体験を手放す

「天命に誓って、プログラムするな。目的を持つな。起こるがままに任せよ」

私は、ゆっくりと体験をコントロールしようとする心を手放します。

もし、タンクを本当に体験したかったら、私の本は一切読むな。私の言うことは聞くな。ただ、なかに入って、そこに居よ。

ジョン・C・リリー

 

神聖喜劇

「世界はすべてお芝居だ」とシェイクスピアは書いた。

人間は神によって配役を決められた役者だという意味らしい。

役には色々あって、病気の役もピエロの役もあるのだろう。

でも自分の芝居のなかでは、誰もが皆主人公。

神から与えられた「自分」という役を演じ切るというのも一興であろう

不死性

たとえば、ある人が自分の敵を愛したとすると、その時キリストの不死性がよみがえってきます。
その瞬間、その人はキリストになるのです。

われわれがダンテ、あるいはシェイクスピアの詩を読み返したとします。
その時、われわれは何らかのかたちで、その詩を創造した瞬間のシェイクスピア、あるいはダンテになります。

ひとことで言えば、不死性は他人の記憶のなか、あるいは我々の残した作品のなかに生き続けることなのです。

大切なのは不死であることです。
不死になるというのは、成し遂げられた仕事のなかで、他者の記憶に残された思い出のなかで達成されるものなのです。

『語るボルヘス― 書物・不死性・時間』より

人間と宇宙

われわれ人間は宇宙の中の小さな一点にすぎないのにもかかわらず、思想を恵まれている者として、逆にその宏大無辺な宇宙を自己の思想の中に包み入れることができるし、また包み入れずにはおれない。

それは「考える」能力を賦与された人間の深い悩みであると共に、また大きな喜びでもある。

この意味において、すべての人は、自覚的に生きようとする限り、一人残らず哲学者であるということができる。

時間

われわれの運命は非現実的であるがゆえに恐ろしいのではない。
逆行できず、鉄のように仮借ないがゆえに恐ろしいのだ。

時間はわたしを作り上げている実体である。

時間はわたしを押し流す川である。しかし、わたしはその川である。

それはわたしを引き裂く虎である。しかし、わたしはその虎である。

それはわたしを焼き尽くす火である。しかし、わたしはその火である。

世界は不幸にして現実である。わたしは不幸にしてボルヘスである。

『時間に関する新たな反駁』 J・L・ボルへス