9日間の内観を振り返って~きつかったこと~ 32歳男性

先日は大変お世話になりました。

研修準備期間及び研修実施の9日間、内観研修に身を削って協力して頂けたことに改めて感謝します。
本当にありがとうございました。

また、2、3度しか顔を合わせることができませんでしたが、船江さんのご両親にも大変感謝しております。よろしくお伝えください。

内観研修の中で、自分の中で気づきが起こり、問題解決や自分の生き方について、いくつかの明らかな答えが出たことに感謝しており、また正直ほっとしています。(8日の時点では、もうだめだ、くらいに思っておりました)

8日目の後半、船江さんが「面接の時間が多過ぎるように思います。内観に使う時間を増やした方が良いです」と助言して下さったこと(あの瞬間には、叱責、ないしは面接が長すぎることに対する苛立ちなのか、とすら感じてしまいました)には、本当に感謝しております。
あの一言で、なんとか、気づきに辿りつくことができました。
気づきの直後、そして今でも、「あれは船江さんが意図的に私が気づきに至る助け舟をだしてくれたのでは」という思いがあります。恐らく、船江さんの中では違うと思いますが。

日常に帰り、ものの見え方や外部刺激に対する感じ方が変化したのを明確に感じます。
また、自分の出せた答えは生活の中できちんと機能するであろうという予感があります。
しかし一方で、これは気を付け続けなければ、努力し続けなければ、かなりたやすく消えてしまうであろうという感触もあります。

苦しさ、負の感情をグッと歯を食いしばって耐え、母が私を育て続けてくれたように、ひたすらに「やるべきことを実行していく」しかないのだと思います。
そしてそれは、気づきが自分にとって想像以上だったのと同じように、想像以上にきつい道であると確信しています。

ただ、母に何かしてあげるためには、それしかないのだと思います。
研修の終わりに、研修所に有益なものを購入することで感謝の表明をしたい、と言った時、また、今日直接持参することは難しい旨を伝えたときに、なんだかんだで結局私に一切の負担をかけないでくれた船江さんと、その直後の買い物で私の服を買う時に「自分でお金を出すから」と言っても結局お金を出してくれた母の姿が重なり、「ああ、これはやはり愛だな」と実感できました。

自分の目的、目標を達成するためには、これからが研修よりもずっとずっと大変だと思いますが、やるしかないので、地道に噛みしめながらやっていきたいと思います。

以上が、お礼でございます。

添付ファイルの「9日間の内観を振り返って~きつかったこと~」を、自分の内観体験記として提出させていただきますが、主題の通り「集中内観の苦しさ」に焦点を当てて書いたものになっています。

理由は、「自分が研修を受けるかどうか決めあぐねているとき、そういう情報が欲しいと思った」からです。

この情報を提示することにより、以降研修に望まれる方が、より明確な目的意識と覚悟をもって研修に向かい、研修の成功に辿りつけるように、という思いで書きましたが、気づきの研修所を運営している側(船江さんとご両親)への良くない影響(研修する人が減る、研修について心配する増える等)に対する配慮は、欠けている部分があると思います。
正直、この文章を見た人が(こんなに厳しいなら行くのやめようかな…)と思い得ることまで書いております。

また、研修所で意図的に秘している情報や、内観の妨げになるのであえてサイトに掲載していない情報も、記述してしまっている可能性が御座います。

大変お手数ですが、添付ファイルは内容をよく読んでいただき、内観研修所やこれから内観をする人によくない影響を与えないか、ということを確認していただきたいと思います。

添付ファイルに関するお願いは以上です。


9日間の内観を振り返って ~きつかったこと~

1.はじめに

この文章では、私が行わせていただいた「内観研修」について、かなり意識的に、ネガティブな情報(しんどい、きつい、不快、不安、リスク)をピックアップしています。
(主に、事前に感じた不安と、実際の比較について述べます)

理由ですが、
まずポジティブな情報(やって良かった、すばらしかった)は文献やWebに豊富に、情報量が多く書かれており、事前に少なくとも文面として知ることができました。
しかし、相反するネガティブな情報は非常に少なく、私はそのことで逆に、「どんな厳しいことが実際にあるのか、わからなくて怖い」と研修前に感じてしまいました。
事前にその情報が補われれば、研修にあたっての不安を解消できる人もいるのでは、と考えたからです。

