本質は 百パーセント万事休した姿勢でしょ
つまり
あなたは何者でもないかもしれないのだ
牢獄 束縛 催眠術 死 未知 不可知? 疑い 不安 空しさ
情熱 おお、めくらの情熱よ! サットヴァ質の極点よ。
神なるもの 絶対無の限りなき光なるものの・・・ あらゆる忘我の時よ! あらゆるエクスタシーよ!
臨済も普化の禅機にはかなわなかった。
この世に新しき言葉なく この世の神秘は続く・・・
能力によっては 至福は得られない。 それは時なのだ。時がすべて起こす・・・
■
474 2009/09/03(木) 10:34:00 ID:c1a7zOaH
すべてが
こうである以上にこうである
そのすべてがすべてでいいんだ
いいや、いいんだ以上のいいんだ
聖人タイプは、すべてのすべてのすべての絶対を欲望する
相対と対立する絶対ではなく
絶対即絶対に至れば もともとなんということもない。
人様にメイワクかけ、世界にメイワクかけ、自分にメイワクをかけ続ける、
いわゆる俗人様つまり恐れ多くも御ブタ様々タイプは、
喜んでいるのか悲しんでいるのか・・・
楽しんでいるのか苦しんでいるのか・・・
ガンにかかってシチテンバットウしている人がミジメなのだろうか???
モグラの近視眼で、国をウレエ、世界をウレエ、だが自己をウレウルことだけは、さけて、
立派な偉大な事業に励んでおられる。
私は心の底から頭の下がる思いだ!
どういうわけか、私は苦しいのより楽しいのが好きな性分ときている。
さて、
何もかもが、ありとあらゆるもの、まったくないといったもの、
シッチャカメッチャカのすべてのすべてが、生命なわけだから、
生命ゆえに、価値も意味も方向もありはしない。
それが、どのようなプロセスを得たニルヴァーナ・エクスタシーであろうと、
それでも、あるのなら、何もいうことはない・・・・・・・・・・・
チェッ!オレは行っちまった!
■
475 2009/09/03(木) 13:32:27 ID:c1a7zOaH
>>474
訂正 ×行っちまった
○言っちまった
■
476 2009/09/03(木) 13:41:38 ID:c1a7zOaH
かのように・・・
あらゆるものは そうなる以外ないかのように生々変化する。
そうなってゆくそのままで完全にいいのだ。
不安や苦痛や恐怖でさえ神の中なる神の戯れ。
それでよくない!と言ったところで、ストーブの上のヤカンのお湯はうなっている。
欲念相続
悟りへの修行
これもまた他のあらゆる人間営為と同様に
欲望の一形式であり、したがって、欲望のあるところに苦しみがあるのは、当然である。
解脱への修行は
他の一切の人間の欲念の戦いと変わることなく、苦あれば楽ありである。
ああ、それにしても、余りの戯れよ!夢よ!
■
477 2009/09/03(木) 14:05:47 ID:c1a7zOaH
セイナルものという夢
本ものもニセものもない。
あなたがたは、聖なるものという夢を見ている。
絶対に信じられないほどの聖なる体験はある。
だが、
聖なるものなぞどこにもない!
バグワン・シュリ・ラジーニシ―――
奴はシッチャカメッチャカだ。本ものだ。
終末が産んだ本もののコメディアンだ。
奴は最もタチの悪いテクニックで、バグワン中毒を伝染させている。
奴もそう長くはない。
だが、奴は正真正銘の本ものだ。
伊福部隆彦先生―――
老子の再来である。
酒で悟りを持続していた。
悲しいほどに本ものだ。
余りに悲しすぎるほど本ものだった。
ババ・ラム・ダース―――
間違いなくニセものである。
この人物は、
自分が本もののコメディアンであることを知っていない。
だから、自分を神のコメディアンだと思い込んでいる。
■
478 2009/09/03(木) 14:06:42 ID:c1a7zOaH
高橋新吉―――
ロマンチストだが、
どうにか一人前になりたての禅僧だ。
ロマンチストゆえに遊びがたりない。
大森曹玄老子―――
この人とは話し合うのもごめんだ!
木村虎山老子―――
釈迦より偉大の上に偉大だ!
