ブログ 『日々、刻々、流れるもの』

二宮尊徳の歌

音もなく香もなく常に天地は 書かざる経をくりかへしつつ
見渡せば迷ひ悟りはなかりけり 己おのれが心にぞある
夕立にふりこめられて耕せば 青天井を開き給わる
山の高く見ゆるうちは勤めてのぼるべし。
登りつきれば、ほかに高き山はなく、四方とも眼下なるがごとし。
この場にいたって仰ぎていよいよ高きは、天のみなり、
ここまで登るを修行という。
報徳日めくり
http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/diary/200906040000/

見る、と、聴く

人の五官は、視覚と聴覚とを主とする。
見と聞とが、外界に対する交渉の方法であった。
しかしそれは、単なる感覚の世界の問題ではない。
「みる」とは、その本質において、神の姿を見ることであり、
「きく」とは、神の声を聞くことであった。
そのように、物の本質を見極める力を徳といい、
また神の声を聞きうるものを聖という。
徳は目に従い、聖は耳に従う文字である。
白川静「文字逍遥」より

大智禅師偈

幸作福田衣下身  幸に福田衣下の身と作り
乾坤贏得一閑人  乾坤贏ち得たり一閑人
有縁即住無縁去  縁有れば即ち住し縁無くんば去る
一任清風送白雲  清風の白雲を送るに一任す

※ 「贏」の字は、あまる・になう・もうける・勝ちなどの意。

幸いに福田衣下(ふくでんえか)の身(み)と作(な)りて
乾坤(けんこん)贏(か)ち得(え)たり一閑人(いっかんじん)
縁あれば即ち住(じゅう)し 縁なくんば去る
清風(せいふう)の白雲(はくうん)を送るに一任(いちにん)す
清風白雲を送る

■ 大智禅師発願文(だいちぜんじほつがんもん)

願わくは、我れ此の父母所生(ぶもしょしょう)の身を以て、三宝(さんぼう)の願海に回向し、一動一静(いちどういちじょう)、法式(ほっしき)に違(い)せず、今身より仏身に至るまで、その中間(ちゅうげん)に於て、生生世世出生入死、仏法を離れず、在在処処、広く衆生を渡して疲厭(ひえん)を生ぜず、或は剣樹刀山(けんじゅとうざん)の上、或はかく湯炉炭(かくとうろたん)のうち、唯これ正法眼蔵を以て重坦(じゅうたん)と為して、随処に主宰とならん、伏して願わくは、三宝証明(しょうみょう)、仏祖護念。
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大智禅師発願文 – 一顆明珠(住職の記録)
http://blog.goo.ne.jp/munekuni1973/e/33502b3aee6fd061a01168c8e9d55f32
大智禅師発願文 – ノーブーを吹き抜ける風

今、この瞬間には、死も恐怖も存在しない

今の、この瞬間を見ているなら、(そこに)恐怖は存在しない。
思考なしに、恐怖はない。
意識を今に向けるなら、死も恐怖も存在しない。
事実としての肉体的死が、(未来において)存在しない訳ではない。
が、いま、この瞬間の、意識の事実としては、全く存在しない。
そのことの意義、そのことの理解による(死と恐怖からの)開放感は大きい。

最高の娯楽

人間として生まれて、瞑想より面白い娯楽には、なかなか出合えない。

万人幸福の17ヶ条

1  今日は最良の一日、今は無二の好機 〈日々好日〉
寒い日、暑い日、晴れた日、雨の日といろいろあるけれども、どの日がよくてどの日がわるいということはない。今日が、いちばんよい日である。その今日は、今のこの一秒の集積にほかならない。今が最良のときだと心得て、気づいたことを直ちに行おう。

2  苦難は幸福の門 〈苦難福門〉

病気や災難・貧苦・家庭不和など、生きていればさまざまな苦難に見舞われる。それら苦難は、生活の不自然さ、心の歪みが反映した危険信号である。苦難に直面したとき、嫌がったり逃げたりせずに、堂々と喜んでこれを迎えよう。苦難の原因を取り除くべく自分を改めれば、苦難は解決し、幸福・歓喜の世界が拓ける。

3  運命は自らまねき、境遇は自ら造る 〈運命自招〉

人の一生は、運命というどうすることもできない力で、きまった道筋を引きずられていくものではない。自らの力できりひらくことができる。境遇も、あらかじめそう定められているのではない。自分の心の通りに、境遇の方が変わっていく。断固として正しい道を踏み、喜び勇んでことにあたっていくがよい。

4  人は鏡、万象はわが師 〈万象我師〉

人は人だ、自分は自分だと、別々の生き物だと考えるところに、人の世の不幸が生じる。人はみな、見えない次元でつながっている。他人は自分の心や振舞いを反映する鏡なのだ。人を改めさせよう変えようとする前に、まず己を改めよう。身の周りに起こる現象は、自分を教え導く師匠である。虚心にその教えを聞き、心の歪みや偏りを正したとき、周囲は意のままにおのずと変わってくる。

5  夫婦は一対の反射鏡 〈夫婦対鏡〉

夫婦は一組のあわせ鏡のようなものだ。たがいに照らしあい、お互いを映しあっている。だから相手を直そうとするよりも、まず、自分をよくしていくことである。夫婦は男女両性の神聖な合一であり、一家の健康・発展やもろもろの幸福を産み出だす源泉である。

