ブログ 『日々、刻々、流れるもの』

心身のオンとオフ

有事には、有事に見合った心と身体の状態があり、
それは極限まで張り詰めた、火事場の馬鹿力的な、アドレナリン全開状態でしょう。
そうでなければ危ないし、使いものにならないし、生き残れないからです。
少々の身体の傷・ケガなどは感じない程に、心身は張り詰めてなければならない。
しかし、その「有事」が長期化してきたとき、
今度は、その「張り詰め」を緩めるべきときには緩める、
心身のオンオフをうまく切り替える為の心身技術が必要となってきます。
張り詰め続けた心身は、硬く、脆く、ポッキリ折れやすくなってくるからです。
限られた時間で、如何に心身(のオンオフ)をうまく切り替え、
心と身体のこわばりを抜けるかが、これから先、
壊れないで生きていくための重要な技術となってきます。
人よって、その技術には、
お風呂に入ること、散歩すること、一人で音楽聴くこと、
馬鹿話(漫画、小説、テレビなど)に没頭すること、
自分の興味あるまじめな本に集中すること、
酒飲んで誰かと話すること、ひたすら眠ること…
色々あるでしょう。
何にせよ、そんなことしていられる状況で無いからこそ、
どうにか(短い時間であれ)
大変な外的現実を忘れ、心を遊ばせ、ゆるませる時間が大切なのです。
それは(悪い意味での)現実逃避ではありません。
音楽聴いているときは、それが、
映画に没入してみているときには、それが、
笑っているときには、それが、
私たちの唯一の現実であるからです。
それが100%の現実であるくらい、別の現実に没頭して楽しめばいいのです。
それが、この大変な状況で、明日一日を生きていく活力を与えてくれます。
また、耐え難い極限状態での現実逃避は、
人類が過去、厳しい現実を生きていくなかで編み出してきた
生き延びるための知恵、生存技術である、とも言えます。
それを使わない手はありません。
一時の逃避― 楽しい夢― であれ、思うままに心遊ばせ、心寛がせるのです。
笑いは大いに人の心身を緩めてくれます。
それは、固着した視点からの解放、自由を与えてくれます。
とても笑えない、この状況であるからこそ、
「快」で、愉快な、楽しい、ホッとする、ホンワカする情報に
心身を触れさせる時間を持つことです。
今、できること | 氣道協会
http://kido-staff.jugem.jp/?eid=364

体調を良くする瞑想法

「心と身体のつながりが良い」と云うのは悪いことではないのですが、
いま逆に、悪い形で「心が身体に影響する」と云う事態が起こっているように感じます。
それは、放射線とか被曝とか云う問題です。
「自分が吸っている空気の中に微小ではあれ、これまでより多い放射性物質(毒)が含まれている」と知った心は、その「身体に悪いものを取り込んでいる」と云う思いによって、自分の身体に実際に、不調を生み出します。(つまり「脳内被爆」しちゃう訳です)
これは特に瞑想などに親しんできた、心と身体のつながりを良くする訓練をしてきた人に強く出る現象で、その方にしてみれば、明らかにここのところ自分の体調は悪い、これは気分とか思い込みではなく、明らかに調子がおかしい、と感じるので、他の方より過剰に危機感を感じます。(そして、政府の情報統制とか東電による隠蔽とかを信じたくなります)
また、その際に、不安でありながらもどこか、外の人が感じられない微細な変化を感じられる自分の感受性を誇るような感情も混じり、そのことから目を離せません。
これは実際には、「心と身体のつながりを良くする訓練はしたけど、逆に、心を身体に干渉させない、スイッチを切る、妄想に反応させない訓練ができていない」と云うことでしかないのですが、それは今言っていても仕方ないので、効果的な瞑想法を紹介ます。(これは特に、2の現実世界にいる方にオススメします)
放射性物質への瞑想です。
これはチベット仏教の「トンレン」と云う観法の応用で、
トンレンとは、つまりチベット仏教版「慈悲の瞑想」です。
これを、以下のようにアレンジします。
1.
現在、自分の周りの空気中に存在する放射性物質(悪いもの、有害なもの、黒い雲)を、
周りの人の分も含めて、自分の中に思いっきり吸い込みます。
2.
そして、自分のハートの中心、気づきの光によって、それを感じ尽くし、浄化します。
(無害化します、黒い雲を、明るい、まばゆい光に変換します)
3.
それを、遠くまで浸透するよう、静かに吐き切ります。周りの人に与えます。
以下、それを繰り返します。
人間放射能フィルターになったような気持ちで行ないます。
受身で恐れている状態から、主体的に存在できます。
「右の頬を打たれたら、左の頬を向けよ(差し出せ)」といいますが、
「恐れ、おびえ」から「愛、奉仕」への転換ができれば、体調は回復します。
また、おなじ瞑想を、自分の周りに漂う「悲しみ、苦しみ、怒り」の感情に対して行なってください。
これを行なうことに対する自分のなかの抵抗、恐れを見つめてください。
そして、どちらを選ぶかを決めてください。