無眼子、何の眼力もない。
ただ、淡い定力と、
仏法そのものなるプライドと、
法に対する素朴な親切心があるばかりだ。
チョギャム・ツルンパ・リンポチェ―――
血わき肉おどる理想主義者。
本ものだ。
だが、新宿のトルコ嬢には
とてもかなうまい。
■
479 2009/09/03(木) 14:07:28 ID:c1a7zOaH
桐山靖雄―――
ニセモノ。
立派な野心家。
とても出口王任三郎や空海ほどにはいけまい。
ニセモノの度合いがゆるすぎる。
グル・マハラジという青二才―――
ニセモノ・イカサマシ。
ただの人。
君は君なんだ。
それ以外にない。
犬は犬なんだそれ以外にない
■
480 2009/09/03(木) 14:32:51 ID:c1a7zOaH
大志をもて。
かつて男にも大志があった。
地位・名声・権力―――
それらは、一種のオルガズムであり得た。
あるいは、知的探求・芸術的創作―――
少なくとも幾ばくかの陶酔を与えてくれた。
男の性的快楽なぞ淡いものだ。
だから男はいつの日か英雄になることを夢見た。
だが、自意識の頂点では、英雄の夢は破れる―――それは生物学的必然なのだ。
破れた夢は、一つの暴力と化す戦争はすぐまじかにある。
人間を大自然に憩わしめるのは、オルガムズ以外にない。
悟りは究極的なオルガムズなのだ。
今や文明は終わった。究極的オルガムズに帰るに最適の時だ。
女はと言うと、女は女でなくなった。
現代女性は自意識的に快楽を求めつつある。
だが、自意識のあるところに全身全霊的オルガムズのあったためしはない。
独立した女は、もう奴隷になることができない。奴隷になれなければ、本当の性的悦楽などありっこない。
性的欲求不満の女達は、自分の産んだ子供を愛することはできない。
おお、宇宙よ!女には性的オルガムズを、男には宇宙的オルガムズを与えたまえ!
■
481 2009/09/03(木) 14:59:21 ID:c1a7zOaH
実際のところ・・・
実際のところ帝王とは奴隷である。だから宇宙の奴隷になるがいい。
支配者はつねに被支配者とファッキングしている。
創造主はつねにつねに被造物とファッキングしている。
―――この認識が、すでに。
誰かと誰かのファッキングなのだ。
だから本当に破れかぶれになればいい!
それは一つの素直さであり得る。
信頼とは何だろうか?
それは、信頼なぞ どうでもいいということにほかならない。
低いものはどんなに高きものも秘めている。
瞑想が瞑想を戯れている!
だが副主人公である。君には戯れはないんだ。
私はエクスタシーである。だからして、私が死ぬ時
神に返さなくていいものが一つだけある。
「神様、ああ、あなたは私だったのですね」という自覚。
それはそうと思えばそう思える。こうと思えばこう思える。
すなわち絶対の孤独ということだ!
■
482 2009/09/03(木) 15:00:15 ID:c1a7zOaH
すべては不可能であると知ること―――
それが自殺と発狂と悟りへの出発点である。
充分以上の情熱のみが、不可能と可能との区別を忘越せしめる。
思考は常に解答を出したがる。
たとえば「不可解」だとか「全体性」だとか。
こんなものどもは、ガラクタでさえない。快楽こそ悟りなのだ!
快楽が、あなたのものでもないように悲しみも不安もあなたに属しはしない。
では、あなたとは何だ?
■
483 2009/09/03(木) 15:02:23 ID:c1a7zOaH
悟りという体験の思い出―――何という足かせだろうか!
恐怖があることを恐怖するから、あんたは、あたりまえの恐怖を生きられなくなっちまったんだ。
「どうでもいい!」と君は本当に叫べるか?
悟りは悟りとは何の関係もない。犬が鳴いている!ワン・ワン・ワン・・・
人間という奴はつねに小便一部を残している。
それでいいんだ。すべてがすべてになるのは、すべてだけだ。
ああ、あなたはそれほどまでに不安という観念を愛しているのですね。
無駄口ばかりたたいている。
そうなっていくそれでいいというのに。
久遠の戯れは続く。何のためでもなく。
http://shino44.exblog.jp/
■
484 2009/09/03(木) 15:15:43 ID:c1a7zOaH
いかなる根拠も無いということが、これそのものなのだ。
理屈と保障がないからこそ、久遠の安楽なのだ。
喜びも苦しみもないからこそ、あなたは永遠の平安を生きて死ぬ。
そして、あなたは喜びを求めて旅続ける。
ニルヴァーナという妄想 エクスタシーというマーヤ
それを欲すること―――
これが人間という戯れの正体だ!
何もかもなし!ただただ、これの戯れでない戯れ・・・
時
ない時はないのだ。だめな時はだめなのだ。むなしい時はむなしいのだ。
それ以外にない時はそれ以外にないのだ。
私は空気がなければ生きられはしない。私とは空気なのだ。
私に自由はない。自由が私を使っている。
自由それ自身は完璧な笑いだ!
人間の喜怒哀楽のゲームは決して終わることはない。
だから、ゲームはすでに終わり尽くしている。
■
485 2009/09/03(木) 15:19:11 ID:c1a7zOaH
海の波々が寄せては返す。朝ごと太陽は東より昇り、
落日の残光を残して西に沈み行く。
体内の有毒ガスがたまっている現代人は
あたりまえのやすらぎを知ることがない。
それでも血わき肉おどる『これ』は、
笑いに笑いに笑っている!
■
486 2009/09/03(木) 15:31:52 ID:c1a7zOaH
いとしいゲーム
肉体は絶対無に直結している。観念は肉体に直結している。
人体七つのチャクラは、極めて具体的な悟りへの道すじである。
それは、人間を至福へと導いていく。
最後のサハスラーラ・チャクラのみは、実用性を越えたものであり、
生理的なものではない。
サハスラーラ・チャクラは、チャクラではないばかりか、
いかなる人間的な概念規定をも越えている。
サハスラーラ・チャクラとは、何ものでもないのだ。
人間がサハスラーラに到達するまでは、命がけの情熱が必要だ。
だが、サハスラーラそのものは、コエダメの中のウジムシの狂言に他ならぬ。
ああ、このいとしさよ!いとしさよ!!いとしさよ!!!
