* この体験記は、屋久島時代のものであり、現在(広島県 宮島)とは、設備・環境等に違いがあります
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今回は、本当にありがとうございました。
申し込みの段階から最後まで、コロコロと心が変わってばっかりで、その点は申し訳ありません。
非常識な言動に終始したにもかかわらず、全てを寛容に受け入れてくださったことに深く感謝しています。
環境のこと、食事のこと、先生との対話、そしてボディワークについて‥本当に語り尽くせない程、色々な感想があります。
また、ちゃんとした文章にするよう努めて、きちんとまとめた形で報告しますので、すみません、もう少し待っておいてください。
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大変お待たせしました。おはようございます。先月、研修を受けさせていただきましたOTです。
今週、やっと自宅に帰って来ました。
先月の研修について、各項目に分けて短く感想文を記したいと思います。
1. 先生の印象
初めて宮之浦港でお目にかかった時、非常に引き締まった一切の無駄の無い筋肉質な痩身と短く剃り上げた頭部から、厳しい修業に耐え抜いた禅僧のような印象を受けました。
しかし、実際に会話を交わしてみると、極端な峻厳さ等は皆無で非常に穏やかで落ち着いた人柄のようでしたので、すぐ安心して緊張がほぐれました。
会話も初めから交わしやすかったです。
そのおかげでその後、それまで誰にも話したことのないような心の奥に隠してきた気持ちも打ち明けることが出来ました。
これは(出会って2日程度の人に話すということ)はよく考えてみると、かつてはありえなかったことです。
何故、正体を見極めないうちから無意識に“先生”と呼ぶことが出来たのか、今なら理解出来ます。
2. 屋久島の名所観光について
先生が初めに連れて行って下さったガジュマル園でいっぺんに屋久島の独特の自然、雰囲気が感じられました。
海亀が産卵するという砂浜や大川の大瀑布も非常に壮大雄大で、なかなか普段見ることの出来ない景色で印象深いものがありました。
あと、最高に綺麗な渓谷での昼食(手作りの玄米のおにぎりと野菜炒めと熱い番茶)が非常に美味しく、長崎からの旅の疲れが吹っ飛ぶ程でした。
海中温泉も人生初の経験で、海を眼の前にしての入浴は大きな解放感を味わえました。
夜の蛍を見ながらの温泉浴はとても幻想的で、一瞬自分が何処で何をしているのか解らなくなるくらいでした!
野生の鹿と日本猿もとても綺麗で可愛いかったです。
3. 食事について
玄米菜食の食事がここまで美味しいとは予想外でした。
これまで食べたことのあるベジタリアン用のメニューが全く色褪せる程でした。
食後の腹部の充実感や温かさ、精神的な満足感も充分で、非常に自分の身体が喜んでいるような気がしました。
2日目の朝食を抜いた後とボディワークの後の胃に染み渡るような食事の旨さは忘れられません!
通常、旅先ではいつも便秘になりがちだったのですが、今回は3週間以上の旅行にもかかわらず、毎日2回かそれ以上の回数便通があり、胃腸の調子も大変良好でした。
4. ボディワークについて
これも、想像以上に快適でした。
もともとボディワークでの成果を強く求めていたわけではなかったのですが、まさかこんなに身体の平衡感が整って、全身が軽快になろうとは思いもよらないことでした。
自分では、現在健康体であると思い込んでいたんですが、実際にワークに臨んでみると、決してこれまで意識できなかった四肢に潜んでいる凝りや滞り、永年放置されてきた歪みや違和感が露にされ、ス~ッと目に見えて解されて行くのがハッキリ実感できました。
ワークの後の身体の軽さと言ったら‥ちょっと大袈裟ですが、体が宙に浮き上がるのではないか‥と思える程、爽快で軽やかでした。
また、身長が5cm程伸びたかのような視界の拡がりを感じました。
健康にはまだまだ上があり、無限に先があるのだということが初めて分かりました。
その後もかなり体調は良く、身体は軽くて精神状態も建設的全肯定的な様子です。
5. 食事を作って頂いた女性について
玄米菜食マクロビオティックと自然療法によって、癌を克服されたというお話を実際の経験者から伺うことが出来たのは何よりもの心の財産になりました。
ずっとマクロビオティック等、食事療法で癌のような難病が治るということに対して半信半疑でした。
しかし、実体験者本人の生の声を聴けたことで少し視野が拡がりつつあります。
そのような命がけの、恐ろしい壮絶な経験をすらりと頓着なく冗談っぽく話すその女性に畏怖を憶えました。
全く重々しい、容易ならざる内容を常にあっさり淡々と飾り気なく話される姿勢が、自分にとって、かえって説得力を増していたように思います。
そんな方に食事を支度していただいたことは貴重な機会だったと思います!!
