只管工夫
いろは法語(抄)
照庵大智老尼語録断簡
少林窟道場の大智老尼の法語を久しぶりに読みましたが、改めて、格調高い、価値ある法語であると感じました。
法話の中に「只管工夫」「即念工夫」と言う言葉が繰り返し出てきますが、この「只管」「即念」が、私の言葉で云う「気づき」であり、「気づき」が定着し、働いている心の状態と言えます。
クリシュナムルティ風に言えば「分離も、選択も、言葉も無き、気づき」のことであると。
大智老尼の、只管を「目的」「手段」「結果」の三つの段階に応じて説く説き方(指導)は、修行者にとって非常に親切なものであると感じます。