人間は、インストールされた物語に影響されたまま人生を過ごす動物だ。
しかも、すでに取得した物語に親和的な物語ばかりを摂取したがったりする。
ある物語に、拒否感を感じるか、親和感を感じるか、
その違いは自分の中のどんな既存の物語が原因になっているのか。
人間の幸不幸は、テクノロジーに関わらず、その者が取り込んだ物語しだいだ。
投稿者: 霊基
人間は機械である
自分は機械だったことを理解したと得意がっているのは、より複雑で深いところにある機械です。
機械を理解していると言い出す超機械が生まれるのではなく、本当に自分の全体が機械であることの理解があったときは深い悔恨からくる自然な謙虚さが生まれていることでしょう。
人に依存を惹き起こす食品
「人にアディクションを起こす食品」とは、塩、砂糖、脂肪、この3つが絶妙なバランスで組合わさっている食品のことだ。
この3つが組み合わさると麻薬のように脳に働きかける。
アディクションを引き起こす魅力的な食べ物にはどれも、この3つが絶妙な割合で組み合わさって入っている。
『アイ・アム・ザットー私は在る』より
状況がいかなるものであろうとも、それを受け入れることが可能なら、それは心地好く、受け入れがたければ、苦しいのだ。
試してみなさい。
そうすれば、苦しみには快楽が生み出すことのできない喜びがあることを見いだすであろう。
なぜなら、苦痛の受容には快楽よりもはるかに深いところへあなたを導く純然たる理由があるからだ。
至福は、その気づきのなかにしりごみせず、苦痛に脊を向けないことにあるのだ。
すべての幸福は、気づきからやってくる。
私たちが意識的であれば、喜びは深くなる。苦痛の受容、無抵抗、勇気、忍耐-それらは、深く永久に枯渇しない真の幸福、真実の至福の源を開くのだ
念々止まらず…
念々止まらず、日々遷流して無常迅速なること、眼前の道理なり。知識経巻の教えを待つべからず。
只念々に明日を期することなく、当日当時ばかりを思ふて、後日は太だ不定なりと知り難ければ、只今ばかり在命のほど仏道に随はんと思うべきなり。
『正法眼蔵随聞記』より
土光敏夫の言葉
「人は、自分の力を評価するときに、ともすれば他人と較べたがる。こういう人は、他人からの評判をひどく気にする。たとえば、ほめられると、おれもまんざらではないのだなと調子づく。けなされると、がっくりきてしまう。他人の顔色だけが評価のモノサシになっているのだ。自分のモノサシで自分を測る。それは口で言うほどなまやさしいものではないが、他人に頼らず、甘えないための、1つの試金石なのではないだろうか。」
「私も八十何年人生をやってきてみて、経験したことは何かといえば、いろいろ障害があったが、それに背を向けて逃げずに前向きに戦って解決していけば、必ず1つの進歩があるということです。(中略)いくら頑張ったって、毎日毎日問題は出てくる。逃げる訳にはいかない。その都度解決しなきゃならない。」