■
487 2009/09/03(木) 15:50:58 ID:c1a7zOaH
地獄の天国のあくび
そうなっていく、そのままでいいのだ、とも言えまい。
こうなっていく、このままでいいのだ、ということもわかりはしない。
何もわかっていないのだ!だが、何もわかっていないとも言えまい。
地獄の地獄の地獄の闇。極楽の極まりないカオス!
―――それでも、どんな答えも出やしない。
このモノグルオシサよ!この静寂!もはや静寂とも言えまい。
何もかもが至福である。
すべてがすべてである。
そして、あなたは死んでいる・・・
マハー・マーヤ
すべてがイマジネーションだ。(これもイマジネーションあるいはイリュージョンである)
マハー・マーヤ!
欲念相続である。根本無明である。さっぱりわからないそのことである。
性であり死である。
このあらゆる多様多元の世界である。
不安そのもの恐怖そのもの!
謎そのもの!
神秘!!
久遠に未知なる未知。疑団?
(これ以上は思考不能!?)
■
488 2009/09/03(木) 15:58:50 ID:c1a7zOaH
どうしようもない・・・
どうしようもない今は、どうしようもない。
これも過ぎ去る。すべては過ぎ去っていく。これではない・これではない・これではない。!
どうでもいい なんでもいい シッチャカメッチャカ!
わたしはただこれになり切ろうとするのみ。
念ずれば、私もすべてもなくなってしまう。
オーム・オーム・・・オーム!!
私が対象を見ようとすることが不安であり、私が対象を聞かせてもらうのが愛である。
禅定にはいれない今は、入れない今だ・・・・・・
■
489 2009/09/03(木) 16:11:48 ID:c1a7zOaH
プレイボーイ
オレはプレイボーイで 近いうちに極地のコオリを溶かすつもりだ・・・
なにしろ、この頃の彼女ときたら!
彼女のオナラの臭いこと。だから極地がこごえいるのさ・・・
あんたは、オレの思いなぞナンノソノ・・・
それでも、オイラはプレイボーイ 新しいあんたを産むために
オレのペニスは極地を燃やす・・・
ガイド・ストーン
私は親愛なる同友諸君に言う。
今、君の持っているその理想心を取り去れ、
かくあれかしと望む心を取り去れ。
よりよくなろうという我欲心を取り去れ。
それは君らの愚からきた迷いにすぎない。
かつて私のメディテーション・ガイドの一人だったタオの体得者・無為隆彦先生はそのように語った。
クリシュナムーティ流に言うとイメージがどうしたこうしたということだろう。
諸行は無常である。そこから神様と悪魔が出てきたらしい・・・
いづれにせよ、楽しい話ではないかい?
■
490 2009/09/03(木) 16:24:06 ID:c1a7zOaH
伊福部隆彦先生の言葉
ある一つの理想状態を考え、そこへ到達しようとすることが、私たちの生活を地獄かさせるものである。
こいつあ、マッタク、どん底だい。思考作用は問題かい?
ふと見ると 地獄にもなにやら光明がある。ああ、その悲痛をどうすることができよう。
ああ、この絶対をどうすることができよう!
オナルティックに
この中有界タイプの世界文明は、20世紀末に終わる。
現代文明とは、マニピュラ・チャクラとアナハタ・チャクラとのバルドのことである。
欲望満足と愛との上下運動のことである。
文明の終末なぞ、別にどうということはない。この世のあらゆるものは生まれ生き死ぬ。
呼吸は出息で死に入息へと再生する、入息は終り出息が始まる。
そのように、あなたは死ぬのだ!
おお、限りなく愛しいマーヤよ!六道のつじよ! さよなら・・・・
すべては、あなたのためにあるのではない。
■
491 2009/09/03(木) 16:31:31 ID:c1a7zOaH
ブタが空を飛んでいる
ゆるいカーブ なだらかな曲線も つま先立ちの緊張や 危機との直面も 油断なき注意も
―――狐が空を飛ぶ!
そして ズッコケズッコケも・・・
ただ一人とも言えないただ一人の 絶対者の様々な表情
私達はこの表情の千変万化に いつもいつもダマされている。
それにしても初夏の草生きれよ!
■
492 2009/09/03(木) 16:41:13 ID:c1a7zOaH
女は眠る 一つの久遠の夏 女は官能の極点の果てに眠る
一つの神秘なイビキ 限りない神秘な歯ギシリ どのようにも見れる世界風景
私も眠っている この絶対無の中に そして 空なるエクスタシー自身として
今、オナラがあった
いつも私は評価する。
欲望とは常に、そういったものだ。
人間にとって、この宇宙は永遠に二元対立だ。それでこそ美しさがあり醜さがあるのさ。
人が絶対の至福を求めた時が、絶対の至福を失うときだ。
―――それが恐怖だ!それがわけのわからぬ不可解だ!それが人間のものでない久遠の至福だ!!
