マインドを深く理解する必要がある。嘘を必要とするマインド、幻を必要とするマインド、リアルなものには直面できないマインド、夢を欲しがるマインドを。
人は夜にだけ夢を見るのではない。目をあけているときでさえ、あなたは夢を見ている。[……]
現在というのは、多くの場合、地獄を意味する。この地獄を我慢できるのは、未来に希望を投げかけているからだ。
明日を夢見ているから、今日を生きられる。明日には何かいいことが起こる、楽園の扉が開くかもしれないと、あなたは思っている。
それが今日起こることはない。だが、その明日がやってきて、明日が今日になったとき、あなたのマインドは、そのまた先のことを考えている。
あなたはいつも、自分がいるところの先を見ている。夢を見ているというのは、まさにそういうことだ。あなたは、現実と結ばれていない。
いまここに、身近にあるものに触れていない。あなたはよそにいる。自分の先回りをしている。[……]
このようなマインドは、ヨガの道に入れない。ヨガとは、真実を知るためのメソッド、夢を見ない精神に到達するためのメソッドだ。
ヨガは、いまここに在るための科学だ。ヨガは、未来に想いをはせるのをやめる覚悟ができたということ、希望を捨てる用意がある、
自分の存在の先回りをすることをやめる準備ができたという意味だ。ヨガとは、ありのままの現実に直面することだ。
だから、自分のマインドに飽き飽きした人だけが、ヨガの道に入れる。
自分のマインドを使って何かが得られると、まだ期待しているならば、ヨガは、あなたに向いていない。
全面的な不満が必要だ。
未来に想いをめぐらせるこのマインドは無益なこと、希望しつづけるこのマインドは馬鹿げていること、それによって人はどこにも行き着けないことを、はっきりと悟ることが必要だ。
それはあなたの目を閉ざしてきた、あなたに麻酔をかけてきた。
それのおかげで、あなたは現実を見ないでいられた。それはあなたを現実から護ってきた。[……]
マインドは麻薬だ。マインドは真の世界に敵対する。
だから、自分のマインド、自分の存在の有様、自分のこれまでの生き方に完全に幻滅し、それらを無条件に落とさないかぎり、道には入れない。
多くの人々が興味は持つが、道に入る者はわずかだ。
あなたの興味というのは、マインドの興味かもしれない。
今度はヨガを試してみたら、何かが手に入るかもしれないと期待している。
そこには、達成に向けての欲望があるかもしれない。ヨガを通じて完璧な人間になる、完璧な存在となって至福を体験するといった。[……]
そんな理由でヨガに興味を持っているならば、あなたと、ヨガの道の間には接点はない。
あなたは、完全に逆の方向に動きたがっている。
ヨガとは、「もはや希望はない、もはや未来は無意味だ、もはや欲しいものはない。
だが、私には、ありのままの現実を知る覚悟がある。
物事がどうなりうるかとか、どうあるべきかとかには興味がない。
私は、ありのままの現実に興味がある」という宣言だ。リアルなもの、真の世界の体験だけが、人を解放するのだから。[……]
完全に絶望しなさい。未来と希望を捨てなさい。これは難しい。リアルなものと向かい合うには勇気がいる。だが、どんな人間にも、たまにはそうした絶望が訪れる。
完全な絶望、完全な無意味さを感じるときがある。
自分がしているすべてのことは無益であり、どんなに奮闘してもどこにもたどり着かないことを知ったとき、突然、希望は失せる。
未来は消える。そのときはじめて、あなたは真の世界に対面する。
(Osho “Yoga – The Alpha and the Omega” Vol. 1 #1)
[参考]
Ravi Ravindra 著 “Heart without Measure – Work with Madame Salzmann”(Shaila Press) によれば、マダム・ド・ザルツマンは、この講話録を読み、感銘の意を表明した。 ザルツマンは少なくとも表面上でグルジェフワークを引き継いだ代表者です。