「プライマリーコントロ-ル」とは、緩やかな自動運動である、とは言えないだろうか。
あるいは、不随意的(勝手に動く)な感覚が弱く、時間的に緩やかな自動運動のことをプライマリーコントロ-ルと呼んでいるとか。
自動運動の構成要素のうち、「不随意的な運動」と云うのが問題なのではなく、(なぜなら、それは、実のところ不随意ではないから、脳の普段と違う部分がメインとなって行っている随意運動だから)
自動運動は、ある種の変性意識とセットになっていること、(自動運動が起こるときには、必ず瞑想のレベル、意識のスイッチが切り替わっていること)そして、その状態で起こる(つまり日常意識ではなかなか起こらない)全体が一つになった運動・現代人の持つ条件づけを脱した動き、プライマリーなモノの顕現にこそ自動運動の価値がある、と考えてます。