死が恐ろしいものだと誰が決めた?――あなただ。
不安と不満と苦悩と苦痛とをいけないものにしてしまったのは誰だ?―――あなただ!!
■
493 2009/09/03(木) 16:51:29 ID:c1a7zOaH
意味だけが生きるのだろうか?
なぜ生命は何の意味もないというのに生きているのか。
あらゆる流れがひとりでに静まる
何の理由もなくかすかな解放への呼び声
もう生々化々の流れも消えた無想定
静寂―――喜怒哀楽は消え果てた。
秘められたさわやかさ
突然の爆発!マーヤとブラフマンのファッキング!
あなたは神に貫通されたのだ。
鳥飛んで鳥のごとし、魚に泳いで魚に似たり石ころは笑う!
完全に終わった!!あなたは初めてあなただ 絶対者にして絶対無!!
我もなく現し世もなく何もかも何もかもなし何もかもなし
そしてこれもどうということはない。
■
494 2009/09/03(木) 16:58:54 ID:c1a7zOaH
血わき肉おどる
何か確信といったもの・・・ 血わき肉おどる何者か。 存在をも忘れ果てたそれ
それぞれにいいんだなあ、すべてはOKだといった思いの流れ。
私は私なんだなあ、といった感嘆!
永遠に未知なるものへの旅!!
詩的直感
つねに詩語は古く、詩情は新しい。
詩語に新しきものなし、この人生と同じように・・・詩情はつねに新しい。
時には時さえもない。
■
495 2009/09/03(木) 17:18:35 ID:c1a7zOaH
なにもかもいいんだ
人間に与えられた至上の喜悦は なにもないというなにもないという体験だ
快楽の中の快楽の中の快楽・・・
まるで、この12月の暖かい一日のよう まるで一目ぼれのようなもの
LSDで、デッド・トリップして、すべてのすべてを生きるのも素敵だよ
マリファナぼけはマリファナぼけだし
アフェタミンはワォワォワォでイカス!
阿片やヘロインは、それでいいというわけだ・・・
隻手の音声を聞けば、それはさわやかでエネルギッシュ極まりない
只管打坐の坐禅は、なにもかもいいなにもかもいい・・・と来たもんだ
■
496 2009/09/03(木) 17:20:21 ID:c1a7zOaH
どうして死人たちは死のうとがんばるのか?
たぶん、すでに死んでいるからだろ
いいや、たぶん、生きても死んでもいないからだ
なにもかもはなにもかもだ
チャクラ・ヨーガもいい
頭のテッペンのサハスラーラ・チャクラが
覚知されれば、すべてが滅尽し久遠の至福が至福だ
神秘体験はいいものよ~~ すべてを越えた快楽はいいものよ~~
絶対無・空・解脱・ニルヴァーナ・神は、いいものよ~~~
もっともガンでノタウチまわっている、必死の苦痛の絶望の絶望が、素敵だと同じようにね・・・
すべてが終わった!もっとも、終りなぞありはしないけれどね・・・
それでも私は求めている
尽きることなく――― 尽きることなく――― 果てしなく――― 果てしなく―――
なんとかいうチンピラ禅師のたまわく「求めるは苦なりだとさ」・・・・・・・
笑っちゃったよ
すべてがオーケーだと考えたら、すでに手遅れだ。あなたは、もう、ほとんど救われようがない。
■
497 2009/09/03(木) 23:24:49 ID:gasR4lfh
>ID:c1a7zOaHさん
これらはいつ頃の手記なのでしょうか?
■
498 2009/09/03(木) 23:38:09 ID:hM5O9H+X sage
グル・マハラジってニーム・カロリ・ババのことかな
■
499 2009/09/04(金) 00:22:40 ID:2fooiZKp sage
たまに、自分語りも入ってない?w
これ、大事の言葉(引用)とは思えん・・というのもたまにあるんですけど
■
500 2009/09/04(金) 06:25:24 ID:RQjIDdth
>497 これはミク資料の『老子狂言集』です。時期はわかりません。
>498 そうです。
>499 間違いなく 著・雨宮第慈です。
■
501 2009/09/04(金) 06:58:30 ID:gkdD2qov
ダイP
■
502 2009/09/04(金) 19:34:32 ID:RQjIDdth
その日も、私は全くの闇の中にいたように思う。すべての出口はふさがれてしまっているように思えた。
私はごろっと横になって、見るともなくテレビを見ていた。テレビ番組は、どれもこれも面白くなかった。
しかし、他にやりたいことも、できることも何もない。
私は、何気なくチャンネルを回した。つまらない洋画だった。それは、ローマ時代のキリスト者の殉教をテーマにしたもののようだった。
この番組は、既に大半が終わっていたが、その映画の内容は浅薄そのものという印象を与えた。
やがて、場面は或るキリスト者の殉教のところへ来た。そのキリスト者は殉教される直前にこう言う。
「それでも、私は神を愛する」と。
その映画もその演技もその筋書きも、何もかも見えすいていて、つまらないものだった。
