宇宙ヤバイ

ヤバイ。宇宙ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
宇宙ヤバイ。
まず広い。もう広いなんてもんじゃない。超広い。
広いとかっても
「東京ドーム20個ぶんくらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ無限。スゲェ!なんか単位とか無いの。何坪とか何?fとかを超越してる。無限だし超広い。
しかも膨張してるらしい。ヤバイよ、膨張だよ。
だって普通は地球とか膨張しないじゃん。だって自分の部屋の廊下がだんだん伸びてったら困るじゃん。トイレとか超遠いとか困るっしょ。
通学路が伸びて、一年のときは徒歩10分だったのに、三年のときは自転車で二時間とか泣くっしょ。
だから地球とか膨張しない。話のわかるヤツだ。
けど宇宙はヤバイ。そんなの気にしない。膨張しまくり。最も遠くから到達する光とか観測してもよくわかんないくらい遠い。ヤバすぎ。
無限っていたけど、もしかしたら有限かもしんない。でも有限って事にすると
「じゃあ、宇宙の端の外側ってナニよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと超寒い。約1ケルビン。摂氏で言うと-272℃。ヤバイ。寒すぎ。バナナで釘打つ暇もなく死ぬ。怖い。
それに超何も無い。超ガラガラ。それに超のんびり。億年とか平気で出てくる。億年て。小学生でも言わねぇよ、最近。
なんつっても宇宙は馬力が凄い。無限とか平気だし。
うちらなんて無限とかたかだか積分計算で出てきただけで上手く扱えないから有限にしたり、fと置いてみたり、演算子使ったりするのに、宇宙は全然平気。
無限を無限のまま扱ってる。凄い。ヤバイ。
とにかく貴様ら、宇宙のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ宇宙に出て行ったハッブルとか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。

人生のお蔵出し

しばらく前からパソコン内の整理(大掃除)を始めています。
パソコンを本格的に使い始めた10年前くらいから溜めてきたファイル類に目を通し、必要ないものは捨て、捨てるのが惜しいと感じたものは残し…と云う作業をしております。
このブログでも、「捨てるのはなんとなく惜しいな」と感じた文章断片などを、(自分の備忘録を兼ねて)ここにアップしていきます。
それは、パソコン内のお蔵出し的記事であると同時に、私のこれまで生きてきた人生自体のお蔵出しでもあります。
ですので、適当に読んでください。
それぞれの断片の出所は、私自身分からないので、気になった場合は、語句で検索掛けてみてください。
どれも、私自身の書いた文章では無いです。

井上義衍老師の言葉

それは、意識の中に自己を忘ずることであって、意識をなくすることではない。
意識の中に自己を忘ぜよと教えられている。
これ、大死一番大活現成(だいしいちばんだいかつげんじょう)の道である。
すなわち、意識自体が純意識自体であるときに、自体が自体を知ることは出来ない。
主体を主体と知ることも出来ぬところに、意識の主体すらも消滅するのである。
眼(まなこ)眼を見る能わざるが如し。
この確実かつ純粋なる道に徹するとき、無明は断絶する。
それは、織自体が織以前の純然たる法性体(ほっしょうたい)の事実に直接に証せられて、認識の及び難きものなることをまさしく得たとき、得る要も捨つる要もなく、自信の要も全くなきことを得るからである。
この時初めて、「今」の事実たる一大法界(ほっかい)が無条件で証せられ、この生活自体が法身(ほっしん)であることを自得するのである。
この時、疑いようも信じようもない、その必要も全くなく、その欲求すらも起こらないものである。
求心(ぐしん)の全く止む時である。

絶望

絶望。
最後は、これだ。
過去を引きずり、未来を当てにしていたら、
どうして、今、ここに落ち着くことが出来るだろうか。
今、ここに落ち着いていないで、どうして修行になるだろうか。
過去に自分が得た心境やら成した業績など何の役にも立たない。
そんなものは人の記憶の中で印象として残っているに過ぎない。
しかし、それにすがろうとしてしまう。
そこに自分の存在価値を認めようとする。
過去で自分を守ろうとする。
泡をかき寄せて、自分の周りに積み上げることで、
城壁を築こうとしているかのようだ。
しかし、今、単でなければ、単ではないのだ。
過去に単であったことは、もう存在しない。
未来に悟ることを期待することは、人を簡単に迷わせる。
何かちょっとした事で、パッと悟るのではないか、と思ってしまう。
徹した時に見性する、と聞けば、
何かそんな事件が起きるのではないかと思ってしまう。
未来に期待する思いが、そっと忍び込む。
未来の時点に特別な時を設定してしまう。
未来の悟りと、悟っていない今が峻別される。
今は、これから悟る今となり、悟っていない今となる。
悟っていない今に落ち着ける訳が無い。
今が、抜ける。
自己の内を見詰めてみれば、
そこには確かなものなど何も無く、
愚かで、小さな私が、恐怖におののいて、
過去にすがり、未来に期待しようとしているに過ぎない。
私は、それだけのものだ。
そんな私に悟りは、無い。
私に悟りはあり得ないのだ、と絶望した時、
悟りからの解放があり得る。
悟っていなくてもいいんだ。
もう悟らなくてもいいんだ。
過去にすがることもなく、未来に期待する何ものもない。
全てを失った者には、今だけが残る。
果てし無く、今だけが在る。

『日本名僧奇僧列伝』

『日本名僧奇僧列伝』 小嵐 九八郎
この本、伝記と云うよりも小説と云うべきで、作者の創作(想像)的要素が強い作品で、誰にでも薦められる感じではないです。が、ここのところ、自身の進退で迷っている私には、良い本でした。
変な言い方ですが、励まされました。「よし! 自分も、これくらいで悩んでいないで、もっと勇気を持って頑張ろう」と云う気にさせられました。