ブログ 『日々、刻々、流れるもの』

禅の見方

「道可道非常道」

・通常訳

「道の道とす可べきは常道に非ず」
「語ることができる道は、常道(真の道)ではない」
「道(絶対的真理)は、言葉で捉えることができないし、語ることもできない」
つまり、「真理は、言葉を超えた実在である」

・伊福部隆彦訳

「道の道たる可きは常(かわらざる)の道に非ず」

道というものは時々刻々千変万化して生成発展しているものであって、決して固定した恒常的なものではない。
つまり、道という固定した実体としての真理があるわけではなく、変化そのものが道なのである。
それを、「変化しない真理(道、容れ物)」と「変化する現象(中身)」に分けて認識するところに根本的な誤りがある。

「一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易」

・通常訳

一切の衆生は、ことごとく、仏性を有する
如来は常住にして、変易あることなし(変易しない)。

すべての生き物は、(そのなかに)仏性を持っている、有している。
真理(さとり、悟った人)は、常に存在し、変化することがない(移り変わらない)、永遠である。

・道元希玄訳

釈迦牟尼仏言、「一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易」
これ、われらが大師釈尊の師子吼の転法輪なりといへども、一切諸仏、一切祖師の頂寧眼睛なり。

一切は衆生なり、悉有は仏性なり
如来は常住にして、無なり、有なり、変易なり