以上は前編です。あと、後編もまた送りますので、すみません、しばらく待っておいてください。
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こんばんは、OTです。
感想文の後編になります、大変お待たせしました。
なかなか当時の心境を克明に描写するのは難しいで‥うまくいくかわかりませんが、とりあえず試みてみますので、よろしくお願いします。
6. 建物・環境について
周囲の自然豊かな環境―騒音雑音とは全く無縁で鳥の声と風と木の葉の音のみの世界―は精神的な修業をするのに最適だったと思います。
建物の建材もデザインも自分にとってとても良かったです。
部屋も充分過ぎる程広く、清潔で空気も綺麗で快適でした。
私が内観に挫折した‥というか全うできなかったのは、環境や状況のせいでは決してありません。
禅やセラピーを行ううえで最適な環境であったと思います。
7. 内観について
内観を行う際、これまで自分が持っていた内観に対するイメージを拭い切れず、結局最後まで反発を抑えきれませんでした。
先生が、“内観が成立した過程や背景には把われずに、淡々と行に専念した方がよいですよ”とおっしゃってくれたにもかかわらず、やはりどうしても(日本独自の)仏教用語や創始者の思想的な部分に引っ掛かり、無心には取り組めませんでした。申し訳ありません。
事実のみを、感情や立場を交えずに思い出そうとしましたが、『していただいたこと』『迷惑をかけたこと』『して返したこと』の3つとして分類し、起こったことを言語化して話そうとすると必ず個人的立場の観念で脚色してしまい、事実を思い起こすというより、自分と相手の当時の現場での感情を推理憶測するだけになってしまい、事実を掴むことは不可能でした。
何らかの単なる行動や行為を、『していただく』とか『して返す』といった観点から見ようと試みる時点で、私は、相手や自分がまるで常に損得のみに基づいて日常行為を色分けしてるような人生を送っている気になってしまい、“まずそういった人生はあり得ないし、ある物事を~された、とか~を返した、とか言う判断で判定したり決め付けたり出来ないのではないか?”といった疑念も常に心を掠めました。
例えば、誰かがあることを“単に自分がしたいからやった”際に、相手や関係者が『迷惑』と感じるか『感謝』と感じるかはその相手の領分であり、決して今の自分の能力では事実として相手の感情を認識出来ない….という風に思ってしまったりもしていました。
また、内観の過程でこれまでの自分自身を省みてみました。
私はその心根において非常に悪辣で度しがたい犯罪者と同等であり、今の日本社会ではたまたま合法的に生きていられる状態なわけで、本当に本心に忠実に生きたとしたら決して地獄行き(仮に地獄があるとしたら)を免れることは出来ない‥これが心における自分の真実であると思います。
幼い頃から、嘘も思い出せないほど無限に、ほぼ毎日毎回ついてきました―自分を守り正当化する為に常に本心を偽り、相手が望んでいるだろうと推測される行動を表面的に演じたりしていました。
相手に嫌われることや自分が損をするかもしれないことを怖れる気持ちから心にもない言動や演技や芝居を行うこと―自分にとってこれは嘘をつくことであります。
小中学生の頃には盗みや覗きもしていました(これはあまり多くなくて2,3回程だと思われます)。
性的な欲望は誰にも言えない程強く濃く熾烈で、空想の内容は言語を絶する程倒錯していますし、現時点では実行していないだけで、心においては陰惨な性犯罪者であると言うことも出来ます。
たまたま殺人はしてませんが、心の中、空想や願望の中では何十人と殺していますし、常に強い憎しみと妬みと呪い、罵りに満ちた精神で生きています。
また、仕返しや報復を行うことに名状し難い快感を感じる性格を持っています。
しかし、救われ難いことに、妙に自分の欠点、悪事、罪、過去の過ちに対して、開けっ広げな開き直りがあり、それを反省したり悔悟悔恨したりして自分自身を清めて立派な善良な人間になろうという気持ちが無いという呆れた性質があるのです。
