それが、内観であれ、ヴィパッサナーであれ、ボディワークであれ、
リトリートとはつまり大掛かりな心の手術であり、
そのことによって、積年抱えていた病・痛み・不具合が解消される。
それだけの手術に臨むのだから、それなりの覚悟は必要で、
まず、入院前の先生の注意(体調管理など)をキチンと守ること。
また、手術が始まってしまったら、痛いからといって途中で止めることはできないことの理解。
開腹した状態で、「想像してたより痛いから、このままウチに帰らせてください」と言われて、「ああ、そうですか」と言って帰らせてくれるお医者さんは居ないでしょう。
やり始めたら、最後までやる、と云う決意が必要です。
内観、ボディワーク、瞑想は、病院に喩えれば、それぞれ科の違いに似ています。
内科、皮膚科、歯科など。
しかし、その方の抱える問題を、総合的に解決しようとする点では同じです。
そして、気づきの手術は、ただ一つの道具、「気づき」というレーザーメスを使って行ないます。 その道具を自分の心のなかに作り上げます。
「この心の痛み・苦しみから、どうにか解放されたい、楽になりたい。
そのためには、自分にできる限りでの努力は厭わない」と云う気持ちが定かであれば、研修はうまくいきます。
テクニック ・技術が人を変えるのではありません。
求心のみが、極限まで高まった「どうにかしたい、どうにかなりたい」と云う心のみが、それ自体を変容させます。
そのためのエネルギーの流れ道として、技法・技術があります。