しかし、その場面で語られた。「愛」という言葉が、異様な程、私の中に響いてきたのだ。
その「愛」という言葉が、私の心に入って来ると同時に、
「人間は絶対的に救われない、人間のみではない、一切万物は絶対的に救われないのだ」
という想念が、私の中に浮かびがあってきた。
それは、胸がつき破れるような悲しみだった。
それは、そのテレビ映画の内容とは全然関係のない悲しみであり、しかもその悲しみは、
何もかも一切万物に関する悲しみというようなものだった。
■
503 2009/09/04(金) 19:37:01 ID:RQjIDdth
私の中に閉じ込められていたすべての思いが爆発した。
こんな悲しみは、私のそれまでの人生で初めてのことだった。私は気が狂ったように泣いた。
涙は後から後から、止めどもなく溢れ出してきた。
その絶対的と言っていい苦痛と悲しみの中に、それは開けたのだ。
それは、突然開けた。
私と世界を含む万物万象を包む愛が開かれた。
それは、信じられぬ愛であり歓喜だった。私は目の前のテーブルの悲しみも、庭にある石ころの悲しみも、
世界中に生きているあらゆる人々、あらゆる生物達の悲しみも感知することができた。
そして、その絶対的悲しみの極限は、愛そのものなのだ。
愛は人間の中の一つの感情などではない。愛は、この宇宙そのものの根源なのだ。
私は、歓びと有難さの中に、自ずから姿勢が正されて静座していた。
悲しみの涙は、そのまま歓びと感謝の涙に変った。私の身心の重苦しさは、もうどこにもなかった。
私は大気そのものになったかのように、さわやかに静坐合掌していた。私と私の妄想していた世界は消え去った。
私の絶望は、私と世界全体を洗い流した。
愛が開かれ、開かれた愛が唯一絶対の存在として、ここにあり、その愛があらゆるものとなって表現されているのがこの世界なのだ。
どの位の時間、私はその至福の中に静坐していたか不明であるが、静坐を終えて立ち上がり、
あたりを見渡すと、何もかもが愛の中に輝いて見えた。
この愛の感動は、その後一ヶ月位続いていた。その感動のある間、私の身心は軽やかで、自由そのものだった。
■
504 2009/09/04(金) 19:53:08 ID:RQjIDdth
やがて、その感動は徐々に薄れていたっが、その時の根本自覚は決して消えることはない。
只管打坐が正に自らなる只管打坐そのものになったのは、この経験があってからであった。
私は、私の欲望としての存在に嫌というほど痛めつけられ、その絶望の闇の中に死んだと言ってよい。
この仮象であり無常の世界は、私の観念の中にある妄想であり、その妄想の中に、
あらゆる争いや醜悪なるもの、地獄が見えるのである。しかし、自己意識は、その絶望の極点で自滅する。
私が自滅することは、世界全体が自滅することであり、それは言語を絶する不可思議な悲しみであった。
私は大慈悲が何であるかを知った。大悲は、人間の中にある或る感情などではない。
愛の歓喜が人間の情動ではなどではないのと同じように、大悲は、すべてのものの根源なのだ。
私は、無限の悲しみと無限の歓びを同時に知った。それは、開かれた愛そのものであり、
私もまた、一切万物と同じように愛の中に顕われた愛の一表現なのだ。
■
505 2009/09/04(金) 19:58:32 ID:RQjIDdth
永遠
永遠とは時間ではない
時間を忘越した時である
そこにはもう空間もない
物もない
すべてが「如」だけになって
それが私達に永遠を語りかける
この「如」の深甚微妙
古人はその横顔を見て
これを神と言った
――伊福部無為隆彦老子
■
506 2009/09/05(土) 09:50:26 ID:D+0Va1ED
ざん悔
存在する何もかもに
私はざん悔しすぎるということはない
すべての存在の苦悩は 他ならぬ私が見ているのだから
このままでいいなぞと思うのは 良心を昏ますことでしかない
願うべきは 身の切れるような ざん悔ではないか
もはや良心もざん悔もない あるのは一切生類である私だけが
そして又再び
私はどうして一切生類と自己自身とに
ざん悔しないでいられようか
身の切れるようなざん悔のみが
私に私を忘れさせる
■
507 2009/09/05(土) 10:13:59 ID:D+0Va1ED
色即是空も空即是色も愛なんだなあ、なんて、
まるでロマンチズムだよ。
■
508 2009/09/05(土) 14:44:14 ID:D+0Va1ED
そこの
横丁の
タバコ屋のおじさん
一ぴきの
井の中のカワズだった
ぼくの
超高級神秘力の眼で見てみたら
あ奴が
老子だったのさ・・・
■
509 2009/09/05(土) 14:53:13 ID:D+0Va1ED
私の歌をわかってくれた
たった一人のマーヤ。
求めて尽きることのない情熱よ。
しなやかな美しさを秘めた
おまえ――私自身よ。
私は神秘な恋の囚人だ。
牢獄は、私自身。
おお、マーヤよ。マーヤよ。
帰しておくれ
おまえの何ものかのもとへ。
今や、私の情熱は尽きんやもしれぬ!?
