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東嶺禅師法語
『21世紀の啓蒙』 理性・科学・ヒューマニズム・進歩
『不尽精典』 森信三
死を見据えて生きる
念々死を覚悟して初めて真の生となる。
死期を覚悟して、この一日を生きん。
自分は死をみせつけられぬと真剣になれない人間らしい。
「今日」に生きよ、
計画を今日以上に延ばすな、
明日は死んでもよいだけの仕事をせよ。
「死」の土台の上へ、自分の生活を築きたい。
まことに、弱いということは或る意味で罪悪である。
「死」を背中にしょってやってみるのだ。
一かバチか捨て身でゆくのだ。
自分を全部投げ出してしまえば、そこではじめて強いも弱いもなくなる。
その全部というのが難しい。
いこじでも自棄でもない、真正面から、毛ほどのすきもない捨て身である。
死の観念は我々の心を浄化してくれるだろう。
「死」を自分の前にはっきり据えたとき、はじめて自分のぎりぎりの生が見えてくるのではないか。
つまり自分の本音の存するところ、心からの願いがみえてくる筈だ。
2020 年頭にあたって
このブログをどれだけの方が読んでくださっているのか私には分からないのですが、私がこれまでの人生において関わりを持たせていただきました多くの方々に対し、お伝えしたい思いがあり、ここに書き記します。
*
私は、これまでの人生において、関わりを持った多くの方々に対し、傷つけ、迷惑をかけ、失敗や罪を犯すことを繰り返してきました。
それには、自身が思い起こすことができる自覚を伴うものもあれば、現時点でも認識できていない、無自覚上の罪も多くあることと思います。
それら多くの、自分の失敗、かけたご迷惑、犯した罪に関しまして、いま、ここで謝らせていただきます。
本当に、申し訳ありませんでした。
多くの申し訳ないことをしてしまいました。
どうぞ、お許しください。
*
そして、今後、同じ過ちを繰り返さぬよう、この年頭を機に、本当に真剣に自分に取り組み、本気で自分を変えるとの決意と誓願をたてましたことをお伝えいたします。