「享受」と云う単語を、これまで「ていじゅ」、だと思い込んで喋ってました。
研修中の会話でも使ったことがあるように思います。
聞いてて「はぁ?」と思ったことがある方が居られましたら、ここに訂正します。
どうして、この間違いに気がついたかと云うと、昨日、まもなく研修に来られる方へメールを書いていて、「近代的な快適な生活を当たり前に享受していると、そのことの有り難さも透明になって見え難くなる。あえて『不便さ』を経験することによって、そのことが再認識される」と云うような内容を書こうとして、「ていじゅする」と打ち込むのですが、なぜか漢字に変換されません。
おかしいなぁ?と思って、ネットで「ていじゅ」を探すのですが、ひとっつも出てきません。
あれ…もしかして、と思い、今日、母に尋ねました。
それで分かりました。
「きょうじゅ」じゃん、えーっ、みたいな。
私は学校とか行かずに、独りで本を読むことによって色々な単語・熟語を覚えているので、漢字(熟語)の字面と意味は知っているのだけど、読み(音)は知らない、と云うことが良くあります。
つまり他者との会話なしに(声に出すこと無しに)、ほとんどの言葉を覚えている訳です。
ですので、もし、私が意味不明のことを云っていたら、ぜひ確認してください。
そうしないと間違った読みのまま使い続けるので。
もう10年以上前ですが、ある方との会話の中で「ガイチ」と言ったことがあります。
その方は、非常に気を使った優しい仕方で「がいち」とは、どういう単語ですか?と確認してくださいました。
もうお分かりだと思いますが、これは、「既知(きち)」ですね。
私の死んだ師匠が(この師は、非常に博識で中学生時代のあだ名が「博士くん」だったらしいです)、あるとき、会話の中で「きせき」と言ったそうです。
そうすると、相手の方が「きせき」とは何のことですか? と尋ねられ、そのやり取りの結果「寄席」のことだと判明しました。あの時ほど恥ずかしいことは無かった、と笑われてました。
人生、生きていると云うことは、恥と失敗の繰り返しだよね、と数日前、母とも話したことですが、また一つ、それを繰り返しました。
享受の同義語 – 類語辞典(シソーラス)
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E4%BA%AB%E5%8F%97