以下、ラリー・ローゼンバーグ『実践ヴィパッサナー瞑想:呼吸による癒し』第2章~感受と共に呼吸する~よりの抜粋だそうです。なるほど。
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恐怖に対する一般的な反応として、私たちは戦場を創り出します。
恐怖は恐怖から自由になりたいという激しい熱望と戦争しています。
そのプロセスが発生している心と体がその戦場です。
ここでの修行は、そのプロセスをひらくこと、そのすべてが自分の一部であることを理解することです。恐怖、恐怖から自由になりたいという熱望、心と身体、それらを観察している気づき、その気づきを増進させる意識的な呼吸。
私たちはそれらのすべてと共に座ります。
恐怖のような強い感情に対しては、まず最初は自分がどうやって逃げ出そうとしているかを観察するのがせいぜいでしょう。
否認したり、抑圧したり、説明したり、逃げ出したり、空想している自分を観察するのです。
やがてある日、恐怖が生じても、注意がそれをサッと出迎えて、ひとつになり、恐怖がその花を開くに任せられるようになります。
自分の恐怖を見つめてそれを認めること、自分は恐れているという事実を確認することが出発点になります。
恐怖のように強烈なものであっても、意識的な呼吸を使いながらそれと共に存在します。
それと共にとどまります。
あるがままにします。
最終的にブッダが感受に関して言ったのはそのことです。
「悟ったものは感受の生起と消滅をありのままに見る。それらを味わうこと、それらが生み出す危険、それからの開放をありのままに見ることによって、すべての執着から開放されて自由になっている」