■
510 2009/09/05(土) 17:43:24 ID:D+0Va1ED
感情とそれからにじみ出す想像力は、欲望として以外にありえぬ個生命――人間にとって実に巨大な力を与えていた。
アトランティス文明の黄金時代は、人類の感情・想像・記憶を司るアストラルパワーの開拓の時だといってよい。
自我意識、合理的理性が今だ発達していないアトランテス人種は、合理的科学法則とは合理的科学法則とは
まったく異質の多くの夢を現実化することができた。
しかし、人類の進化は、そこでとどまることを許さない。
あらゆる個生命は、欲念を原動力として流動転変せざるを得ないからである。
欲念相続には、完全満足なる到達点はあり得ないことはいうまでもないだろう。
欲望は欲望を尽滅させるために欲望としてある。欲望は、充足と苦悩というゲームの作り手なのだ。
現代西洋文明の合理的理性から見た仮説としての人間観からの人間進化を位置づけてみよう。
そうするとレムリア人種は、意欲人間、アトランテス人種は、感情人間、現代西洋人種は、知性人間ということになろう。
現代西洋人種とは、地理上の西洋、東洋を意味するのではなく、紀元前三一ニ年以後の人類全体のことである。
■
511 2009/09/05(土) 17:44:42 ID:D+0Va1ED
現代西洋工業都市文明の私達人類は、知性を中心として人間性の統合を果たさなければならない。
ウサンクサイ、まやかしのオカルティズムや単純な自然回帰という退行的願望や、
センチメンタルな意味での愛情や友情やカウンター・カルチャーなどに逃げ込むことなぞできはしないのだ。
だからこう言える、20世紀末の現代人は、その知性ゆえに誰も彼も死のやすらぎを願っているのだと。
これは決して異論ではない。花が花としての限界に来た時、実が出てこざるをえない。
それは花にとっての絶体絶命の闇である以外になく、実にとっては新しい未知なる実への第一歩なのだ。
もっとも、知性・理性・自我の虚無ゆえに肉体的な意味で死んだとしても、そこに、ほんとうのやすらぎなぞありはしない。
それは肉体的に死んでみたら納得できることだろう。
どうやら、欲望相続としての現代人類は、知性理性を「智慧」にまで進化させ全人的統合を
果たさねばならぬらしい。
それも、いかなるルールも保証もなしで・・・
私は私に直面しよう、知性を英知に変容せしめる『何ものか』を。
あなたはあなたに直面しよう、理性を知恵に変容せしめるサムシングを。
なぜなら 欲望の遊戯に終りはないだろうから
なぜなら マーヤのゲームに果てはないだろうから
■
512 2009/09/05(土) 17:55:35 ID:D+0Va1ED
人間ジャンキー
人間というジャンキーよ おれたちは何といとおしいのだろう・・・
麻薬ジャンキー、セックスジャンキー、夢想ジャンキー
性愛ジャンキー、社会性ジャンキー、新興宗教ジャンキー、
権力ジャンキー、支配欲ジャンキー、戦争ジャンキー
殺人ジャンキー、マイホーム・ジャンキー、プライド・ジャンキー
自然ジャンキー、神秘体験ジャンキー、センチメンタル・ジャンキー
ニルヴァーナ・ジャンキー、衣食住ジャンキー、空気と水のジャンキー、
しかり!
ジャンキー・マーヤ・ジャンキー!!
しかり!
ジャンキー・モクシャ・ジャンキー!!
人間とはジャンキーのことだ。
それにしても、なんと美しいことだろう・・・
■
513 2009/09/05(土) 18:02:49 ID:D+0Va1ED
どうでもいい
どうでもいいには、二つある。
初めのどうでもいい、は、キマッテいない。
終りの、どうでもいい、は、ステキだ。
そして、初めも終りもないどうでもいい、は、どうでもいいもどうでもいい!
みんな、どうでもいいんだ。みんな、オレなんだ。
センチメンタル・ジャンプ
どこにでも、どこまでも、朗らかさの中を朗らかに自由に飛んでいけるようにと、
私は、あらゆるもの達に願う。
ジャンプ・イン! ジャンプ・アウト!
自由自在な愛と美が踊り狂う!
すべてが、よかったのだ。
渇望の狂暴なパンチが、あらゆる生命を、駆り立てる。
■
514 2009/09/05(土) 18:10:14 ID:D+0Va1ED
過ぎ去る夢の夢よ・・・
楽しみが一ミリもない時はどうしたらいいのか?
何もかもがわからないということに気づいたときはどうしたらいいのか?
私はそうである以外にない。
何もかもが全く見知らぬものと化す。不安は意味もないのに不安と感じられる。
重苦しい今の夢よ・・・ 過ぎ去る夢の夢よ・・・
なにもかもいいんだよ
マーヤとは無常を内に秘めた 甘美なるものへのたんできだ
なにもかもがないと知ったら なにもかもが輝いている 底知れぬ闇さえも光り輝く
ああ、生命力よ!情熱よ!あこがれよ!クンダリニーよ!マハー・マーヤよ!