トンレン – Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%83%B3

心の癒しと意識の目覚めのために トンレン
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-76.html

三つの現実

今回の被災に関して、三つの現実(世界)を考えます。
一つは、まさにヘドロと瓦礫の世界である震災の中心地に居られる方の現実。
次に、それを取り巻く近郊、東京などで暮らす人の現実。
最後に、私の居る屋久島などを含む、遠方、西日本などの現実、です。
(4つ目の現実として外国を入れたり、あるいは1と2の間をもっと細かく分けたりすることもできましょうが、いまは、ひとまずこう分けます)
このブログの読者数は、日におよそ50~70人、最高でも100人以下なのですが、
1の現実に居られる方はどれほどでしょうか。
私は、これから、1,2,3の、それぞれの現実を生きておられる方に向かって文章を書きます。
それぞれ温度差もあり、感じ方も違うことでしょう。
いちいち、何処を狙って(誰に届くように)書いています、とは言いません。
が、常に頭の中には、どこかで懸命に一日を生きておられる誰かが存在します。
私にも、日常があり、仕事があり、
このブログの文章を書くのに使える時間は限られています。
でも、できる限りで、このページを見てくださっている方が、一日の仕事を終え、ホッとしたいときに覗いてみて、そして「明日一日、ガンバロー!」と思えるような、ささやかな記事を書いていこうと思います。
どれほどのことが書けるか分かりません。
ちょっとした喜び、楽しみ、息抜き、「ほっ」を、分かち合うことができたら、と思います。

被災地の皆様へ お詫び

言い訳から始めさせてください。
一ヶ月前の地震発生時、私は屋久島で、10日間研修の指導の最中でした。
屋久島では何の揺れもなく、私が地震の発生を聞いたのは、数時間後、
「本州で地震があって、屋久島でも津波警報が出たいたけど、知ってた?」と云う、研修所のある農園のオーナーの方の言葉からでした。
はじめ、大したこととは思っていませんでした。
ちょっとした地震だろう、くらいにしか。
その後、徐々に、「どうやら大変なことが起こったようだ」と云う情報は耳に入ってきました。
テレビのないところで暮らしている私は、研修指導の合間を縫って、ネットの新聞記事と写真によって、その大まかな輪郭を掴んでいきました。
こちらのネット回線は不安定で、youtubeなどの動画は、つっかかってまともには見れません。
唯一、動く映像を見たのは、一週間以上経って研修者の方と温泉に行った際に、そこの休憩室のTVを通してでした。
そして今日、(先ほど)はじめて、
これまでの地震に関する映像のダイジェストのようなものを幾つか見ることが出来ました。
想像を絶していました。
そして、自らの想像力のなさを、そして共感能力のなさを、情けなく、恥ずかしく感じました。
私は、これまで、これ程大変なことが起きていたとは知らなかったのです。
現実は、私が文字情報と写真とによって想像していたものを、かるく越えていました。
とんでもないことが起きてしまったのだ、と云うことが理解できました。
これまで、浅はかな、表面的な記事を書いてきたことを、お詫びしたいと思います。
(今日までの記事は全て浅はかでした)
現状の深刻さ、悲惨さを理解しておりませんでした。
恥ずかしく思います。
もし、当地の方が読んでおられたなら、お詫びしたいと思います。
皆様にとって、これから長い苦しい戦いが始まるのだと思います。
私に何ができ、何が書けるか、明日より考えていきます。