研修を受けられる方の考えは様々ですが、私の想像では、非常に大雑把に分けて下記の2種類の考えの方がおられると思います。

(1)「どんなつらさがあっても、何よりも問題解決をしたい」
  「リスクどうこうなどそもそも気にしている余裕などない」
  「リスクを知って研修に対して尻ごみしてしまうのは怖いので、
  何も見ずに研修に飛び込みたい」

(2)「リスクを事前にある程度は把握しておき、自分の中で覚悟を決めて、
  もしくはリスクに勝てるかどうか、自分とよく相談して研修に臨みたい」

私の場合、(2)の考えでした。(希少な方だと思います)

そしてこの文章は、主に(2)の考えの人に向けて書かせていただいたものです。

事前に研修のリスクが分からないので怖い、迷っている、という人にとって、事前にそういう情報を知ることで安心してもらえるように、また、研修を行うかどうかの判断材料になればという気持ちで書きました。

よって、研修のリスクを見ることでやる気が削がれることが怖い、嫌である、という人は、この文章を参照しない方が良いかもしれない、ということをまず述べさせていただきます。

2.内観研修の苦行性について

こちらの研修所の内観についてのページや、内観に関するテキストを読むんだとき、苦行的な、自分を追い詰めるようなことを想像される方はいらっしゃるでしょう。
(実際のところ自分は研修前にざっとテキストを読んでそう感じました)

まず肉体面ですが、
苦行性は「最初のみで、あとはほぼ無い」というのが素直な感想です。

サイトにも書かれている「洗腸」「断食」は人によってはとても苦痛だと思います。
それについては3.と4.で触れます。

ですがそれ以降は、「とにかくからだを楽な状態に保ち、思考に集中するのが大事」と指導されます。
正しい姿勢を維持したり、雑念を払うために冷水に打たれたり…などのようなことはなく、身体的に快適な状態を作ることに指導者も心を砕いてくれます。
不快な点や気になる点があれば指導者に言って相談してよい、そういう空気があります。
「洗腸」「断食」は「思考するのに楽な状態」を作るための前準備であり、苦しさ、つらさを我慢してやるだけの効果はある、と私は感じました。(あくまで、1人の内観初心者の主観ですが)

そして精神面ですが、
これは私の感想としては「苦行性が無いとは言えない」です。

内観の基本手順は、

・「自分が周囲にしてもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」を調べる
・「自分が周囲に対してついた嘘、盗み(ものを盗んだ、目を盗んだ)」を調べる

ということを、時系列や対象人物を変えながら、とにかく手順どおり、繰り返しやる、ということです。

私の場合は、
「自分が周囲にしてもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたことを調べる」は、
最初はやることとして新鮮であり、鮮やかで幸せな記憶が思い出されたりして、どこか楽しい感じすらありましたが、作業感が出てきたあたりから少し苦しさや焦りが出てきました。

「嘘(欺いた、規則を違反した)、盗み(ものを盗んだ、目を盗んだ)を調べる」は、
自分が想像し、覚悟していた程度の狡さや不誠実さが見つかっていくうちは、作業感があってもはっきりいって苦痛や心苦しさはありませんでしたが、ただ自分の想像していた以上の狡さや、新しい事実(自分が知覚していた事実と違うもの)が見えたとき、心に明確なダメージがあり、自分がしてきた嘘・盗みを書き連ねていくうちに自分の心の中に澱のような、暗く重たいものが積みあがっていくのを感じました。

また、研修中で最も精神的にきついと感じた時は、
「研修終盤にも関わらず、決定的な答え、確かな手ごたえが感じられないとき」
「そしてそのまま研修が終わってしまうのではないかという焦り、恐怖を感じたとき」です。

私の場合研修7日目くらいから、「得たものは多いがいまいち確実な手ごたえが無い。このまま終わるのか」と本気で怖くなりました。

研修終盤、手ごたえが無いまま研修が終了した場合を想像したとき、研修によるいくつかの発見はあったものの、予定調和であった、という感触を感じる自分、研修前よりも虚しさや希望の無さが増加しているような自分を想像しました。

研修を終えた今でも、「あのまま抜けだせず、手ごたえが無いまま終わる人もいるのでは」と思ったりします。
そして、そのケースは実際存在する、と思います。(あくまで、内観初心者の主観ですが)

しかし、私の場合は何とか幸運な、ありがたいことに、その苦しさを強く感じたすぐ後に、いわゆる「気づき」(弾け、とでも表現するような「変わった」感)が訪れました。
しかし、全ての人にこれが訪れる「保証」は、やはりないな、と思います。

