10年ぶりくらいに眼を通しましたが、言うべきことはきちっと言っている、芯のしっかりした明晰な法話だな、と改めて感心しました。
研修所HPの文章、「気づきのなかの生―苦しみから気づきへ」のなかで、「水平的な道と、垂直的な恩寵」と云う表現で、法の説き方に「垂直的(頓悟的)・水平的(漸進的」の違いがあると書きましたが、飯田とう陰老師を初代とする少林窟道場は、禅の中では「水平的」な切り口での道の示し方が強く出ていて、そこら辺が(義光老師の実弟である)井上義衍老師とその門下の老師さんたちとの違いで、そこで話がゴチャゴチャになってしまいます。
ただ、久しぶりに読んで、少林窟の修行指南、道の行程の説明は、修行者に親切である、とは感じました。改めて、禅は、やはり良いな、魅力的だな、と感じたことでした。
◆ 井上義衍老師の法語
現代の禅匠としては越格の人であったと思います。「昭和の盤珪さん」とでも呼ぼうか。
禅と良く似た、ダグラス・ハーディングさんの知覚実験。
これもかなり「垂直的」です。直指端的。