メディア・リテラシー

「メディア・リテラシー」と云う言葉があります。
それは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、
その真偽を見抜き、活用する能力のことであり、
「情報を評価・識別する能力」のことです。
「メディア・リテラシー – Wikipedia」より
今回の地震~原発の問題の流れのなかで、
この「情報判別能力」の不足(未訓練)から事態を悪化させていると感じられる場面を多く見かけました。
私自身が、この能力が高いと言いたい訳ではないです。
が、私は、この能力を高めたいと普段から努力しています。
それは、研修所の指導と云う職業からして、
(それが食事法であれ、瞑想法であれ、心理療法であれ、宗教教義であれ)、まちがった情報を研修者の方に伝えることが、非常に危険であり、その間違いに対する責任も重いと感じているからです。
なので、何か詳しくないことにであったとき(知らない人の名前、知らない健康法、知らないテクニックなど)は、まずネットで調べます。
そして、その技法・人・方法・ニュースに関する、賛否両論、褒める人と否定する人の両方の意見(論拠)をざっと調べます。本があれば、図書館でリクエストして、ざっと眼を通します。
そのうえで、自分のこれまでの知識・経験・直感に照らしあわせて、自分なりの判断をします。
誰かに情報を伝える場合、各人各々が、その手順(1クッション)を挟めば、
間違った情報を拡散させてしまうと云う、これまで繰り返されてきた失敗は避けられるものと思うのです。
私自身も、それを怠って(早まって)
おかしな情報をここで紹介したことも何度もあります。
それに気がついたら、早く削除するか、
それでも駄目な場合は訂正記事を出すしかありません。
気をつけなければならない点は、
デマの記事ほど、わかりやすく、衝撃的で、パズルが意外な形でハマッタと云うような脳の気持ちよさ(意外性と云う快感)があり、色んなことを数少ない要素(真相・真犯人など)でスッキリ説明してくれ、そのスクープを、まず誰よりはやくみんなに伝えなきゃ、と云う興奮を強く惹き起こします。
それらを喚起するように、デマと云うものはできています。(感染力が高い)
デマウィルスは、メディアを使って、人の脳を介在して、自己増殖します。
またメディアが信用できない(信じられない)からと言って、
個人による情報発信(ブログ)などがより本当だという訳ではありません。
現在は、情報が足りないと云うよりも、情報があり過ぎて、どの情報を信用していいのか分からないと云うのが問題です。
選択眼を磨いていくしかないのでしょう。
この本など、オススメです。
『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)』
著者の方のブログ
松永和紀blog
http://blog.goo.ne.jp/wakilab
一歩立ち止まって、まず調べてみること、そして冷静に考えてみることを肝に銘じたいです。
無責任なデマ情報を、(善意と興奮から)拡散させてしまうことのないよう。

震災のパノラマ写真

テレビの無い環境で暮らしている私のようなものにとっては、このようなパノラマの大画面写真(→リンク切れ 東日本大震災 – パノラマ写真館 – MSN産経フォト)が、いま起こっていることのリアリティ(現実感・真実味)を僅かながらでも与えてくれます。
私は実はスクラップ屋(解体屋)の息子でして、小学生の頃から休みの日には家の仕事をバイトで手伝っていました。
なので、自動車や建物の解体とか、倒産した鉄工所の後片付け・解体とか、そういう泥まみれ、埃まみれになってやる仕事は、得意な作業の一つなのですが、いま「【東日本大震災パノラマ Vol.55】原発から20キロ、防護服での捜索続く」を見て、憂鬱になりました。
もし、そのうち重機が来てくれて、大まかな作業をして行ってくれたとしても、これは気が遠くなるような作業です。
本当に『泥流地帯』を思い出します。
この泥と瓦礫の量と重さが、一人ひとりの被災者(この土地の持ち主)の、恐れと怒り、絶望、悲しみの、内に溜められた感情の量と重さなのでしょう。
そして、それが、この一月で溜まった、身体の、体中の、傷と痛みと疲れの、量と重さなのでしょう。