ただ、
「愚直に、自分・他人に嘘をつかずに、ひたすら課題について調べること」
「疑念、焦り、苦しみが出てきてもそれをかき消して、ひたすら調べ続けること」
「あらゆる工夫をして、思考を続けること」は、
気づき・はじけが到来する確率を確実に高めるでしょう。

明確な目的・問題意識、それを解決する覚悟は、上記のことを行うための非常に大きな手助けになると思います。
そして、気づき・はじけが起こるよう、船江さんとその御両親は全力でサポートしてくれます。

そして、その訪れる気づき・はじけは、少なくとも自分にとっては想像を上回る、センセーショナルなものでありました。
振り返ると、精神の苦しさに耐え続けた価値は十分にあった、と思います。

3.洗腸の苦しさについて

洗腸は、塩水2リットルを飲むので、研修所の説明ページでも念入りに書かれている通り、とても大変です。

私はその状態を事前に想像して、「まず2リットルの水を飲むのがそもそもつらい」「2リットルの水に20gの塩というのは、相当しょっぱくてまずいのでは」と思いました。実際、その通りでした。

私の場合、一連の内観研修で行うことの中で、それが身体的には最もきついだろうと思ったので、「アベ式洗腸法」にある通りに、予行演習を行いました。

予行演習では、ミルマグLXを2錠(水酸化マグネシウム量=0.7g)をまず飲んで、2リットルのあまり冷たくない水道水に、食塩20gを混ぜたものを、普通のグラス(200ml程度)に入れながらなるべく一気に飲みました。

1リットルを超えたあたりから急にきつくなり、自分を奮い立たせて飲んでいました。

結果は1.5リットルでギブアップ、強い吐き気をガムで誤魔化す状態が30分ほど続きました。
その後30分程度で便意がし、トイレで出したところ、胃腸を水で洗うようなすっきり感とともに、透明度の高い水溶便が出続ける状態になりました。

事前に「きついが効果はある」と実感できたのが収穫でした。(少し怖さも増しましたが)

本番(内観研修)では、
まず15ml程度のスイマグ(液状、結構不味い)を飲んだあと、2リットルの自然水(湧水)を風呂場のお湯くらいの温度に温めた塩水を、途中までは鍋に入れたままコップを使わず一気に飲みました。
最後に残った500mlは、コップに取りながらちびちびと飲みました。
2リットルを全部飲みきれましたがやはりきつく、少し戻しました。
結果としては洗腸の効果が十分に起こり、すっきりしました。

あと、洗腸では2回とも、腹痛や下痢は全く感じませんでした。(吐き気のみ)
私はたった2回しか洗腸をしていませんが、コツというか、苦しさを減らす方法は下記です。

冷たい水よりもかなり暖かめのぬるま湯でやる

水が冷たいとより塩辛く感じ、厳しいです。
本番で船江さんが作ってくださった、暖かい水を飲んだとき、「あれ、美味しい…?」と思える程度には塩辛さの感じが違います。

コップは使わず、鍋に入ったものを一気に飲む

練習でグラスを使って飲んだときは、お茶ポットからグラスに注いで飲んでいたのですが、途中からお茶ポットの塩水が全然減らないと思うようになり苦痛でした。
大きい容器で作ったものをそのまま一気に飲む方が気分的に楽です。

酔い止めとなるものを準備しておく

私の場合飲み終わったあと、口の中が塩辛いのが気持ち悪く吐き気がし、ずっとガムを噛みました。
ガムを噛むのは修行っぽくなくて反則かなあ、と思いつつもガムを本番に持って行きましたが、船江さんは快く承諾してもらいました。(アメとかでもいいと思います)

普段から水分をこまめに取られる方、飲む水の量が人より多いという自信がある方は、苦痛を伴わない、平気だという方もおられるようです。
船江さんからも、そういう人がいる、と聞きましたし、私の知人にも塩水2リットルと聞いて「普通にいけるよね?」と言っている者がおりました。

事前に練習をしておくことは、私にとって有効でした。
またそのとき、どのくらいの水酸化マグネシウムを飲んで、塩水をどのくらい飲んで、体にどのような変化が起きたか(洗腸現象、吐き気、下痢、腹痛)を知ることは本番においても有効です。
その情報を聞いて、船江さんは本番での洗腸を調整してくださいます。
杓子定規に必ず2リットル飲んでください、ということもありませんし、飲みやすさの向上や工夫など、事前に相談すれば対応してくれます。

