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モノ・行為における存在の有無をめぐって、「ない」ことを証明することは非常に困難である。これを悪魔の証明(あくまのしょうめい、羅: Probatio diabolica)という。もともと、西洋中世のカノン法用語らしい。
「有ることの証明」は、証拠を提示すれば一瞬で完了する容易なことだが、その反面、「無いことの証明」は調査範囲が限定されたケースを除き、立証は事実上不可能である。なぜならば、この世の全ての可能性、或いは森羅万象、を完全に調査しなければならないからである。
ゆえに、公平の見地から立証責任は「ある」と主張する肯定側が負うことになっている。証明できなければ無いものと見なされる。法学では「推定無罪の原則」がそれに当たる。
もしそうでなければ、例えば「お前は魔女だ」「お前は殺人犯だ」「この世にドラえもんは実在する」などのように、どんなに無茶苦茶な主張でも主張者がそれを好き勝手に言いつのるだけで、否定する側が「無いこと」を証明しなければならないという不公平な重荷を背負うからである。
しかし、現実の論争の場では、必ずしもこのことが了解されているわけではない。