判断は常に盲目

人は、自分が信じている対象に関しては、その信仰の程度が深ければ深いほど、疑念を否定する方向に、事態を解釈しがちである。その結果、ますます対象に対する信仰心を強めてしまう。自分が深く信じているものを否定することが怖いのだ。それは、極めて人間的な感情の一つである。
私は、自分自身がものが分かる。ものが見える(ものを(人を)見る眼がある)という人を、自分自身を含めて信じない。
錯覚を克服するのに難しい点は、何より自身がその中にいることに気が付かないことだと思います。他の方のカキコを見て、自身の内に様々な反応が起こるのは、自身の錯覚をその人に投影して見てしまうからではないでしょうか? おそらくこの状態から真に自由な方は私を含めて一人もおられないと思います。他人からの指摘や自身の気付きによってその錯覚にはっきり気付くのは、何度体験しても嫌なものです。そして錯覚全体を認識するのに時間が必要かもしれません。あるいは全く認識しないかです。