聖書の「私が死に、あの方が栄えなくてはならない」という言葉の中にある「私」の部分だ。
この言葉が意味するところは、私=「低次の自己」は死に至らしめ、あの方=「みずからの本質=魂としての自己」をもっと表現して生きよ、ということである。
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わが「人生というグル」、もしくは宇宙は、そのために今回の体験をその大きなチャンスとして私にもたらした。
そう確信せざるを得ないような「人生と云うグル」の見えざる手(手厚い配慮&サポート)―もしくは宇宙の采配―を、私は無数に受け取り、実感し続けている。
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「死」は最大の喪失ではない。
もっとも悲しむべきことは、心と体が切り離されたまま、満たされない生を生き続けることである。
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信じやすい人々は、与えられるものの正邪善悪におかまいなく、常に進んで信じこみ、受け入れ、従おうとする。
信ずる精神は探究心とは違っており、それは公式や原理原則の限界を出られない。
それはちょうど柱につながれた動物のように、ロープの範囲でしか動きまわれないのである。
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「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」 寺田寅彦
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不安を感じるのを止めましょう
私たちはいつでも不安を感じているものです。FEAR(不安)はFalse Evidence Appearing Real、間違った根拠が現実になってしまう、を表します。不安が起きるとき、自分自身に向かい「今、ひどいことが起きているんだ」と言い聞かせます。繰り返しこの嘘をつき続けるのです。しかし、不安というものは単に感情にすぎません。望めばいつでも手放せます。ですから、シンプルに手放す決意をしましょう。この瞬間にそう決めれば、既に消え始めているでしょう。「わたしにはできる、大丈夫だ」と落ち着き、振る舞える感覚を感じられるでしょう。これはどんな状況であっても、いつも可能なのです。
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自衛隊の生みの親である、吉田茂首相は、「平時には、自衛隊は無用の長物と国民から批判されるだろうが、それは日本が平和な証拠だから耐えて欲しい」と訓話したそうである。