なにもかもいいんだよ・・・
■
515 2009/09/06(日) 10:01:42 ID:sa/ZZyCv
忘れ果てるがいい
何を語れば、いいというのだ。
語るべきなぞ 何一つとてない。
石ころは、何を語っているのだろうか。
形あるものは必ず死ぬというのに。
すべてのすべてを見破ったら、
おろかに、
なにもかも忘れ果てるがいい。
私は髪の毛、一本
白くも黒くもできはしない・・・
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516 2009/09/06(日) 10:19:03 ID:sa/ZZyCv
もはや、禅味だけになってしまった。
余りにも、禅定が神秘で力強いエクスターゼだから。
宗教は阿片だ・・・神秘体験以上の歓喜は、この世に存在していないかのようだ。
かつて小麦色のしなやかな肢体の女に、狂喜したように、
今は、ただただ、一切を越えた神秘体験に夢中だ。
これが本当だったのだ。これが完全なる至福だったのだ。否、完全なる至福以上のこれ!
何もかもかもが、本当に本当にどうでもいいのだ。
私は女だ
私は女だ 太古の女神だ!
あたいの子宮は なんでもかんでも受け入れちまうよ。
母なるものの 熱帯のぬくもりが欲しい これも夢だけれどね・・・
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517 2009/09/06(日) 10:35:47 ID:sa/ZZyCv
ホワイト
ホワイト・フォックス おれは、長いこと、お前を嫌っていたらしい。
女の汚れの中の女。何一つ見ることのないホワイト・フォックス。
おまえの頭は打算だけだ。フォックス―――
だが、おまえもおれなのだ。
666のクンダリニーとともに今、おれはホワイトフォックスをも飲む・・・
白狐。所詮、おまえの神通力も、愛の代用品に過ぎない。
そして、いかなる愛も愛情も不安な灰色と化した時
ホワイト・フォックス おまえに一体、何ができよう
快適で豊富なる暮らしの神。聖なるマンモン。白狐。
もう、おれは、おまえについて、どんな判断もしやしない!
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518 2009/09/06(日) 10:52:03 ID:sa/ZZyCv
楽しさをあこがれ続けるらしい
運命はあるらしい 冬が終わって春が始まるように 運命を改善するテクニックもある
天命に流されるというのもある 地獄の堂々巡りもあるだろう
これも過ぎ去る 変易しないものが 何一つないのであれば
一体、人間性という渇望に 何が言えるというのだ
それでも人間性は 楽しさをあこがれ続けるらしい
パンドラの箱
パンドラの箱は あけないにこしたことはない 智慧の樹の実は 食べないにこしたほうがいい
けれども どうゆうわけか種子は花開き果実になってゆく そうなって行くそのままにまかす以外ないじゃないか
何と完全なんだろう!
見知らぬ未知に飛び込むのは本当に恐ろしいことだ
そしてそれよりもっと恐ろしいことは君がすでに未知だということだ
私はなにも知らないとも言えまい 何と完全なんだろう!
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519 2009/09/06(日) 10:58:42 ID:sa/ZZyCv
石ころは高らかに笑う
私は考えられないくらい幸福だから 考えられるほど不幸だ
たしかに観念といえば観念だ でもどうでもいいではないか 無限は無限なのだから・・・
だが これは とこしえにそれ以上だ!
石ころは、すでに、石ころではない これは体験したほうがいいだろう
その刹那 石ころは高らかに笑う
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520 2009/09/06(日) 11:11:09 ID:sa/ZZyCv
ドナルド・シモダ
オレたちゃ空の遊び人 オレと瞑想とは流れもの
干し草畑をふらふらと おてんとさまに包まれて
瞑想 お前がオレの情婦だ 黒いガーターちらりと見せて
酒場で踊る女より オレはお前と寝たいんだ お前の中で寝ていたい
雲は二人の愛の巣だ 風や嵐は恐くない
すねるお前がなお恐い 白し尻から火を吹いて
お前が怒ればオレは死ぬ 死んでもくいはないけれど
王冠かむった帝王や ペントハウスの金持ちが
手をのばしてもとどかない 七千フィートの甘い大気
それが二人の絹布団 オレたちゃ空の流れ者
いくたびもなく・・・いくたびもなく・・・
ここに終わり ここに始まる
今は死ぬに最高の時だ!
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521 2009/09/06(日) 11:25:10 ID:sa/ZZyCv
メシアン・ハンドブック
救世主は知っている いかなる人であっても 自分を神の子だと考えるのは もっともなことだと
健康と病気 豊富と貧困 解放と束縛 これらを受け入れるかどうか 決めるのは君達だ
パッと手を離したらいい あとのことは 流れがやってくれている
君達に命ずる これからずっと幸福でいなさい
思い出してごらん すでに君は死んだことがあるんだよ
立派な救世主は 自由に行きたい道を行く
できないことはできない
救世主でいるくらいなら 手品師か催眠術師のほうがましだ
君はつねに神でいることはできない だが、素直でいようとすることはできる
知るべし 君は何もできはしない 春夏秋冬があるように
あたりまえでいる・・・ これが救世主の極意だ
よう君 いい役 演じてるじゃねえか!
