スッタニパータに現れた相対主義的主張

* スッタニパータ第4章の5、8、11などにたくさん出てきます。以下、そのうちの一部です。

……

785 もろもろの事物に対する固執を確かに知って、自己の見解に対する執着を超越することは、容易ではない。

797 かれは、見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、自身のうちにすぐれた実りを見、それだけを執着して、それ以外の他のものをすべて劣ったものであると見なす。

798 人が或るものに依拠してその他のものは劣ったものであると見なすならば、そのものは実にこだわりである、と真理に達した人々は語る。それ故に修行僧は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。

903 或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものである」と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか。彼らはすべて自分らこそ真理に達した者であると称しているのであるが。

904 彼らは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。彼らはこのように互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。

905 もしも他人に非難されているが故に下劣であるというならば、諸々の教えのうちで勝れたものは一つもないことになろう。けだし世人はみな自己の説を堅く主張して、他人の教えを劣ったものだと説いているからである。

906 (真の)バラモンは、他人に導かれるということがない。また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。それゆえに、諸々の論争を超越している。