ブログ 『日々、刻々、流れるもの』

グリーンヒル 『今日の一言』より

2月10日

瞑想で心が変わり生き方が変わるのは確かなことだが、遺伝的素因、幼少期の刷り込み、深層の心など、生得の資質と三つ子の魂を跡形もなく無にすることは成しがたい。
表層の反応パターンは変更可能なので、人生の流れは一応変わる。
だが、土壇場の本性まで根こそぎになるのは、来世以降に持ち越されるだろう・・・。

2月12日

簡単に作られたものは簡単に変わるが、長い時間と膨大なエネルギーを費やして形成されたものが変わるには、それ以上の時間と労力が必要なのだ。
悟れる人は、生まれた時に決まっている(三因結生)と言われる。
当然のことだ。
自分に与えられている全てを、あるがままに受け容れることからしか何も始まらない。
どんな事象も存在も、一定方向に力を加え続け、ブレなければ必ず変化するということ・・・。

2月18日

映画や小説にはハッピーエンドも悲劇的結末もあるが、生きている限り、私たちの物語に終りはない。
禍福は交差し、敗者が復活し、その時の勝者が再び凋落し奈落に落ちていく。
どこで、何をもって、どう、ラベリングするのか・・。
浮き、沈み、事象は続き、どんな結末も認識も仮りそめの真実・・・。

2月22日

ドゥッカ(苦)に押し潰されていく者もいる・・。
だが、事実はただの現象であって、それをどう解釈するかによって「経験」の意味は千変万化する。
心に、体に、苦受を受けることによって、どんな悪業も消えていくし、始まりがあったものには必ず終わりがある。
楽しい人生はただ過ぎ去るだけだが、苦には人生の流れを変える力があり、自己変革の絶好のチャンスとなる。
苦がなければ悟りもなく、苦の真理を学び取る者だけが解脱にいたる仏教・・・。

グリーンヒル瞑想研究所