禅の立場から

不動心とは、揺れている外界に逆らって、自分の身体を揺れないように保つことではなく、揺れそのものと一つであること、それに逆らう自分と云う塊(実体)のないこと。そのとき揺れる-揺れないを超えた、不動の一点が現れる。
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(良寛が文政十一年三条の大地震の際に、与板の山田杜皐あて書いた手紙)
地震は信に大変に候。
野僧草庵は何事なく、親類中、死人もなく、めでたく存じ候。
うちつけにしなばしなずてながらえて かかるうきめを見るがわびしさ
しかし災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
かしこ
誤解される良寛
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/gendaijinnozen/fl-ryoukan/ryokan01.htm
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。 煩悩寺の変