苦労

苦労をしなさい。
少なくとも避けようとしなさんな。
人間は、苦労によって幅と厚みとができるからです。
凡人は、自分だけが苦しんでいると思っているから「やり切れぬ」と思うのです。
ところが、こうした苦労は、過去にも必ずや経験した人があり、現在もまた経験しつつある人があり、将来も尚経験する人があるものです。
人間も、この辺のことが分かってくれば、わが苦しみから他人の苦しみを想う慈悲心が生まれてくる。
そして、苦しみのあるときは「自分をおめでたくしない為の神の恵みだ」と思えるようになるのです。
森信三 『訓言集』より

冴え

冴えとは、天人合一の閃きである。
天とは天分であり、人とは努力である。
優れた天分を努力によって鍛え上げたものが「冴え」である。
だから、我々は「冴え」に無関心であってはならぬ。

人間の天分は、結局努力を以ってはかる以外に方法がない。
森信三 『訓言集』より

師を求める

真に立派な本とは、一字一句が動かせないと云う書物である。
それゆえ、そういう書物に永い間取り組んでいると、その一字一句の動かし得ないゆえんが分かってくる。
しかし、これはまだ準備期で、更に進めば、その書物の字句内容を、如何様にでも自分の言葉で説明できるようになるが、その境地にまで到らねばならぬ。
かくして、初めて学問の大道が開かれたと言える。
真の謙虚は、師弟道において初めて見られる。
津田青楓氏は、次のようなこと述べておられる。
「弟子は、師の持っているものを悉く奪い取らねばならぬ。
但し、その為には、己の持ち物を全て捨てて掛からねばならぬ」と。
学問に志す者にも、この心構えが必要である。
しかし、これは師を見つけて後のことであって、それまでは、ひたすら師を求めねばならぬ。
では、師を求めるに如何にすべきであるか。
それには自己の進むべき道において、当代の第一人者を見出すのである。
しかし、これは、なかなか難しいことである。
そのためには、広い素養が必要であり、文化の全領域について、それぞれの部門の第一人者を弁(わきま)えている必要がある。
こうなると、難しさは更に幾層倍するが、この困難を解決してくれるものも、また師である。
森信三 『訓言集』より

ニヒリストにならないための懐疑論

ニヒリストにならないための懐疑論(前編) – Skepticism is beautiful
「実際のところ科学理論とは、体験談をまとめ、不正確な要素を削り、体系化し、より純粋な体験で再確認されたものなのです。その成り立ちから言えば「究極の体験談」とも言えます。体験談と科学は決して違う方向を向いているものではありません。
体験談の精度をどんどん高めていく事が科学だとも言えますし、精度の十分高まった体験談は科学理論になるとも言えます。科学が研ぎ澄ましてきた道具を上手に利用して体験談を料理することは、体験談を貶めることではなくて、活用することではないでしょうか。」