被災地の貴方へ 11

被災者の方の心的健康維持について書きます。
現在既に、パニック発作(不安神経症)などの心的不調に周期的に襲われている居られる方は多いでしょう。

パニック障害は、分かりやすく言うと「不安神経症」「不安発作」です。

私たちの感情を左右しているのない伝達物質の代表的なものにセノトリン、ドーパミン、ノルアドレナリンの三つがありますが、パニック発作は、このうち主に「アドレナリン」の(心身の強いストレスによる)一時的な代謝異常によって起こると言われております。
「アドレナリン」は、自然界に於いて、野原でいきなり捕食動物に出会ったときのような(ウサギが、ライオンに出会ったときのような)身体の危機的状態に一気に放出され、闘争・逃走反応(fight or flight reaction)と呼ばれる、心拍数、筋肉への血液流入量、呼吸数、血圧、代謝増加などの増加を起します。
そうして、戦うか逃げるかに適した状態を体の中に作りあげる、自然な反応が起こります。
ストレスが心身に及ぼす影響 

PTSDの発症に関係する神経系・内分泌系の『闘争‐逃走反応』と罪悪感・自責感を生む“凍りつき”の問題http://charm.at.webry.info/200907/article_1.html
パニック障害の場合、その警報ベルが、心身の強いストレスによって一時的に故障してしまい、現実の外界には危険がないのに、ベルがしょっちゅう鳴ってしまう感じに近いです。
火事はないのに、心の中に煙が立ち、その煙を見て、心の中の消防車が大騒ぎしながら走ってきて、でも頭はおかしくなっている訳ではないので、「そもそも火事は起こっていない」ことも分かっており、その自分の心の異常さに、狂ったのではないかと怖くなり、その恐れが、より警報ベルのスイッチを入りやすくする、と云う悪循環が起こります。
これは、パニックの渦中にある貴方にとっては、信じられないほどの絶望と恐怖であり、正直、死んでしまったほうが楽なくらいの恐れでしょう
そして、現実(外界)が、こんな大変な状態であるからこそ、それを、よけい人に訴えられず、ひとり悶絶しているのではないかと思います。
パニック障害
http://www.fuanclinic.com/byouki/a_01.htm
私に書けるアドバイスを書きます。

1,
いま、どれほど酷くてもPD(パニック障害)は、治ります。収まります。
ただ、パニック発作を繰り返すことはまずいです。繰り返せば繰り返すだけ、脳の癖になってしまい、引きずります。
ですので、どうにか発作を起さないで、脳を沈静化させることが必要です。

2、
まず、迷わずに、お医者さんに訴え、抗不安剤を貰い、発作が来そうなとき飲むことをオススメします。
もし、貴方が、これまで、そういう薬をあまり飲まないで来られた方なら、非常に効果があります。
依存性、副作用などを心配することはありません。現在の処方薬は、進化しております。
ただし、何ヶ月にも渡って、日常的に飲み続けることはオススメできません。
まず第一に「耐性」というものがあり、頻繁に飲めば飲むほど、いざと云うときの効き目が悪くなってきます。
また、何ヶ月か飲んだ場合、それをやめるときの「耐薬症候=離脱症状」と云う不快な症状(身体の依存症)が出てきます。
しかし、それらを理解した上でも、いまは、薬による援助を受けるべきときだと思います。
もし貴方がこれまで瞑想や精神世界や自然食や、そういうものに取り組んで来られた方ならば、いざとなって、これまで嫌ってきた西洋医学的なものに頼るのに抵抗感を感じられるかもしれません。
しかし、そんな感情は放っておいてください。一度や二度の見性体験や宗教体験など、大した役には立ちません。素直に、西洋医学の助けを借りてください。
もし、自然が、神が、「薬物による心理的安定」を認めておられないなら、そんな薬が効くはずないのですから。効く薬があり、貴方が何時間かでも内的に寛げる、休息時間をもらえるなら、それは神様の恩恵だと思います。
後ろめたく感じることも、また過剰に薬を恐れることもなく、使ってください。
始めの薬が合わない場合は、お医者さんにそう伝えてください。
同じような用途を持った、幾つも薬があり、まずやるべきことは、どの薬が合うか見極めることですので。一回で諦めないで。