4.断食について

断食については、正直なところ私は全くと言っていいほど苦痛を感じなかったので、リスクやつらさについては、経験や実感を伴って書くことができません。

多少の空腹感はありましたが、お茶で十分と思え、2日間は水分のみで体調と精神状態の維持ができました。
猫舌ですので、熱いお茶をさましながらゆっくり飲んだのがよかったかもしれません。

※ ただし、これは人によって全く違うそうで、同じ2日間の断食でも、ふらふら、ボロボロになられる方も居られるとお聞きしました。

5.「内観」が帯びている「宗教色」について

内観は非宗教ですが、源流が仏教であるため、そのテキストには宗教独特の、少し非日常的な言葉がしばしば登場します。(精神世界、魂、地獄、救い、等)

言語として宗教色を帯びたものが登場することは、源流を考えると仕方ないかな、と思っていましたが、私が研修前、否、研修中にもときどき不安に感じていたことは、「なんらかの宗派への入信へ入信させられるのでは」「他人への布教を求められるのでは」「高額のお布施を要求されるのでは」ということです。

これについてはずばり結論を言うと、「言語や概念として宗教色はあるが、入信・布教・布施の強要は一切無い」です。その点は、全く心配の必要がありません。

ただ、サイトの研修費用にも書かれている通り、「お布施が強要されない=タダでもいい」と考えるのはNGでしょう。
そのような心持ちでいくと、まず内観自体が上手くいかないのでは、と思います。

6.研修施設、研修の環境について

私は研修施設についてそれ程の心配はしていなかったのですが、行ってみて思ったことは「想像していたよりずっと快適」という事です。

寝泊まり・食事・内観を行う場所はかなり上等なテントの中です。
ログハウスに使われるような、地面と距離を離すための板の上に設置されているため、冬の寒い時期であったにも関わらず、底から冷えてくるような寒さは感じませんでした。

トイレも水洗ではないものの、清潔に丁寧に作られている感じがし、不快感はありませんでした。
(駅のトイレに抵抗がある方や、女性の方には、抵抗がある人が居られるかな、とも思いました)

風呂は、正直「ガス・水道・電気なしでここまでできるものなのか」と感心しました。
湯船があって湯が張られており、湯船の横に熱い湯と水(温度調整と湯の継ぎ足しのため)が置いてあります。
湯船、洗面器、すのこ、着替え入れ等、快適に思えるように様々な工夫が為されていました。
風呂は寝床とは別のテントに作られているのですが、防風がしっかりしてあり寒さは感じませんでした。

ただ、温度や居心地に関しては、個人差が出てくるだろうなと思いました。

かなり冬の寒い時期を選んだので、自分なりにやりすぎかなと思う程度の防寒(上下スキーウェア、手袋も厚手のもの、厚手の靴下)をしたつもりで、研修中はほぼ常時灯油ストーブを使わせていただきましたが、それでも寒いと感じることはしばしばありました。
マフラーとフードも持って来るべきだった、と研修中に後悔しました。

個人的に、ある程度の暑さ寒さは覚悟して研修に臨んだ方が良いと思います。
夏は昼の暑さ(木陰にテントがあるので涼しいかも)が気になるのでは、と思いました。

指導者の船江さんは内観を妨げるありとあらゆる障害を取り除くことに腐心してくださいますので、事前に相談したり、研修中も気になることがあれば会話をすることで、問題の多くは解決するでしょう。

7.指導者(船江霊基さん)について

研修に臨む前、私は色々と心配ごとがあり、メールで船江さんに相談したり、「こういうことはないのか」「事前にこういうことが必要だろうか」とかなり図々しく聞いたのですが、質問や相談には的確、かつ親切に答えていただき、非常に安心できました。

会う前までは正直、求道者とでもいうような、冷静で揺らぎがない、達観していて、ある種の近寄りがたさを持っているのではないか、と心配していましたが、いざ会って話をした時に感じたことは、「どこにでもいそうな、優しい普通の人」でした。
研修所での行き路でも、釣りの話などをしていただき、緊張が和らぎました。

研修に入ってからは、文字通り寝る間も惜しんで(実際、研修者よりも寝ず、食わず、厳しいことをやっておられると感じました)、甲斐甲斐しく世話をしてくださいました。
面接(気づいたことを面接官に伝える事)も、時間を選ばず実施していただけましたし、食事やお風呂も、研修を行っている人を第一に考えてやってくれました。
「気になること、分からない事はございませんか」「体調や空腹など、心配な点はございませんか」と事あるごとに聞いてくれます。