私はこんな風にとことん割り切っています―自分は怠惰で汚穢だらけ欠点だらけだし、どんなに努力しても決して清浄な人間にはなれない。(清浄で善良なふりはいつもしている。)
これまでずっと沢山罪を犯して、多くの人を苦しめて来たし、これからもきっとそうだろう。
でもこれが本当の自分自身であり、何か努力したり反省やお詫びをしたりして清算し、まともになろうとするのは大変そうで面倒くさいし億劫だ‥それより徹底して自分の利己性に正直に、歪んで汚れているとしても感情に率直に生きる方が楽で簡単で自分に合っているに違いない‥どうせ、皆愚かで、皆間違っていて、皆それぞれ自分が信じたいように身勝手に生きてるんだから、自分だけ反省して、自分だけを洗い清めて、その馬鹿げた世界から離脱するのはフェアじゃないのではないか‥そういう風に常に思ってきたような気がします。
また、例えばもし反省するにしても、本心から相手に対して悪いと感じたなら、すぐに直接謝りたいし、もし直接面と向かって謝れないなら、陰でクヨクヨと自分を責めたり、憐憫に耽ったり、自分自身や過去を悔悟したりすることに時間を費やしたくない。―自分自身と自分の過去にいつまでも囚われたくないし、済んでしまったことはもう変えられないのだから、教訓を得てさっさと次に行くべきだ―。もし直接会えないなら心の中で強く一回謝ってすぐに水に流して、その場で過去は終わらせるべきだ、そしていつか会えた時に直接お詫びしたり誤解を解いたりした方が時間を有効に活用できる―という考えをいつからかずっと持って来たようです。
以上は、研修所での内観中に心に去来した想念の一部です。
完全に的確に言語化出来たわけではありませんが、大まかにはだいたい上記のとおりです。
先生には、このような私の想念が、如何に内観に対しての私の誤ったイメージや誤解から生じているかよくお判りだと思います。
やはり、本当にじっくり実践して(内観の)本質を掴むことは、現在の私にとっては不可能であったようです。
先生が指摘されたように、今、私は特に問題解決を求めていないようで、ただ退屈で暇で虚しかった―それが問題だとしても、努力してそれを取り除こうと奮闘するのはだるい―というのが実状だったようです。
上記の内観時の感想は、あくまでも個人的な偏見に基づくものであり、決して内観そのものを貶める意図を持って作文にしたわけではありません。
2009年6月時点での自分の一時的な気持ちであり、いつか、自分に内観が必要となり、本気で真剣に取り組める時機が訪れるかもしれないという可能性に心を開いておくつもりです。
いつの日かもっと視野が拡がって、精神的にも成長し、心理的なワークに抵抗なく取り組める自分になった暁にはまた素直に心を空にして検討し試みることが出来るだろうと思いますし、そんな(自分が大人になる)時が来ることがあればいいなぁと思います。
その時には絶対に観行研修所での実習をお願いしたいと思います。
長くて、まとまりのない分かりにくい感想文になってしまいました、すみません。
また、非常にあからさまで行き過ぎた表現だと思われるであろう箇所もありますが出来る限り率直に描写することを心がけました。
先生が“ここまで書くなんてこの人はどうかしてしまったのではないか‥”と思いませんように。―以上は後編です。
まだ少しお伝えしたい部分も残っていますので、後日またメールします。
よろしくお願いします。
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これまで沢山思いつくままに書いてきましたが、最後の感想文―補完とまとめになります。
所々で先生と交わした対話の機会が自分にとって最も感興をそそる、楽しい時間のひとつとなりました。
クリシュナムルティを深く学んでいる方と直接会ったり話したりしたことは初めての経験でしたので、先生の、クリシュナムルティの教えとその他の霊的宗教的な事柄についての考えを一部伺うことが出来たことはとてもためになりました。