パニックには、一気に糖分などを身体に入れること、カフェインなどが悪いといわれています。
私自身も、そう感じています。
ですので、空腹状態から一気に、沢山の消化にいい物を食べたり、
疲れて砂糖が沢山入ったコーヒーを飲んだりするのは避けたほうがいいと思います。

パニック発作が起こってしまったっ場合。
発作は、どんな長くとも、かならず30分以内で収まります(ピークを過ぎます)
ですので、「やばい、来そうだ」と思ったら、まず、人の居るところを離れて一人になって、
その圧倒的な恐怖感を認めます。高いところ、屋上などに行っては駄目です。(この恐怖に堪えるくらいなら死んだほうがましだと思って、飛び降りたくなり、そんなことを考えている自分に恐怖してしまうからです)
もし可能ならば、自分の現在の状態を理解してもらえているひと見ておいて貰えると、心理的には楽ですが、それも難しいかもしれません。
そして、可能なかぎり安全な場所で、ひたすら耐えます。
もし貴方が、ガンガジとか、クリシュナムルティとかを読んだことがあるのなら、その恐怖それ自体に飛び込み、堪えて行ってください。パニックの最中であれ、話は何も変わりません。恐怖の根源に、極限まで純化された恐怖そのものに向き合っているのです。もし、それに堪えられたなら、それより恐ろしいものはありません。貴方が今感じている「これ」は、現実界に何の対応するものもない、脳の中の恐怖だと云うことは忘れずに、とにかく30分間は耐え抜いてください。一回耐え抜くごとに、貴方の心は強くなり、その限界状況を見ていることができるようになってきます。

パニックから一時でもいいから解放されたいとの思いから、
お酒を飲むことを始められるかもしれません。
それを私は間違ったこととは思いません。
お酒の助けを借りてください。
それは確かに心を一時的にであれ、休め、寛がしてくれます。それは一時の救いです。
しかし、何ヶ月かに渡って長期的に考えたとき、アルコールの常用はPDを悪化させます。
このことは頭に入れておいてください。

もっとも効果ある健康管理は、睡眠を安定して取ることです。
これは、PDだけに関わらず、全ての心的障害に言えます。
故に、何か少し自分の精神状態がおかしいと感じたら、熟睡することです。
今の現状では、安心した睡眠など取れっこないじゃないか、と言われるかもしれませんが、それでも尚、睡眠を優先するべきです。昼間の仕事で頭が興奮して、とても眠れないと云うなら、少量のアルコールによって、心を緩め、眠りを呼ぶことも有効でしょう。

今がどんな地獄であれ、苦しくあれ、事実は、良くも悪くも変わります、展開します。
今のこと状態が永遠に続く訳では在りません。
いまのこの地獄、煉獄をくぐったあと、
開けることがないと感じられた夜が明けた後、
(夜が明ける直前、夜の闇は一旦更に深みを増します)
貴方が生き延びられれば、別の、これまで見たことのない風光(景色)が見れます。
それは、死後の、末期の風景かもしれません。
何なのかは分かりません。
しかし、それは貴方にとって無駄なものではないでしょう。