6  子は親の心を実演する名優である 〈子女名優〉

子は親の顔形から、立ち居振舞いや、癖にいたるまでよく似ている。のみならず親の心や行為をそのまま映し出し、身代わりに実演する。子供が悪くて困るというとき、子供を責めることなく、その原因は親にあると自覚し、親自身が改めることが先決である。

7  肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号 〈疾病信号〉

肉体は心の容れ物、心の表れである。病気は一般に知られている原因のさらに奥に、真の原因がある。それは心の不自然なゆがみ・偏りで、生活の暗影(不自然さ)が自分の肉体に赤信号として現われたものだ。朗らかな、ゆたかな、うるおいのある心になれば、病気は自然に治癒していく。

8  明朗は健康の父、愛和は幸福の母 〈明朗愛和〉

一人の明朗な心は、肉体の健康、家庭の健康、事業の健康のもとである。明朗な心を、一日も一分も曇らせてはならない。己が掲げた明朗のともしびで、他人もまた救われる。愛に満ちあふれて、皆がそれぞれにふさわしい場にあるさまを和という。宇宙は大和の姿であり、愛和はすべての幸福のもとである。

9  約束を違えれば、己の幸を捨て他人の福を奪う 〈破約失福〉

大自然のきめごと(法則)は、守らぬと身を亡ぼし、命を失う。しかし人がきめた規約や約束は甘く見られている。これは大変な錯覚だ。約束はどんなことでも守り抜こう。まずは時間を守ることからはじめよう。法の網をくぐって手に入れた金銭・財産は、得をしたようで、その人の身につかないばかりか、かえってその人を、家を、不幸にする。

10  働きは最上の喜び 〈勤労歓喜〉

人はただ生きているだけでは、何の意味もない。働いてはじめて生きがいがある。働く人は健康であり、長命である。働きが一切、働きが人生、働きが生命である。真心で働いたとき、かならず「喜び」という報酬が得られる。それは他のどんな喜びにもかえることはできない。喜んで進んで自分の仕事に邁進しよう。

11  物はこれを生かす人に集まる 〈万物生々〉

物は大切に使うと、持ち主のために喜んで働き、粗末にあつかえば、反抗したり、ときには喰ってかかる。物は人とおなじように生きているからである。物をよく働かせる人は物にめぐまれていく。とりわけ物を象徴し、すべての財を具象した金銭は、もっとも敏感な生き物である。金銭はその人の努力に正比例し、欲心に反比例して集まってくる。

12  得るは捨つるにあり 〈捨我得全〉

物事はいつも順調に運ぶとはかぎらない。どうしても出来ないこともある。にっちもさっちもいかない絶体絶命のとき、どうすればいいか。思いきって欲心を捨ててしまう。何の未練も、予想も、後悔もなく、きれいさっぱり捨ててしまう。ときには生命すらも投げ出す覚悟を決める。すると、予想だにしなかった好結果が生まれる。私情雑念をさっぱりと捨てて、明朗闊達な心境に達したとき、かならず危難から逃れられる。

13  本を忘れず、末を乱さず 〈反始慎終〉

枝葉のことには気をつけるが、何事につけても本を忘れがちである。初心を忘れ、受けた恩を忘れるから、いつしか怠け、過ちをおかす。わずかな困難にも耐えることができない。常に本を忘れず、また後始末をきちんとすることが大切である。とりわけ、わが命の本である両親の恩を思い、祖先を敬する心を培おう。

14  希望は心の太陽である 〈心即太陽〉

都合がよいから希望をもつのではない。一度しかない人生、二度と出くわすことのない仕事だから、その前途に燃えるような希望をもつのだ。うまくいかないから望みを失うのではない。望みをなくすから、崩れていくのである。希望はいくら灯しても尽きることのない永遠の光である。

15  信ずれば成り、憂えれば崩れる 〈信成万事〉

自信のないことは失敗する。憂え心を抱いて弱気になると、物事はうまくいかなくなる。きっと出来るという信念が、そのことを成就させる。信は力である。決心も誓いも祈りも信の現われである。人の世の交わりは信によって成り立つ。信は、動いて愛となる。乱れは、信の欠けたことから起こる。

16  己を尊び人に及ぼす 〈尊己及人〉

世の中に、たった一つしかない宝というべき自分自身の個性を、できるだけ伸ばして、人のために働き、身をささげよう。それが自分を尊ぶことになる。己を尊ぶの極は、ささげることにある。ささげつくして己が無くなったとき、一切が己となる。

17  人生は神の演劇、その主役は己自身である 〈人生神劇〉

宇宙の生命、統一の中心、万象の根源、これを神あるいは仏という。神は幽なるもの、すべてはそこに一と統べられている。人生も、自分だけの小さな知恵や力を超えた、もっと大きなものによって動かされ、創られていく神の演劇である。私たちはその演劇の主人公であるから、演出の作法である純粋倫理に則して、力いっぱい生き抜いていこう。

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倫理研究所「純粋倫理」入門
万人幸福の栞17ヶ条

丸山敏雄 – Wikipedia