怒りの向けどころ

今回のような事態が長期化した場合、
放っておけば、心のなかを、不安、怒り、絶望が覆っていってしまうことは
避けられないことでしょう。

不安からは、様々な疑いが生まれ、増殖し、
怒りは、当面の分かりやすい標的を探し、攻撃することで、
このやり場の無い塊を吐き出そうとするでしょう。

災害初期における、緊急時の生体の適応(防衛)反応である、
事態に対する非現実感・夢を見ているような感じや、無感情(感情を感じられない)、あるいは一種の躁状態(ハイテンション)、身体的には、ケガや打撲の痛み、あるいは疲れすら感じとれない(自覚できない)緊急事態モードは、すでに解除され、これから本格的に、自身の喪失感、痛み、悲しみ、絶望、怒りと向き合わなければならない辛い時期が始まるでしょう。

被災の程度はそれぞれですが、多くの人が、この一ヶ月間、不満、不快、イライラ、我慢を大量に感じ、その解消できないイライラ(怒り)が、様々な場面で、問題をこじらせています。

もし修行者であるならば、この大変な場面で、いかに自分の中の怒りを外にぶちまけ、更なる怒りの連鎖を作ることなく、自己解消できるか、

「怒り」と云う(投げ込まれた)材料を、如何に「気づき」によって無害化・無毒化し、自分(意識)を動かしていくためのクリーンエネルギーに変換できるか、

自分の存在そのものを、「気づき」による浄化装置・発電所にする試みに取り組んでいくしかありません。

いかなる場合であれ、怒り、不安、疑いに発した行為、行動、言葉は、
良い結果を生み出しません。
事態を、ますます混乱させ、救いがたいものにするだけです。

外へ向けた怒りには、解決も救いもありません。
自分の心身が、より一層、駄目になっていくだけで。

怒り、疑い、不安は、自分の心身を痛めつけます。
自分に毒ガス攻撃をかけているような、
感情の自己中毒状態でしかありません。
「怒る理由」の正当性など、問題ではなく、
義憤も、私憤も、関係ありません。

楽になりたかったら、救われたかったら(理屈はどうでもいい)
怒りを自分のなかで解消することです。

これを機に、抜本的な社会改革をするべきだと考えるなら、それも良いでしょう
(間違いなく、為されるべきでしょう)

でも、今は、外に向けて怒っている場合ではないのです。