久方ぶりの更新となります。
このブログを訪れてくださっている方が現在どれほど居られるのか把握はできてないのですが、おそらく極少数だろうとは思っております。
そのうえで、ここのところ強く感じていることを記し、伝えておきたいと強く感じ、いま書いております。
2025年後半は、研修所の仕事は一旦お休みにして、自身の、主にボディワーク系の学習のため東京に拠点を設け、そこに住み、ゴミ回収作業員としての日々の勤めに就きながら、夕方以降の時間を習い事に使う、と云う生活を送っておりました。
それは、仕事においても習い事においても、新人で新入りの何もわからない初心者に戻って、初体験の仕事や課題に全力で取り組むという経験でしたが、自身にとって、非常に有益で学びの多い時間を過ごせていると感じております。
しかし同時に、その経験のなかで、痛切に感じさせられたこともありました。
それは、修行においても仕事においても、「教える立場(側)」と「教えられ、学ぶ立場(側)」、「知ってる人」と「知らない人」という関係性が生じたとき、あっけなく、そこに「教えることの暴力性」とも言える「力・立場の勾配」が生まれ、普段、まったく正常に見える(そう取り繕っている)「教える側」の人格の欠陥が引き出され、露わとなり、いびつな人間関係を形づくっていく。
そのことで教えられる側(立場的に弱い側にいる我慢するしかない側)は、深い傷や苦しみを味わう。
ですが、そのことは「教える側」の人間には自覚することが難しく、あくまで「指導、教育としてやっている」との認識のもと、いわゆるパワハラが行われ続ける。
これが、これまで過去二十年近くにわたり、自分自身が「研修所の主催者・指導者」と云う立場でやってきたことであり、研修に来てくださった方々に、自覚ないまま続けてきたことだったのだ、と、初めて実感を持って気づきました。(色んな方のお顔が思い浮かびます)
いま考えると、本当に罪深く申し訳ない、自分のレベルがまったく見えてない愚かな行いであったのですが、今更、もうどうしようとも、やり直しはできないし、取り返しはつきません。
ただ、もし幾人かでも、このブログを見てくださっている方が居られるなら、せめてお詫びだけでも伝えたい、と思い、いま書いております。
人に教え指導する資格もない、そのレベルに達していない人間が、そのことを全く認識できないまま指導を行い、せっかく来てくださった方々を傷つけ、成長の機会を奪い、そのことにも気づけないまま生きてきた。
それが事実であったのだ、と思います。
本当に馬鹿なことをした、と感じております。
本当に、申し訳ありませんでした。