人の善性を信じたい

人の善性を信じたい
人の善性を引き出したい
そして、すべてのなかに(透明にして)はたらく、
気づきの明澄さに待ちたい

被災地の貴方へ 10

■ 死んで、生きる
もし、いま現時点で、もう死んでしまいたいと考えている方が居られるなら、
以下の考え方を提案します。

死んだと思って生きてみる
あの日、あのとき、
自分は死んだのだと思って生きてみます。
どんなに苦しかろうと、どんなに痛かろうと、
自分は本来(他の人と同じように)死んでいたのだ、
おまけの人生なのだと思って瞬間瞬間を生きてみるのです。
なので、このオマケの苦しみを(現状の悲惨さを生きることを)
もう少しだけ、ホントの自分の最限界が来るところまで味わって生きてみよう。
そして、ホントに駄目になったら、
そのとき、静かに、周りの人に傷を残さない形で、死のう、
そのときまでは、やってみよう。
そのように考えるのです。
死ぬ方が楽だと云うのは、このような事態に置いては、当たり前なことです。
生き延びて、何が残っている、何の平穏がある、
この胸の痛み・苦しみ(爆弾・劇薬)を抱えて、何の喜びがある、と感じることでしょう。
しかし、人類は、その膨大な苦しみに耐えて生きてきました。
生きて、その人間が過去耐えてきた絶望・苦しみの大きさを経験し、味わった上で、死んでもいいのではないでしょうか。
そのうえでの自死を、私たちは軽んじません。嗤いません。
私はかって、、そのような考え方(自分のなだめ方で)時間を稼ぎ、生を繋ぎました。
とにかく、今日一日を生き延びてください。
—–
■ 死の前に
もし、貴方が今既に(であれ、後にであれ)自死を決めたなら、
その絶望を知らぬ私に、それを止める傲慢さはありませんが、
ひとつのプレゼントを差し上げることはできます。
死ぬ前に、瞑想であれ、内観であれ、一つのコースを提供できます。
外なる全てを失い、夢も希望も未来のビジョンも情熱も愛も、
全てを失った上で、もともと自分にあった「生きていること」の実体は何であったのか、
この苦しみの核心は何であったのか、それを瞑想は見せてくれます。
また、内観は、「時間をかけて行なう臨死体験演習」であり、
過去との決別、死のリハーサルの「喪」の作業です。
そのとき、貴方が何を見、何を思うのか、そこに私は、一抹の希望を感じます。
私は、「死ぬのをやめて生き延びよ」と云いたい訳ではありません。
それは、その方自身の決めることであり、
そのような「煩わしい」と感じられるであろう言動は一切しないと思います。
「死に臨んだ人のターミナルケア」の積もりで接したいと思います。
ターミナルケア – Wikipedia
死ぬ前に、最後に「人間(意識)として生まれてきたことの可能性の限界(全開)」を見て(瞑想)、
そして、この人生を清算・総決済(内観)して、そして飛び立っていくことは、悪いことではないと思います。
貴方は、屋久島の森を見られたことがあるでしょうか。
本州で言えば、神社のご神木になれるレベルの木々が、ドカンドカンと、山の中を何百本も、何kmも、連続します。
それを見ると多くの旅行者は、「屋久島は、養分は多いから、(肥沃な土地だから)杉も、他の木もこんなに大きくなるのだろう」と考えます。
しかし実は、屋久島の樹は「自然がきつくて成長するのに本州の何倍も時間が掛かるから長生きできる」のだそうです。(山間部の屋久杉で、平均1年間に1mmだそうです。1000年で1m)
本州の杉は、養分もあり気候もいいので、どんどん成長します。
そして遅くとも何百年かで、自身の成長の限界(根が胴体を支えられる限界)を迎え、死んで行きます。
屋久島の杉は、成長が遅い分、時間をかけて基礎力を培っている分、粘り強いのです。
また、木々それぞれの面構えを見ていただきたいです。
五体満足で、樹の天辺、枝などが揃っている古木は、ほぼ存在しません。
100年以上生き残っている樹で、台風、雷、がけ崩れなどの自然災害に遭った事のない個体なんて存在しないのです。
みな、重篤な被災者です。
傷まみれで、グチョグチョの、総被災者状態です。
その傷を自身の自然治癒力で修復し切れなかった木々が、死んでいき、
他の樹の肥料・養分となり、自然の中に埋没していきます。
がけ崩れで横倒しになったまま、死なずに生き延び、そこから垂直に枝を伸ばしている樹もいます。
身体の上半分が、台風か雷かで全て奪われ、その姿態のまま生き延びている屋久杉の巨木もいます。
樹は、その種の落ちた場所が、どんな大変で、不利なところであろうと、歩いてより良い場所に移動することができないので、そこで、生きるか死ぬか、頑張りしかありません。
屋久島に、疲れ果て、全てを捨てた人間が来て、森の中を歩いて、
「癒された」「力を頂いた」と感じるのは、
そんな自然の、「美しい」との言葉では表現し尽くせない、
生々しさ、強烈さ、懸命さと、その生へ向けての執着と、傷まみれの身体の、美醜を超えた「美」に感応するからかも知れません。
—–
■ おまけ
mixiに、こんなコミュがあるようです、
「死んだと思って生きてみる」
以下、紹介文から

