沈黙の力量、黙っている力

バカ発見器に「発見されるバカ」にならないために

この記事を読み、このところ(特に、コロナ禍始まって以来)感じていたものが、とてもうまく言語化されているのに感心しました。

心に思うものがありつつも黙っていることには、それなりの力量が要り― それは勿論、発言(発信)するべき、と感じたとき、感じた内容に関して発信することを否定するものではないのですが― 自身の内なるネガティブな感情(不安・怒り、苛立ち・腹立ち、など)を、ただただ反射的に吐き出し、ぶつけ、社会に反響・増幅させることは百害あって一利なし、と感じます。

何であれ、それが社会的な表出(表現)であるのなら、幾らかの反省(推敲)があって然るべきで、もちろん、(瞬発反射芸など)いろんな芸風があっていいのですが、それが見れるレベル、何かを感じさせるレベルになっているかですね。

黙っているのって、バカにはできないし、
黙っているからって、何の意見も考えもないわけではないし、
それ自体、高度な選択である場合もあるのだと思います。

それがいつか表現されるときも。

紅桜のフリースタイルラップ

私は元々、日本語ラップに対して(気恥ずかしさなどを感じる場合が多く)冷淡で、興味を持ってこなかったのですが(唯一、気を入れて聴いたことあるのは、Shing02くらいです)、しばらく前、何故かYoutubeで、「R-指定 vs 晋平太」の、このバトルを見て、その即興での日本語の繰り出し方と即座に音に合わす技術レベルの高さに感心して、へぇ~、と思ったのですが、

フリースタイル (ラップ) – Wikipedia

その後、その動画を見たせいで、YouTubeのオススメに晋平太さんの動画が出てきて、その中で、「紅桜」と云う人がいて、その人はすごい、という話を聞いて、「この人がすごいというのは、どんな人なんだろう」との好奇心から覗いてみて… ぶっとばされました。こいつ、スゲー、となりました。

なんというか…英語文化(黒人文化)の輸入品としてのラップとかではなくて、この人のは、演歌というか、浪曲とか講談とか、よくは知らないですが、日本の伝統的な歌謡文化が身体に染み付いているような(何をしても、それ以外の匂いがしないような)、純日本的身体をもった存在で、こんな人がいるのか、とかなり驚きました。
なんというか、(私には)作り物感が全然しなくて異質だと感じました。
あと自分が広島出身で、広島弁は普通に話せるので、お隣である岡山県の方便がそのまま理解できて、その味がわかりやすい、というのもあるかと思います。
HIPHOPとかラップも、いよいよ完全に日本化されてきてるのだな、と感じました。

あと、もし、若い頃の全盛期のビートたけしがラップしたら、こんな感じじゃないのかな、とも思いました。
なんだか雰囲気が似ているのですよね。