背面感覚

すべては、ヒト(という生き物)が直立したことから始まるのだろう。

私たちは、かって、水のなかを魚として泳いでいた。

その後、上陸して、地を這い回る爬虫類へと姿を変えた。

さらに長い時間を経て、地を駆け回る脊椎動物へと進化した。

それら(生物学的な知見からした)ヒトという生き物の成り立ちを考えてみても、体幹を貫く脊椎を重力に対して(常時)縦にして使う、なんていう生き方(在りさま)は、神様ですら想像しなかったレベルのボディプランの変更であった(に違いない)。

その結果、私たちの身体の「前と後ろ」、言葉を変えて言えば「表と裏」は逆転した。

そこからすべての問題もはじまった。


たとえば、強そうで堂々とした虎を考えてみて欲しい。

その場合、誰も、胸の筋肉(胸筋)の厚みとか、お腹のシックスパックの浮き出し具合などを想像しはすまい。

隆々とした背中の盛り上がり、後頭部から背筋にかけての滑らかな躍動を見るだけだ。

逆に、お腹を見せるのは、相手に対して負けを認め許しを請い、自身の最も弱い部分を晒して、ゴメンナサイをするときだけだろう。

ヒトは違う。

強そうで魅力的な男女とは、ひとえに、直立した状態で前から見たとき、如何に強そうでイケてるか、魅力的でゴージャスか、そんな風に計られる。

首の後ろの伸びがセクシーだとか、腰の裏側が充実していて強そうだとかは、通常、誰も言わない。


「気づき(意識)」は、面白い性質を持っている。

それは、ある部分(身体のパーツ)に気づき、意識を注いだとき― より普通の言葉で言えば、「そこに集中し、そこを感じたとき」― その部分は、より緩み、伸び、広がる。
体表面に(良い意味での)張りが出て、その部分の感度・感受性は上がる。

ヒトの意識が進化上の事情によってカラダの前面に集まったとき、その部分は、伸び、広がり、拡張した。

つまり、より広がり、より大きくなり、より生き生きした。
そして、感覚は、より鋭敏になった。

しかし、人間の体表面の面積には限りがある。

前面に対する意識(気づき)が強まったことによる表面積の拡張は、他の部分(この場合、背面)に影響する。

つまり、(意識の配分が薄れ、弱まり、希薄になった)背面には、しわ寄せが行く。

より無感覚になり、しぼみ、潰れこみ、(体表面の)張り、そして生気を失う。

その「しわ寄せ」は、腰部、背部(みぞおちの裏側)、首の裏の三箇所に集まりやすい。
結果、その三箇所に慢性的な問題を抱えることとなった。


それは、背中に三つのブラックホールを抱えて生きているようなものだ。

重力に耐えきれず空間は潰れこみ、身体は歪み、縮む。

その潰れは、成長と共に時間をかけ起こるため、それを身体空間認識そのものの歪みと自覚することは難しい。

平均的なヒトの身体の実情なんて、そんな程度のものだ。


私にとって「ボディワーク」とは、この、ヒトが抱える普遍的な問題に対する解決策(対処法)を与えるものである。

いかに、前面に偏った意識を背面に連れ戻すか。

そのことによって、潰れきった背面に本来の長さ・広さを取り戻させるか。

それは総じて、背面感覚を取り戻すための具体的実践(手順)である。

重力による身体のつぶれ

Murmuration- 黒い太陽(sort sol)

これら、マーミュレーション(murmuration)と呼ばれる、ムクドリの群舞を見るとき、私のなかには、「どうやったって敵わない」と云う思いが浮かぶ。

プロが人生をかけて作り込んだダンス、映像、練られた脚本による映画、斬新な現代アート― 素晴らしい作品は幾らでもある。

そのためにすべてを注いで調整し、磨き上げたコンディションを持って臨む即興のダンスバトル、ラップバトル、格闘技の試合にも素晴らしいものは沢山ある。

しかし、これら鳥の群舞をみるとき、それら(自分が人生で触れてきた優れた芸術作品・表現すべて)を超えて、「どうしようとも、どうやっても敵わない」と感じてしまう。

個々の鳥は、非常に単純でシンプルな幾つかのルールに従って「反応」しているに過ぎない、と云う。

しかし、何とドラマチックな、一瞬先が読めない、複雑で瞬間瞬間新鮮な、隙のないドラマが繰り広げられていることか。

生命とは、生物とは、一体何なんだろう。
自然とは、人為とは、
即興とは、脚本とは、
個体と集合知、創発とは、
そして自分が生きていることとは一体何なんだろう、、、、と、強く感じさせられる。

デーン人(ヴァイキングとしてブリテン島に侵攻した北方系ゲルマン民族の一派)は、この群れを「黒い太陽(sort sol)」と呼んだ。

巨大な雲のような群舞。

マーミュレーション(murmuration)とは、ムクドリなどの鳥の群れが、まるで一つの生き物のように一体となって空を舞う現象のこと。

数千から数万羽もの鳥が、素早く方向を変えながら、渦を巻いたり、波打ったり、様々な形を空中に描く。

名前の由来: 群れをなす無数の鳥の羽音が、低く連続的な「ざわめき(murmur)」のように聞こえることから、この名前が付けられた。


臨界は元来、物理学の概念だが、ムクドリの群れの行動を説明するのにも役立つ。
ムクドリの群れは常に捕食者の襲撃に備え、警戒態勢にある。
絶えず、何かあったらすぐにでも飛行経路を変えられる臨界にいると言っていいだろう。
群れの中の一羽が急に進路を変えれば、群れ全体がそれに合わせて進路を変えることになる。
つまり、すべての個体が群れの中の他のすべての個体に影響を与え得る。
個体の飛ぶ進路、速度、高度の変化があれば、その情報が瞬時に群れ全体に伝わる。
驚くべきなのは、群れを構成する鳥の数がどれほど増えてもそれは同じということだ。
どれほど規模が大きくなっても、群れ全体が協調する能力は維持される。


それだけ、ムクドリにとって捕食者を攪乱するのが重要ということだろう。
私も含め、あの寒い夕方にブラッドフォードでムクドリのショーを見た人たちの多くは、それを動物の見せてくれる素晴らしい芸術のように思っていたかもしれないが、当のムクドリたちにとっては、芸術どころではなく、まさに生死に関わる行動だったのである。

美しすぎるムクドリの群れを科学する | WIRED.jp

「100万羽」以上の集団で夕方の空を舞い、ほぼ完璧な調和を保ったまま飛び続ける…中世のヴァイキングから“黒い太陽”と呼ばれた「すごい鳥」とは? | 動物のひみつ | ダイヤモンド・オンライン

意見の成長

われわれの意見は次々と接木される。

最初の意見は第二の意見の台木の役をし、第二の意見は第三の意見の台木の役をする。

われわれはこうして、梯子を一段一段と登ってゆく。

 

モンテーニュ著、原二郎訳『エセー(六)』岩波文庫、P128