世界の無垢(むく)さ、穏やかさをみるのに
もっとも簡単なんじゃないかと個人的に思うのは
「死んだと思って生きてみる」
コレ
やってみたらクセになる。(笑)
さて、今日いちにちやってみよう
「いや~、私死にましてん。ときどき忘れちゃいますけどなあ~」
というノリで生きてみる。(笑)
死を悟ったとき、死を受け入れたり諦めたり開き直ったりしたときに目覚める(愛に気づく)ひとがいるみたいに
すでに死んじゃったという気分になると、「おばけは楽しい」という某きたろうさんの言葉(?)が真実性をもってくる。(笑)
死んじゃったんだよ
だから、もう世間での役目もないし、仮面もない
いっしょうけんめい生きてるひとたちが、なんだか無垢に見えてくる
なんでこんなに罪も無いひとたちをああだこうだ言ってたんだろう?
って気分になってくる
ああ、がんばらなくてよかったんだ~
ほんとに実感が湧いてくる。
なんだか生きてることに感謝が湧いてきちゃう。生きてるだけでまるもうけってほんとだなあ。
あ、死んでたんだっけ?(笑)
ああ、戻ってみんなに伝えたい!って思うかもしれない。(笑)
でも、がんばらなくていいんだよ
そこで和んでくれているひとがいるだけで、がんばらなくてもいいんだよって安らいでるひとがいてくれるだけで(幽霊だけど)
なんだか、みんなも明るくなってくる。
ほら、死んだままでもいいんだよ。(笑)
ときどき道を譲ってあげたり戸を開いて待っといてあげたら
なんだかほっとするような心の交流があるかもしれない。
ほら、与えるもの、和みをもってるんだから、愛があるんだから
ひとと関わることが驚くほど楽しくなってきちゃう。どうしよう、死んでるのに。(笑)
とか思ってると
たまーに、死んでるのに話しかけてくるひとがいる。(笑)
それならそれで、いいたいこと思いつくまま言っちゃおう
笑って、世間の価値観から自由になったやさしい心地の自分で、思いつくまま遊んじゃおう
ほーら、、みんなどんどん、「死んじゃったひと」の仲間入りをする。(笑)
なんだか、気楽になっちゃう。
みんな迷いや不安から目が覚めてくる、自由に生き生きしてくる。
ほーら、よかった。世界は蘇った。焦りから解放されて、穏やかに輝いてくる。
あなたのやさしい気持ちに癒されて。
まるでそこにないかのような、時間から解放された世界。
時間から、目的意識/焦りの呪縛から解放された世界はここにある。
ちっぽけな自分の価値観が死んだいま
いつでもあったやさしい景色、無垢な景色が、するっと蘇った。
。。そんな話を考えた(笑)
さあ
やってこよっと。

被災地の貴方へ 9

「もう駄目だ」と心が折れそうな夜に。

反応系アファーメーション
上村秀雄 『歩むもの』抜粋

抜けないトンネルはないし、
明けない夜もない、
いまがどれほど真っ暗だろうが、
それは紛れもない事実です。
闇の深さ、地獄の悶絶を味わった人にしか分からない
当たり前の日常の祝福もあります。
死に裏打ちされることによって、生はその輝きを増し、
疑獄の苦しみを経過することによってしか到達できない
人間性の開花(浄化)もあります。
どうか、行き切ってください。
すこし落ち着いたなら、以下の本も良いでしょう。
(今はまだ、きつ過ぎるかも知れないです)
『泥流地帯』
『続・泥流地帯』大正15年(1926年)5月24日、十勝岳大噴火。
突然の火山爆発で、家も学校も恋も夢も泥流が一気に押し流してゆく。
真面目に生きても無意味なのか。人生の試練に意味はあるのか。
『無手の法悦』
“大阪堀江の六人斬り”に遭遇、両腕を失いながらも、結婚、出産、離婚などを経験し、口に絵筆をとりつつ障害者自立のための活動に献身した順教尼の自伝。
痛みの再体験と、再起のために。

