ブログ 『日々、刻々、流れるもの』

Sabbe satta bhavantu sukhitatta

昨日、たまたま知ったのですが、このブログ、素晴らしいと思います。
(タイトルは、パーリ語で「全ての存在が幸せでありますように」との意)
Sabbe satta bhavantu sukhitatta

印象に残った文章を幾つか紹介してみます。
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人生が歌のように流れているとき
陽気でいることはとてもたやすい。
しかし、ひどく悪いことが起こったとき
微笑んでいられる人こそ 価値がある人。
試練は苦しいもので、
時とともにいつでもやって来る。
称賛を受けるにふさわしい微笑みとは、
悲しみを超えて輝く微笑み。
~エラ・ウィルコックス

善いことをすれば幸福になる
悪いことをすれば不幸になる
これがわたしの宗教である
~エイブラハム・リンカーン

心を見る
あの人が悪い、この人が悪い、とあちこち周りを見ないように。
自分の心を見て、
この思考(感情)はどこから来ているのか、
なぜこんなことを考えているのか、
と見るようにしてください。
~アチャン・チャー

禅の立場から

不動心とは、揺れている外界に逆らって、自分の身体を揺れないように保つことではなく、揺れそのものと一つであること、それに逆らう自分と云う塊(実体)のないこと。そのとき揺れる-揺れないを超えた、不動の一点が現れる。
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(良寛が文政十一年三条の大地震の際に、与板の山田杜皐あて書いた手紙)
地震は信に大変に候。
野僧草庵は何事なく、親類中、死人もなく、めでたく存じ候。
うちつけにしなばしなずてながらえて かかるうきめを見るがわびしさ
しかし災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
かしこ
誤解される良寛
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/gendaijinnozen/fl-ryoukan/ryokan01.htm
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。 煩悩寺の変

透明な人たち

福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。
医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった(追記あり)
http://www.kotono8.com/2011/03/18futaba.html
この記事を読んで、数日前に見た、この記事を思い出しました。
kyupinの日記(精神科医のブログ)
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10863825845.html
現在社会に於いては、通常、死と狂気は隠蔽(表舞台から隠)されており、
今回の震災でも精神病院がどうなっているかの報道は聞こえてこないのですが、
私たちの知らないところで頑張っておられる患者の方と職員さんがおられるのでしょうね。

自分の内と外

自分の外側(社会)の動きに、自分の内面(の反映)を見、
自分の内面の動きに、自分の外(社会)の雛形を見る以外にないのだと思います。
「真の社会革命は、個々人の内側からしか起こらない」と言ったクリシュナムルティの言葉は、
いまの、この現実にも、変わらず適用できるものであると思います。
「The Only Revolution」と云う本もありました。
内と外とを切り離した認識(問題設定)において、
それを変えようとすることに、望ましい結果が待っているとは思えません。
まず変えるなら、自身の内なる、狡さ、汚さ、利己性であり、
まず処理すべきは、自身の内の、怒り、恐怖、不安、疑いではないでしょうか。
すべては自身の反映でしかないと、繰り返し言い聞かせながら。