美しく話すことは、如何に美しく聞くか、と云うことである。
つまり、話し上手は聞き上手で、言葉をかえれば、美しく話すことは、如何に美しく黙るか、に尽きる。
そして、これが非常に難しいのである。
できるだけ新鮮な、手垢のつかない言葉で話すこと。
「言葉を選ぶ」、それが、その人の話を豊かにもすれば、貧しくもする。
大切なのは、普通の(平凡な)言葉で非凡なことを表現できうるかどうかである。
我々は、過去を知らないばかりに自分の生きる時代を中傷する。
しかし人間は、かれこれずっとこんな調子できたのである。
朋友の間、悪しきこと、過ちあらば、面前で言うべし。
陰でそしるべからず。
その場に居ない人を非難しないことである。
汝の道を行け。しかして後は人の語るに任せよ。
精神一到、何事かならざらん。
二つの「シ」
・志の「シ」
・師の「シ」
我が道、一を以って之を貫く。
学道の人はすべからく貧なるべし。なまじ財多くなれば、必ずその志を失う。
この道より我を生かす道なし、この道を行く。
事、必ず成さんと思わば、他の事の破るるも痛むべからず。
人の嘲りをも恥ずべからず。
万事に変えずしては一大事は成るべからず。
いやしくも「生」をこの世に受けた以上、それぞれの分に応じてひとつの「心願」を抱き、それを最後の一呼吸まで貫くことである。
人生とは、リハーサル無しの公演のようなものである。
下足番を命ぜられたなら、日本一の下足番になってみることである。
そうすれば誰も貴方を下足番にはしておかぬだろう。
一、心中、常に神を含むこと。
一、心中、絶えず感謝の念を持つこと。
一、常に陰徳を志すこと。
「応して蔵せず」(何か起きたら直ちに対応して、すぐ流すこと、心に溜めないこと)
顕微鏡で花の構造を仔細に点検すれば花の美しさが失われてしまうと云う考えは、途方もない偏見(勘違い)である。
花の美しさは、かえって、そのため深められる。
ことわざ・格言は、自分の人生で実際に経験してみるまでは、ことわざ・格言にならないものである。