ただ、内観に入り、面接官をするときは完全に「面接官モードになる」というか、言葉少なくひたすら研修者の言葉を聞くのに徹する感じになりますので、少し驚くかもしれません。
ただ、面接が終わった際にはリラックスできるような事を話してくれたり、食事や風呂のタイミング等、研修に関わる事をいつもの通り聞いてくださいます。

ひたすらに、研修者のためを極限まで考えて、それを実行してくださいます。
私の内観の場合、その心遣い・行いのありがたさが、気づき・はじけを得る引き金になった程でした。

個人的には指導者の事で心配することは何もない、と思います。

また、ご両親も快く手厚くサポートしてくださいますので、人間環境に関して心配は不要と言えます。

8.内観を終えて

内観研修前にどれだけのものを期待し、どのくらいの変化を求めていたかは正直覚えていません。ただ、内観を終えた後には物事の見方の変化や考え方の変化、言動・行動の変化が明確にあります。

内観を終えての感想は「やってよかった」「得たいもの、答えは十分に得られた」です。

[ご参考] 私が内観研修で、したこと、感じたこと、など

正直、1日毎のシーンや感じたことを克明には思い出せませんので、何をして、どう感じたかを本当にざっくりと書きます。
日毎の心境の変化等は、私以外の方の研修体験記を参照されることをお勧めします。

1日目

母親に対する自分について調べる。
克明に思い出せるシーンが少なく、推測が多い。

2日目

母親に対する自分について引き続き調べる。
最近の事は克明に覚えているが、親元から離れていた頃の記憶が乏しい。

父親に対する自分について調べる。
具体的な情景を思ったより思い出せたが、わりとすぐ揮発してしまう。

3日目

自分が就職するまでに必要だった養育費の計算をする。
想像通り大変な額であった。

兄に対する自分について調べる。
自分が努力できたのは、兄のおかげでもあった、と気づく。

弟に対する自分について調べる。
弟は幼いころからずっと、そして今でも我慢し続けている、ということに気づく。

4日目

自分の嘘と盗みについて調べる。
感情の大きな揺らぎはなく、実に淡々としていた。
この日の最後の方で、自分が事実を無自覚に脚色、隠ぺいしていたことに衝撃を受ける。

5日目

自分の嘘と盗みについて引き続き調べる。
自分の無自覚な認識の歪み、誤りが見つかる度に心は重くなっていく。
また、その嘘と盗みの多さにうんざりする気持ちが湧く。

6日目

自分の嘘と盗みについて引き続き調べる。
最後の方はかなりしんどく、正直「早く終わってくれ」という気持ち。

自分の嘘と盗みの傾向に対する分析を行う。
特徴的な嘘と盗みの傾向が分かり、それが現在にも影響していることが分かり、「収穫はあった」と感じる。

7日目

自分が嘘・盗みをして、ひどく傷つけた・明らかな損失・悪影響を与えた相手に対する自分、自分が自分の人生を終わらせるような嘘・盗みをしたとき、人生の危機から救ってくれた人に対する自分について調べる。

「自分は罪深い、それでも自分は許されている」と理屈では分かったが、感情の動きが少ない。

8日目

親しい友人に対する自分について調べる。
発見、感動はあったが、「これはただの思い出探しで、内観でないのでは」と疑問を抱く。

嫌いであった人、嫌いな人に対する自分に対する自分を調べる。
嫌いな人がしてくれた事については思い出すのが難しく、苦しむ。
収穫の手ごたえがない苦しさを感じる。

きっかけがあり、面接官(船江さん)に対する自分について調べる。
自分の醜さ、罪深さについて自覚できたという確かな手ごたえを感じる。
ありがてえ…と言葉に出した。

父方の祖母に対する自分について調べる。
相手にあまりにも何もしてこなかった自分と、それでも自分にし続けてくれた相手に対する気づき。

母に対する自分について、もう一度調べる。
母の行動には見返りの期待が一切無く、まさにそれこそが愛である、という気づき。

会社の上長及び会社という組織に対する自分
他人がしてくれたことを母がしてくれた事に置換するとき、そこには愛しかないと気づく。

9日目

周りと自分について、してあげる、してもらう事と、その感じ取り方について調べる。
周りがしてくれる事は、自分の感じ方と固定概念によって、悪意にも愛にもなること。

自分が周りにしてあげる事は、感じ方によってそれぞれであり、それを変えるのは難しいこと。
ただ自分だけが、そこに愛があったかどうかを知ることができる、ということ。

自分の答えは出た、と感じ、内観研修の終了をお願いする。


この文章を見た方の中で、少しでも多くの人に、内観による新しい発見・気づきが起こることを心から願います。