内観の目的は、どんな逆境にあっても感謝報恩の気持ちで日暮らしできる、そういう心に大転換することです。
いかなる境遇にさいなまれても、「ありがたいなあ」「幸せやなあ」と受け取れる心境になる方法が内観です。
他の人から見て、「あの人はかわいそうやなあ、気の毒な境遇の人やなあ」という立場であっても喜んで暮らせる、そういう精神状態に転換すること。
どんな地位、境遇、立場、状況にあろうとも、「ありがたいなあ、わしみたいな悪い奴が今日も元気で達者に、こうして暮らさせてもろうて、幸せやな。どこ痛い、どこ痒いっちゅうことあらへん。本当に私は幸福やなあ」と、感謝の気持ちで暮らせる、そういう心のすみかに大転換すること、それが内観の目標であります。
大きなビルディングを建てる前に、地下に深く基礎工事をするように、内観は人生の地下工事です。
何の目的で生れて来ましたか。
その目的に向かって生きておられますか。
今晩死ぬかもしれません。
いま死んだらどこへ行きますか。
内観は死を見つめてするものです。
今日は人ごと明日は我が身。
生命のある内に内観して、感謝の心境で死んでいけるように。
明日ありと思う心にだまされて
今日も空しく過ごす我かな
内観は、人間に生れて来たことの最大最終の目的です。
内観は魂の大手術です。
集中内観は入門式で卒業式ではない。
自分に聴く耳をつけていただき、
自分を観る眼をつけていただいただけ。
集中内観は基礎訓練、日常内観こそが本番。
集中内観を電柱にたとえれば、日常内観は電線のようなもの。
信あるか無いか
その日その日の日暮らしに問え
一分一秒を惜しんで内観しましょう。