被災地の貴方へ 7

動かないものであったはずの大地がこれだけ振動し、
外なるものの脆さ、儚さを私たちは思い知らされました。
では、自分のうちの決して失われることのない宝(財産)は何処にあるか。
何が最後の拠り所なのか。
それは、気づきのなかにしかありません。
なぜなら、気づきは、生き物のしての人間に備え付けられた、
ギリギリ状態、限界の危機的状況を生きのびるための最後の起動プログラムであるからです。
「緊急時脱出生存」のための「ハタラキ」であるからです。
それが十全に働けば、生物としての貴方の心と身体は、生き延びれます。
瞑想は、緊急時に役に立たないものではありません。
どうしようもない緊急時に、最後に働いてくれるのが「気づき」です。
それが生死を分けます。

目の前の現象に、適切に、完全に対応すること、
頭で考えるのではなく、心身統合された全体として、適切に反応し、一つずつこなしていく事。
自分の中の、奥の、マグマのような感情は、気づきによって、まず「撫で、さすってやること」
今は、全面的に、それに付き合っている余裕がないのなら、
しばらくは、自分の胸の中に押し込み、沈め、待ってもらうこと。
事態が一区切りついて落ち着いてから、ゆっくりと眼を向けてあげるからね、と
今は、許してもらうこと。
そして、自分の限界まで、今できる(やるべきこと)をこなすこと。

大いなるものに抱かれ この道を歩く

被災地の貴方へ 6

私が、かって、どうしようもないギリギリの状態を生きていたとき、
一番の救い(ガス抜き・気晴らし)は、時々どこかで一人になって、
たとえば、誰も居ない夜の公園、空き地、海岸などに行って、
あるいは、一人で車に乗ったり、自転車に乗ったりするときに、
携帯のヘッドフォンで自分の好きな音楽を聴いて、大声で歌う、
あるいは、その音楽で、メチャクチャに叫びながら踊って、
溜まっている感情を解放することでした。
家族などのまわりの人の前では、いつも余裕な顔をして、わらって「大丈夫だから、きっとうまく行くから」と言いながらも、泣きたい、叫びたい気持ちは、自分も同じです。
その苦しさを、一人になって、踊り狂い叫ぶことでガス抜きして、堪えていました。
そのようなメンタルケアは必要なことだと思います。
今回、もし自分の音楽コレクションなどを失って、聴こうにも、それ自体がない方に
ご希望があれば、私の持っている「とっておき」のをお送りしたします。
内観的に云えば、音楽の違法コピーは「嘘と盗み」になり、してはいけないことですが、
今回の事態に際して、それぞれの音楽家の方たちも、自分の音楽が被災者を支える役に立つならば、お許し頂けると思いますので、決行します。
もし、落ち着いたら感謝を込めて、それらのミュージシャンのCDなどを買ってあげてください。
MP3で携帯に送るのがいいのか、CDがいいのか、MDがいいのか、リクエスト時にお伝えください。
また、元々の音楽の志向性もお伝えください。
昼間の興奮を鎮めて沈静化するための、chill out系のものと、
「よしっ!これからやるぞー」と云うときのやる気煽る系のものと、
あと、感情的に限界で爆発しそうになったときの、感情誘発系のものとに分けることができます。
ご希望の方は、メールにて。
reiki@artofawareness.jp
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OSHOのダイナミック瞑想とか、クンダリーニ瞑想とかも大いに役立つだろうと思います。
サニヤシンの方が今回特別に無料配布される決定をされることを期待します。