この2日間ほど、ある切っ掛けから再読しておりました。
面接の合間に途切れ途切れに読みながらも、昨晩、正・続と読み終わりました。
この作品に最初に触れたのは、もう四年も前、まだ屋久島に足を踏み入れる以前、実家の倒産と、その残務処理で、心身共に限界状態のときでした。
読み始めたら止まらず、明け方までかけて一気に読み終え、次の日、寝不足で朦朧としていたことを思い出します。
そのときにも多くの面で励まされましたが、今回も、やはり読んで良かったと思いました。
新たに、裸で、裸足で、踏み出そう。
先のこと、生活上の安定のことなどは考えずに、と云う、肯定的な明るい心を取り戻すことができました。
私は、三浦綾子作品は、それなりの数読んでますが、この『泥流地帯』が最も筆力が冴えた、乗った時期の作品だと感じています。
『泥流地帯 (新潮文庫)』
『続・泥流地帯 (新潮文庫)』
『泥流地帯』と父のこと
泥流地帯 続泥流地帯 三浦綾子
投稿者: 霊基
自己観察は、人間を自己変革の必要性の自覚に導く
自己観察は、人間を自己変革の必要性の自覚に導く。
そして、自己を観察する間に、自己観察そのものが彼の内的プロセスに一定の変化をもたらすことに気づく。
自己観察は、自己変革の道具であり、覚醒への手段であることを理解し始めるのだ。
自己を観察することによって、それまで完全な暗闇の中で進んでいた内的プロセスにいわば光を投げかける。
そして、この光の影響の下でプロセスそのものが変わり始める。
光のないところでしか生じない多くの科学的プロセスがある。
まったく同様に、暗黒の中でしか生じない多くの心理的プロセスがある。
意識のわずかな光でさえプロセスの性質を完全に変えるのに十分であり、更に多くのプロセスを完全にだめにしてしまう。
グルジェフ
ダンテス・ダイジの詩
私には、詩と云うものが、どうも良く分からない、と昔から感じてきました。
「この人は、有名な詩人なんだよ」とか、「この詩、とても素晴らしいでしょう」とか云われて、目を通してみたことはあるのですが、それに本当に素晴らしいと心打ち震わせた経験はまったく無く、「どうも、自分は、詩と云うものに対しての感受性が無いらしい」「どうも、自分には詩と云うものが理解できないらしい」と感じてきました。
ダンテス・ダイジと云う人がいます。
それほど世間で広く知られている人ではないけれど、一部の人の間では伝説的で、私は、確か18歳の頃、この道に入るか入らないかの時期に、たまたま一冊読んだことがあり、なんだか心に残る人でした。
この人が説く修行法も試したことなく、今では、ほんの時々、思い出して、本を捲ると云うに過ぎない存在ですが、なぜ、今日、書いてみようかと思ったのかと云うと、この人の書く詩に対して、です。
詩って何なのか、何がいい詩なのかは、私にはぜんぜん分からないけども、この人の書く言葉には、心が反応します。
なんたる、おそるべき言葉(詩)!と、驚異をもって。
ダンテス・ダイジ
ソフロロジー
先日、一日コースに来られた女性が、これまでボディワークとか瞑想とかの本格的な経験が無いにも関わらず、異様に気づきや体の感度がいいので不思議に思っていましたが、雑談の中で「子供の出産のときに、ソフロロジーと云うのをかなり練習したのだが、それが今受けている研修と非常に似ているので驚いている」と云うことでした。
興味を持って、終わった後でネットで調べてみると、確かに、
1. まず痛み(陣痛)に対する認識を学習して(肯定的なものに)変える。
2. 痛みを客観的・受容的・肯定的に感じる訓練をする。
3. 自然な呼吸を赤ちゃんに吹きかけるイメージング、その他、
私がこちらで説明している、気づき系の技法(価値付けなしの、受動的な感じること・知覚すること)と、反応系の技法(肯定的イメージング、アファーメーション)の、妊娠-出産の場面での適用に他ならないと感じました。
その他、出産と変性意識-瞑想-覚醒体験に関する面白い話を色々聞けました。
映画 『ブラザーサン、シスタームーン』
半年前に始めて見たときはピンと来なかったけど、先日、2度目に見たら面白かったです。
おそらく、現在の自分の境遇に重ねて見るから、面白いのではありましょうが。
以前、ある人に言われた言葉。
「世を捨てるだけではなく、世に捨てられなくては、本当に世を救うことはできない(ができる人間にはなれない)。」
を思い出します。
世を捨てるは、いわゆる出家、世の中を自分から見限って捨てること。
世に捨てられるは、世間(の人たち)から見下げられる境遇に落ちること。
『ブラザーサン、シスタームーン』
アッシジのフランチェスコ – Wikipedia
アッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)の魂