瞑想を行なうことは至難の業である。
それは最高度の規律―順応や模倣ではなく、自分の外部だけでなく内部をたゆみなく見つめ続けることによって生まれるおのずからなる規律―を必要とする。
それゆえ瞑想は孤立的活動ではなく、日々の生活の中で協力と鋭敏さと英知を必要とする行為である。
正しい生活の足場を築かなければ瞑想は逃避に流れ、それゆえ何の価値も持たない。
正しい生活とは、社会のモラルに従うことではなく、羨望、貪欲、権力の追求など反感や憎悪を生む一切のものから自由になることである。
これらからの自由は、意思的活動ではなく、自己認識を通じてこれらに気づくことによって生まれる。
自我の諸々の活動を知らなければ、瞑想は感覚上の刺激に流れ、それゆえ無意味なものとなってしまう。
『クリシュナムルティの瞑想録』 p60-61