人間の基礎

人間の基礎は、一応四十歳までに築かねばならぬ。
それまでは、水中を潜るように孜々として進まねばならぬ。
まず四十歳までは沈潜して苦行することです。
人間の基礎は、その人の実力に比して、やや低い地位に置かれたときにできるものである。
森信三 『訓言集』より
……
三月二十一日 (前略)未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。
黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。
内を虚にして大呼する勿れ。
真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。
汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来になって現わるべし。
夏目漱石 『漱石日記』より

苦労

苦労をしなさい。
少なくとも避けようとしなさんな。
人間は、苦労によって幅と厚みとができるからです。
凡人は、自分だけが苦しんでいると思っているから「やり切れぬ」と思うのです。
ところが、こうした苦労は、過去にも必ずや経験した人があり、現在もまた経験しつつある人があり、将来も尚経験する人があるものです。
人間も、この辺のことが分かってくれば、わが苦しみから他人の苦しみを想う慈悲心が生まれてくる。
そして、苦しみのあるときは「自分をおめでたくしない為の神の恵みだ」と思えるようになるのです。
森信三 『訓言集』より

冴え

冴えとは、天人合一の閃きである。
天とは天分であり、人とは努力である。
優れた天分を努力によって鍛え上げたものが「冴え」である。
だから、我々は「冴え」に無関心であってはならぬ。

人間の天分は、結局努力を以ってはかる以外に方法がない。
森信三 『訓言集』より

師を求める

真に立派な本とは、一字一句が動かせないと云う書物である。
それゆえ、そういう書物に永い間取り組んでいると、その一字一句の動かし得ないゆえんが分かってくる。
しかし、これはまだ準備期で、更に進めば、その書物の字句内容を、如何様にでも自分の言葉で説明できるようになるが、その境地にまで到らねばならぬ。
かくして、初めて学問の大道が開かれたと言える。
真の謙虚は、師弟道において初めて見られる。
津田青楓氏は、次のようなこと述べておられる。
「弟子は、師の持っているものを悉く奪い取らねばならぬ。
但し、その為には、己の持ち物を全て捨てて掛からねばならぬ」と。
学問に志す者にも、この心構えが必要である。
しかし、これは師を見つけて後のことであって、それまでは、ひたすら師を求めねばならぬ。
では、師を求めるに如何にすべきであるか。
それには自己の進むべき道において、当代の第一人者を見出すのである。
しかし、これは、なかなか難しいことである。
そのためには、広い素養が必要であり、文化の全領域について、それぞれの部門の第一人者を弁(わきま)えている必要がある。
こうなると、難しさは更に幾層倍するが、この困難を解決してくれるものも、また師である。
森信三 『訓言集』より