ヨハネによる福音書 第8章

イエスはオリーブ山へ行かれた。
朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、
御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、
姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
イエスに言った。
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、
イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、
まず、この女に石を投げなさい。」
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、
一人また一人と、立ち去ってしまい、
イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。
「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。
だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。
これからは、もう罪を犯してはならない。」

多田富雄

死ぬことなんか容易い
生きたままこれを見なければならぬ
よく見ておけ
地獄はここだ
遠いところにあるわけではない
ここなのだ 君だって行けるところなのだ

何もかも失った。
それを突き詰めると、何かが見える。

「受苦」ということは魂を成長させるが、気を許すと人格まで破壊される。
私はそれを本能的に免れるために頑張っているのである。

……

多田富雄先生の挑戦
http://www.st.rim.or.jp/~success/tadatomio_ye.html
http://www.st.rim.or.jp/~success/tadatomio03.html

震災にまつわる心理学的ケア情報

震災にまつわる心理学的ケア情報
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東日本大震災 ー 放射線の影響
※ このスライドは、免疫学が専門である宇野賀津子常務理事を中心に、坂東理事長、松田副理事長の意見も取り入れ、ワーキーングチームの方々の意見をもとに推敲を重ねたものです。
このスライドには、
1)地球上の生命が進化の中で獲得してきた放射線から身を守るシステム
2)私達の身を守る免疫機能
を強化することが、放射線による発癌のリスクを低減させることであることを伝えることを目的としています。
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モラル・パニック – Wikipedia

整体@震災

野口整体系の方々も、今回の震災に関して幾つかの操法を公開されているようです。
私は整体は詳しくないので、内容に関しての判断はできないのですが、
この情報が助けになる方も居られると思い、紹介してみます。
追記3 | 淨潤日記 「日日是好日」|氣道協会
http://kido-j2.jugem.jp/?eid=80

怒りの向けどころ

今回のような事態が長期化した場合、
放っておけば、心のなかを、不安、怒り、絶望が覆っていってしまうことは
避けられないことでしょう。
不安からは、様々な疑いが生まれ、増殖し、
怒りは、当面の分かりやすい標的を探し、攻撃することで、
このやり場の無い塊を吐き出そうとするでしょう。
災害初期における、緊急時の生体の適応(防衛)反応である、
事態に対する非現実感・夢を見ているような感じや、無感情(感情を感じられない)、あるいは一種の躁状態(ハイテンション)、身体的には、ケガや打撲の痛み、あるいは疲れすら感じとれない(自覚できない)緊急事態モードは、すでに解除され、これから本格的に、自身の喪失感、痛み、悲しみ、絶望、怒りと向き合わなければならない辛い時期が始まるでしょう。
被災の程度はそれぞれですが、多くの人が、この一ヶ月間、不満、不快、イライラ、我慢を大量に感じ、その解消できないイライラ(怒り)が、様々な場面で、問題をこじらせています。
もし修行者であるならば、この大変な場面で、いかに自分の中の怒りを外にぶちまけ、更なる怒りの連鎖を作ることなく、自己解消できるか、
「怒り」と云う(投げ込まれた)材料を、如何に「気づき」によって無害化・無毒化し、自分(意識)を動かしていくためのクリーンエネルギーに変換できるか、
自分の存在そのものを、「気づき」による浄化装置・発電所にする試みに取り組んでいくしかありません。
いかなる場合であれ、怒り、不安、疑いに発した行為、行動、言葉は、
良い結果を生み出しません。
事態を、ますます混乱させ、救いがたいものにするだけです。
外へ向けた怒りには、解決も救いもありません。
自分の心身が、より一層、駄目になっていくだけで。
怒り、疑い、不安は、自分の心身を痛めつけます。
自分に毒ガス攻撃をかけているような、
感情の自己中毒状態でしかありません。
「怒る理由」の正当性など、問題ではなく、
義憤も、私憤も、関係ありません。
楽になりたかったら、救われたかったら(理屈はどうでもいい)
怒りを自分のなかで解消することです。
これを機に、抜本的な社会改革をするべきだと考えるなら、それも良いでしょう
(間違いなく、為されるべきでしょう)
でも、今は、外に向けて怒っている場合ではないのです。