『セラピスト入門―システムズアプローチへの招待』
軽い興味から、図書館で借りてみたのですが、
1、わかりやすい
2、内容が良い
さらに、
3、面白い
の3つが揃った良い本でした。
続編である、『セラピストの技法』も、負けずに面白かったです。
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森 信三『一日一語』 1月
一月一日
「人生二度なし」 これ人生における最大最深の真理なり。
一月二日
つねに腰骨をシャンと立てること―
これ人間に性根の入る極秘伝なり。
一月三日
天下第一等の師につきてこそ
人間も真に生甲斐ありというべし。
一月四日
逆境は、神の恩寵的試練なり。
一月五日
絶対不可避なる事は絶対必然にして、これ「天意」と心得べし。
一月六日
一日不読 一食不喰。(一日読まざれば、一日食らわず)
書物は人間の心の養分。
読書は一面からは心の奥の院であると共に、また実践へのスタートラインでもある。
一月七日
求道とは、この二度とない人生を如何に生きるかーという根本問題と取り組んで、
つねにその回答を希求する人生態度と言ってよい。
一月八日
これの世の再び無しといふことを 命に透(とほ)り知る人すくな
これの世に幽(かそ)けきいのち賜たびたまひし 大きみいのちをつねに仰ぐなり
一月九日
「天地始終なく、人生生死あり」―
これは頼山陽の十三歳元旦の「立志の詩」の一句ですが、
これをいかに実感をもってわが身に刻み込むかが我々の問題です。
一月十日
幸福とは求めるものでなくて、与えられるもの。
自己の為すべきことを人に対し、天からこの世において与えられるものである。
一月十一日
一切の悩みは比較より生じる。
人は比較を絶した世界へ躍入するとき、始めて真に卓立し、
所謂「天上天下唯我独尊」の境に立つ。
一月十二日
悟ったと思う瞬間、即刻迷いに堕す。
自分はつねに迷い通しの身と知るとき、そのまま悟りに与(あずか)るなり。
一月十三日
すべて手持ちのものを最善に生かすことが、人間的叡智の出発と言える。
教育も、もとより例外でない。
一月十四日
「行って余力あらば文を学ぶ」(論語)
つまり学問が人生の第一義ではなくて、生きることが第一義である。
一月十五日
人間は一生のうち、何処かで一度は徹底して「名利の念」を断ち切る修業をさせられるが良い。
一月十六日
信とは、人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない生の根本態度をいうのである。
一月十七日
五分の時間を生かせぬ程度の人間に、大したことは出来ぬと考えてよい。
一月十八日
やらぬ先から「○○をやる」という人間は、多くはやり通せぬ人間と見てよい。
一月十九日
健康法の一つとして「無枕安眠法」―夜寝るさいに枕をしないで寝ること。
これで一日の疲れは一晩で除(と)れる。
一月二十日
ご飯が喉を通ってしまうまでお菜を口に入れない―
これ食事の心得の根本要諦である。 (―飯菜互別食法―)
一月二十一日
実行の伴わない限り、いかなる名論卓説も画いた餅にひとし。
一月二十二日
「朝のアイサツは人より先に!!」―
これを一生続けることは、人として最低の義務というべし。
一月二十三日
金の苦労を知らない人は、その人柄がいかに良くても、どこかに喰い足りぬところがある。
人の苦しみの察しがつかぬからである。
一月二十四日
電話ほど恐ろしいものはない。
というのも聞こえるのはただ声だけで、先方の表情や顔つきは一切分からぬからである。
一月二十五日
いかなる人に対しても、少なくとも一点は、自分の及びがたき長所を見出すべし。
一月二十六日
上役の苦心が分かりかけたら、たとえ若くても、他日いっかどの人間となると見てよい。
一月二十七日
ハガキの活用度のいかんによって、その人の生活の充実さが測定できると言えよう。
一月二十八日
「一日は一生の縮図なり」―
かく悟って粛然たる念いのするとき、初めて人生の真実の一端に触れむ。
一月二十九日
一つの学校の教育程度を一ばん手取り早く、かつ端的に知るには、
子供たちのクツ箱の前に立って見るがよい。(家庭もとより同様)
一月三十日
相手の心に受け容れる態勢ができていないのにお説教するのは、
伏さったコップにビールをつぐようなもの―
入らぬばかりか、かえって辺りが汚れる。
一月三十一日
しつけの三大則。
一、朝のあいさつをする子に―。それには先ず親の方からさそい水を出す。
二、「ハイ」とはっきり返事のできる子に―。
それには母親が、主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。
三、席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に―。
甘受の覚悟
いかなる理由で、どのようなことが起きようとも、「それは、私にふさわしいことだ」と心得る。
一粒の水滴が顔に当たるのも、雀が一羽落ちるのも‥‥、全ては、因果の理法に基づいた必然の力によって生起している。
苦受であれ楽受であれ、与えられたものをことごとく受け取っていく覚悟‥‥。
ブッダのヴィパッサナー瞑想
http://www.satisati.jp/#今日の一言
仏教各派の瞑想法と修行体系
仏教の瞑想法と修行体系
http://ameblo.jp/morfo/
天国のマクドナルド
天国にもマクドナルドはある。
天国にも茶髪の天使達が居て、
その愛らしい姿のまま、
ハンバーガーを売っている。
天国はあまりにもありふれていて、
あなたはそれを信じることができない。
あなたは目を閉じて天国を想像してみる。
そして想像の粋を凝らして、
最も美しく最も高貴で最も幸せに満ちた世界を
思い描く。
しかし現実はあなたの想像をはるかに凌駕している。
あなたが想像する最上級の天国も
美しい現実の前では色あせた惨めな産物でしかない。
人は自分の目で神を見たならば
その存在を信じようという。
だが、この言い方は正しくない。
人は神の目で
この世を見たときに
その存在を確信するようになるのだ。
あなたは
涙なしにこの世を見ることはできないだろう。
あなたは
激しく嗚咽することだろう。
あなたは
言葉を失うだろう。
この世は尋常な世界ではない。
何故この世は存在するのか
何故むしろ無ではなかったのか。
しかし、それは実在する。
あなたは
畏敬の念をもたずに他の生命を見ることはできなくなる。
そして自分の姿さえ、
畏敬の念をもたずに見ることはできなくなる。
あなたは尋常な存在ではない。
何故あなたは存在するのか、
何故むしろ無ではなかったのか、
しかし、それは実在する。
人生の究極の謎、
何故それは実在するのか、
あなたはその答えを知っている。
それがあまりにもありふれているために
あなたはどうしてもそれを信じることができない。
そして言葉の粋を尽くして
その答えを表現しようとする。
しかし、現実はあなたの頭脳を遥かに凌駕している。
人は謎に正しく答えることが出来たなら
その答えを信じようという。
しかし、この言い方は正しくない。
人は正しく問うことが出来たときに
その答えを確信するのだ。
あなたは問うまでもなく、
その答えを知っている。
あなたは涙なしに
それを語ることはできない。
あなたは激しく嗚咽する。
そして、あなたは言葉を失う。
天国にもマクドナルドはある。
天国にも茶髪の天使達が居て、
その愛らしい姿のまま、
ハンバーガーを売っている。
天国はあまりにもありふれていて、
誰もがそれを信じることができない。
あなたは目を開けて天国を見る。
最も美しく最も高貴で最も幸せに満ちた世界を。
芦田良貴詩集
土光敏夫さんと云う人
『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』 出町 譲
年明け一冊目に読んだのはこれでしたが、実に良い本でした。
オススメです。