決して情熱をやめないこと 情熱なぞどうでもいいなぞとカタイことは言わないでくれたまえ
何ものかへの情熱こそ 世界を世界にしているのだから
君は あらゆるものとともに死ぬ 君も世界も もともとありもしないここに
あらゆるものが戯れている
いうなれば 君達は体験ではない体験
それ自身を 再体験しようとしている
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522 2009/09/06(日) 11:35:08 ID:sa/ZZyCv
人にはすべて夢があり
人にはすべて夢があり その悲しみは大きい
あなたは、かつて私に秘密を打ちあけた、ささやき声で・・・ 底力のあるささやき声で、
私は彼方の古里から来たものだが 今は、帰れないことになっているらしい.
すべてに宿る無限性を教えてくれた アストラル界でのあなた―――
最後の天使も 今は、何処にいるのか?
私のイトシイヒト 今、一度、やさしくも堂々と帰っておくれ。
坐禅
坐禅とは、いかなる状況、あるいは、いかなる世界においても、
生き生きと、やすらかに充実している。あるいは、たくましく、充実している。
絶対それ自身を、いくたびも体験し、そして、死のその最後の瞬間まで、
その充実を生き尽くすことにある。
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523 2009/09/06(日) 11:44:20 ID:sa/ZZyCv
どこまで行ってもきりがない・・・
あなたと言ったらすでにわたしが含まれていた
地獄と思ったらもうそこには天国が花開いている
思うがままに生きるのだ 思わないままに生きているのだ
快楽と苦痛とは 果てしない戯れを戯れている この神秘のカオスのただ中には
永遠に答えなぞない
私はどこにも行き着きはしない どこに到達する必要もない
ニルヴァーナとマーヤの 混合歓喜は続き続ける
これが至福だとも知らずに これがやすらぎと生命力だとも知らずに
あなたが何をしたところで あなたにわかるものなぞ一つとしてない
死がわからないと同じように わたしの言葉もわかりはしない
わたしは小麦色の肢体が好きだ 太陽と輝くエメラルドが好きだ
ニルヴァーナを愛し マーヤを愛している
どこまで行ってもきりがない・・・
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524 2009/09/06(日) 11:51:56 ID:sa/ZZyCv
たとへ、あなたがどのような存在であろうと、完全に、意味なく、価値なく、生きる時もある。
このあらゆる世界、あるいは宇宙は、夢なのだ。
時は絶対者のあらわれのひとつであり、それは一つの法則であるが、法則には例外というものがある。
私のことも、私のまわりの出来事と称せられるものについても、
本当に、あるいは、真実にはまったく知ることはできない。
その絶対は起こる。その至福でない至福は起こる。
その確信ではない確信は起こる。
だが、私は、これが、何であるかを、知ることは決してない。
すでに知っていると思いこんでいることと、未知であることとには何の違いはない。
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525 2009/09/06(日) 11:56:29 ID:sa/ZZyCv
思うに、アジナー・チャクラは、相対即絶対のあらゆる
知覚体得がかかわるある種の生理的位置である。
いいと言うことと 悪いということの 多様多元の世界。
マーヤ、多元宇宙。それ以上、何が必要か・・・?
「あなたは、いつも、もっともっと欲しいのだ」
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526 2009/09/06(日) 12:15:44 ID:sa/ZZyCv
壊れたラジオ・・・人間 調和のとれているラジオ・・・人間
いづれにせよ絶対に条件付けられたラジオだ。出口はない。
余りにも、あたりまえなことだが、あらゆる現象存在にとって、出口はない。
あらゆる形で固定された私たちには。
無意味な、あるいは大いなる意義あるルールを、形式を問わず完うしつくすことが、
欲望のエネルギーである。完全に充実する、完うしつくすとはなにか?
もし、そこに少しも余計なものもなく、ただただの流れが、あなた無しのあなたを。
限りない「それ」であるのは。それはそれなのであり。
この意味でルールを完うしつく続けるだけならば、
そして、その具体的なあらゆる努力を、作為・情熱・倦怠・安心・不安・全智・恐怖
などを抜きにしてなされるある状態を、カルマヨーガと称する。
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527 2009/09/06(日) 12:17:44 ID:sa/ZZyCv
なんかある?
「どうしたら、自由になれるの?」
自由になる方法はひとつだけある。たった一つだけ。それはね。今、自由になることだ。
「どうしたら、殻がとれるの?」
君が、殻がとれるっていうような余計なことを、考えなくなる時、
殻はとれるものでもないし、存在するものでもないのさ。
君を阻んでいるものは何一つないんだ。
だから、君を阻んでいるどんなものも無いって思う限り。
せいぜい君を束縛するものと付き合えばいい。
それもちょっと付き合うなんていうさ、何かその、こころのこりの付き合い方しないでほしい。
ほんとに付き合ってくれ。
君の限界や、君の束縛や、君の不条理や、君の不如意と。
そしたら、そういったものがさ、きみが描いている夢にすぎないことが分かる。
さあ、今でいいんだよ、いま、うん、いま自由でいいんだ。
そしてその自由の中をね、さらに自由を求めて生きていくっていうのが人間の戯れなの、この宇宙の戯れなんだ。
そんなカタイこと言うなよ。
今、自由なんだ。自由だからこそ君は精一杯生きることが出来るんだ。
「それは愛なの?自由ってのは?」
愛は自由。愛は愛でもないし、自由は自由でもない。
でも、言葉にしたらそうとしか言えない。