もし、もっと対話の時間があったなら、禅と仏教のことやクリシュナムルティと仏陀の教えの共通点、チベット密教との関連性等についてのお話も伺いたかったところですが、これらはいつかの機会での楽しみにしたいと思います。
屋久島での研修の後、我ながらちょっと極端で過酷なスケジュールをこなしてきたのですが、現在非常に体調が良く、どんなに疲れても4時間程度熟睡すれば翌日またフル稼働出来るような気力体力の充実ぶりです。この高潮期は屋久島から始まっていると感じられます。
研修を受けている最中に大幅なプラン変更を強いてしまいまして、型通りに修了出来ない羽目に至りましたことは、大変申し訳ありませんでした。
先生は顔色ひとつ変えずに臨機応変に対話とボディワークで有効に時間を活かしてくれましたが、どう考えても先生の誠意に対して愚弄してしまったような結果になったことをお詫びします。
予想外の展開にしてしまったにもかかわらず、今回の経験は全てにおいて自分にプラスになった―観光出来て勉強にもなって気分転換に大いに役立ち、かつ健康の改善にも繋がった大変価値のあるものになったと思います。
そして、たまたまひとつの自覚が得られたと思いたい気持ちを自分に許しています。
―それは、数年クリシュナムルティの本を読んで来たにもかかわらず、いまだに自己改善、良くなろう、達成しようと微妙なかたちで試み続けていたということ―
しかし、自分は決して良くなったり立派になったり、偉くなるための努力奮闘を出来ない気質であるということをやっと知ることが出来たということ‥であります。
これからは微妙なかたちの努力―獲得欲や達成への欲望―に今までより敏感に気づくことが出来るのではないか‥と思います。
やはり、本で読んで知っている気になることと、直接対話したり学んだり現場で経験することは違うのですね‥
今回、先生と出会いましてそのことを強く感じました。
自分は暝想や禅などは出来そうにないのですが、ボディワークはまたきっと受けてみたいと思います。
あの日、短時間であれだけの爽快さを味わってから新しく興味と好奇心が強く芽生えてまいりました。
あと、先生に薦めていただいた本“ブッダの瞑想法”もとても勉強になりました。
仏教はほとんど知らない世界ですので、入り口がこのような良い本となったことは大きな財産です。
自分自身は、解脱や涅槃というものがあるのかどうかを本当には知らないので、それを求めて修行するということは無いのですが、価値ある情報として心の構造や反応・カルマの生起についての説明から得られる知識はこれからの暮らしの上で活かしていくことが出来るのではないかと思います(特に、悪意、悪感情の転換、処理の仕方についての項)。
また、この著者の方の博識さと経験豊かさ、人間性―誠実さと謙虚さも非常に好ましく、他の著作物も是非読んで学んでみようと思いました。
ここまで、いろいろ長々と書いてきましたが、かなりまとまりのない無節操な感想文になってしまいました―すみません。
霊基先生には本当にお世話になりました。ありがとうございました。
また先生に疑問や尋ねたいことが出来ましたら伺うことがあるかもしれません。
そのときは、よろしくお願いします。
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こんばんは、ありがとうございます。
感想文は全て先生に差し上げたものですので、是非ご自由に活用してください。
屋久島で先生の研修を受けさせて頂いて本当に良かったと、後になって時間が経つ程強くそう思います。
かなり乱雑な感想文で恥ずかしいものですので(笑)、是非先生のセンスで編集をお願いします。
これから受けることを検討してる方にとって少し参考にでもなればとても嬉しいです!!
以上、名前をイニシャルに変えたこと以外は、ほぼ送って頂いたままの感想文です。
ありがとうございました。(霊基)