死者と生者

さきほど、連絡あり、面識のある屋久島の移住者の方が、亡くなったことを知りました。
昨日、沢登り(下り)をしていて行方不明となり、本日遺体で発見されたそうです。
彼は、名前の一部をとって、みんなに「キクちゃん」と呼ばれていましたが、
若い頃から世界を放浪して、最終的に、エコロジカルでスピリチュアルな共同体を造ろうと云うヴィジョンを持って、屋久島に移住してきてました。
最初に会ったのは、私がまだ、前のピラミッド舎で研修していた時で、ある日、帰宅すると、家の前の畑で農作業をしている男の人が居て、誰だろうと思って「こんにちはー」と話しかけてみると、ヒゲを生やした爽やか旅人・ヒッピー系な感じの人で、話しているうちに、彼が以前に居た禅の道場や、経験したヴィパッサナー瞑想合宿などの話になって、アレコレ楽しく話しました。
その後、私が引越しして、顔を見ることが少なくなって、何ヶ月かぶりに顔を合わしたときは、しばらく話した後「最近、心理的にキツイので、もし可能ならば内観コースを受けてみたい」と言われ、「もし、本気でやってみようと思われるのであれば、喜んで受け入れますよ」と云う会話で別れ、その後、結局実現はしませんでした。
最後に会ったのは、確か10日くらい前、一つ前の研修の方と一緒に、淀川口~花之江河と歩いてる途中、思わぬところで向こうから降りてきて出会い、私が「研修者の方を案内している」のだと説明すると、「ほう、ヴィパッサナーで気づきながらの自然散策ですか」と笑っていたのを思い出します。それが、顔を見た最後でした。
死とは、何とも呆気ないものだな、と感じます。
これは、東山寺和尚さんの訃報を聞いたときも感じましたが。
自分にも、残された時間はあまりないのだろうと思います。
「そのとき」が不意に来ても、後悔することが無いよう、
一日一日を、しっかりと、充分に、生きておくことしかないのでしょう。
彼のことを書いているうちに、もう一つ思い出しました。
もう2年くらい前になるでしょうか。
テレビ局が縄文杉の撮影をするのに撮影機材運びのポーターのバイトがありました。
屋久島の金の無い移住者に声が掛かり、こちらでの仕事としてはかなり高給な話なので、私も、それに飛びつき総勢30人以上で各人荷物を背負って山に登りました。
その途中、撮影待ちで、1~時間くらいの休憩がありました。
私は友人と、山の中に探検に行って遊んでました。
そうしたら、途中、誰も居ない空き地のなかで、瞑想しているキクちゃんが居て、(彼は、日課的に瞑想をする習慣を守っていました)
私たちは、彼の瞑想の邪魔をしないよう、少し道をそらして歩きました。
その後、みんなの所に戻っていると、彼が来て、「いやー、さっき瞑想してたら、小鳥がやってきて、自分の膝や肩にとまって、しばらく飛び移って遊んでいたよ」と嬉しそうに話していました。
なかなか感じの良い男でしたが、これで顔を見ることもできなくなりました。
私の記憶のなかで、徐々に、彼の存在も薄れていくことでしょう。
そして、私自身の死によって、すべては掻き消えていくことでしょう。
彼の存在の記憶として、いま、ここに書き留めておきます。