近くの図書館に寄った折に、たまたま手にして、軽い読み物として借りてみた本なのですが、昨日パラパラ読んでいて、面白いなと思う一節があったので紹介してみます。
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「伝統的な未開社会には学校はなかった。
躾、労働、教育は分離せず、生きる場がそのまま教育の場となってきた。
長い人類史の中で学校がなくて困ったと云う話は聞かない。
むしろ、学校ができたことで、学習と労働とが分離したために、労働とは無関連の純粋な学習が生じた。
目的も見えないままに、とにかく何かを学ぶという空っぽのシステムが誕生したのだ。
この純粋培養された「学習」を維持するために作り出された素晴らしい発明品がある。
子供たちをある種のゲームに駆り立てる試験制度という複雑な社会制度だ。
この試験制度に適応するために、とりわけ日本の教育で重視されるのがIQだ。
だが、ニューギニアの原住民からも分かるように、人類が生き延びるために育んできたのは、意欲・計画性・想像力といった能力で、IQは、その基礎条件にはなるが、能力の高さ自体はIQとは無関係なことが分かっている。」
『自給再考』(農文協)から「ポスト石油時代の食料自給を考える―人類史の視点から」吉田太郎