つぎにまた、比丘たちよ、比丘は、進むにも退くにも、正知をもって行動します。
真っ直ぐ見るにもあちこち見るにも、正知をもって行動します。
曲げるにも伸ばすにも、正知をもって行動します。
大衣と鉢衣を持つにも、正知をもって行動します。
食べるにも飲むにも噛むにも味わうにも、正知をもって行動します。
大便小便をするにも、正知をもって行動します。
行くにも立つにも、坐るにも眠るにも目覚めるにも、語るにも黙するにも、
正知をもって行動します。
以上のように、身の内において身を観つづけて住み、あるいは、
外の身において身を観つづけて住み、あるいは、
内と外の身において身を観つづけて住みます。
また、身において生起の法を観つづけて住み、あるいは、
身において滅尽の法を観つづけて住み、あるいは、
身において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。
そして、かれに、〈 身のみがある 〉との念が現前しますが、
それこそは智のため念のためになります。
かれは、依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがありません。
このようにまた、比丘たちよ、比丘は身において身を観つづけて住むのです。
【 長部経典 第二十二経「大念処経(心の専注の確立)」】